第29話 病室での尋問と極上エクレアの審判
「あらあら、翡翠様。まだ意識が戻られないなんて……。本当に、ご自身の体質にはもっと慎重になられるべきでしたわね」
帝都随一の設備を誇る聖マリアンナ記念病院、その最上階にある特別VIP病室。
まだ人工呼吸器に繋がれ、蒼白な顔で眠る宝生翡翠を見下ろし、綾小路麗子は勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「わたくしも主催者として心を痛めておりますのよ? まさか厨房の者が、あんな初歩的なミスをするなんて。不運でしたわね、オホホホッ!」
見舞いの花束という名の『敗者への手向け』をサイドテーブルに置き、彼女は誰もいない病室で独り、完璧な勝利の余韻に浸っていた。
「……不運、ですか。それは奇遇ですね。私も今、貴女に降りかかるであろう『空前絶後の不運』について考えていたところですよ」
「なっ……!? 誰ですの!」
静寂を切り裂く、氷のように冷たく、しかし透き通るような声。
病室の重厚なドアが、一切の遠慮なく左右に開け放たれた。
そこに立っていたのは、漆黒のトレンチコートを翻し、知的な黒縁メガネを光らせた私、九条院結。
そして、今にも扇子で物理的な制裁を加えそうな東陰院麗華様と、過呼吸気味に胃薬を流し込んでいる木戸くんであった。
「九条院……! それに東陰院の麗華様!? どうしてここに……ここは部外者立ち入り禁止ですわよ!」
「部外者? 失礼ですね。私は翡翠様の正当な代理人、そして麗華様は彼女の無二の友人です。むしろ、殺意を持ってここを訪れた貴女こそが、最大の不審者ではありませんか?」
私は歩み寄りながら、手に持っていた紙袋から、一本の細長い『極上エクレア』を取り出した。
都内屈指のショコラティエが手掛けたそれは、表面を覆う漆黒のフォンダンショコラが鏡のように光り、中には濃厚なピスタチオクリームがこれでもかと詰め込まれている。
私はそれを、麗子の目の前で優雅に一口、齧り取った。
「……素晴らしい。芳醇なカカオの香りと、ピスタチオの香ばしい風味が織りなす、完璧な『密約』。隠し味に加えられたゲランドの塩が、甘さを残酷なまでに引き立ててくれますね」
「あ、貴女……! 神聖な病室で何をお菓子を食べるなんて……! 出て行きなさい! わたくしは翡翠様のお見舞いに来ただけですわ!」
麗子が顔を真っ赤にして叫ぶが、私はエクレアの二口目を楽しみながら、彼女を冷徹な目で見つめた。
「お見舞い? おかしなことを仰る。貴女は自分が仕掛けた『毒殺』が完遂されたかどうか、その死に顔を拝みに来ただけでしょう?」
「ど、毒殺!? 何をおっしゃるの! あれは不運な配膳ミスによる事故だと、警察も認めて……」
「その警察の見立てを、今この瞬間から、私が根底から叩き潰して差し上げます」
私はエクレアを飲み込み、口元をナプキンで拭うと、黒縁メガネをクイッと押し上げた。
「まずはこれをご覧ください。木戸くん、証拠資料の第1号を」
「は、はいっ! これ、民間最高峰の科学分析機関から出た、当日のティーカップの鑑定書です!」
木戸くんが、バサァッ!と紙の束を麗子の鼻先に突きつけた。
「翡翠さんのカップから検出されたピーナッツ成分の濃度は、通常の混入の五百倍! これは『うっかり』で入る量じゃない。意図的な『濃縮液の滴下』があった証拠です!」
「な……五、五百倍……? それが何ですの! 業者の管理が杜撰だっただけでしょう!」
麗子が鼻で笑うが、私は次のカードを静かに提示した。
「では、これはどう説明しますか? あの日、貴女が翡翠様のために用意したカップは、世界に一組しかない『ロイヤルクラウンダービー』の限定品でしたね」
「!」
「麗華様の証言によれば、あの日数十名の客がいた中で、そのカップを使っていたのは翡翠様ただ一人。……つまり、犯人は何十というカップの中から、翡翠様のカップだけを正確に見分け、ピンポイントで毒を盛ることができた」
私は麗華様の扇子を借りて、彼女の胸元をピシャリと指し示した。
「ホストである貴女以外の誰に、そんな真似が可能でしょうか? お代わりの際、貴女は『貴女にふさわしい一杯を』と言って、カップを一度手元に引き、死角で作った……その瞬間に、袖口からオイルを垂らしたのではありませんか?」
