第27話 消えたティーカップと黒い森のチェリーケーキ
「あらあら。所轄の警察の方々も、ずいぶんと物分かりがよろしいこと」
帝都の閑静な高級住宅街にそびえる、綾小路伯爵家の豪奢な応接室。
「ケータリング業者の配膳ミスによる、痛ましいアレルギー事故。……そういうことで、すでに調書はまとまりつつあるそうですわ」
ライバルである宝生翡翠を病院送りにした張本人、綾小路麗子は、最高級のダージリンティーを傾けながら、心底愉快そうに嗤っていた。
「本当に、あんな少しのピーナッツ成分で泡を吹いて倒れるなんて、貧弱な欠陥品ですこと。これで、社交界の頂点はわたくしのもの。警察の無能さには、感謝状を贈らなければなりませんわね。オホホホッ!」
自分が仕掛けた悪逆非道な暗殺計画が「ただの不運な事故」として処理されることを確信し、絶対の安全圏から嘲笑う悪役令嬢。
だが彼女は、まだ知る由もなかった。
警察の捜査が打ち切られたその暗闇の底から、六法全書という名の鈍器を持った魔王が、静かに足音を忍ばせていることを。
◇ ◇ ◇
……という、サイコパス令嬢による完全犯罪宣言から数時間後。
「――というわけで、彼女は現在、自分の手を一切汚さずにライバルを排除できたと確信し、勝利のティータイムを満喫しているようです」
帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室。
私は、ドイツの伝統的な最高級ケーキ『シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(黒い森のチェリーケーキ)』に、銀色のフォークを優雅に入れた。
表面を覆い尽くすように削られたダークチョコレートの層が、キルシュ(さくらんぼ酒)をたっぷり吸い込んだココアスポンジを包み込んでいる。
それを口に運べば、鬱蒼とした黒い森を思わせるカカオの苦味の中から、血のように真っ赤なチェリーの強烈な酸味とアルコールが弾け飛んだ。
「……素晴らしい。この、幾重にも重なった暗闇の底に、決定的な真実を隠し持った魅惑の構造」
「所長! なんで探偵モノの黒幕みたいな顔で、黒魔術の儀式に出てきそうなダークなケーキを一人で堪能してるんですか!」
パラリーガルの木戸くんが、作業用のつなぎを泥だらけにしながら、涙目で所長室に転がり込んできた。
「こっちはゴミ処理業者のふりをして、ケータリング会社の裏口のゴミ捨て場を三時間も這いずり回ってきたんですよ! 僕から生ゴミの臭いがしたらどうするんですか!」
「失礼ですね。このケーキは、警察という無能な組織が表面だけを撫でて見落とした『事件の核心』を掘り起こすための、重要なインスピレーション源ですよ」
私はチェリーの深い香りをダージリンティーで流し込み、黒縁メガネの奥で目を細めた。
「それで木戸くん。私が命じた『宝物』は、無事に発掘できましたか?」
「……ぜぇ、はぁっ。もちろんですよ! 警察が『ただの事故』と判断して現場保存を解いた直後を見計らって、業者が廃棄したゴミ袋を回収してきました!」
木戸くんは、泥だらけのバッグの中から、厳重に密閉された透明なジップロックを取り出し、私のデスクにドンッと置いた。
「木戸先輩、まさかそれ、盗んできたのですか?」
とドン引きの麗華様。木戸君は胸を張って言い返す。
「合法的な『所有権を放棄されたゴミの回収(※事実上のゴミ漁り)』です。中身は、現場で割れていたティーカップの破片と、飲み残しの茶葉です!」
「素晴らしいです、木戸先輩! その泥臭い根性、東陰院のメイド長にも見習わせたいくらいですわ!」
武闘派助手こと東陰院麗華様が、手のひらを返して、バサァッ!と扇子を広げて木戸くんの決死の潜入(ゴミ拾い)を絶賛した。
「嬉しくないです! メイド長と一緒にしないでください! 僕は六法全書を引くのが仕事のパラリーガルなんですよ!」
木戸くんが胃薬を水なしで飲み込んでいる横で、麗華様はジップロック越しの陶器の破片を、食い入るように見つめた。
「……結お姉様。このティーカップの破片、間違いなく翡翠様が倒れた時に割れたものですわ」
麗華様が、陶器の裏に僅かに残された金彩の模様を指差す。
「ほう。どうして断言できるのですか? お茶会では、何十人もの客が同じようなティーカップを使っていたのでしょう?」
私が問うと、麗華様は「上流階級を舐めないでいただきたいですわ!」と、フンスッ!と鼻息を荒くした。
「我々のような名家のお茶会において、お客様にお出しするティーカップは『無作為』ではありませんのよ」
「どういうことです?」
と木戸君は尋ねた。麗華様は鼻息荒く、答える。
「全員が同じ柄のカップを使うなど、三流ホテルのラウンジのやること。真のお茶会では、お客様のドレスの色や雰囲気に合わせて、ホストが一人一人に違うブランドのカップを見繕うのです!」
麗華様の熱弁に、木戸くんが「えっ、めんどくさ……」と小声で呟くが、麗華様の扇子で頭をペチッと叩かれた。
「そしてあの日、翡翠様がお召しになっていたのは、彼女の瞳と同じ、美しいエメラルドグリーンのドレスでしたわ」
麗華様はジップロックを持ち上げ、名探偵のような鋭い視線を放った。
