第17話 不受理申出と最高級和栗のモンブラン
「はい、こちらが婚姻届になります。白銀紫苑の代理で提出に参りました」
「ええと、郷田金蔵様と白銀紫苑様のご結婚ですね。書類の形式は整っておりますので……」
東京都内の某区役所、戸籍課の窓口。
郷田金蔵の部下であるチンピラ風の男が、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら婚姻届を提出していた。
窓口の職員が、赤い受理印を手に取り、今まさに書類へハンコを押そうとした、その絶望の瞬間である。
「ま、待てぇぇぇぇぇっ!! そのハンコを止めてくださぁぁぁいっ!!」
区役所の自動ドアが吹き飛ぶ勢いで開き、スーツを汗だくにした青年が、まるでヘッドスライディングのような勢いで窓口に飛び込んできた。
「な、なんだお前!? 邪魔すんじゃねえ!」
チンピラが怒鳴るが、パラリーガルの木戸くんは息も絶え絶えになりながら、握りしめていた緑色の用紙をバンッ!とカウンターに叩きつけた。
「ゼェ……ハァ……っ! 白銀紫苑、本人からの……『婚姻届不受理申出書』です! たった今から、効力を発生させますっ!」
「不受理申出……!? かしこまりました。直ちにシステムに登録いたします!」
窓口の職員が素早く緑の用紙を受け取り、カタカタとキーボードを叩くと、チンピラが提出した婚姻届をスッと突き返した。
「申し訳ありません。ご本人の申出により、現在、白銀紫苑様の婚姻届は一切受理できない状態となっております」
「はあ!? ふざけんな! 親の同意も実印もあるんだぞ! さっさと受理しやがれ!」
チンピラがカウンターを叩いて凄むが、役所の壁は現行法に守られており、極めて分厚い。
「不受理申出が出されている以上、ご本人様が直接窓口で解除の手続きを行わない限り、何人たりとも受理は不可能です。お引き取りください」
「くそっ! どうなってやがる! 社長に何て報告すれば……!」
チンピラは舌打ちをし、婚姻届をひったくると、逃げるように区役所から走り去っていった。
それを見届けた木戸くんは、「ミッション……コンプリート……」と呟き、区役所の床に大の字になって燃え尽きた。
その手には、結から渡されたタクシー代の領収書と、己の脚力を信じて走り切った汗と涙が握りしめられていた。
◇ ◇ ◇
……という、区役所でのギリギリの攻防戦から数分後。
「――木戸くんから連絡がありました。無事に不受理申出が受理され、オークの婚姻届は物理的に弾き返されたとのことです」
帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室。
私は、秋の味覚の王様である最高級の丹波特産和栗をふんだんに使用した、そびえ立つ山のようなモンブランに銀色のフォークを入れた。
サクッと軽やかなメレンゲの土台に、甘さ控えめの極上生クリーム、そして濃厚で風味豊かなマロンペーストが幾重にも重なっている。
それを口に運べば、和栗本来のホクホクとした上品な甘さが舌の上でとろけ、秋の深まりを感じさせる至福の香りが鼻腔を抜けていった。
「本当ですか……!? じゃあ、私はあの成金の方と、結婚しなくて済むのですね!?」
泥だらけのウェディングドレス姿でソファに座っていた白銀紫苑様が、パッと顔を輝かせて両手を合わせた。
「ええ。日本の戸籍制度は、本人の明確な拒絶意思がある限り、他人が勝手に入籍させることなど絶対にできません」
私はモンブランの二口目を優雅に掬い上げ、温かいダージリンティーで喉を潤した。
「所長……木戸先輩、電話の向こうで息も絶え絶えでしたけど、大丈夫なんですの? 過労死しませんこと?」
新たなる私の助手であり、武闘派令嬢の東陰院麗華様が、少しだけ心配そうに眉をひそめる。
「ご安心ください。彼の生存本能と、私からのプレッシャーに対する耐性は、そこらのゴキ……生命力の強い昆虫にも引けを取りませんから」
「不憫な木戸先輩……。まあいいですわ。彼が防御を固めてくれたおかげで、こちらの『攻撃の準備』も整いましたわ!」
麗華様はフンスッと誇らしげに胸を張り、自分の最新型スマートフォンを私のデスクにドヤ顔で滑らせた。
画面には、通知が鳴り止まないLINEのグループトークが映し出されている。
グループ名は『帝都令嬢・秘密のお茶会連盟(メンバー数百二十名)』。
「おや。これは……由緒正しきご令嬢たちの、優雅な情報交換ネットワークですか」
「オホホホッ! お父様たちが料亭で密談するより、私たち娘のネットワークの方が、圧倒的に情報が早くて正確なのですわ!」
麗華様は扇子を広げ、高らかに笑い声を上げた。
「先ほど、紫苑さんを苦しめている郷田金蔵という成金について、グループの皆に探りを入れてみましたの。そうしたら、出るわ出るわ、真っ黒な余罪の数々が!」
