第33話 著作者人格権の鉄槌と崩壊するサントノーレ
「蓮様、助けて! わたくし、何も悪くありませんわ! 全部お姉様が、勝手に描いたのがいけないんですもの!」
「黙れ美夜! 君が『自分のデザインだ』と断言したから、私は数千億円のプロジェクトを動かしたんだぞ!」
記者会見場裏、高級ホテルのVIP用控室。
外の喧騒を遮断するはずの重厚な扉の向こうでは、先ほどまでの「理想のカップル」が、互いに責任をなすりつけ合う醜い泥仕合を演じていた。
美夜の完璧だったはずのメイクは涙と脂汗でドロドロに溶け、一条蓮の高級スーツは、焦燥からくる冷や汗でぐっしょりと色を変えている。
「偽造、盗作、そして上場企業の記者会見での虚偽発表……。一条グループの信用は地に落ちたぞ! どうしてくれるんだ!」
「ひぃぃっ! だ、だって、お姉様はいつも黙って言うことを聞いていたんですもの! あんな弁護士を連れてくるなんて、反則ですわ!」
「反則? 失礼ですね。私はただ、日本の法律というルールブックに従って、貴方がたの『反則負け』を宣告しに来ただけですよ」
冷徹な声と共に、私が控室のソファに深々と腰を下ろした。
「き、貴様……九条院! まだいたのか! 今すぐあの仮処分を取り下げろ! 金ならいくらでも払ってやる!」
一条蓮が、獣のような形相で私に詰め寄ってくる。
私はその猛犬のような剣幕を、扇子でハエを払うかのように受け流し、手元に運ばれたばかりのケーキに目を向けた。
「……素晴らしい。この、キャラメルでコーティングされた小さなプチシューが、王冠のように積み上げられた『サントノーレ』」
私は、フランスの伝統的な祝祭菓子であるサントノーレに、銀のフォークを優雅に突き立てた。
サクサクのパイ生地の土台の上に、濃厚なシブーストクリームが絞られ、その周囲を飴細工のようなキャラメルが彩っている。
フォークを入れた瞬間、カリッという軽快な音と共に、中から溢れ出すバニラビーンズたっぷりのクリーム。
それを口に運べば、焦がしキャラメルのほろ苦さと、クリームの官能的な甘みが、舌の上で完璧な階層構造を構築した。
「……ふふ。このサントノーレの構造は、一見華やかですが、土台となるパイ生地がしっかりしていなければ、一瞬で崩壊してしまいます」
「所長! ホテルのVIPルームが修羅場になってるのに、なんで『お菓子の守護聖人』の名を冠したケーキを、聖母のような微笑みで堪能してるんですか!」
「こっちは一条グループの法務部から、鳴り止まない抗議電話と訴訟の脅しを、全部『うるさい、黙れ、六法全書を読め』の一言で叩き切ってるんですよ!」
パラリーガルの木戸くんが、三台のスマートフォンを同時に操りながら、白目を剥いて叫んでいる。
「木戸くん、声が大きいです。……一条さん。貴方が提示しようとしている金は、果たして『著作者人格権』よりも重いのでしょうか?」
私は、キャラメルの余韻をダージリンティーで流し込み、黒縁メガネの奥で瞳を鋭く光らせた。
「著作者人格権……? 何だそれは、著作権を買い取れば済む話だろう!」
「おやおや、一条グループの御曹司ともあろう方が、知的財産法の基本すらご存知ないとは。……麗華様、彼に名門の常識を教えてあげなさい」
「お任せくださいませ、結お姉様!」
武闘派助手こと東陰院麗華様が、バサァッ!と扇子を広げ、震える一条蓮の鼻先をピシャリと指し示した。
「いいですか、一条蓮。著作権という『財産』は売買できても、作品を生み出した魂の証明である『著作者人格権』は、譲渡することも放棄することもできませんのよ!」
「特に、自分の名前を作品に表示する『氏名表示権』! これを侵害し、他人の名前で発表するなど、クリエイターに対する最大の侮辱であり、法的な重罪ですわ!」
麗華様は、獲物を追い詰める女王のように、冷酷に笑った。
「さらに、如月美夜さん。貴女が彩也様のデザインを『自分のものだ』と偽って世に出した行為。これは著作権法第百二十一条に抵触する『刑事罰』の対象ですわよ?」
「け、刑事罰……!? わたくし、牢屋に入れられてしまいますの!?」
美夜がヒッという短い悲鳴を上げ、その場に膝から崩れ落ちた。
「執行猶予がつくかもしれませんが、前科者となった『天才デザイナー』を、社交界の誰が相手にするでしょうか」
私はサントノーレの二口目を掬い上げ、キャラメルの苦味を噛み締めた。
