4ー1 『少女』の一番長い日
文字を選び出し、言葉を作る。
言葉を繋げ、文章を作る
文章を紡ぎ、物語は生まれる。
すいません。何を書けば良いのか分かりませんでした。
降り続く、只それは降り続く。轟々と音を立て、大気を、心を揺らす。
私の視界に映るのは一つの景色。雨が打つ窓ガラス越しに見える灰色の街。
この景色を何かに例えるなら、窓ガラスを打ち付ける無数の雨粒は焦り、それを落とす暗雲は不安。灰色の街はきっと先の見えない未来だろう。
まるで、私の心のようだ。
私は一瞬だけ自嘲気味の笑みを窓ガラスに映り込ませる。ほんの一瞬、泣いている様に見えた。だから、私は目を閉じ、涙を拭う。
長い夜に、長い一日になるから。
○
「ふぅ……」
ハルカは娯楽小説を閉じ、軽く息を吐いた。ずっと同じ姿勢でいた為か、少し体がだるい。
四つ葉のクローバーを圧した栞を挟むのを忘れた事に気付いた、だが、今は構わないと思った。
ティーカップに手を伸ばす。
「あ」
指先に触れたティーカップ、それが酷く冷め切っている事に気付くと、ハルカは思わず声を上げ、白いカップを見た。
つい先程まで立ち上っていた筈の白い湯気は何処にも見えない。確かにあった筈の熱も忘れたように消えていた。
不意に切なくなり、同時に当たり前かとも思う。
ティーカップの紅茶が冷め切っている事に気付いたのは、紅茶を淹れてから三十分も経ってからだったから。
ハルカは冷たい紅茶を一気に飲み干し、窓の外を見た。
雨が降り始めた時から景色は変わっていない。暗く、冷たい空気が街を包んでいる。
制服のポケットから取り出した懐中時計と見比べて、ようやく今が午後十時である事が分かった位だった。
「リアが眠ってから、もう七時間……か」
ぼんやりと呟いた。
事務所に戻って来たのが三時過ぎだった筈だからその位になる。
明らかに普通ではない。そして魔法でも、呪いでも無い。考えれば考えるだけ分からなくなる、そんな気がして、不安になる。
「リア……」
暗い気持ち、それを追い出すように、ハルカは両手を合わせ、胸に押し当てた。何度か深呼吸をする。不安になった時の対処法、昔からの癖だ。
暫く続けると、大分呼吸が整い、幾分か気分が楽になった様に感じた。
「悪い、少し遅くなった」
丁度気分が落ち着いた頃、疲れたような声と共に、アルトが部屋の扉を開いた。冷たい廊下の空気が中に入るのを感じたが、アルトはすぐに扉を閉じ、ハルカの方に向き直る。
「……随分遅かったね、私には言えない事でもしてた?」
「してないっての、俺はナイスバディの大人の女性が好みなんだ」
「ふふっ、そっか」
落ち着いた様な気怠げな瞳、何時もの表情にハルカは少し安心すると、柔らかい微笑みを浮かべた。
冗談を言えたのには自分でも驚きだった。それに、久しぶりに笑えた気がするからか、心が軽くなった。
「……ん?」
そのまま暫く笑うと、ハルカは不意にアルトの様子が少しおかしい事に気付いた。
髪と同じ色の黒いコートが濡れていたのだ。それに、リアに持って行った白い毛布の代わりに、両手にサンドイッチと簡単な料理が入った包みを抱えていた。
「どうしたの? それ?」
「お前、何も食ってなかっただろ?」
「あ……」
アルトは包みを掲げながらそう言うと、すぐにそれを机の上に置いた。同時にスパイスの良い匂いが広がる。
アルトがハルカの身を案じ、夜でも営業している酒場を当たり、無理を言った成果だった。
「リアが起きた時、俺達が倒れてたらリアに心配を掛けるだけだからな、それじゃ意味が無いだろ?」
「うん、そうだね……、ありがと」
「どう致しまして」
アルトはハルカのお礼を澄ました顔で受け取り、ソファーに腰を下ろした。
テーブルの上に置いた包みを開き、三人分の食事を用意する。
何時リアが起きてきても良いように、彼女が美味しいと言っていた、アンチョビと卵のサンドイッチは、他のモノより多め買ってあった。
ハルカはそれを見て、意地悪そうに笑う。
「早く来ないと無くなっちゃうね?」
「ああ、でも大丈夫だろ、あいつは意外と食いしん坊だから」
「うん、きっと匂いに釣られて、ね」
「ああ、そうだな」
二人は笑いながら言葉を交わすと、サンドイッチに手を伸ばし、気付けば、味も確かめずに飲み込んでいた。
ただ、食べ物を口に運ぶ、噛んで、味を確かめる前に、燕下する。
次々と料理を口に運び、数を減らしていく。無理にでもそうしないと、喉を通りそうになかったから。
殆どの料理が包みから消えた。だが、アンチョビと卵のサンドイッチだけは、一つも手をつけていない状態で残されていた。
○
ガラスが打ち付けられる音。煩い程の雨の反響で、アルトは目を覚ました。
何度か頭を揺すり、覚醒を促す。どうやら、何時の間にか眠ってしまったらしい。
ふと重みを感じて隣を見ると、ハルカが自分に寄りかかって寝息を立てているのが見えた。随分疲れていたのだろう。顔色があまり良くない。
アルトはあまりハルカを動かさないように気を使いながら、ソファーから腰を上げた。
毛布を探すが、リアに持っていってしまった事を思い出し、とりあえず自分のコートを脱ぎ、ハルカに掛ける。
「こういう時は、無茶ばっかだな」
アルトは思わず苦笑しながら言った。
前に自分が風邪を引いた時もこうだった。一日中付き添って、そのせいで自分も風邪を引いて、恨めしそうに文句を言っていた。
彼女は、何時も大切な人が心配なのだ。だから優しくて、強い。そして、どうしようも無く弱い。
「ま、今回は俺がどうにかするさ」
懐中時計と外の景色を見合わせた。午前二時。結構時間が経っている。
アルトは息を吐き出すと、壁の近くに置いた刀を掴み、廊下に出た。
暫く歩き、突き当たりの部屋の前で止まった。ノックはしない。ドアノブを軽く回すと、軋んだ音と共に扉が開かれた、光は漏れて来ない。
扉を潜り抜け、部屋を見回す。
荒らされてはいない、部屋の家具はそのままだ。ただ、机の上に置かれた魔法灯が、その灯りを失っている。
「……リア?」
彼女を呼んだ。暗い闇を払うように。
しかし、返事は返らない、返ってくる筈が無かった。
其処に彼女は居なかったのだから。
「アルト……」
立ち竦んでいたアルトは、突然の声に思わず振り返った。ソファーで眠っていた筈のハルカがコートを手に佇んでいた。
「油断した……、見ての通りだ」
「うん」
アルトの無感情な声に、ハルカは切れかけの魔法灯のような表情で応える。声は精彩を欠いていた。
だから、アルトは聞いた。
「どうする?」
「分からない?」
「分かるさ、伊達や酔狂でお前と一緒に居たんじゃないんだから」
「そっか」
ハルカは、アルトのその言葉に一瞬目を見開くと、微笑んだ。
「取り戻そう、私達の友達を」
「ああ」
その瞳には確かな光が宿っていた。