「そして綾小路麗子が翡翠様のために用意したカップは、この『ロイヤルクラウンダービー』のグリーンパネル柄だけだったのです!」
「なるほど。つまり、何十人もの客がひしめき合うガーデンパーティの中でも、翡翠様のカップだけは『一目で完璧に区別がついた』ということですね」
私が黒い森のチェリーケーキの二口目を優雅に掬い上げると、木戸くんがハッとして声を上げた。
「そ、それって……! 警察の言う『ケータリング業者の配膳ミスで、アレルギー成分が混ざった』という筋書きが、完全に崩れるってことじゃないですか!」
「その通りです、木戸くん」
私は立ち上がり、壁のホワイトボードに赤ペンで『ポット』と『カップ』の図を書き殴った。
「もし業者が、紅茶のポット全体にピーナッツオイルを混入させていたなら、翡翠様だけでなく、同じ紅茶を飲んだ他の客にもアレルギー反応が出ているはずです。調べたところ、参加者の中にはあと二人、同じアレルギーの方がおられました。しかし、倒れたのは翡翠様ただ一人。つまり、致死量のアレルゲンは『ポット』ではなく、彼女が口をつける『カップの中にだけ』ピンポイントで仕込まれていたのです」
「そして、数十個のカップの中から、翡翠様のグリーンパネル柄のカップだけを正確に見極め、毒を盛ることができた人間は……」
麗華様が、扇子をパチンと閉じて冷酷に微笑んだ。
「そのカップをわざわざ指定して用意した主催者、綾小路麗子ただ一人ですわ!」
「お嬢様の無駄に面倒くさいマナーと虚栄心が、完全犯罪のトリックを暴く鍵になった……! 上流階級の常識、恐るべし!」
木戸くんが戦慄して後ずさりする。
「素晴らしい推理です、麗華様。これで『過失』という警察の怠慢な言い訳は消え去り、極めて悪質で計画的な『殺意』が浮かび上がりました」
私は、ジップロックに入った茶葉と破片を軽く指で弾いた。
「あとは、この茶葉の残りから、警察の科捜研をも凌駕する民間の専門機関を使って、致死量のピーナッツ成分を検出するだけです」
「ですが所長、いくら成分が出ても、綾小路麗子が『自分で入れた』という決定的な証拠にはなりませんよ。シラを切られたら終わりです」
木戸くんの懸念はもっともである。法廷で立証するには、悪魔が毒を盛る『その瞬間』を押さえる必要がある。
「おや。木戸くんは、現代社会において『神の目』が至る所に存在することを忘れたのですか?」
「神の目……? まさか、防犯カメラですか!?」
「ええ。綾小路家の広大なイングリッシュガーデン。防犯上の理由から、死角なくカメラが設置されているはずです」
私が指摘すると、麗華様が悔しそうに顔をしかめた。
「それが……事故の直後、警察がカメラの確認を求めた際、綾小路の女狐は『今日は庭のカメラはメンテナンス中で切っていた』と証言したそうですわ」
「オホホッ、実に古典的で三流の言い訳ですね。警察が『ただの事故』と舐めてかかっているから、そんな見え透いた嘘で誤魔化せると思っているのでしょう。……あるいは舐めてかかるよう、何らかの不自然な圧力が掛かったのかも知れませんね」
私はデスクの引き出しから、分厚い申立書の束を取り出してトントンと揃えた。
「ですが、相手が魔王弁護士となれば話は別です。映像データが物理的に削除される前に、現行法という名の大鉈でサーバーごとぶっこ抜いて差し上げましょう」
「で、出たーっ! 伝家の宝刀、証拠保全手続き!」
木戸くんが、これから始まる徹夜の書類作成を予感して胃を押さえる。
「裁判官を叩き起こしてでも『証拠保全決定』を勝ち取ります。データが上書きされる前に、綾小路家のシステム管理会社に直接令状を叩きつけるのです」
私は黒縁メガネを中指でクイッと押し上げ、極上のカタルシスに向けて魔王の笑みを深めた。
「アレルギーという『見えない凶器』を使った、陰湿なサイコパス令嬢。彼女が余裕ぶって紅茶を飲んでいるそのテーブルの下に、致死量の法的爆弾を仕掛けてあげましょう」
私は二人を見回し、魔王の微笑みを浮かべた。
「麗華様、木戸くん。名探偵の推理パートはここまでです。ここからは弁護士の本領、圧倒的な証拠の暴力による『タコ殴り』の時間ですよ」
「お任せくださいませ結お姉様! あの女狐の化けの皮、わたくしの手で完膚なきまでに引き剥がしてやりますわ!」
「もう嫌だこの事務所! 探偵ごっこが終わったと思ったら、次は令状持ってサーバー室にカチコミですかぁぁっ!」
悲鳴を上げるパラリーガルと、戦意を爆発させる武闘派助手を従え。
私は黒い森のチェリーケーキの最後の一片を飲み込み、最高にスリリングな法廷ミステリーの後半戦へと、嬉々として足を踏み出したのだった。
お読みいただきありがとうございます。
木戸くんの決死のゴミ漁り(証拠収集)により、お嬢様特有の「ティーカップのこだわり」が逆転の鍵となりました。
しかし、これだけではまだ「殺意」の証明には足りません。
次回、結が現代の守護神『クラウドバックアップ』という概念を知らないアナログ悪役令嬢を、デジタル的にタコ殴りにします。
「木戸くんの胃壁が心配!」と思った方は、ぜひ【ブックマーク】をして見守ってあげてください!




