↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/52

第8章 第一王子

 第一王子リクター・アステリアの私室は、王城の中でもひときわ豪華絢爛だった。


 高い天井には精巧な金箔の装飾が施され、足元には毛足の長い厚手の絨毯が敷かれている。

 壁際には歴史ある重厚な本棚と美術品が整然と並び、部屋の中央には高級な応接用ソファが置かれていた。


 その奥、大きな窓辺に第一王子リクターは立っていた。


 淡い金髪に、整った顔立ち。

 王族らしい圧倒的な気品を備えた青年だったが、今、その眉間には深い皺が刻まれていた。


 (……一体何を企んでいる、ルクレイン)


 本来なら、焦る理由など何一つないはずだった。


 自分は正妃の産んだ第一王子。

 ルクレインは第二王子。


 順当に進めば、次の国王になるのは間違いなく自分だ。王位継承順位第一位という絶対的な立場は、そう簡単に覆るものではない。


 ――本来なら。


 (だが……あいつは優秀すぎる)


 それは幼少期から、リクターの胸に突き刺さっている消えない棘だった。


 剣術、魔術、学問、帝王学。

 何をやらせても完璧で、隙がない。父王アルヴァリオンをはじめ、重臣や騎士団の猛者たちからも「天才」と絶賛されていた。


 『第一王子よりも、第二王子のルクレイン殿下の方が王に相応しいのではないか』


 いつか誰かがそう言い出すのではないか。

 その不安が、リクターの中から消えたことはなかった。


 そして最近、その不安は一気に膨れ上がっていた。


 北部水害の電撃解決。

 父王への命がけに見える進言。

 重臣たちからの厚い信頼。

 騎士団長ケンタをはじめとする騎士たちの熱狂的な信奉。


 ルクレインの評判だけが、異常な勢いで上がっている。


 (本当にこれが偶然なのか……!?)


 父王の信頼を勝ち取り、重臣を味方につけ、軍部――騎士団の支持まで集める。

 一つ一つなら、運と言えなくもない。

 だが、ここまで完璧に外堀が埋まれば話は別だ。


 (間違いない……あいつは裏で王位を狙って動いている……!)


「失礼いたします、リクター殿下」


 静かなノックとともに、一人の男が入ってきた。

 背は低く、やや小太り。四十代ほどのその男は、丸みのある顔に人当たりのいい穏やかな笑みを浮かべていた。

 リクター専属の筆頭従者、デーブである。


「何だ」

「ローゼンベルク公爵家より、第二王子殿下との婚約関係について報告が届いております」


 リクターの眉がピクリと跳ねた。


「……言え」

「ご令嬢との仲は、以前にも増して非常に良好とのことでございます。また、公爵閣下ご本人も、ルクレイン殿下との結びつきをさらに強めたいご意向とのことでございます」

「…………」


 今度はローゼンベルク公爵家。

 国内屈指の大貴族であり、最大の政治力を持つ公爵家までもが、ルクレインの陣営に付き始めている。


 (父上、重臣、騎士団……そしてローゼンベルク公爵家……)


