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無愛想な旦那様は、私の『耳』を溺愛しているようです 〜機密情報を囁くだけで、甘いお菓子と安全なベッドが手に入りました〜  作者: 河合ゆうじ


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第258話 還付金の計算

 芯の先端が紙の繊維を削る音が、地下の通路に連続して鳴る。

 私は手帳のページに項目を書き連ね、最後の行の末尾で鉛筆を止めた。

 紙の端を指で挟み、手前に向かって強く引く。

 紙が裂ける高い音が鳴り、ページが手帳から切り離された。


 破り取った紙片から指を離す。

 紙片が空気を滑り、床に倒れている男の顔の横に落ちる。

 紙がコンクリートに触れる短い音がした。

 「信者から集めた寄付金の返還請求書。それに私たちの調査費と手数料の明細よ」


 男の喉の奥から空気が漏れる摩擦音がするが、声帯は言葉の形を作らない。

 通路の奥から、規則的な軍靴の音が複数重なって近づいてくる。

 レオニスが通路の角へ顔を向けた。

 揃いの制服を着た憲兵たちが、足並みを揃えて姿を現す。

 先頭の憲兵が男の横に膝をつき、腕を掴んで背中側へ回した。

 金属の拘束具が男の手首に押し当てられ、金具が噛み合う高い音が通路に響く。


 レオニスが床に散らばった金属の延べ棒と紙幣の束を拾い集め、男が落とした革張りの鞄の中へ押し込んでいく。

 金属同士がぶつかり、紙が擦れる音が続く。

 彼が鞄の蓋を被せ、留め金を押し込んだ。

 別の憲兵が近づき、レオニスが鞄の持ち手を差し出す。

 「信者への還付金だ。我々の手数料の分は、既に差し引いてある」

 憲兵が無言で鞄を受け取り、重量で腕を少し下げる。


 男が憲兵たちに両脇を抱えられ、床から引き上げられる。

 靴底がコンクリートを引きずる音を立てながら、憲兵の列と共に通路の奥へ歩き出した。

 軍靴の音が次第に遠ざかり、やがて角の向こうへ完全に消える。


 通路に残るのは、遠くで稼働する換気扇の低い回転音だけになった。

 私は手帳と鉛筆をコートのポケットに滑り込ませる。

 布地が擦れる音が鳴る。


 耳の奥を探る。

 常に私の鼓膜を圧迫し続けていた、肉体を持たない声の層。

 不規則に続く破裂音や摩擦音。

 それが、存在しない。

 壁の向こう側からも、天井からも、物理的な音以外の振動は全く伝わってこない。


 私の数歩先で、レオニスの肺が空気を吸い込み、吐き出す音がする。

 気道を空気が通る微細な摩擦音。

 彼のコートの布地が、呼吸に合わせて僅かに擦れ合う音。


 「静かだわ」

 私は彼に顔を向ける。

 「私の耳元で騒いでいたノイズが、完全に消えたわ。残響が何も聞こえない」


 レオニスが自身のコートの裾を手で払う。

 厚い布を打つ音が鳴る。

 「全ての負債の回収が終わったということだ」


 私は自身が肩に掛けている鞄の紐を握り直す。

 革が軋む音が鳴る。

 「ホテルに戻るわよ。確保した手数料と、これまでの経費を帳簿にまとめる作業が残っているわ」


 私は通路の出口へ向かって歩き出す。

 靴底がコンクリートの床を叩く音が、静まり返った空間に反響する。

 レオニスの重い足音が私の背後に続き、等しい間隔で鳴り続けていた。

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