第39話 執行猶予なき「絶縁」と漆黒のフォンダンショコラ
「ふざけないでちょうだい! 香水の成分が一致したから何だっていうのよ! そんなの、たまたま同じ香りを纏った誰かが通りかかっただけかもしれないじゃない!」
「そうよ! ラメだって、今どきの女子大生なら誰だって使っているわ! そんなこじつけで、わたくしたちを犯罪者扱いするなんて……!」
帝都音楽大学、学長室。
首席卒業の選定を巡る緊急懲罰委員会。
そこには、証拠を突きつけられてなお、真っ赤な顔をして喚き散らす綾小路、設楽、姫宮の三人娘がいた。
彼女たちの背後では、顧問弁護士を五人も引き連れた父親たちが、「名誉毀損で訴え返してやる」と鼻息を荒くしている。
「――素晴らしい。この、フォークを入れた瞬間に溢れ出す、溶岩のような熱いガナッシュ。外側のサクッとした食感と、内側の官能的なまでのとろけ具合の対比」
そんな怒号が飛び交う殺伐とした空間の真ん中で、私は漆黒の『フォンダンショコラ』に、銀のフォークを優雅に突き立てていた。
カカオ分八十パーセントのビターチョコレートを使用したそれは、濃厚な香りで学長室の空気を制圧している。
私はそれを一口、静かに口に運んだ。
舌の上で熱を帯びて広がる、圧倒的なカカオの深み。そして、隠し味に加えられたオレンジリキュールの爽やかな香りが、私の脳細胞を最高速度で再起動させていく。
「所長! 大学側が『穏便な解決』を模索しようとして、加害者の親たちが札束で横面を叩こうとしてる最悪の空気感の中で!」
「なんで『溶け出す悪意の地層』みたいな解説をしながら、バニラアイスを添えた熱々のチョコをむさぼってるんですか!」
「こっちは相手側の弁護士五人から、同時に十個以上の法的論点を投げられて、処理落ちしそうなんですよ!」
パラリーガルの木戸くんが、三台のノートパソコンを同時に操りながら、鼻血を出しそうな形勢で絶叫した。
「木戸くん、落ち着きなさい。このフォンダンショコラの構造は、強固に見える彼らの『階級という名の殻』が、熱を帯びた真実によって中から崩壊していくプロセスを解読するための、重要なインスピレーション源ですよ」
私は口の中に残るショコラの芳醇な余韻をブラックコーヒーで流し込み、黒縁メガネの奥で瞳を鋭く光らせた。
「さて、綾小路さん。『こじつけ』とおっしゃいましたね?」
私は手元のタブレットを操作し、新たな「地層」を巨大モニターに展開した。
「貴女が使っている香水『ヴィーナスの嫉妬』。これは、ロット番号から貴女の購入が特定されただけではありません。実は、この香料には『時間経過による揮発特性』があるのです」
「な……揮発特性……?」
「ええ。ドレスに付着していた成分の濃度と、揮発の進み具合。これを計算すれば、香水がドレスに付着した『正確な時刻』が判明します」
私はフォンダンショコラの二口目をパクリと食べ、ベリーソースの酸味を楽しみながら続けた。
「時刻は、卒業演奏会の一時間前。……貴女方が、アリバイがないと証言していた、あの空白の十分間と完全に一致しますね」
「ひっ……!」
「さらに、ラメについても補足しましょう。設楽さん、姫宮さん。貴女方が使っていた限定コフレ。実はその成分には、特定の鉱山でしか採れない微量の不純物が含まれています」
私は黒縁メガネを中指でクイッと押し上げ、戦慄する彼女たちを指差した。
「その不純物の配合比率は、まさに『世界に一つだけの指紋』。……バイオリンのネックから検出されたものと、貴女方のポーチに入っているもの。一致確率は、天文学的な数字ですよ」
「おーっほほほ! 流石は結お姉様! 贅沢を極めるあまり、自ら証拠の『一品物』を現場に遺していくなんて、三流の犯罪者もお手本にすべきマヌケっぷりですわね!」
麗華様が、バサァッ!と扇子を広げて高らかに笑った。
「さて、学長。そして保護者の皆様。これでもまだ『不運な事故』だと強弁されるおつもりですか?」
