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第51章 追跡者

◆作者からのお願い◆


自分で書いていて、本当におもしろいのかどうか迷っています。


よろしければ、ページ下部にある【広告の下】の「☆☆☆☆☆」から、作品への評価(★)やブックマーク、感想などいただけると、執筆の大きな励みになります!


どうぞよろしくお願いいたします!」

昼を少し回った頃だった。

 バリオン王立アカデミアの正門から、二人の男が小走りに出てきた。

 第二王子ルクレイン・アステリアと、従者のマクシミリアン・レイフォード。


 向かう先は、脇にある馬車の待機場。

 王家の紋章をつけた馬車の前で、御者が慌てて扉を開けた。


「で、殿下? もうお戻りで?」

「すぐ出せ」


 ルクレインが飛び込み、マクシミリアンが続く。

 扉が閉まるより早く、手綱が鳴った。

 馬車は石畳を蹴って、大通りへ滑り出した。


 それを見ていた男たちがいた。

 正門から通りを一本隔てた路地の陰。

 昼でも陽の届かない、苔むした石壁に挟まれた細い隙間だ。


「……おい。今の、第二王子だ」

「何?」

「間違いねえ。ルクレイン・アステリアだ。馬車で出やがった」

「なんでこんな時間に。まだ授業中だろ」

「知るかよ」


 沈黙が落ちた。

 悪い予感というやつは、いつも沈黙の形をしてやってくる。


「……気づかれたか」

「馬鹿言え。外から眺めてただけだ」

「だったら、なんで走ってた」


 答えはなかった。

 男は舌打ちし、吸いかけの煙草を踏み消した。


「他の連中に知らせろ。対象が動く」


 一人が路地の奥へ消えた。


 見張りは彼らだけではない。

 正門の向かいの商店。

 大通りの角。

 馬車の待機場へ続く道。

 どこにでもいる顔をした男たちが、どこにでもいるふりをして立っていた。

 交代で。他人同士の顔をして。


 王都のスラムから掻き集められた半グレどもだ。

 昨日までは縄張りを巡って互いの喉を狙っていた連中が、今は誰かの号令ひとつで、行儀よく持ち場を守っている。

 野良犬に首輪をつけた者がいる。

 それだけは確かだった。


 獲物は一人。

 第二王子ルクレイン・アステリア。

 見失うな。それが彼らの仕事だった。


 通りの向こうで、くたびれた幌馬車が一台、何食わぬ顔で動き出した。


 *


「……ふううぅぅ」


 ルクレインは座席に沈み込み、肺の中の空気をすべて吐き出した。


「やっと出られた」


 向かいでは、マクシミリアンが定規で引いたような姿勢で座っている。


「お疲れさまでございました」

「疲れた。もう二度と行かねえ」

「明日も登校日でございます」

「言うな」

「申し訳ございません」

「……ったく。初日からこれかよ」


 ルクレインは窓の外を見た。

 王都が流れていく。

 荷車。物売りの声。肩をぶつけ合って歩く人の群れ。

 平和という名の、いつもの喧騒だった。


 マクシミリアンの目が、ほんのわずかに動いた。


 後方に幌馬車が一台。

 そのさらに後ろに、荷車を引く男が一人。

 マクシミリアンは何も見なかったような顔で、視線を戻した。


 馬車が角を曲がる。

 幌馬車も曲がる。

 次の角。

 同じだ。

 先ほど前を歩いていた男が、今度は横の路地から現れた。

 まるで最初からそこにいたような顔をして。


 マクシミリアンの顔には、何も浮かばなかった。


(……なるほど)