 リクターの拳が、ミシリと音を立てるほど強く握り締められた。


「……ルクレインを今すぐここへ呼べ」

「かしこまりました」


 デーブが恭しく一礼する。


 その背後、部屋の隅にできた薄暗い影の中には、もう一人の男が佇んでいた。


 長身で細身。肩にかかる漆黒の髪を後ろで束ね、切れ長の目は蛇のように冷たい。

 口元には粘ついた薄笑いを浮かべ、黒を基調とした無駄のない装いに、一本の細身のレイピアを携えている。


 護衛というより、暗闇から獲物の喉笛を掻き切る刺客の匂いを漂わせる男――リクターの専属護衛、ゾラン。

 デーブのように甲斐甲斐しく身の回りの世話をすることはない。ただ主の影に潜み、主人を害するものを殺すための存在だった。


 しばらくして、豪奢なドアが開いた。


「失礼いたしまーす」


 デーブに続き、ルクレインが入ってきた。

 その半歩後ろには、相変わらず無表情なマックがいる。


 ルクレインは窓辺のリクターを見るなり、だるそうに片手を軽く上げた。


「兄貴。何か用?」


「…………」


 リクターが盛大にフリーズした。


「……何だよ?」

「……今、私を何と呼んだ?」

「兄貴」

「私は第一王子だぞ」

「知ってる」

「リクター第一王子だ」

「それも知ってる」

「せめて『兄上』か……百歩譲って『兄さん』と呼べないのか!?」

「いや、面倒だし兄貴でいいだろ」

「なぜ兄弟間の呼び方までそこまで雑になる!?」

「血がつながってんだからいいじゃねえか」

「よくない!!」

「じゃあリクター」

「もっと悪化したわ!!」


 リクターのこめかみに、ブチッと青筋が浮かんだ。


「貴様……!」


 殺気を孕んだ目で弟を睨みつけ、拳を握り締める。


 だが。


「で、用って何? 俺、今忙しいんだけど」


 ルクレインは欠伸を噛み殺しながら、面倒くさそうに頭を掻いていた。

 ビビる様子など微塵もない。心底どうでもよさそうな態度だ。


 (……待て)


 リクターは、握り締めた拳からゆっくりと力を抜いた。


 (落ち着け……これも全て、こいつの高度な心理作戦かもしれん……)


 あえて無礼で舐めきった態度を取り、自分を激昂させる。

 冷静さを失わせて本音を暴き、隙を生み出すための、計算された罠ではないか?


 (昔から切れ者のこいつなら、それくらいの盤外戦術は容易くやってのける……!)


 リクターは一度、大きく深呼吸をした。


「……いい。そこに座れ」

「最初からそう言えよ」

「やはり腹が立つな、貴様は……!」

「落ち着けよ、兄貴」

「誰のせいだと思っている!!」


 怒号を飛ばしかけ、寸前で思いとどまる。


 (乗るな。奴の挑発に乗るな)


「……座れ。話がある」

「はいはい」


 ルクレインは向かいの高級ソファに、どさっと品なく腰を下ろした。

 マックはその背後に、無言で佇む。


 リクターは弟の目をまっすぐ見つめ、探るように問いかけた。


「単刀直入に聞く。最近のお前は、裏で何を企んでいる?」

「はっ?」

「父上からの評価が異常に上がり、重臣や騎士団からの支持まで集めている」

「知らんけど」

「ローゼンベルク公爵家とのパイプまで強固にした」

「やばいね」

「……何?」

「マジで婚約を切りたいのに、向こうの好感度が爆上がりして詰んでる」

「貴様、本気で言っているのか……!?」

「超本気だよ」

「ならばなぜ、これほど周囲の支持を集める!」

「知らねえよ! 俺が一番知りたいわ!」

「……私から王位を奪うつもりではないのか?」


 ルクレインは、心底「正気か?」と言いたげに首を傾げた。


「はぁ? なんで俺が王様なんて面倒くさいものにならなきゃいけないんだよ」

「…………何?」


 リクターの思考が停止した。


 (王様になったら、死ぬ。王様ダメ、絶対)


「王様なんて絶対嫌だ。毎日クソ長い会議に出て、書類の山に埋もれて、戦争が起きたら責任を取らされてさ。嫌すぎるだろ。俺は一生ニートとして引きこもっていたいんだよ」

「お前は……王位を望んでいないというのか……?」

「だから今そう言ったじゃん。耳ついてる?」

「…………」

「王様になりたいなら兄貴がやればいいだろ。俺に押し付けんなよ」


 リクターは絶句した。


 普通なら、ここで安心するべきなのだろう。

 最大の脅威であった弟に、王位を争う野心など微塵もないのだから。


 だが――。


 (……待て待て待て)


 リクターの目が鋭く細められる。


 (本当に……そうか……?)


 あまりにも都合が良すぎる。

 あれほどの才覚を持つ男が、「ニートになりたい」などというふざけた理由で王位を捨てるわけがない。


 (私を油断させるための偽装……! 『無欲』を演じることで、私の警戒を解こうとしているのか……!?)


 安心させて油断を誘う。

 その裏で父王や重臣、公爵家との外堀を完全に埋め、逃げ場をなくしてから一気に自分を失脚させる。


 (あるいは……私を王位に就かせ、裏から傀儡として操る気か……!?)