私が問いかけると、それまで威勢の良かった父親たちが、みるみるうちに青ざめていった。
「科学的証拠を無視して隠蔽を図れば、今度は大学側の『組織的隠蔽』として、文部科学省とマスコミにすべてのデータを放流いたしますが?」
「ま、待ってください! 和解です! 和解しましょう! 三千万円と言わず、五千万円……いや、一億円払ってもいい!」
綾小路の父親が、札束の入ったカバンを差し出す。
だが、私はフォンダンショコラの最後の一片……底に溜まった最高に濃厚な部分を飲み込み、冷酷に微笑んだ。
「一億円? お安く見積もられましたね。……奏様の未来は、貴方がたの汚れた金で買えるほど安物ではありませんよ」
私はナプキンで口元を丁寧に拭うと、黒縁メガネを押し上げ、三通の『退学勧告同意書』と『損害賠償合意書』を突きつけた。
「金だけでは足りません。この三人の『永久退学』、および音楽界からの事実上の『追放』。これが最低条件です」
「な……退学だと!? そんなことをしたら、娘たちの人生が台無しに……!」
「人のドレスとバイオリンを切り裂いた瞬間に、自分たちの人生を切り裂く覚悟はできていたはずでしょう?」
私は立ち上がり、トレンチコートの襟を正した。
「器物損壊、威力業務妨害。……刑事告訴を取り下げて欲しければ、今すぐこの書類にサインを。さもなくば、この場で警察を呼びますよ。……木戸くん、一一〇番の準備は?」
「いつでもポチれます! 僕の指、今最高に『正義のトリガー』を引きたがってますからね!」
木戸くんが、死んだような魚の目でスマートフォンを掲げる。
その圧倒的な「詰め」の前に、ついには父親たちが膝を突き、令嬢たちは狂ったように泣き叫びながら、自らの破滅を認める署名をしていった。
……中から溢れ出したドロドロの悪意が、法の正義という冷気によって、ようやく静かに固められた瞬間だった。
「……ふぅ。フォンダンショコラは最高に甘美でしたが、嘘を暴いた後の沈黙は、どんなデザートよりも清々しいですね」
私は、署名された書類を木戸くんに回収させ、崩壊した学長室を後にした。
背後からは、特権階級の誇りを粉々に砕かれた者たちの、見苦しい絶叫が響き渡っていた。
「結お姉様! 奏様のために、世界最高の楽器ディーラーから、最高級のオールド・イタリアンを数本手配しておきましたわよ! もちろん、あの方たちの賠償金で!」
麗華様が、まるでお祭りの後のように清々しい顔で笑う。
「素晴らしい。奏様の奏でる『勝利の旋律』が、今から楽しみですね。……さて、木戸くん。次はどこのスイーツ……失礼、どこの不条理を解体しに行きましょうか?」
「所長、その前に僕に『睡眠』という名のフルコースをください……! 僕の脳細胞が、もうフォンダンショコラみたいに溶け出してるんですからぁぁっ!」
賑やかな助手を従え、私は帝都の空の下へと歩き出した。
切り裂かれたドレスは、新しく、より輝くドレスへと仕立て直される。
そして、不協和音を奏でた者たちは、もう二度と、この美しい世界で音を出すことは許されない。
法の刃で芸術の敵を粉砕し、真実の残響を取り戻す。
九条院法律事務所の「復讐のシンフォニー」は、完璧なフィナーレへと向かって、力強くタクトが振られたのである。
さて、明日のニュース一面が、特権階級の没落と、一人の天才バイオリニストの復活で埋め尽くされるのが、今から楽しみでなりませんね。
お読みいただきありがとうございます。
フォンダンショコラから溢れるチョコのように、暴かれた悪意が彼女たちの人生を飲み込んでいく……。
「退学勧告」という名の、執行猶予なき実刑判決でした。
次回、いよいよ第8章・完結。
奏様の奏でる「勝利の独奏曲」と、そしてラストには次章の『未来予言者』との対決を予感させる不穏な依頼が……!
(※最終話は明日19時過ぎ更新です!)