 一台の馬車が同じ道を走るのは、珍しいことではない。

 だが、複数の人間が入れ替わり立ち替わり、同じ獲物の背中に張りつくのは偶然とは呼ばない。

 仕事と呼ぶ。

 しかも、先回りしている者までいる。


 頭数。位置。交代の間隔。

 マクシミリアンはすでに、すべてを数え終えていた。


「……マック」

「はい」

「何か飲み物ない?」

「水筒がございます」

「あるんだ」

「はい」

「お前ほんと何でも持ってんな」


 マクシミリアンは水筒を差し出した。

 ルクレインは喉を鳴らして飲んだ。


「ぷはっ。生き返った」

「それは何よりでございます」


 マクシミリアンは小さく笑った。

 そして、また窓の外へ目をやった。

 影はまだついてきていた。


 彼は何も言わなかった。

 知らせたところで、主人の昼寝が一つ減るだけだ。

 まず城へ送り届ける。

 片付けるのは、その後でいい。


 *


 馬車は城門をくぐった。

 槍を立てた衛兵の列を抜け、王城の敷地へ入っていく。

 ルクレインは窓に額を寄せ、心底ほっとした息を吐いた。


「……帰ってきたぁ」


 自分の部屋。自分のベッド。


「マック。俺、帰ったら寝るから」

「かしこまりました」

「絶対起こすなよ」

「承知いたしました」

「何があってもだぞ」

「緊急の場合を除きます」

「例外作んな」


 馬車が止まった。

 ルクレインは跳ねるように降りた。


「じゃあな」

「殿下」

「何だよ」

「少々所用がございます。しばらくお側を離れます」

「おう。好きにしろ」

「護衛は手配してございます」

「いらねえって」

「念のためでございます」

「はいはい」


 ルクレインは振り向きもせずに片手を振り、城の奥へ消えた。


 マクシミリアンはその背中が見えなくなるまで立っていた。

 顔はいつもと同じだった。

 ただ、目から温度が抜けていた。

 冬の朝の鉄みたいに。


 *


 王都の外れ。

 陽の光が届くのを諦めたような裏通りがある。

 饐えた酒と、乾ききらない血と、行き場のない人間の匂いがする場所だ。


 そこに男が十人ほど集まっていた。

 刃物をちらつかせる者。

 棍棒を肩に担ぐ者。

 継ぎ接ぎの革鎧を着込んだ者。

 どれも、まっとうな仕事には一度も就いたことのない顔をしていた。


 その輪の真ん中に、一人だけ毛色の違う男がいた。

 黒い外套。

 死人のように青白い肌。

 剃刀で切れ目を入れたような細い目。

 半グレどもは、その男から一歩ずつ距離を取っていた。

 野良犬が、自分より大きな獣を嗅ぎ分けるように。


「……第二王子の馬車を見失った、と?」


 男の声は低かった。


「す、すいやせん。城までは追ったんですが」

「城へ戻ったことは知っている」

「へ、へい」

「私が聞いているのは、その後だ」

「いえ……それが……」


 男の眉がわずかに動いた。


「役立たずどもめ」


 細い目の奥で、何かが一瞬だけ赤く光った。

 半グレたちの肩が縮む。


「予定より早く学院を出た理由も知らず、警戒されているかどうかも確かめず、ただ城へ帰るのを指をくわえて見ていた。そういうことか」

「申し訳ありやせん!」

「人間というやつは……」


 男は舌打ちした。


 その時だった。


「お探しなのは、私でしょうか」


 声は静かだった。

 静かすぎて、路地の空気が一枚凍りついた。


 男たちが一斉に振り向く。


 路地の入口に、男が一人立っていた。

 マクシミリアン・レイフォード。

 皺ひとつない従者服。

 すらりとした長身。

 何も映さない目。

 散歩の途中で道を訊きに寄った。そんな顔をしていた。


「てめえ……」

「王子の付き人じゃねえか」


 鉄の擦れる音がいくつも重なった。

 マクシミリアンは、抜かれた刃物をひとつずつ眺めた。値札でも確かめるように。


「皆さんに、少々お尋ねしたいことがございます」

「何だと」

「どなたの命令で、殿下を見張っていたのですか」


 外套の男が、喉の奥で笑った。


「なるほど。第二王子の飼い犬か」

「……」


 男の口調が、がらりと崩れた。

 上品な仮面は、どうやら長くはもたない作りらしかった。


「一人で来るとはな。いい度胸じゃねえか」

「質問にお答えください」

「まあ慌てるなよ」


 男はにやりと笑った。


「それにしても、あの第二王子。とんだお笑い草じゃねえか」