 責任と実務だけを自分に背負わせ、裏で実権を握る。

 自分は「無欲な賢者」として、安全圏から指示を出す。


 (……やりかねん。ルクレインなら、それくらい朝飯前だ……!!)


  ルクレインのだるそうな顔すら「全て計算し尽くされた演技」に見えてきた。


 (恐ろしい男……どこまで先を読んでいるんだ……!)


 リクターの額に、冷や汗が浮かぶ。


 ルクレインを見ると、鼻クソをほじっていた。


「……兄貴? なんで一人で顔芸しながら黙ってんの?」

「……いや、何でもない」


 リクターは汗を拭い、呼吸を整えた。


 その時、ルクレインは部屋の隅で暗い気配を放つ刺客風の男に目を向けた。


 (……ん? こいつ、ゲームにいたっけ……?)


 脳内の知識を探ってみるが、見覚えがない。


 (なんか胡散くせえし、見た目からしてヤバそうな雰囲気がプンプンするな……)


 しかもその男は、さっきからマックのことを穴が開くほど凝視している。


「なあ」


 ルクレインが後ろのマックに声をかけた。


「さっきからあの黒い奴、お前のことめっちゃ見てない?」


 マックが一度だけ、男へ冷ややかな視線を向けた。


「……ゾランですね」


 (ゾラン? やっぱり知らんな)


「兄貴、後ろの暗そうな奴、うちのマックにメンチ切ってるんだけど、誰?」


 答えたのはリクターではなく、影の中の男だった。


「……殿下のお許しをいただけるのであれば、私めからご説明いたします」

「あ、うん。教えて」


 ゾランは恭しく一礼した。


「マクシミリアンとは……暗殺組織《夜行》にいた頃、共に地獄を潜り抜けた同胞にございます」


 (夜行……かよ。ろくな奴じゃねえな)


 ルクレインはそっと視線を逸らした。関わらないのが一番だ。


 だが、ゾランの方は気分が高揚しているようだった。


「久しいな、マクシミリアン」

「……」

「随分と冷たいではないか」

「別に」


 ゾランの口元の笑みが、わずかに引きつる。


「昔は共に幾つもの命を狩った間柄だろう?」

「忘れた」

「……忘れた、だと?」

「仕事の細部をいちいち記憶する意味がない」

「…………」


 ルクレインは二人のやり取りを交互に見つめた。


 (なんだこの温度差。ゾラン側の片思い感がすごいんだけど)


 ゾランがさらに一歩詰め寄る。


「マクシミリアン……いつか、あの決着を――」

「興味がない」

「…………ッ」


 秒で切られた。


 リクターが不機嫌そうに眉をひそめる。


「ゾラン」

「はい、殿下」

「私の護衛が、無駄話をするな」

「……失礼いたしました」


 ゾランは一歩下がった。

 だが、その執念深い視線は、まだマックから離れない。

 マックの方は、ゾランの存在ごと完全に無視していた。


「で、兄貴。話はそれだけ?」


 ルクレインがだるそうに立ち上がった。


「長ぇよ。俺、腹減ったんだけど」

「貴様……昼に三人前を平らげたと報告を受けているぞ!」

「なんで他人のメシのことまで把握してんだよ!」


 控えていたデーブが静かに頭を下げる。


「職務でございますので」

「キモっ!」


 ルクレインはひらひらと手を振った。


「じゃあな、兄貴。王様になりたいなら勝手になってくれ。俺は絶対に邪魔しねえし、なんなら応援してやるから」

「…………」

「じゃ、お疲れー」


 ルクレインは背を向け、ドアへ向かった。

 マックも無言のまま、完璧な足取りでその後に続いた。


 ガチャリ、と扉が閉まる直前まで、ゾランの執念深い目がマックの背中を追い続けていた。


 ――バタン。


 扉が閉まり、室内に静寂が戻る。


 リクターはしばらくの間、弟が消えたドアを睨みつけ、深く重い息を吐いた。


 (王位はいらない……応援する、だと……?)


 あまりにも出来すぎたセリフ。

 あまりにも隙のない完璧な演技。


 (……フッ、やはり騙されんぞ、ルクレイン)


 リクターの瞳に、暗い確信の光が宿る。


 (私を心底安心させ、油断したところを叩く気だな……! その手に乗ると思うか……!!)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。