第16話 ウェディングドレスの逃亡者と金箔のオペラ
新章(第4章)のスタートです!
前章までをお読みいただいた皆様、ありがとうございます。本シリーズは1事件ごとのオムニバス形式ですので、この章から読んでも全く問題なくお楽しみいただけます。
今回のテーマは「借金のカタに醜悪な成金に売られる没落令嬢」。魔王弁護士に加え、前章で弟子入りした武闘派お嬢様・麗華が助手として本格参戦。最強トリオが現行法とエクセルで水際防衛します!
「笑いなさい、紫苑。郷田社長は我が白銀家の五千万円もの借金を肩代わりしてくださるのよ」
「没落寸前のこの家を救うためだ。お前が五十代の社長の後妻に入るくらい、名家の娘としての当然の義務だろう」
都内の高級ホテル、豪奢な結婚式場の控室。
純白のウェディングドレスに身を包んだ白銀紫苑は、実の両親からの心ない言葉に、ただ絶望の涙を流していた。
「でも……お父様、お母様。あの郷田という方は、あまりにも……」
「グヘヘヘッ。白銀のお父さん、お母さん。紫苑ちゃんの準備はできましたかな?」
下品な笑い声と共に控室のドアが開き、恰幅の良い、というよりただ単に脂肪で膨れ上がった五十代の男が入ってきた。
成金投資家の郷田金蔵。ギラギラと光る金のネックレスと、脂でテカった額、そして紫苑を舐め回すような卑猥な視線。
「いやぁ、最高だねぇ。由緒正しき華族様の血を引くお嬢様が、今日から俺のモノになるなんてよぉ」
郷田は黄色い歯を剥き出しにして笑い、紫苑の華奢な肩にベタリと脂汗の滲む手を置いた。
「ひっ……!」
「グヘヘ、初々しいねぇ。今夜は俺が、大人の女の悦びってやつを、一からたっぷりと仕込んでやるからなぁ」
紫苑の両親は、娘がセクハラまがいの扱いを受けているというのに、ヘコヘコと愛想笑いを浮かべている。
「郷田社長、娘を何卒よろしくお願いいたします。……さあ紫苑、私たちは式の最終確認に行ってくるから、社長のお相手をしなさい」
「えっ……お母様! 待って、私を置いていかないで!」
バタン、と無情にも扉が閉められ、密室には醜悪な成金オジサンと、絶望する令嬢の二人きりが残された。
「さーて、紫苑ちゃん。式の前に、ちょっとだけ味見をさせてもらおうかねぇ……」
郷田が豚のように鼻息を荒くし、紫苑のドレスの胸元へ汚らしい手を伸ばしてきた、その瞬間。
「いやあああああああっ!!」
紫苑は咄嗟に、手元にあった重厚なクリスタル製の花瓶を、郷田の顔面に向かって全力で投げつけた。
「ぐべぁっ!?」
見事なストライク。郷田が鼻血を噴き出して後ろに仰け反った隙に、紫苑は純白のドレスの裾を力任せに引きちぎるようにたくし上げた。
そして、控室のドアを蹴り開け、ハイヒールを脱ぎ捨てて、裸足のままホテルの廊下を猛ダッシュで駆け出した。
「ま、待てぇっ! このアマ、借金のカタの分際で逃げる気かぁぁっ!」
背後から響く豚の咆哮を背に、紫苑は泣きながら帝都の街へと飛び出した。
(誰か……誰か助けて……! 私、あんなオークの生贄になるなんて絶対に嫌ぁぁっ!)
