第7話 盗人の特許出願と魅惑のミルフィーユ
「健太くん、本当に大丈夫だよね? あの地味な女、後から権利を主張してきたりしない?」
「心配ないって、キララ。あいつのパソコンのローカルデータは、僕が管理者権限で綺麗に消去しておいたからね」
「さすが健太くん! これで『奇跡の美容液』は完全に私たちのものね!」
スマートフォンから漏れ聞こえる、胸糞の悪くなるような甘ったるい男女の会話。
それは、インフルエンサーである星野キララが昨夜行っていた、会員限定の有料ライブ配信のアーカイブ音声だった。
「私たちが苦労して開発した美容液、ついに来週の金曜日に大々的にお披露目します! 皆さん、絶対に来てくださいねっ!」
画面の中で投げキッスをするキララと、その後ろで得意げに腕を組む橘健太。
◇ ◇ ◇
「……というわけで、彼らは現在、他人の褌で相撲を取りながら、特許権という名の絶対的な盾を手に入れたと勘違いして大はしゃぎしているようです」
帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室。
私は、フランス産の高級発酵バターを幾重にも折り込んで焼き上げた、サクサクのミルフィーユに銀色のナイフを入れた。
パリッ、サクッという小気味良い音と共に、濃厚なバニラビーンズたっぷりのカスタードクリームがとろりと溢れ出す。
私はその魅惑の断層をフォークで掬い上げ、パクリと口に運んだ。
バターの芳醇な香りとクリームの甘さが、脳内のシナプスを高速で繋ぎ合わせ、リーガル・バトルへの闘争心を掻き立ててくれる。
「所長。他人の特許出願という緊急事態の真っ最中に、机の上にパイ生地の破片をボロボロと撒き散らすのはやめてください。掃除するのは僕なんですから」
パラリーガルの木戸くんが、小型の卓上クリーナーを片手に涙目で訴えかけてくる。
「失礼ですね。このミルフィーユの複雑な断層構造は、特許法における『冒認出願』の脆弱性を解き明かすための重要なプロセスですよ」
私は指先に付いたパイ生地を優雅に純白のハンカチで拭き取り、ソファに座る薬師寺雫様に向き直った。
「さて、雫様。彼らはすでに、貴女のデータを元に特許を出願してしまったようです。会社も辞め、自分たちのブランドとして堂々と売り出す気満々ですね」
瓶底メガネの奥で、雫様が悔しそうに唇を噛み締めた。白衣の裾を握りしめる手が、小刻みに震えている。
「そんな……私が五年もかけて、毎日毎日NMRのスペクトルと睨めっこして導き出した配合比率なのに。彼らはコンタミ防止の基本すらまともに知らないんですよ!?」
「ええ、まさにそこが彼らの最大の弱点です」
私はダージリンティーで喉を潤し、冷ややかな笑みを浮かべた。
「特許法第百二十三条第一項第六号。真の発明者ではない者が行った特許出願、いわゆる『冒認出願』は、無効審判の対象となります」
「他人の論文をコピペして自分の名前で提出した大学生と同じです。中身を理解していない愚か者は、必ずどこかでボロを出します」
「でも、所長。相手のパソコンのデータは消されてしまっていますし、今の時点で『証拠』は向こうの手元にしかありません。普通に訴えたら、確実にデータを隠滅されますよ?」
木戸くんが、もっともな疑問を口にする。
「例えば内容証明郵便を送ったり、普通に訴状を提出したりすれば、彼らは『あ、ヤバい』と気づいて、ハードディスクを物理的にドリルで破壊するでしょうね」
「ドリルって……そこまでするんですか!?」
雫様が驚きに目を見開くが、数億円の利益と自己の保身がかかった悪党は、証拠隠滅のためならパソコンを海に沈めることすら躊躇わない。
「その通りです。だからこそ、相手に『訴えられた』と気づかれる前に、いきなり裁判所の権力で首を刈り取る『証拠保全』が必要なのです」
私は雫様を真っ直ぐに見つめた。
「雫様。彼らが盗んだUSBメモリの中のデータは、貴女が作成したオリジナルですよね? ファイル名などを書き換えられても、『これは絶対に私が作った』と証明できる『仕掛け』や『指紋』のようなものはありますか?」
雫様は少し驚いたように目を瞬かせた後、小さく、しかし力強く頷いた。
「はい。……実は私、美容液の成分分析プログラムのソースコードの中に、全く動作に関係ない『隠しコメント』を大量に仕込んであるんです」
