再会
カインの姿をようやく見る事ができたのは、日暮れ近くになってからだ。
侍女と騎士を連れたカインが中庭の回廊を通りかかる。
(カイン!)
私は薔薇の茂みの陰から顔を出して、精一杯呼びかけてみた。猫の体では鳴き声しか出ない。カインは気付かずに、俯くようにして歩いて行ってしまう。焦って何度も鳴いていると、ふとカインが足を止めた。
「どうかなさいましたか?」
「猫の声がする……」
「お待ちください、殿下!」
護衛の騎士が焦って声を上げる。
水が止まっている噴水の周りを捜してるから、私はもう一度、ここだと知らせるように鳴いた。薔薇の茂みの前までやってきたカインが膝をついて覗き込む。身を潜めている私の姿を見つけ、目を丸くしていた。
「殿下、なりません。そのような野良猫……汚れてしまいます」
侍女が眉を潜めて注意すると、カインは伸ばしかけた手を引っ込めてしまう。私は立ち上がろうとするカインの腕に飛び込んだ。びっくりしたようだが、振り払うような事はせずに優しく抱きかかえてくれる。
「寒そうだ……凍えてしまうよ」
「いけません、侍女長に叱られてしまいます。そのような猫……どこからやってきたか分からないのですよ。病気を持っていたらどうするのです」
侍女のお小言を聞き流し、カインは私を腕に抱いたまま歩き出した。
「殿下……その猫を、どうなさるおつもりですか?」
後ろをついてくる騎士が訪ねる。
「…………部屋に入れるくらいいいじゃないか」
「不潔ですよ! 足だって泥まみれなのに」
侍女が神経質そうな声を上げるのも無理はない。茂みの陰に隠れていたから、確かに足も毛皮も泥で汚れてしまっている。抱えたカインの服の袖にも泥がついていた。
(カイン、ごめんね!)
他にカインに近付く方法なんてなかったのだ。でも、うまく会えたし、このまま部屋に連れていってもらえたら、二人きりになれるチャンスもあるはずだ。
カインは少しも笑わず、暗い顔をしている。そんな表情、塔ではほとんど見なかったのに。侍女も護衛の騎士もつけられているから、冷遇されてはいないようだけど、あまり幸せそうではない。気を抜ける時がないのかな。心配になって見上げていると、カインはちょっと笑って濡れた毛を撫でてきた。
カインの部屋は離宮の二階にあるようで、階段を上がっていく。扉の前にも護衛騎士が待機しているから、随分と物々しい。護衛の騎士はカインが抱えている猫に目をやって、お互いに視線を交わしていた。王子様がどこで小汚い猫を拾ってきたのだろうと思っているのだろう。
カインの部屋は立派な部屋だった。内装は古くて壁紙も少しくすんでいるけれど、塔の部屋よりは豪華で広々している。その上、暖炉に火が入っているから温かい。大きな天蓋つきのベッドがあり、部屋の中央にはテーブルと椅子が置かれていた。
塔の中のカインの部屋とは大違いで、どこも綺麗に片付いている。塔にいた時なんて、私が口を酸っぱくして片付けるように言っても、少しもきかなかった。おかげで、狭い部屋の中は魔導具や本、それに服が散らかり放題になっていた。ここでは、代わりに片付けてくれる侍女やメイドがいるのだろう。快適そうに見えるけれど、なんだかカインの部屋じゃないみたい。
「…………その猫を拭くものを持ってまいりましょう」
侍女はため息を吐いて部屋を出て行った。しばらくすると、メイドたちが部屋にやってきて、ぬるま湯に浸したタオルで念入りに私の足や体を拭いてくれる。カインの手を洗う盥も用意されていた。泥がついた上着もすぐに着替えたようだ。
その間、カインは一言も話さない。ようやく綺麗になると、メイドたちはお茶を淹れて部屋を出て行く。カインは椅子に腰を掛け、私を膝に乗せて撫でている。心ここにあらずといった表情だ。
「…………キャロル……」
急にカインが私の名前を呟くものだから、びっくりした。猫が私だと気付いたわけではなさそうだ。
すぐにでも魔法を解いて姿を見せたいけれど、部屋の中にはまだ護衛騎士がいる。夜になって、部屋の中からみんなが消えるのを待つしかない。それまで大人しく猫のふりをしておく事にした。
カインの部屋にはうまく入り込めたのだから、慌てる事はない。何時間も寒い中庭にいたから、すっかり体が冷えてしまっていた。クシュッとクシャミをすると、カインが私を抱えて暖炉の前まで移動する。その姿を、護衛の騎士は黙って目で追っていた。