◇ ◇ ◇
……という、異世界ファンタジーにおける『借金のカタに醜悪なオークに売られる令嬢テンプレ』そのままの逃走劇が繰り広げられていた頃。
「ちょっと木戸先輩! このダージリンティー、抽出時間が十秒長くてよ! 香りが飛んでしまっていますわ!」
「やり直し! こんな泥水、結お姉様にお出しできるわけがありませんわ!」
帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室では、新たなる理不尽の嵐が吹き荒れていた。
「いや、あのですね東陰院さん……じゃなかった、麗華お嬢様! 僕はパラリーガルであって、執事じゃないんですよ!」
木戸くんが、ティーカップを片手に涙目で抗議している。
「それに、君は今日から『法律の勉強をするための助手』としてここに来たんでしょう!? なんで僕の淹れたお茶にダメ出しばっかりしてるんですか!」
「あら、細部へのこだわりこそが、完璧な法的書面を作る第一歩ですわ。木戸先輩は少し実務が雑すぎますのよ」
麗華様はフンスッと胸を張り、真新しいブランド物のスーツ姿で、さも自分が先輩であるかのようにふんぞり返っている。
武闘派お嬢様が事務所に加入して数日。木戸くんの胃薬の消費量は、以前の三倍に跳ね上がっていた。
「……素晴らしい。この金箔をあしらった重厚なフランス菓子『オペラ』、完璧な層を成していますね」
二人の騒がしいやり取りをBGMに、私は特注の漆黒のプレートに乗った最高級ケーキに、銀色のフォークを入れた。
コーヒー風味のシロップがたっぷり染み込んだアーモンドスポンジに、濃厚なバタークリームとガナッシュが幾重にも重なっている。
それを口に運べば、カカオのほろ苦さとクリームの甘さが、舌の上で極上のオーケストラを奏で始めた。
「所長! 僕が後輩のパワハラ令嬢にいじめられているのに、なんで一人で金箔の乗った黒いケーキを優雅に堪能してるんですか!」
木戸くんが助けを求めてくるが、私はコーヒーの余韻を楽しみながら微笑んだ。
「失礼ですね。このオペラの複雑な層構造は、民法や借地借家法といった複数の法律が複雑に絡み合う事案を解き明かすための、重要なインスピレーション源ですよ」
「それに、麗華様の指導のおかげで、木戸くんのお茶の淹れ方も随分と上達しましたからね。良いコンビになりそうじゃないですか」
「どこがですか! 僕の胃壁の層構造が崩壊寸前ですよ!」
木戸くんが頭を抱えて絶叫した、まさにその時だった。
バンッ!!
所長室の重厚な扉が、勢いよく蹴り開けられた。
「……ひぃっ、はぁっ、助けて……!」
そこに立っていたのは、裾が泥だらけになった純白のウェディングドレスを着て、裸足で肩で息をしている少女だった。
「なっ……!?」
「ウェディングドレス!? どういうことですの!?」
木戸くんと麗華様が、突然の珍客に目を丸くして固まる。
少女はフラフラと数歩前に進むと、糸が切れたように所長室のふかふかの絨毯の上にへたり込んだ。
「お願い、します……。私を……あのオークから、助けて……!」
「オーク……? 豚のモンスターのことですか?」
木戸くんが首を傾げる中、私はオペラケーキの最後の一口を優雅に飲み込み、ナプキンで口元を拭った。
「おや。異世界ファンタジーからそのまま飛び出してきたような、見事な逃亡者ですね。ようこそ、九条院法律事務所へ」
数十分後。
温かいカモミールティーを飲んで少し落ち着きを取り戻した少女――白銀紫苑様は、ソファの上でポツポツと事情を話し始めた
「……私は、白銀紫苑と申します。一応、華族の末裔という家柄なのですが……父が投資に失敗し、五千万円もの借金を抱えてしまって」
紫苑様は、泥だらけのウェディングドレスの裾をギュッと握りしめた。
「その借金のカタとして、債権者である郷田金蔵という、五十代の成金投資家と……今日、無理やり結婚させられそうになっていたんです」
「五千万円の借金のカタに、実の娘を売ったということですの!?」
麗華様がバンッ!とテーブルを叩き、怒りで金髪の縦ロールを震わせた。
「信じられませんわ! 名家の誇りを、たかが五千万円の負債でドブに捨てるなんて! ご両親は正気ではありませんの!?」
「うぅっ……お父様たちは『白銀の家名を残すためだ』と……。でも、あの郷田という方は、本当に下品で、恐ろしいオークのような男で……!」