「一条さん。貴方の会社も、盗作と知っていながら発表を強行した『共犯』として、莫大な損害賠償を覚悟していただく必要がありますね」
「ま、待て……! わかった、謝る! 謝るから、示談にしてくれ! 彩也に直接謝罪させる!」
一条蓮が、プライドをかなぐり捨てて、背後に隠れていた如月彩也様にすがりつこうとした。
「彩也! 僕が悪かった! 君の才能は本物だ、今からでも君をメインデザイナーとして契約し直す! だから、あの弁護士を止めさせてくれ!」
その浅ましいすがりつきを、彩也様は、それまで見たこともないような冷徹な視線で一蹴した。
「……一条さん。貴方が愛していたのは、私のデザインという『利益』であって、私という人間ではありませんでしたね」
彩也様は、震える手で、自らのスケッチブックを強く抱きしめた。
「美夜も……。貴女に私のデザインを奪われるたび、私は自分の存在が消えていくような恐怖を感じていました」
「でも、九条院先生が教えてくれたんです。私の才能は、誰にも譲り渡せない、私だけの魂なんだって」
彩也様が、一歩前に踏み出す。その姿は、もはや影に隠れる「無能な姉」ではなかった。
「私は、一条グループとは契約しません。自分の名前で、自分のブランドを立ち上げます。……今まで盗んできた私のデザイン料、利息をつけて返していただきますわ」
「おーっほほほ! よく言いましたわ、彩也様! これぞ真のクリエイターの覚醒ですわね!」
麗華様が高らかに笑い、扇子を鳴らす。
「な、何だと……! そんなことをしたら、如月デザイン事務所はどうなると思っているんだ! 親会社である一条家が手を引けば、倒産だぞ!」
一条蓮が最後の脅しをかけるが、私はサントノーレの最後の一切れをパクリと飲み込み、ナプキンで口元を拭った。
「倒産? 結構じゃないですか。……木戸くん、あちらの『ホワイトナイト』との連絡は?」
「バッチリです、所長! 彩也さんのデザインの真実を知った世界的なファッション投資家たちが、すでに一条グループからの『引き抜き』と、新ブランドへの全額出資を申し出ています!」
木戸くんが、スマートフォンの画面を一条蓮の目の前に突きつけた。
そこには、一条グループの株価暴落とは対照的に、彩也個人の名前に対する市場の期待値が、ロケットのように上昇しているチャートが映し出されていた。
「一条さん。貴方が守ろうとした虚飾の王冠は、今この瞬間、土台から崩れ去りました」
私は立ち上がり、黒縁メガネを押し上げて、絶望に震える二人を見下ろした。
「偽物は本物によって解体され、真実の才能だけが、この瓦礫の中から羽ばたいていく。……これが、私が用意した『最高のコレクション』の結末ですよ」
「あ、あああ……わたくしの人生が……!」
「嘘だ、こんなことが……!」
絶叫する美夜と、茫然自失となる一条蓮。
その二人を残し、私は覚醒した天才デザイナーを連れて、控室を後にした。
「……ふふ。サントノーレのキャラメルは少し苦すぎましたが、嘘を暴いた後の後味としては、悪くありませんでしたね」
私は、ロビーで待っていたパパラッチたちのフラッシュを浴びながら、勝利の余韻を楽しんだ。
「結お姉様! 次はお祝いで、もっと地層の厚いミルクレープを食べに行きませんこと!?」
「麗華様。お祝いの前に、木戸くんの胃壁を修復するための、胃薬の地層を積み上げるのが先ですよ」
「所長、本当に、たまには有給休暇という名の地層をください……!」
賑やかな助手を従え、私は帝都の夜へと歩き出した。
盗まれた才能、踏みにじられた誇り。
それらすべては、著作権法という名の重厚な鎧によって守られ、真実の持ち主へと還された。
さて、明日のニュース一面が、偽物の転落と、真の天才の誕生で埋め尽くされるのが、今から楽しみでなりませんね。
お読みいただきありがとうございます!
カリッとしたキャラメル(虚飾)の奥に潜む、ドロドロのクリーム(本音)を暴くサントノーレ回でした。
彩也様が自らの足で立ち上がり、一条グループと決別するシーンは、執筆していて胸が熱くなりました。
次回、巨大企業のトップから届く「逆ギレの電話」に対し、結がカツサンドの層よりも厚い『三つの責任』を淡々と説きます。
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