麗華様が画面をスワイプすると、他の名家の令嬢たちからのタレコミが次々と表示された。
『あの郷田って男、ウチのおじ様にも怪しい投資話を持ちかけてたわ』
『没落しそうな男爵家を狙って、高額なコンサル料名目でお金を貸し付けてるらしいわよ』
『しかも、返せないと娘を要求してくるっていう噂! 最低のオークね!』
「……なるほど。郷田社長の手口は思ったとおりのクズの所業であることが、いよいよ見えてきましたね」
私はモンブランの頂上に乗った、黄金色に輝く和栗の渋皮煮をつまみ上げ、冷たい魔王の笑みを浮かべた。
「紫苑様のご両親は、郷田から五千万円の借金をしているとおっしゃいましたね。その際の『契約書』の控えなどはありますか?」
「あ……はい。お父様がいつも書斎の金庫に隠している書類、いつか聞いてみようと、スマホでこっそり写真を撮っておきました」
紫苑様が自分のスマートフォンを取り出し、震える手で写真フォルダを開いて私に見せた。
「これです。……『経営コンサルティング業務委託契約書』および『金銭消費貸借契約書』……」
私はその画像データを拡大し、契約書の隅々まで素早く目を通した。
「……ふふっ。あははははっ! これは見事ですね。絵に描いたような、三流闇金の稚拙な偽装工作です」
「偽装工作、ですか……?」
紫苑様が首を傾げる中、私は和栗の渋皮煮をパクリと飲み込み、極上のカタルシスに向けて舌なめずりをした。
「麗華様が集めてくれた噂通りですね。郷田は法律の網目を潜るため、借金の金利を『コンサルタント料』という名目で、別にして徴収しています」
「と、いいますと?」
「表向きの借用書では合法的な金利に見せかけ、裏では毎月数百万円の法法外な手数料を白銀家からむしり取るという、陳腐で悪質な手口です」
「そんな……! じゃあ、お父様はずっと、違法な利息まで払わされていたということですか!?」
紫苑様が顔を真っ青にして口元を覆う。
「ええ。利息制限法では、元本が百万円以上の場合、年利十五パーセントを超える利息はすべて『無効』となります」
私はデスクの引き出しから、分厚い六法全書を取り出してトントンと叩いた。
「法は、この手の悪質な輩のやりそうな手口を見込み、対策を織り込んでいるのです。いかに名目をコンサル料と偽ろうとも、実質的な利息とみなされれば、民法第九十条の『公序良俗違反』で完全にアウトです」
「つまり、郷田が白銀家から貪り食っていたお金は、すべて不当利得……法的には『返してもらえるお金』だということですわね!」
麗華様が、学んだばかりの知識を披露し、目をキラキラと輝かせている。
「その通りです。過去五年間に白銀家が支払った違法な利息を、すべて元本の返済に充てて計算し直す。いわゆる『引き直し計算』を行えば……」
私がそこまで言いかけた時、所長室の扉がガチャリと開き、ボロボロになった木戸くんが這うようにして入ってきた。
「しょ、所長……。婚姻届のブロック、完了しました……。僕に、冷たいお水を……」
「お疲れ様です、木戸くん。貴方の決死のヘッドスライディングのおかげで、紫苑様の戸籍は守られましたよ」
私は優雅に微笑み、木戸くんに向かって無慈悲な宣告を下した。
「さあ、休憩している暇はありません。紫苑様のスマートフォンにある過去五年分の返済記録を元に、今夜中にエクセルで利息の『引き直し計算』を完了させてください」
「……えっ? 今夜中? 五年分の複雑な闇金利息の計算を、僕一人で……?」
木戸くんが絶望のあまり白目を剥き、床にピクピクと痙攣して倒れ込んだ。
「大丈夫ですわ、木戸先輩! 私も横で応援します! 気合で乗り切ってくださいませ!」
麗華様が無責任に扇子で仰ぎながらエールを送るが、木戸くんのHPはすでにゼロである。
「五年分の違法金利のカラクリをすべて暴き出した時、あの成金オークの足元は完全に崩れ去ります」
私はモンブランの最後の一口を味わいながら、愚か者が絶望する姿を想像して、小さく笑い声を漏らした。
借金のカタに令嬢を要求するなど、現代の法治国家において最も高くつく買い物であることを、骨の髄まで教えてやらねばならない。
明日の逆襲に向けて、木戸くんの徹夜のエクセル作業という尊い犠牲のもと、私たちのリーガル・トラップは着々と完成へと近づいていったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
日本の戸籍制度最強の防盾『不受理申出』、無事に間に合いました! そして、麗華様の「お茶会ネットワーク(ゴシップ網)」の恐るべき情報収集能力が火を吹きます。
次回、木戸くんが徹夜のエクセル作業を武器に、闇金まがいの「違法金利のカラクリ」を丸裸にします。
「成金オークを早くボコボコにして!」と思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】をしてお待ちください!