紫苑様が恐怖を思い出したように顔を覆って泣きじゃくる。
「なるほど。歴史ある名家の『血統』と『ブランド』を、成金オジサンが違法スレスレの借金で買い叩こうとしたわけですね」
私はダージリンティーを一口飲み、黒縁メガネを中指でクイッと押し上げた。
「しかも、相手は私の同意もないまま、今日中に役所へ『婚姻届』を提出する気なんです……! 両親が、私の印を勝手に押してしまって……!」
紫苑様からの絶望的な報告に、木戸くんがガタッと立ち上がった。
「所長、マズいですよ! 勝手にハンコを押された婚姻届でも、役所の窓口は形式さえ整っていれば受理してしまいます!」
「そうですの?」
麗華様が驚いている。
「受理されて戸籍に載ってしまったら、それを『婚姻無効』の裁判で取り消すのは、めちゃくちゃ時間も手間もかかります!」
木戸くんの実務的な危機感は正しい。日本の戸籍制度は、一度受理されてしまうと覆すのが非常に面倒なのだ。
「ええ、分かっていますよ。ですが、慌てる必要はありません。現行法には、そうした『強制入籍』を水際で物理的に防ぐための完璧な防御魔法が存在します」
私はデスクの引き出しから、一枚の緑色の用紙を取り出し、トントンと机で揃えた。
「それが『婚姻届不受理申出』です」
「ふじゅり……もうしで?」
紫苑様が、涙で濡れた瞳をぱちくりと瞬かせる。
「はい。あらかじめ役所に対して『私が直接窓口に来ない限り、誰が婚姻届を持ってきても絶対に受理しないでください』とブロックをかける制度です」
私は紫苑様にペンを渡し、申出書へのサインを促した。
「日本国憲法第二十四条。『婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する』。親の借金や強制による結婚など、この国では一片の効力も持ちません」
紫苑様が震える手で用紙に名前を書き込むと、私はそれを木戸くんにバシッと手渡した。
「木戸くん。今すぐこの不受理申出書を握りしめて、管轄の区役所まで猛ダッシュしなさい。敵が婚姻届を出す前に、水際で防衛線を張るのです!」
「ええっ!? タクシー使っちゃダメなんですか!?」
「昼下がりの帝都の渋滞を舐めないでください。パラリーガルの健脚を今こそ見せる時ですよ。オークに戸籍を奪われる前に、走るのです!」
「鬼! 悪魔! 魔王! 行ってきますぅぅっ!」
木戸くんが書類を引ったくり、風のようなスピードで所長室から飛び出していった。
「……ふふっ。実務担当の木戸先輩、頼もしいですわね。で、結お姉様。私たちはどうしますの?」
麗華様が、獲物を狙う猛禽類のような目で私を見つめてくる。すっかり武闘派の顔だ。
「決まっています。物理的防御は木戸くんに任せ、私たちは、諸悪の根源を絶つための『情報の弾薬』を集めます」
私はタブレット端末を起動し、郷田金蔵という男の素性を調べ始めた。
「ただの結婚阻止で終わらせるつもりはありません。白銀家を絡め取ったという、『五千万円の借用書』。その闇金まがいの違法金利のカラクリをすべて暴き出します」
私は、紫苑様と麗華様を順番に見た。
「相手は、日本国憲法と民法を舐め腐った下劣な成金オークです。現行法という檻の中で、骨の髄までむしり取って差し上げましょう」
私が極上の魔王の笑みを浮かべると、麗華様もまた、嬉々として扇子を広げた。
「ええ! 名家の威信にかけて、あの下品な成金虫に、本物の『格の違い』というものを教えてやりますわ!」
純白のドレスで震えていた紫苑様は、眼の前で恐ろしい計画を立て始めた女魔王と武闘派令嬢の姿を見て、ポカンと口を開けていた。
「痛快なリーガル・タコ殴り劇、第四幕の開廷です」
役所へ向かって疾走する木戸君の命がけのブロックを信じ、私たちは新たなる愚か者の解体作業へと、優雅に着手したのだった。
お読みいただきありがとうございます!
ウェディングドレスで逃げ込んできた令嬢を救うため、魔王・結と武闘派助手・麗華、そして胃痛枠・木戸のトリオが動き出します。
次回、勝手に出された婚姻届を防ぐため、木戸くんが役所の窓口へ決死のヘッドスライディングを決めます!
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