第36話 不協和音の控室とルビーチョコのテリーヌ
新章(第8章)開幕です!
今回のテーマは、学園モノや令嬢モノの定番「ドレス切り裂きといじめ」。
卒業演奏会の直前、首席を争うライバルたちに家宝のバイオリンとドレスを破壊された奏様。
証拠がないと嘲笑う加害者たちに、魔王弁護士が『香水』と『ラメ』の科学捜査で、三千万円の地獄を突きつけます!
「先生……私の、私のドレスが……! 母から譲り受けた大切なバイオリンが、あんな……っ!」
帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室。
首席卒業を目前に控えた音大生、響奏は、ボロボロになった特注の演奏用ドレスと、無惨にネックが折れたバイオリンを前に、崩れ落ちるように泣き崩れていた。
「酷すぎますわ! 卒業演奏会のわずか一時間前、誰もいない控室を狙ってこんな暴挙に出るなんて! 芸術を志す者のすることではありませんわ!」
東陰院麗華様が、怒りで肩を震わせ、扇子をバシッと閉じながら応接テーブルを叩いた。
「犯人は分かっているのでしょう? 奏様の首席を妬む、あの三流のライバル令嬢たちですわね!」
「……証拠が、ないんです。控室は防犯カメラの死角で、誰の目撃証言もなくて……。大学側も、証拠がない以上は悪質ないたずらとして処理するしかないって……」
奏様が、涙で濡れた瞳を伏せて肩を震わせる。
家宝とも言えるバイオリンは二千五百万円、特注のドレスは五百万円。
物理的な損害だけでなく、一人の若き芸術家の未来と誇りが、刃物によって切り裂かれた瞬間だった。
「――素晴らしい。この、ルビーカカオが放つ鮮やかなピンク色。天然の酸味と、ベリーのような芳醇な香りが、脳の神経を一本一本、鋭く刺激してくれますね」
二人の悲痛なやり取りをBGMに、私は特製プレートに乗った『ルビーチョコの濃厚テリーヌ』に、銀のフォークを優雅に入れた。
低温でじっくり焼き上げられたテリーヌは、生チョコのような滑らかさと、宝石のような輝きを放っている。
私はそれを、一口、静かに口に運んだ。
舌の上でねっとりと溶け出すチョコの甘み。そして、その後から追いかけてくるフランボワーズソースの強烈な酸味が、不快な雑音をすべて遮断し、私の思考を研ぎ澄ませていく。
「所長! 一人の乙女の将来がズタズタにされたっていうのに、なんで一人でルビー色のチョコを舌の上で転がして恍惚としてるんですか!」
「木戸くん、ツッコミが単調ですね。ですが、失礼ですよ」
私は指先を純白のナプキンで拭い、口の中に残る甘美な余韻をブラックコーヒーで流し込んだ。
「このテリーヌの鮮やかな色は、罪のない乙女が流した涙……ではなく、犯人が現場に残していった、あまりに饒舌な『嘘の痕跡』を暴き出すための、重要なインスピレーション源ですよ」
私は黒縁メガネを中指でクイッと押し上げ、涙に濡れる奏様に微笑みかけた。
「さて、奏様。犯人たちは、証拠がないから逃げ切れると高を括っているようですが。……彼女たちは、自分たちが纏う『虚栄心』という名の凶器を、現場にこれでもかと撒き散らしていったことに気づいていない」
「……凶器? でも、刃物は持ち去られていましたし、指紋も手袋で防がれていて……」
「おや。刃物だけが凶器ではありませんよ。奏様、貴女のドレスに残された、その強烈な『香り』……そして、床に飛び散った不自然な『輝き』です」
私は立ち上がり、切り裂かれたドレスの繊維をピンセットで摘み上げ、分析用のライトで照らした。
「木戸くん。このドレスに付着した香料の成分を、ガスクロマトグラフィーで特定しなさい。……おそらく、フランスの香水メゾン・サンジェルマンが今季限定で発売した、一本十万円もする超高級香水『ヴィーナスの嫉妬』でしょうね」
「香水……!? そんなもので犯人が特定できるんですか?」
「ええ。この香水は、特定の希少な花の精油を使用しており、成分が非常に安定しています。そして、これを愛用しているのは、首席争いをしているライバル三人のうち、綾小路家の令嬢ただ一人です」
私はさらに、テリーヌの断面を見せるようにフォークを動かした。
「そしてこのドレスの裂け目。微かに付着しているのは、今季のトレンドである『微粒子偏光ラメ』入りのハイライト。……これも特定済みです」
「おーっほほほ! 流石ですわ、結お姉様! あの方たちは、翡翠様のお茶会の時と同じく、自らの贅沢品が足元を掬うことになるとは夢にも思っていないのですわね!」
麗華様が扇子を広げ、瞳を爛々と輝かせた。
「奏様。あの三人が、貴女のドレスを切り裂くために、どれほど顔を近づけて、興奮して息を荒くして作業したか……。その際の飛沫や化粧品が、ドレスにしっかりとサインを残しているのですよ」
「器物損壊罪、刑法第二百六十一条。さらに、卒業演奏会という重要な公的行事を妨害したことによる業務妨害。……威力業務妨害罪、刑法第二百三十四条ですね」
私はルビーチョコのテリーヌの最後の一片を口に放り込み、極上のカタルシスを求めて魔王の笑みを深めた。
「被害総額は、バイオリンとドレスを合わせて三千万円。これを全額、彼女たちの親の会社に、不法行為に基づく損害賠償として一括請求して差し上げましょう」
「さ、三千万円……っ! でも、彼女たちの実家は有力者ばかりで……そんなことしたら、私の音楽人生が……」
「奏様。音楽は、美しい音色だけで奏でるものではありません」
私は黒縁メガネを押し上げ、冷徹な響きを持って告げた。
「不協和音を奏でるゴミ共を、法という名の完璧な調律で黙らせる。それこそが、貴女が次にステージに立つために必要な、最高のプレリュード(前奏曲)ですよ」
「木戸くん。告訴状の作成と、成分分析の特急依頼です。今夜中に、彼女たちの親の会社の顧問弁護士宛に『最後通牒』を送りつけなさい」
「出たーっ! また徹夜だ! ルビーチョコを食べてる暇があるなら、僕にもカカオ成分をくださいよぉぉっ!」
木戸くんの悲鳴が帝都の夜に響き渡る。
芸術の聖域を、嫉妬と暴力で汚した愚か者たち。
彼女たちが纏う高級な香水と化粧品が、そのまま監獄へ続く道標になることを、まだ誰も知らない。
科学のメスと現行法の鈍器を携え、魔王弁護士の「復讐のシンフォニー」が、今まさにタクトを振られた。
お読みいただきありがとうございます!
ルビーチョコのテリーヌを楽しみながら、犯人の「虚栄心の痕跡」を冷徹に分析する結。
どんなに指紋を消しても、自分が纏った「贅沢品」からは逃げられません。
次回、勝利の祝杯を挙げる令嬢たちのパーティ会場へ、結が「三千万円の請求書」を持ってカチコミをかけます!
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