それから、カインは暖炉の前に運んできた椅子に座り、夕食の時間になるまで魔法の本を読みふけっていた。私は温かくなったせいか、膝の上でウトウトする。いつの間にか眠っていたようで、パチンと目を覚ました時には、ベッドの上に移動させられていた。いつの間にか、侍女も騎士もいなくなっている。カインも入浴を済ませて寝間着に着替えたようだ。ベッドに入って、やっぱり魔法の本を読んでいた。
「目を覚ましたの?」
カインが気付いて手を伸ばしてくる。頭を撫でられた私は返事の代わりに鳴いて起き上がる。ベッドからピョンと飛び下りると、カインも体を起こした。
魔法を解いて人の姿に戻って見せると、口をあんぐりと開ける。
びっくりしすぎて、すぐに声が出ないみたいだった。
「カイン、元気だった?」
「キャロル……なの? 本当に、本当にキャロル!?」
「シッ、外の騎士に聞こえちゃうよ!」
私が唇に人差し指を当てると、カインは慌てたように両手で自分の口を塞ぐ。二人一緒に扉の方を見たけれど、外に待機している騎士には聞こえなかったようだ。気が緩んでいるのか、暇そうに雑談している声が聞こえる。職務怠慢だけど、今は好都合だ。
「……どうやって、王都に来たの!?」
カインはベッドの端までやってきて声を潜めた。
「グリュプス様に運んできてもらったの。でもよかった。カインに会えるかどうか分からなかったから」
「会いたかったんだ……すごく……すごく……」
カインは私の手を取ると、涙ぐんで項垂れる。それだけ寂しかったのだろう。私はベッドの端に腰を掛けてその頭をポンポンと叩いた。カインの髪はまだしっとり濡れている。風魔法で乾かしてあげれば、髪が乱れてしまっていた。私はそれを見て思わず笑う。
塔にいた時も、こうやって髪を乾かしてあげていたんだっけ。カインは濡れていても平気だと言って、乾かそうとしなかったから。すぐに体調を崩して風邪をひいてしまうくせに。世話の焼ける弟みたいだ。
「そうだ。この子を連れてきたの」
魔法鞄の蓋を開いて、中から氷の卵を取り出す。パキッと表面が割れると、小さなスノードラゴンが顔を出した。上掛けや私の膝の上に雪の結晶が舞い落ちる。
「ノエル!」
嬉しそうに声を上げたカインに、私は氷の卵を渡した。ノエルはすぐに這い出してきて、カインの腕に乗る。触れると氷が張るから袖が冷たそうだ。けれど、カインは少しも気にしていなくて、目を細めてノエルの頭を撫でていた。頬ずりまでしているから、よっぽど会いたかったのだろう。目が潤んでいる。
「ありがとう。キャロル。僕、ノエルにもすごく会いたかったんだ……」
「あなたのペットなんだもの。ちゃんと面倒を見なくちゃダメよ」
「うん……っ!!」
カインがノエルとの再会を喜んでいる間に、私は鞄の中からお菓子とお茶の水筒を取り出す。
「急いで塔から出てきたから、あんまりたくさんは持ってこられなかったの。でもね、ジンジャークッキーは焼いてきたんだよ」
「本当? すごく嬉しい……ここのお菓子も食事も、あんまり食べる気がしないんだ」
「どうして? 離宮には一流の料理人がいるでしょう?」
「キャロルが作ってくれたほうが百倍はおいしいよ……」
離宮での食事が口に合わなかったのか、カインはため息を吐いている。
私はクッキーの包みをカインに渡して、水筒のお茶を渡す。カインはすぐ隣に腰掛けると、クッキーを口いっぱいに頬張っていた。よっぽどお菓子が嬉しいみたいだ。
「やっぱり、キャロルのクッキーの方がずっとおいしい……」
「お褒めいただいて光栄です。殿下」
私が畏まって言うと、カインは目を丸くして笑う。
「キャロルにそんなふうに言われると、なんだか変な感じがする」
「カイン、新年祭の時に教会にガーゴイルが現れたでしょう?」
「うん……ごめん。キャロル。僕が助けに行きたいなんて言わなかったら、キャロルやお師匠様まで巻き込まれなかったのに……僕のせいだ」
カインは悔しさを滲ませた表情でうつむいた。ガーゴイルを呼び出したのは、母様だと思われている。そのせいで、騎士たちは母様の行方を捜しているんだ。
「カインのせいじゃないでしょ……母様は私達を助けようとしただけ。それに、カインが国王様や王妃様や、弟殿下を助けたいと思うのは当然の事だよ。血の繋がった家族なんだもの。私だって、カインや母様が同じように危ない目に遭っていたら、どんな事をしてでも助けようとしたよ」