 男は石畳に唾を吐いた。


「……」

「聞いたぜ。入学式で、新入生代表様が壇上に立ったんだってな」


 マクシミリアンは黙っていた。

 沈黙にもいろいろある。

 この男の沈黙は、まだ礼儀の範囲に収まっていた。


「ションベンちびりそうな面して、『みんなで頑張ろう。以上』だとよ! ガハハハハ! ガキの寝言だって、もうちょいマシなこと言うぜ!」

「……」

「おまけに食堂でも、盛大に恥さらしたらしいじゃねえか。王子様が平民の残飯みてえな飯をかっ込んでよ。豚小屋の豚のほうが、まだ行儀がいいぜ」


 マクシミリアンの眉が、髪の毛一本ぶんだけ動いた。


「……なぜ、それを」

「ああ?」

「入学式はともかく、食堂のことまで。なぜご存じなのです」


 男の口の端が歪み、黄色い歯がのぞいた。


「俺たちを何だと思ってる」

「……」

「学院の中で、誰が誰と喋って、何を食って、便所に何回行ったか。そんなもん、全部筒抜けなんだよ」


 マクシミリアンの目が細くなった。


 門の外だけではない。

 壁の内側にも耳がある。

 初日の昼の出来事が、日が傾く前にもうこの掃き溜めまで届いている。


(……学院の中に、鼠がいる)


 彼はそれを、頭の中の帳面に書きつけた。

 インクは乾かない。片が付くまでは。


「で?」


 男が、指で耳の穴をほじりながら笑う。


「食堂で笑いものになって、居づらくなって、ママのおっぱいが恋しくなったんだろ? べそかきながら城へ逃げ帰った。違うか?」

「……」

「情けねえ王子様だぜ。百五十点の首席合格だ? どうせ試験官のケツでも舐めて点をもらったんだろうよ」


 マクシミリアンの右手の指先が、わずかに内側へ曲がった。

 握り込まれることはなかった。

 握らせなかったのだ。本人が。


 今は聞く時間だ。

 感情は、仕事の邪魔になる。

 彼は自分にそう言い聞かせた。

 言い聞かせなければならないこと自体が、この男には珍しかった。


 だが外套の男は止まらなかった。

 口の軽い男は、たいてい自分の墓穴の深さを知らない。


「兄貴も兄貴だ。弟に尻拭いしてもらった挙げ句、王位を譲るだの何だの」

「……」

「王家ってのは、揃いも揃って脳みそが腐ってやがんのか?」


 マクシミリアンの顔から、表情というものが消えた。


 消えた、としか言いようがなかった。

 怒りに歪んだのではない。

 もともと少なかった感情の色が、最後の一滴まで抜け落ちた。

 残ったのは、よくできた蝋細工のような顔だけだった。


 まばたきが止まった。


 路地の温度が、一度下がった気がした。

 壁際で残飯を漁っていた鼠が、ぴたりと動きを止め、物陰へ消えた。

 半グレの一人が、なぜか自分の腕をさすった。

 別の一人は、握っていた刃物の柄が汗で滑ることに気づいた。

 誰も理由を言葉にできなかった。

 ただ、何かがまずいということだけを、獣の部分が嗅ぎ取っていた。


 外套の男だけが、気づかなかった。

 自分より強いものに出会ったことのない獣は、鼻が鈍い。


「まあ、弟の方は頭ん中に馬の糞でも詰まって――」

「黙りなさい」


 声は大きくなかった。

 むしろ、それまでで一番小さかった。


 怒鳴る男は怖くない。

 怒鳴っているうちは、まだ相手と話をする気がある。

 本当に怖いのは、声を落とす男だ。


「……あ?」

「その薄汚い口を、閉じなさい」


 丁寧な言葉だった。

 丁寧すぎて、一語ごとに刃物を研ぐ音がした。


 男が眉をひそめた。

 マクシミリアンは、ゆっくりと顔を上げた。


「これ以上、我が主を侮辱することは許しません」

「何だと」

「もう一言でも殿下を愚弄すれば――」


 間があった。

 時計の針が一つ進むだけの間が。


「殺します」


 脅しの響きはなかった。

 明日の予定を読み上げるような口調だった。

 だからこそ、それが脅しではないと、路地にいた全員が理解した。


 ただ一人を除いて。


 外套の男は、腹を抱えて笑い出した。


「ガハハハハッ! 殺す!? 人間の従者風情が、この俺を!?」


 マクシミリアンは動かなかった。

 笑い声が、彼の上を素通りしていく。

 岩に当たって砕ける波のように。


「主人が腰抜けなら、犬まで頭がイカれてるらしいな! あんなクソ漏らしの役立たず王子、城で布団かぶって震えてりゃいいんだよ! どうせ今頃、乳母の膝で指でもしゃぶって――」


