第198話 和平会談の円卓
雪がコートの肩に降り積もる。
私はポケットからホテルのロゴが印刷された便箋を取り出し、男の目の前に差し出した。
鉛筆を男の震える指に握らせる。
「軍務大臣の指示で動いたこと。私たちが偽情報を話すのを聞き、港の馬車を襲撃したこと。全部書きなさい」
私は便箋の端を指で押さえた。
男の指が動き、鉛筆の芯が紙の表面を削る音が鳴る。
男の荒い息遣いと、紙が擦れる音だけが響く。
書き終えた便箋を抜き取り、文字の並びを確認する。
男の署名が最後にある。
便箋を半分に折り、自分のコートの内ポケットへしまった。
レオニスが男の首の後ろへ手刀を落とす。
鈍い音が鳴り、男の体が完全に雪の上へ崩れ落ちた。
「巡回中の憲兵の前に転がしておく」
レオニスが男の襟首を掴み、雪を引きずるようにして歩き出す。
私は落ちていた偽の帳簿が入った鞄を拾い上げ、彼が作った雪の足跡を辿って港を離れた。
ホテルの部屋の窓ガラスに、外の白い光が反射している。
厚いカーテンの隙間から差し込む光が、床の絨毯の模様を明るく照らしていた。
私は外務省の役人が持ち込んだ、使節団随員の正装に袖を通す。
生地が重く、装飾の金具が肌に冷たく当たる。
背中のフックを留め、首元の襟を整える。
レオニスは部屋の中央で、革の鞄を開いていた。
本物の裏帳簿と、男から取った供述書、さらに塔から持ち出した研究データが挟まれたファイルを鞄の底に詰める。
彼は留め金を押し込み、金属のラッチを下ろした。
カチンと硬い音が部屋に響く。
彼もまた、帝国と南洋の仕様が混ざった正式な大使の衣服を身に纏っている。
「請求書を持っていくわよ」
私は鞄を指差した。
レオニスが鞄の取っ手を握り、扉へ向かって歩き出す。
馬車の車輪が路面の雪を噛む音が続く。
窓の外の景色が、商業区画から巨大な石柱が並ぶ行政区画へ変わっていく。
馬車が緩やかに減速し、停止した。
御者が外から扉を開ける。
冷たい空気が車内に流れ込んできた。
レオニスが先に降り、鞄を持ったまま私を待つ。
私はドレスの裾を持ち上げ、馬車のステップから地面へ降りた。
目の前に、幅広い階段が続いている。
階段の上には小銃を構えた兵士たちが間隔を空けて直立していた。
私たちは階段を登り、入り口を塞ぐ兵士の前に立つ。
兵士が銃を胸の前に構え直し、無言で制止する。
レオニスが懐から革のケースを取り出し、登録証を兵士の目の前に提示した。
兵士の視線が紙面の透かしと押印の跡をなぞる。
紙の擦れる音が鳴り、兵士が横へ一歩退いて道を空けた。
建物の内部へ入る。
毛足の長い絨毯が靴底の音を吸収し、周囲の喧騒を遠ざけている。
高い天井に反響するかすかな足音だけを頼りに、長い回廊を進む。
突き当たりの両開きの巨大な扉の前に、案内役の男が立っていた。
男が金属の取っ手を押し下げる。
重い扉が手前へ向かってゆっくりと開く。
部屋の中央に、巨大な円形のテーブルが置かれている。
高い背もたれの椅子に、各国の使節や軍服を着た男たちが座っていた。
私とレオニスが扉の敷居を跨ぐ。
テーブルに座る者たちの視線が一斉にこちらへ向けられた。
円卓の奥。
軍務大臣が背もたれに深く体を預けて座っている。
彼の手元には水の入ったグラスがあり、彼の指がグラスの縁をゆっくりとなぞっていた。
私は周囲の雑音を意識から外し、大臣の胸の奥へ聴覚の焦点を合わせる。
ドクン、ドクンと規則的で緩やかな心拍の音が耳に届く。
焦りや緊張の微塵もない、完全に弛緩した筋肉の音。
彼の口角が僅かに上がっている。
彼は昨夜の報告を受け、偽の帳簿を本物と信じ込み、すべての危険が自分の手元で消去されたと認識している。
案内役の男が、円卓の空席を指し示す。
レオニスが鞄を片手に持ったまま、その席へ向かって歩き出す。
私は扇子を握る手に力を込め、彼の背中の後ろを追って絨毯の上を進んだ。