「僕……も? でも、僕はキャロルと血は繋がってない……」
「それでも、一緒に暮らした家族みたいなものだよ。カインは私の弟弟子みたいなものだもの。カインが危ない目に遭っていたって私は助けるよ。今だって、ほら。会いに来たでしょう?」
私が微笑むと、カインは「うん、キャロルは来てくれた」と頷く。その瞳が潤んでいた。
「悪いのは、本当の犯人だよ!」
「本当の犯人?」
「うん、そう。ダーシーおじさんが言っていたの。ガーゴイルを呼び出した人がいるって。そうじゃなきゃ、教会の上に現れるはずがないでしょ。それも、国王様たちがいる時によ? 偶然じゃないよ」
国王様たちがたまたまいた場所に、ガーゴイルが現れるなんて事はありえない。
「ガーゴイルをあの場に呼び出した犯人の狙いは、国王様たちだったと思うの」
「父上?」
「そう。それが国王様なのか、王妃様や、弟殿下なのかは分からないけど。もしかしたら、弟殿下なのかも。あの時、ガーゴイルは弟殿下を連れ去ろうとしていたでしょう?」
「うん、そうだ……でも、どうしてミハエルを?」
カインは首を捻り、真剣な顔をして考え込んでいた。私にも犯人の狙いは分からない。ガーゴイルが一番狙いやすかったのが弟殿下だったのかもしれないし。
「身代金でも要求するつもりだったのかな?」
私はそれくらいしか思い浮かばない。でも、お金のためにわざわざ、ガーゴイルまで呼び出したりするだろうか? 魔物を王都に召喚するなんて、かなり大変な事だ。魔法使いが何人も協力していないと無理だ。人を雇ってまでお金を要求するだろうか? お金儲けが目的なら、王宮や教会の宝物庫を狙う方がいい。
弟殿下を狙う動機がある人と言うなら、カインも含まれるんだよね。カインは本当なら王太子になっていたはずだ。魔女の呪いをかけられているからと、王宮で暮らす事は許されず離宮に隔離されているけど。王位継承権は持っている王子様だ。弟殿下ではなく、カインを王太子にしようと考えている人たちが王宮内にいるのかもしれない。そうした人たちが画策した事なら、カインも巻き込まれてしまう。
「ねぇ、カイン……カインも王太子になりたいとか思ったりする?」
私が尋ねると、カインは驚いた顔をしてこっちを見る。考えもしていなかったのだろう。
「僕が?」
「例えばの話だよ。魔女の呪いをかけられていなければ……本当ならカインが王太子だったでしょう? 王太子だったら、離宮じゃなくて弟殿下みたいに国王夫妻と一緒に王宮で暮らしていたと思うの。今よりももっと待遇だってよかったはずだよ」
それは、母様のせいでもある。だから、私はカインに対してひどく申し訳ない気持ちにもなる。カインから、輝かしい未来を奪ってしまった事になるんだもの。もし、カインが望むなら、私だってその未来を返してあげたい。
「…………全然、思わない」
カインは少し考えてから、呟くように答えた。
「でも、カインにはその権利があるんだよ?」
「僕は王太子なんかになるより、お師匠様の弟子になる方がずっといい。王宮や離宮で暮らすより、キャロルやお師匠様と一緒に塔で暮らすほうがいい」
そう言われて、今度は私の方が言葉に詰まってしまった。
王宮でも離宮でも、望めば贅沢三昧できる。多くの人にかしずかれて、何も不自由する事なく暮らしていける。冬の寒さだってこの離宮の中では感じる事はないだろう。それなのに、あんな魔物のいる森に囲まれた北の果ての塔の暮らしがいいだなんて。
「塔の暮らしは不便だったでしょう? 周りは森ばかりで、村に行くのだって大変なのに。それでも、塔の暮らしの方がいいって言うの?」
「ちっとも不便じゃなかった。それに、ここじゃ僕に魔法を教えてくれる人がいない。キャロルもお師匠様もいないから、つまらない……僕はお師匠様みたいな大魔法使いになるんだ」
「王太子になって国王様になるより、大魔法使いの方がいいの? でも、母様はお尋ね者の悪い魔女だよ?」
その弟子になっても、堂々と名乗る事はできないだろう。日陰者の暮らしが待っているだけだ。
「その方がいい。僕は塔でキャロルやお師匠様と魔法や魔導具の研究をしたい。王子の身分だっていらないよ……むしろ、邪魔なんだ……まだ形だけは王子だから、連れ戻される。いっそ、死んだ事にしてくれたらよかったのに」