 空気が、短く鳴った。


「……え?」


 笑い声が途切れた。

 口元に、妙な涼しさがあった。


 一拍遅れて、顎の下から唇にかけて赤い線が走った。

 口の端の肉が石畳に落ち、血が糸を引いて垂れた。


「ぐ……が……っ」


 男はよろめいた。

 何が起きたのか、まだ分かっていない顔だった。


 マクシミリアンの右手には、いつの間にか刀が一振り握られていた。

 妖刀《焔》。

 いつ抜いたのか、見た者は一人もいない。


「警告はしました」


 天気の話でもするような声だった。

 ただ、その目は、もう男を人として見ていなかった。


「ぎ……ぎざまぁぁぁ!!」


 男の身体から、黒い魔力が噴き上がった。


 それは煙ではなかった。圧だった。

 路地の両側の壁に、蜘蛛の巣のようなひびが走る。

 軒先の瓶が、触れられもしないまま次々と砕けた。

 半グレどもは立っていられず、膝から石畳に崩れ落ちた。

 息ができない。

 空気そのものが、鉛に変わったようだった。


 その中心で、男の皮膚が乾いた泥のようにひび割れていく。

 背中が盛り上がり、骨の軋む音とともに両腕が伸びる。

 指先から、短剣ほどもある鉤爪が突き出した。

 外套が内側から裂け、人間の皮の下に隠していたものが姿を現した。


 魔族だった。


 背丈は倍に膨れ上がり、頭が二階の窓に届いた。

 裂けた口から血を垂らしながら、それは天に向かって吠えた。


「ごろじでやる……! 人間風情がぁぁぁ!!」


 咆哮だけで、路地の奥の窓硝子が一枚残らず弾け飛んだ。


「ま、魔族……」

「こ、こんな化け物が……」


 半グレどもが、這いつくばったまま後ずさる。

 誰かが泣いていた。

 大の男が、子供のように。


 その圧の中で、マクシミリアンだけが立っていた。


 足は一歩も退いていない。

 背筋は定規で引いたように真っ直ぐなまま。

 従者服の裾が、魔力の風に煽られて静かにはためいている。

 それだけだった。


「……やはり、魔族でしたか」


 声の調子は、さっきと何も変わらなかった。

 嵐の真ん中で、天気予報を読み上げるように。


 驚きはなかった。

 あったのは、別のものだ。

 とうに沸点を越え、もう湯気さえ立たなくなった怒りだった。

 煮えたぎる段階を過ぎた怒りは、氷に似る。

 冷たく、硬く、何も通さない。


 マクシミリアンは、一度だけ、ゆっくりと息を吐いた。

 それが、この男が見せた唯一の感情だった。


「殺すぅぅぅ!!」


 魔族が動いた。


 巨体に似合わない速さだった。

 右の鉤爪が、空気を裂いて横薙ぎに走る。

 石壁が豆腐のように抉れ、瓦礫が飛び散った。


 マクシミリアンは、そこにいなかった。


 半歩。

 ほんの半歩、身体をずらしただけだった。

 鉤爪は彼の鼻先を通り過ぎ、前髪を一本も揺らさなかった。


 左。

 右。

 上から。

 下から。

 魔族の爪が、雨のように降り注ぐ。

 一撃ごとに石畳が割れ、壁が崩れ、路地が少しずつ形を失っていく。


 その嵐の中を、マクシミリアンは歩いていた。


 避けているようには見えなかった。

 ただ散歩をしていたら、たまたま爪のほうが彼を避けていった。

 そうとしか見えない歩き方だった。

 一歩。また一歩。

 魔族との距離が、静かに詰まっていく。


「な……なぜ当だらねえ……!」


 魔族の声に、初めて別の色が混じった。

 恐怖という色が。


「おどなじぐ、ぢねぇぇぇ!!」


 魔族が両腕を突き出した。

 掌の間に、黒い魔力が渦を巻いて凝縮していく。

 路地中の影が、そこへ吸い込まれるように集まった。

 小さな屋敷ひとつなら、跡形もなく消し飛ばせる量だった。


 放たれた。


 黒い奔流が、路地を呑み込みながらマクシミリアンへ迫る。


