第34話 責任の積層構造と極上ミルフィーユかつサンド
「ふざけるな! たかがデザイナー一人の権利ごときで、我が一条グループの時価総額が数千億円吹き飛んだんだぞ! この責任をどう取ってくれるんだ!」
「……責任? おかしなことを仰る。その責任は、盗作を『天才の奇跡』と偽って市場を欺いた貴方がた経営陣にあるのではありませんか?」
帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室。
スピーカーフォンから響き渡る一条グループ会長……蓮の父親の怒声に対し、私は眉一つ動かさず、デスクに置かれた特製の木箱を開けた。
中には、銀座の老舗洋食店がこのためだけに作り上げた、厚さ五センチを超える『極上ミルフィーユかつサンド』が鎮座している。
最高級の黒豚を極薄にスライスし、幾重にも、それこそ数十層にも重ねて揚げられたカツ。
それが、自家製の濃厚なデミグラスソースを纏い、軽くトーストされた特製パンに挟まれている。
私はその一切れを手に取り、大きく口を開けて、その緻密な肉の階層へと歯を立てた。
「……素晴らしい。この、肉の一層一層が織りなす圧倒的な弾力と、溢れ出す肉汁のハーモニー。噛み締めるたびに、重厚な真実の味が広がりますね」
「き、貴様! 会長が直々にお叱りになっているのに、何を咀嚼しているんだ! その咀嚼音を止めろ!」
電話の向こうで会長の秘書らしき男が叫ぶが、私は一切無視してカツサンドの二口目を堪能した。
サクッとした衣の食感の後に、何十層もの肉が解けていく快感。
「所長! 日本経済を揺るがす巨大企業のトップが電話口で発狂してるのに、なんで肉のミルフィーユに感動して、肉の断層を至福の表情で眺めてるんですか!」
「こっちは一条グループの株主から『どうして差し止めなんてさせたんだ!』っていう八つ当たりに近い抗議メールが、一秒間に百通届いてるんですよ!」
パラリーガルの木戸くんが、キーボードを叩く指を痙攣させながら、涙目で胃薬を三錠まとめて飲み込んでいる。
「失礼ですね、木戸くん。このミルフィーユかつの積層構造は、貴方がたが犯した『民事・刑事・社会的責任』の三重奏を解読するための、重要なインスピレーション源ですよ」
私はナプキンで口元を拭い、スピーカーフォンに向かって冷酷な声を届けた。
「一条会長。貴方は責任とおっしゃいましたが、法的には『積層』された三つの責任を取っていただく必要があります」
「三つだと……!? 何のことだ!」
「一つ目は、当然ながら著作権法違反、ならびに著作者人格権侵害に基づく損害賠償。……民事上の責任ですね」
私はカツサンドの三口目をパクリと食べ、デミグラスソースのコクを楽しみながら続けた。
「彩也様のデザインを使用できなくなったことによる損失、そして彼女のブランドイメージを毀損した慰謝料。概算で二十億円といったところでしょうか」
「に、二十億……!? ふざけるな、そんな額が認められるはずが……」
「認めさせますよ。……そして二つ目は、刑事上の責任。虚偽の著作者名を表示して公表した罪、著作権法第百二十一条です」
私が黒縁メガネを中指でクイッと押し上げると、隣で麗華様がバサァッ!と扇子を広げ、不敵な笑みを浮かべた。
「オホホホッ! 一条会長。貴方の息子さんと如月美夜さんは、まもなく検察庁から『ご招待』を受けることになりますわよ?」
「東陰院の娘まで……! 君たちの実家も無傷では済まさないぞ!」
「あら、おかしなことを。わたくしのネットワークでは、すでに一条グループの主要株主たちが『現経営陣の退陣』を求めて動き出しておりますわ」
麗華様は、スマートフォンの画面を私に見せ、楽しそうに目を細めた。
「見てくださいませ、結お姉様! SNSでは美夜さんの過去の『盗作疑惑』が次々と掘り起こされ、大炎上を通り越して大火災となっておりますわ!」
