第10話 偽聖女の失墜と最高級マカロン
「ちょっと健太くん! どうなってんのよこれ! スマホの通知が鳴り止まないんだけど!」
「僕に怒鳴るなよ! こっちだって、昨日からスポンサー企業からの違約金請求のメールで受信トレイがパンクしそうなんだから!」
都内のしがないウィークリーマンションの一室。
かつて高級ホテルのスイートルームでシャンパンを傾けていた星野キララと橘健太は、今や頭を抱えて絶望の淵に沈んでいた。
「私の三百万人いたフォロワーが、一晩で半分以下に減ってる……。しかも残ってるのは全員『パクリ女』『猫の体重エキス配合美容液(笑)』って叩いてくるアンチばっかりじゃない!」
「ネットの特定班が、僕たちの会社の登記から何から全部晒し上げてる……。もう終わりだ、インフルエンサーどころか、まともな社会生活すら送れない……!」
証拠保全のガサ入れから数日。
テレビの生中継で「猫のダイエット記録」と「深夜アニメのセリフ」を大画面に映し出された二人の姿は、瞬く間にSNSで世界中に拡散された。
美のカリスマを自称していたキララは『機動戦記ガンヴァルキリーのパクリ聖女』という不名誉極まりないあだ名をつけられ、完全なネットのオモチャと化していた。
「嘘よ……こんなの夢よ! 私はみんなからチヤホヤされる特別な存在のはずなのに! なんであの地味な女のせいで、私がこんな目に……っ!」
「雫のせいじゃない、僕たちがバカだったんだよ! 他人のプログラムのソースコードなんて、一行も読めなかったくせに……!」
二人の惨めな怒声と後悔の念は、鳴り止まない違約金請求の着信音にかき消されていった。
◇ ◇ ◇
……という、自業自得という言葉すら生ぬるい、炎上と没落の底辺ライブ配信から遠く離れた、優雅な帝都の一角。
「――というわけで、彼らは現在、数億円規模の違約金と損害賠償の請求書に埋もれながら、ネットの海で盛大に炎上し続けているようです」
『九条院法律事務所』の所長室。
私はパリの超一流パティスリーから空輸で取り寄せた、色とりどりの最高級マカロンが盛られたティースタンドから、艶やかなピスタチオのマカロンを一つ指でつまみ上げた。
サクッとした軽やかな歯触りの後に、濃厚なアーモンドとピスタチオのガナッシュが舌の上でとろけ合い、芳醇な香りが鼻腔を抜けていく。
「所長。相手が違約金の請求書で首を吊りそうになっている報告を聞きながら、一個千円もするカラフルなお菓子でタワーを作るのはやめてください。性格の悪さがマカロンの甘さで中和しきれてませんよ」
パラリーガルの木戸くんが、私のデスクに置かれた『特許権移転登録完了通知書』を整理しながら深いため息をついた。
「失礼ですね。このマカロンの繊細な色彩と風味の違いは、知的財産権における『特許・実用新案・意匠・商標』の複雑な権利のレイヤーを理解するための重要なインスピレーション源ですよ」
私はフランボワーズのマカロンを口に放り込み、甘酸っぱい果実味を楽しみながら、ダージリンティーを優雅に傾けた。
「それにしても、素晴らしい炎上っぷりですね。他人の努力を盗んで着飾った『偽物の美』が、あっという間に剥がれ落ちていく様は、極上のエンターテインメントです」
「所長がテレビ中継の入ってるレセプション会場で証拠保全なんてド派手な真似をするからですよ……。おかげで美容業界全体がパニックになってます」
木戸くんがタブレット端末をスワイプしながら、呆れたように報告を続ける。
「キララとスポンサー契約を結んでいた化粧品メーカー数十社から、契約解除と違約金の請求が内容証明でバンバン届いているそうです。被害総額、ざっと見積もって五億円は下らないですね」
「当然の報いです。彼女の『美の聖女』というブランド価値は、最初から雫様の五年間の努力の上に胡坐をかいていた砂上の楼閣に過ぎなかったのですから」
私がマカロンの三つ目に手を伸ばそうとした時、所長室の重厚な扉がノックされた。
「九条院先生、失礼いたします」
扉を開けて入ってきた女性を見て、木戸くんが「えっ?」と目を丸くして固まった。
そこに立っていたのは、いつものヨレヨレの白衣に瓶底メガネの地味な研究員……ではなかった。
髪は艶やかなストレートに整えられ、顔の輪郭に合った上品なメイクが施されている。仕立ての良い柔らかな素材のセットアップスーツを着こなすその姿は、どこからどう見ても『洗練されたキャリアウーマン』そのものだった。
「……雫、さん、ですよね? めちゃくちゃ綺麗になってるじゃないですか!」
木戸くんが驚愕の声を上げると、薬師寺雫様は少し照れくさそうに微笑み、目元を彩る繊細なアイシャドウを瞬かせた。
「はい。これもすべて、九条院先生のおかげです。特許を取り戻せただけでなく、私自身の『見せ方』までプロデュースしていただいて……」
「お似合いですよ、雫様。貴女が五年かけて生み出した『奇跡の美容液』の真の開発者として、それに相応しい装いをするのはビジネスの基本ですからね」