「隠しコメント、ですか?」
「ええ。プログラマーの癖みたいなものなんですが……。例えば、五千行目のコードの末尾に、うちで飼っている三毛猫の『タマ』の体重の推移記録とか」
「……タマの体重?」
「それから、一万二千行目には、私が推している深夜アニメのキャラクターのセリフを、暗号化して忍ばせてあります。成分の配合データのエクセルシートの隠しセルにも、私の好きなアイドルの誕生日が……」
雫様が次々と暴露する『天才理系オタク特有の執念深いデジタル・トラップ』の数々に、木戸くんがドン引きして口をポカンと開けている。
「す、すげえ……。相手の元カレ、そんなこと全く気づかずに『自分たちのデータだ』ってドヤ顔で特許出願したのか……」
「素晴らしい! これ以上ない完璧な『デジタル透かし』です。中身を理解していない剽窃者には、絶対に気づけない罠ですね」
私は歓喜に打ち震えながら、ミルフィーユの最後の一口をパクリと飲み込んだ。
「彼らがどんなにファイル名を『キララと健太の奇跡の美容液』に変更しようとも、ソースコードを開けば、そこにはタマちゃんの体重記録が刻まれているわけです」
「はい! あのソースコードの中身は、私にしか絶対に説明できません。彼らに言い逃れはさせません!」
雫様の瞳に、かつての絶望は消え、理系女子らしい合理的で冷徹な怒りの炎が宿っていた。
「これで、裁判官を説得するための最強の武器が揃いました」
私は立ち上がり、壁のホワイトボードに赤ペンで『東京地方裁判所・保全部』とデカデカと書き殴った。
「証拠保全は、裁判官が『相手が証拠を隠滅する蓋然性が極めて高い』と判断しなければ発令されません。相手がいかに悪質で、息を吐くように嘘をつく人間かを証明する必要がありますね」
「木戸くん。彼らのSNSの過去の投稿、虚言癖、そして今回のライブ配信の録画データ。すべてを完璧な報告書にまとめてください」
「徹夜確定ですね、了解しました。……で、所長。その証拠保全の『ガサ入れ』は、いつ、どこで決行するおつもりですか? 相手の会社ですか?」
木戸くんの問いに、私は黒縁メガネを中指でクイッと押し上げ、極上の魔王の笑みを浮かべた。
「決まっているでしょう。来週の金曜日。都内の高級ホテルで開催される、彼らの『新ブランド発表記念・超豪華レセプションパーティー』の会場です」
「……は? いやいやいや! そこにはインフルエンサー仲間とか、美容業界のメディアが何十社も集まるんですよ!? そんなキラキラした場所に、裁判所の執行官を連れて殴り込むんですか!?」
「ええ。だからこそです。彼女の承認欲求が最高潮に達し、嘘で塗り固めた王座で最も輝いている瞬間……」
私はデスクの上の六法全書を愛おしそうに撫でながら、氷のように冷たく、甘美な声で告げた。
「その晴れ舞台のど真ん中に、裁判所の執行官とIT専門家を引き連れて正面突破の奇襲をかけます。そして、数千人のフォロワーとカメラの前で、彼らの手から物理的にパソコンを没収するのです」
「……所長、本当に血も涙もない悪魔ですね。相手のインフルエンサー、確実に社会的にお陀仏じゃないですか」
「他人の五年間の努力を踏みにじったのです。これくらいの極上のエンターテインメントは提供していただかないと、到底割に合いませんよ」
私がニッコリと微笑むと、木戸くんは無言で胸の前で十字を切った。
雫様はゴクリと唾を飲み込みながらも、私の悪魔的な提案に深く、深く頷き、力強い視線を返してきた。
さあ、愚か者たちのための、華やかで残酷な断頭台を組み上げよう。
彼らが美酒に酔いしれるその瞬間に、現行法という名の冷たい鉄槌を下すために。
私は次の獲物への期待に胸を膨らませ、新しい紅茶をカップに優雅に注いだのだった。
お読みいただきありがとうございます。
雫が仕込んでいたのは、まさかの「三毛猫のダイエット記録」と「深夜アニメのセリフ」でした。中身を理解していないパクリ犯には絶対に気づけない、完璧なデジタル透かしです。
次回、このふざけた(しかし絶対的な)証拠を武器に、魔王が裁判官を論破しに行きます。
「ざまぁの予感がする!」「早くガサ入れして!」と思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】をしてお待ちください!