「ええ。これが三つ目……『社会的責任』の積層です。偽物のメッキが剥がれ、企業コンプライアンスが崩壊した結果、市場から見放されるという制裁ですね」
私はカツサンドの最後の一切れ……最も肉の層が厚い部分を口に運び、飲み込んだ。
「会長。貴方が取るべき責任は、私を怒鳴ることではなく、辞任届を書くことではありませんか? ……あ、それと、彩也様の独立資金として、さらに五億円ほど上乗せした示談案を送っておきましたよ」
「な、貴様……どこまで我々をコケにするつもりだ!」
「コケにしているのは、クリエイターの魂を金で買えると思い込んだ貴方がたのほうですよ。……では、失礼。次のカツサンドが冷める前に、電話を切らせていただきます」
ブツッ、と私は通話を切断した。
静寂が訪れた所長室で、木戸くんが真っ白な灰のように椅子に沈み込んでいる。
「……終わった。一条グループという巨像が、カツサンド一切れを食べている間に解体されてしまった……」
「木戸くん、縁起でもない。解体ではなく『清算』と言いなさい。……さて、彩也様。準備は整いましたよ」
ソファの隅で、驚愕のあまり固まっていた如月彩也様に、私は優しく微笑みかけた。
「一条家からの賠償金、そして投資家たちからの出資。これらすべてが、貴女の新しいブランドの『土台』となります」
「……はい。九条院先生。私……今まで、何層にも重なった嘘の中で生きてきた気がします」
彩也様は、自分の手をじっと見つめ、力強く握りしめた。
「でも、先生がその嘘を一枚ずつ剥いでくださったおかげで、ようやく自分の『核』が見えました。私は、もう誰の影にもなりません」
「その意気ですわ、彩也様! わたくしも、新ブランドの最初の顧客として、ドレスを十着ほど予約させていただきますわよ!」
麗華様が、まるでお祭りの準備を楽しむ子供のように燥いでいる。
「……ふふ。積層された責任の味は、少しばかり重厚すぎましたが。……嘘を剥ぎ取った後の、本物の才能の輝きは、どんなデザートよりも甘美ですね」
私は、空になった木箱を眺めながら、黒縁メガネを押し上げた。
如月美夜は、全てのスポンサーから契約を切られ、違約金の請求という名の「絶望の地層」に埋もれていくことになる。
一条蓮は、父親によって海外の僻地へと追放されることが決まった。
そして、本当の「天才」だけが、この瓦礫の中から立ち上がり、新たな伝説を創り出す。
「さて、木戸くん。一条会長からの『怒りの電話』の第二弾が来る前に、私たちは勝利のディナーへ向かいましょうか」
「えっ!? また食べるんですか!? 僕の胃袋は、もう責任の重さに耐えられませんよぉぉっ!」
賑やかな助手を引き連れ、私は事務所の扉を開けた。
偽物の虚飾を切り裂き、真実の価値を証明する。
魔王弁護士の六法全書という名の鈍器が、また一つ、不条理な権力を粉砕した夜だった。
……だが、平和な時間は長くは続かない。
「――所長! 事務所のポストに、血判状付きの依頼書が届いてます!」
「内容は……『毒親によって精神病棟に強制入院させられた、遺産相続人の令嬢』からのSOSです!」
「おや。次なる『異世界テンプレ』……いや、現代の闇ですね。面白そうです」
私は懐から、今度は最高級のミントタブレットを取り出し、一粒口に放った。
「麗華様、木戸くん。次なる『解体作業』の準備ですよ。……さあ、出陣です」
法の刃が、また新たな悲鳴に応えて研ぎ澄まされる。
悪が栄える世界において、九条院法律事務所の灯火が消えることは、当分なさそうである。
お読みいただきありがとうございます。
ミルフィーユカツを頬張りながら、時価総額数千億円の企業の責任を「清算」する結。
偽物のメッキが剥がれ落ち、SNSという現代の戦場で炎上していく妹たちの姿は、まさに因果応報です。
次回、いよいよ第7章完結。
ナポレオン・パイの崩壊と共に訪れる、真の天才の凱旋をお届けします。
そしてラストには、ついにあの「国外追放」テンプレの足音が……!
(※最終話は明日19時過ぎ更新です!)