私はローズフレーバーのマカロンを優雅に齧りながら、見違えるように美しくなった彼女を歓迎した。
ガサ入れの翌日、私は特許の奪還手続きと並行して、雫様を一流の美容室と専属のスタイリストの元へ放り込み、徹底的に外見を磨き上げさせたのだ。
「元カレに『地味で魅力がない』と嘲笑われたのですから、圧倒的な美しさと成功でぶん殴り返すのが一番の復讐でしょう?」
「はいっ! おかげさまで、私の名前で正式に特許を出願し直すことができました。元の会社からは独立し、ライセンス契約を結ぶことで、莫大な資金も手に入りました」
雫様は自信に満ちた笑顔で、手にしたアタッシュケースから分厚い契約書の束を取り出した。
「これで、私の五年間は……タマちゃんのダイエット記録ごと、正式に私のものとして世界中に認められます!」
「タマちゃんの体重はともかく、本当におめでとうございます、雫様」
私は心からの祝福を込めて、ティーカップを軽く掲げた。
「あの偽聖女と泥棒の元カレは、今頃どうしているのでしょうか。少しだけ、ほんの少しだけ気になります」
雫様がふと、かつて自分を陥れた愚か者たちを思い出したように呟く。
「ああ、彼らですか。現在は数億円の違約金を抱え、自己破産の手続きに向けて弁護士を探しているようですが……」
私は黒縁メガネを中指でクイッと押し上げ、氷のように冷たく、そして最高に意地悪な魔王の笑みを浮かべた。
「残念ながら、彼らの行為は『悪意で加えた不法行為に基づく損害賠償請求権(破産法第二百五十三条第一項第二号)』に該当する可能性が極めて高く、自己破産しても借金は免責されません」
「免責されない……つまり、逃げられないってことですか?」
「ええ。一生をかけて、這いつくばって違約金と損害賠償を払い続ける地獄のデスマーチが確定しています。SNSでキラキラした生活をひけらかすどころか、深夜アルバイトでも始めない限り、生きていくことすら難しいでしょうね」
私の残酷な宣告を聞いて、雫様は一瞬だけ驚いたような顔をした後、ふっと憑き物が落ちたように穏やかに微笑んだ。
「そうですか。……もう、私には関係のない人たちですね。私は私の信じる研究を、これからも続けていきます」
「素晴らしい心意気です。次なる『奇跡』の開発、期待しておりますよ。もちろん、顧問弁護士としての法務サポートは万全の体制でお引き受けいたします」
私が新しい顧問契約書を差し出すと、雫様は迷うことなく、最高級のモンブラン万年筆で美しいサインを走らせた。
「所長に感化されて、依頼人のお嬢様たちがどんどん強く(そして美しく)なっていく……。僕の胃痛の種がまた一つ減って良かったです」
木戸くんが安堵の息を吐きながら、雫様のために新しい紅茶を淹れに行く。
かつて理不尽に涙を流していた地味な研究員は、現行法という武器と自信を手に入れ、本物の輝きを放つ経営者へと見事に羽化を遂げたのだ。
「九条院先生、本当にありがとうございました! 先生は、私にとっての本当の『聖女』様です!」
「おや、それは心外ですね。私は血も涙もない、ただの強欲な『魔王』ですよ」
私は雫様の賛辞を軽く受け流し、ティースタンドの最後に残った、ひときわ鮮やかなレモンイエローのマカロンをつまみ上げた。
爽やかな酸味が口の中に広がり、一つの痛快な事件の終わりを完璧な後味で締めくくってくれる。
異世界テンプレの「手柄の横取り」を企てた愚か者たちは、証拠保全という物理的な奇襲攻撃と、デジタル透かしという絶対的な証拠の前に、すべてを失って崩れ去った。
理不尽な悪意には、客観的証拠と冷徹な法律によるタコ殴りが一番よく効くのだ。
「さて、木戸くん。次の獲物……いえ、ご相談者様の予約は入っていますか?」
私は満足げに指先を拭い、次なる法廷バトルへの期待に胸を躍らせてタブレット端末を覗き込む。
「ええと……『学園の編入生が、謎のSNS工作で私を悪役に仕立て上げています。これって魅了の魔法ですか!?』という依頼が来ていますね……」
「魅了の魔法? いいえ、ただのプロバイダ責任制限法違反のステマ業者ですね。面白くなってきました」
私は黒縁メガネの奥で瞳を妖しく光らせ、嬉々として次なる宣戦布告の準備を始める。
魔王お嬢様弁護士の六法全書が休む暇は、まだまだなさそうである。
第2章『聖女の功績横取り(特許侵害)テンプレ編』、最後までお読みいただきありがとうございました!
無事に特許を奪還し、泥棒たちには数億円の違約金という自業自得な地獄をプレゼントいたしました。
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「タマちゃんの体重に笑った!」
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【ブックマーク】をしたままお待ちいただければ、数日後に結の次なる事件(第3章:学園のSNS魅了魔法テンプレ編)の連載が始まった際に、自動で更新通知が届きます。
ぜひ、魔王弁護士の次のタコ殴りも楽しみにお待ちください!