 マクシミリアンは、刀を一度だけ振った。


 縦に。

 上から下へ。

 それだけだった。


 黒い奔流が、真ん中から二つに割れた。


 割れた魔力は彼の左右を虚しく通り過ぎ、背後の壁に二つの大穴を穿った。

 マクシミリアンの立っている場所だけが、何事もなかったように静かだった。

 従者服には、埃ひとつついていなかった。


「……ば、か、な」


 魔族の口から、それだけが漏れた。


 自分の全力が、果物でも切るように両断された。

 その事実を、魔族の頭はまだ呑み込めずにいた。


 マクシミリアンが、また一歩踏み出した。


「魔族風情が」


 もう一歩。


「我が主を、あれほど愚弄するとは」


 魔族が、後ずさった。

 倍の背丈を持つ化け物が、細身の従者一人から逃げようとしていた。


「く、来るな……来るなぁぁぁ!!」


 最後の一撃だった。

 両腕の鉤爪を交差させ、渾身の力で振り下ろす。


 マクシミリアンの姿が消えた。


 次に現れたのは、魔族の背後だった。

 背中合わせに。

 まるで、ただすれ違っただけのように。


 黒い剣閃が、遅れて路地に浮かび上がった。


 一本ではなかった。

 十本。二十本。

 夜空に引かれた流星の軌跡のように、無数の線が魔族の巨体の上で交差していた。

 誰も、刀が振られるところを見ていない。

 見えなかったのではない。

 見る暇が、なかったのだ。


「……あ?」


 魔族が、間の抜けた声を出した。


 振り下ろしたはずの両腕が、なかった。

 肘から先が、くるくると回りながら高く宙を舞っていた。

 陽の光の中で、二本の腕がゆっくりと弧を描く。

 まるで、誰かが投げ上げた花束のように。


 それが、魔族の見た最後の景色だった。


 首が、静かに胴を離れた。

 巨体が、刻まれた線に沿って崩れていく。

 音もなく。

 積み木の塔が、自分の重さを思い出したように。


 宙を舞っていた腕が、ようやく石畳に落ちた。

 鈍い音が二つ。

 それで終わりだった。


 マクシミリアンは、振り返らなかった。


 刀を一振りして血を払う。

 黒い刀身には、もう一滴の血も残っていなかった。

 《焔》を袖の内へ収める。

 手品の種明かしをしない手品師のように、何事もなかった顔で。


 従者服には、返り血ひとつついていなかった。

 襟の角度も、袖口の折り目も、路地に現れた時と寸分違わない。


 息も、乱れていなかった。


 沈黙。


 半グレどもは、誰一人動けなかった。

 自分たちに首輪をつけていた化け物が、瞬きひとつの間に崩れ落ちたのだ。


「……う、嘘だろ」

「あの魔族が……」

「ば、化け物だ……」


 誰かの踵が、じり、と下がった。

 その音に、マクシミリアンがゆっくりと振り返った。


「さて」


 十人分の肩が、同時に跳ねた。


 端正な顔。

 乱れひとつない従者服。

 何も映さない目。

 路地に現れた時と、何ひとつ変わっていない。


 ただ一つ。

 彼らを見る目つきだけが違っていた。

 肉屋が、吊るした肉を眺める時の目だった。


「それでは、お話はあなた方から伺うことにいたしましょう」

「……ひっ」

「手短にお願いいたします。殿下がお目覚めになる前に、戻らねばなりませんので」


 半グレどもの顔から、血の気が引いていった。

 逃げ出す者はいなかった。

 悲鳴を上げる者もいなかった。

 逃げても無駄だと、身体のほうが先に理解していた。


 マクシミリアンが、一歩踏み出した。


 それだけで十分だった。

 路地の空気が、もう一度凍りついた。



◆作者からのお願い◆


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