カインは拳を握り、過激な事を呟く。
「カインって……変わってるわ」
「そうかな?」
「王子様の身分を捨てて、自分から不便な塔暮らしを望む人なんてそういないよ。でも……カインが塔の暮らしを気に入っていてくれたのは嬉しいよ」
「キャロルは……僕がいらない?」
カインの瞳が不安げに揺れる。まるでこれから捨てられそうな子犬みたいな頼りない表情だった。
「まさか! カインがいないと、私だってつまらないよ。だから、こうして会いに来たんじゃない」
ちょっと前なら、カインがいなくても平気だったかもしれない。けれど、今はカインがいないと寂しくて、一人で塔で留守番をしているのが退屈なのだ。
「僕、早く塔に帰りたい……」
カインは落ち込んだように呟く。
「そのためにも、ガーゴイルを呼び出した人を見つける必要があると思わない?」
「見つけるつもり? でも、どうやって?」
「それはまだ、考えてないよ。でも、濡れ衣を晴らせば母様も塔に戻ってこられる。そうすれば、カインが塔に戻っても、騎士たちは簡単に手出しできないでしょう?」
「うん、そうだ……」
「じゃあ、協力してくれる? あなたの協力がないと、きっと調べられないわ」
「でも、僕はこの離宮から出られないよ。騎士が見張りをしているんだ。護衛って言ってるけど、僕の事を監視している」
「離宮にいても調べられる事はあるよ。それに、カインにも離宮を抜け出せる方法を教えるよ」
「本当に?」
「うん。猫に変身する魔法を使えるようになれば、便利じゃない? 私にできるんだから、カインにも簡単にできると思う」
「覚えたい! 僕もやってみる!!」
カインは目を輝かせて、グイッと詰め寄ってくる。今すぐにでも、その魔法を試してみたくて仕方ないようだった。今度、教えるつもりでいたけど――。まあいいか。
私はベッドから下りて、カインの方を向く。杖を取り出して宙に魔法陣を描いてから、「猫になれ!」と唱える。魔法陣が光って、私は猫の姿に変身した。カインは私を両手で抱きかかえると、「すごいや、キャロル!」と興奮した声を上げる。
そんなにはしゃいだら、護衛の騎士に気付かれちゃうよ!
私は焦って鳴いてから、ポンッと魔法を解除する。
「分かった? 今の通りにやってみて」
「うん、やってみる!!」
カインも立ち上がると、枕の下に隠していたあのハートのステッキを取り出した。私の真似をして宙に魔法陣を描く。かなり複雑な図式なのに、一度見ただけで覚えたようだ。「猫になれ!」と、唱えるとカインの体が真っ白な毛の猫に変わった。
「カイン、すごいよ。大成功!」
今度は私がカインを両手で抱き上げて、クルッとターンする。カインは青い瞳を瞬かせて自分の足を見ていた。それから嬉しそうに鳴く。絨毯に下ろすと、魔法を解除して元の姿に戻っていた。
「できた……!」
カインは興奮気味に呟いて、両手をギュッと握る。
「キャロル……っ!」
「しーっ!」
私が人差し指を唇に当てると、カインは慌てて口を閉ざす。扉の外は静かで、騎士たちが入ってくる様子はない。私もカインも胸を押さえて息を吐いた。
「これでいつでも離宮を抜け出せる」
「でも、僕がいなくなっている事が分かったら、大騒ぎになるよ」
「そうだね。出られるのは夜だけかな……」
「図書室にこもっている時なら誰も来ない」
「じゃあ、その時間だけ抜け出すようにしよう」
私達は額を付き合わせるようにして、小声で話し合う。
「今日のところは戻るよ」
「ええっ! 帰っちゃうの?」
カインが残念そうな顔をする。
「うん、あまり遅くなると、ダーシーおじさんが心配するもの。大丈夫。明日にはまた来るから。中庭で待ち合わせしよう」
「分かった……気をつけてね。キャロル。猫の姿だと、ひどい事をするやつがいるかもしれない」
「この格好でも魔法は使えるから、自分の身は守れるよ」
私が猫の姿に変身すると、カインが両手を伸ばして抱き上げる。額にそっとキスされた。猫だから平気だったけど、人の姿だったらびっくりしてしまっていただろう。ガラス戸を開いて裸足のままテラスに出たカインは、手すりの上に私をそっと下ろす。
「庭に下りられる?」
返事の代わりに鳴いて、テラスに一番近い木の枝に飛び移る。枝を伝うようにして下りるのを、カインはテラスから身を乗り出すようにして見ていた。




