第37話 香水の罠と黄金のタルト・タタン
「ねえ、見ました? あの女の泣きっ面! 一生懸命練習したバイオリンも、自慢の特注ドレスも、今頃はただのゴミクズですわ!」
「防犯カメラの死角を狙ったのは正解でしたわね。証拠がなければ、ただの不運な『いたずら』として処理されるだけ」
「これで首席卒業はわたくしたちのもの。あんな泥臭い努力しか能がない平民令嬢、最初からこの場にふさわしくなかったのよ。オホホホッ!」
帝都音楽大学の校舎裏、バラが咲き誇る秘密の談話スペース。
実行犯であるライバル令嬢三人衆……綾小路、設楽、そして姫宮は、勝利を確信してシャンパングラスを傾けていた。
彼女たちはまだ、自分たちが「世界で最も怒らせてはいけない魔王」の逆鱗に触れたことに気づいていない。
「――素晴らしい。この、焦がしキャラメルの圧倒的な苦味と、じっくりと熱を入れられた林檎の濃厚な甘みのコントラスト」
一方、帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室。
私は、パリの老舗店を思わせる重厚な『タルト・タタン』に、銀のスプーンを迷いなく突き立てていた。
飴色、あるいは漆黒に近いほどに煮詰められた林檎の層が、宝石のような光沢を放っている。
添えられた無糖のホイップクリームは、まるで冷たい雪のように、熱を帯びたタルトを優しく包み込んでいた。
私はそれを、大きく一口、口へと運んだ。
「……ふふ。このほろ苦さは、自らの手を汚さずに他人を蹴落とそうとした者の、末路に残る後味に似ていますね」
「所長! 首席令嬢の人生を賭けた演奏会が台無しになったっていうのに、なんで『煮詰まった悪意の味』みたいな解説しながら、熱々のタルトに舌鼓を打ってるんですか!」
「こっちは成分分析の専門機関から、特急料金の請求書が届いて白目を剥いてるんですよ!」
パラリーガルの木戸くんが、空になった胃薬の瓶を握りしめ、ノートパソコンを叩きながら絶叫した。
「失礼ですね、木戸くん。このタルト・タタンの階層構造は、隠蔽された事実を一枚ずつ剥ぎ取っていくための、重要なインスピレーション源ですよ」
私は口の中に残るキャラメルの芳醇な余韻をブラックコーヒーで流し込み、デスクに置かれた「被害品」を冷徹な目で見つめた。
「さて、木戸くん。例の『見えないサイン』の解析はどうなりましたか?」
「……ハァ。言われた通り、最新のガスクロマトグラフィーによる香気成分の特定、完了しました」
木戸くんは、クマのひどい目で一枚のグラフを私の前に突きつけた。
「被害者の奏さんのドレスの裂け目から検出されたのは、綾小路家が独占契約している調香師が作った、限定香水『ヴィーナスの嫉妬』」
「そして、破壊されたバイオリンのネック部分からは、設楽家と姫宮家が愛用している最高級ブランドのハイライト粉末が検出されました」
「……おや。三人がかりで寄ってたかって、ドレスを切り裂き、バイオリンをへし折った際の『興奮の飛沫』というわけですね」
私がタルト・タタンの二口目を優雅に掬い上げると、隣で麗華様がバサァッ!と扇子を広げ、不敵な笑みを浮かべた。
「オホホホッ! あの方たちは、自分が纏う贅沢品が、自分の首を絞める鎖になることなど想像もしていないのでしょうわね!」
「わたくしのお茶会ネットワークでも、あの日、彼女たちが『奏の控室付近』でコソコソと動いていたという目撃証言を、使用人たちから買い取っておきましたわ!」
「素晴らしい連携です、麗華様。……科学的証拠と、人の口という名の証拠」
私は黒縁メガネを中指でクイッと押し上げ、タルト・タタンのキャラメル部分を丁寧に咀嚼した。
「あとは、この三人の親たちが経営する会社に対して、三千万円の損害賠償を突きつけるだけですね」
「さ、三千万円……。いくらバイオリンが家宝でも、そこまで請求して大丈夫なんですか?」
木戸くんが、これから始まる法的な泥試合を予感して胃を押さえる。
「木戸くん、貴方はまだ甘いですね。このタルト・タタンのキャラメルソースよりも甘い」
私は立ち上がり、ホワイトボードに赤ペンで『不法行為に基づく損害賠償責任』とデカデカと書き殴った。
「これは単なる器物損壊ではありません。将来有望なバイオリニストに対する『キャリアの破壊』です」
「演奏できなかったことによる精神的苦痛、機会損失、そして代わりのきかないアンティーク楽器の時価評価……」
「三千万円でも、安いくらいですよ。……彼女たちの親が、娘の『いたずら』という一言で済ませようとするのであれば」
私はタルト・タタンの最後の一切れをパクリと食べ、最高に冷酷な笑みを浮かべた。
「その親の会社の『コンプライアンス違反』として、社会的にタコ殴りにして差し上げるまでです」
「……ひえぇ。所長、目が魔王になってますよ! また各方面へのリーク用の資料、作っておけってことですね!」
「察しがいいですね、木戸くん。……麗華様、彼女たちが今夜、勝利の祝杯を挙げようとしているという『秘密のパーティ会場』は?」
「すでに特定済みですわ、結お姉様! 帝都の一等地にある、彼女たちの父親たちが会員制で通っている高級ラウンジですわ!」
麗華様が、獲物を追い詰める女王のように、扇子をパチンと閉じた。
「素晴らしい。では、最高に不快な『請求書』という名のプレゼントを持って、パーティに殴り込みに参りましょうか」
私は黒縁メガネを押し上げ、トレンチコートを翻した。
芸術の聖域を土足で踏みにじり、他人の才能を切り裂いて笑う者たち。
彼女たちが纏う高級な香水が、絶望の臭いへと変わる瞬間が、今から楽しみでなりません。
科学のメスと、現行法という名の鈍器を携え。
魔王弁護士の「復讐のソナタ」は、いよいよ第二楽章へと突入するのであった。
「あ、所長。その前にタルト・タタンの追加注文の伝票、僕のデスクに置かないでくださいね!」
「おや。木戸くんの胃薬代に比べれば、微々たるものですよ?」
「……僕の胃が溶ける方が先か、所長が食べ過ぎで破産する方が先か、勝負ですね!」
賑やかな助手を従え、私は夜の帝都へと足を踏み出した。
切り裂かれたドレスの繊維一本にまで宿る、乙女の執念。
それを、私が司法の刃で、完膚なきまでに報いて差し上げましょう。
お読みいただきありがとうございます。
タルト・タタンの焦がしキャラメルのような「煮詰まった悪意」を暴く回でした。
お嬢様特有の「限定品へのこだわり」が、そのまま有罪判決への直行便に……。
次回、いよいよ財界の大物たちが揃うラウンジで、結による「黄金のモンブラン」を添えた公開処刑が始まります!
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