「こ、根拠のない憶測ですわ! 映像も何もないのに、そんな妄想でわたくしを裁けるとお思い!?」
麗子が勝ち誇ったように嘲笑う。そう、彼女は防犯カメラを止めたという『絶対の自信』があるのだ。
だが、私はエスプレッソのような苦い笑みを浮かべ、最後の、そして決定的な一撃を放った。
「……おや。貴女は、現代の警備システムというものを、少々舐めすぎていたようですね」
「何ですって……?」
「貴女は家の録画サーバーのスイッチを切り、『メンテナンス中』という古典的な嘘で警察を煙に巻きました。ですが、貴女が契約している警備会社のクラウドサーバーには、別の記録が残っていたのですよ」
私はタブレット端末を起動し、再生ボタンを押した。
画面に映し出されたのは、停止する数秒前の、お茶会会場の鮮明な映像。
そこには、麗子が自分のスマートフォンを操作し、意図的に『システム停止コマンド』を送信した瞬間のログと、直後に翡翠様のカップへピペットを忍ばせる、怪しげな動作の断片が克明に記録されていた。
「メンテナンス中……ではなく、『犯行直前に意図的に証拠を隠滅しようとした』という操作ログです。これが法廷でどう解釈されるか、想像がつきますか?」
「……っ!? な、何で、消したはずなのに……!」
麗子が絶望に染まった顔で後ずさりし、背後の壁にぶつかった。
「クラウドバックアップという概念を理解していなかった貴女の、デジタル・リテラシーの欠如が招いた敗北ですね」
私はエクレアの最後の一切れを優雅に口に運び、飲み込んだ。
「ピーナッツアレルギーを持つ人間に対し、致死量の成分を故意に摂取させる。これは過失致傷などではありません」
私は麗子の目の前で、赤い印肉のついた書類……『殺人未遂罪での刑事告訴状』を突きつけた。
「刑法第百九十九条、殺人未遂。貴女が守りたかったその汚れたプライドと共に、監獄の冷たい床の上で、自分の無知を呪いなさい」
「い、嫌ぁっ! わたくしは綾小路の娘なのよ! こんなことで捕まるはずが……!」
麗子が錯乱して叫んだ、その時だった。
病室の扉が再び開き、今度は制服を着た本庁の刑事たちが、数名踏み込んできた。
「綾小路麗子さんですね。お茶会での殺人未遂の容疑で、逮捕状が出ています。ご同行願います」
「嘘よ! 離しなさい! わたくしを誰だと思っているのぉぉっ! お父さま! お父さまを呼んで!!」
阿鼻叫喚の叫びを上げながら、社交界の華(自称)は、無慈悲に手錠をかけられ連行されていった。
その様子を見届けた麗華様が、ふんっと鼻を鳴らして扇子を広げる。
「オホホホッ! 監獄のティータイムは、さぞかし泥水のような味がすることでしょうね!」
「……ふぅ。お疲れ様です、木戸くん。証拠保全の決定を待たずに警備会社と交渉した甲斐がありましたね」
「所長……交渉っていうか、ほとんど脅迫に近い法理論の展開でしたよ……。でも、これで翡翠さんも報われますね」
木戸くんが安堵の息を吐き、ようやく胃薬を手放した。
私は、空になったエクレアの袋を丁寧に畳み、眠り続ける翡翠様の枕元に視線を向けた。
「毒のない世界は、少しばかり味気ないかもしれませんが……真実の甘みは、何物にも代え難いものです」
黒縁メガネを押し上げ、私は次なる獲物……もとい、救済を待つ令嬢たちのために、事務所へと戻る準備を始めた。
科学のメスで暴かれた、陰湿な暗殺のトリック。
悪役令嬢が夢見た完全犯罪は、魔王が食した一本のエクレアと共に、跡形もなく咀嚼され、消え去ったのである。
さて、彼女の意識が戻った時、最高に美味しい『お祝いのアフタヌーンティー』を予約しておくとしましょうか。もちろん、ナッツ類は一切抜きで。
お読みいただきありがとうございます。
「メンテナンス中」という古典的な嘘が、クラウドログによって暴かれるカタルシス!
エクレアを優雅に食べながら犯行プロセスを解説する結、まさに名探偵の風格でした。
次回、いよいよ第6章完結。
鉄格子の向こう側へ招待された麗子の末路と、そしてラストには次章の「新ターゲット」の予告が……!
(※最終話は明日19時過ぎ更新です!)




