第52章 ミルク・ネクサス(暗躍の変態組織、本格稼働)
その夜。
王城地下――。
使われなくなったカビ臭い旧財務資料庫の、さらに最奥。
人知れず、怪しげな明かりが一室だけぽつんと灯っていた。
鉄の扉の上には小さな銀板。
そこには、無駄にカッコをつけた厨二病丸出しの字体でこう刻まれていた。
――【ミルク・ネクサス(牛乳の絆)】。
この秘密組織の正式名称は――。
『ルクレインを王にする会』
―― Make It Luclein King.
頭文字を取って――『M・I・L・K』。
そのまま読んで――通称、【ミルク】。
そして、このミルクの本部こそが、この地下室である。
何を隠そう、この狂気の変態組織を立ち上げた張本人こそ、第一王子リクターその人であった。
当然、組織名を発案したのも本人である。
それゆえリクターは、「ミルク」という可愛らしすぎる呼び名にも、組織そのものの世界観にも、妙なほど熱苦しいこだわりを持っていた。
創設当初など、「秘密結社たるもの、顔を隠して黒の誓いを立てるべきだ!」と言い出し、わざわざ額に赤の刺繍でデカデカと『M』の字を入れた不気味な黒覆面まで自作して持ち込んできたほどである。
絶望的にセンスが死んでいた。
「不要です」
マクシミリアンが氷のような声でコンマ0秒の即答をした。
「私も遠慮しておきます」
財務卿モスも引きつった顔で続いた。
「…………そうか」
リクターは心底がっかりした顔をした。
結局、最初の数回の会合だけは、リクター一人がその『M覆面』を頭からすっぽり被って、真面目に議題を進行させていたのだ。
「殿下」
「何だ」
「私たち全員、殿下の顔を穴があくほど知っております」
「……雰囲気の問題だ」
「蒸れてそうで気持ち悪いので外してください」
「…………分かった」
それでもリクターの覆面への執着は捨てきれず、今もこの部屋の棚の奥に大事に保管されている。
さらに、覆面の次にリクターが持ち込んだのが『コードネーム(暗号名)』であった。
「暗闇に蠢く秘密結社の構成員は、互いをコードネームで呼び合うのが男子のロマンだ!」というのがリクターの熱弁であった。
これもリクターが勝手に一人で決めた。
リクターのコードネームは――《ダイヤ》。
理由:『一番硬くて、一番美しく輝くから』だそうだ。痛すぎる。
モスのコードネームは――《ホーク》。
マクシミリアンのコードネームは――《ダークネス》。
だが、モスとマクシミリアンは、今日に至るまで一度たりともその名を口にしたことがない。
理由は単純。「最高に面倒くさいから」である。
今でも律儀に「ダイヤだ」とノリノリでコードネームを使っているのは、リクターただ一人であった。
もちろん――当のルクレイン本人は、自分を王に担ぎ上げるために裏でこんな激ヤバ組織が結成されていることなど、夢にも思っていない。
*
その夜も、王国の中枢を陰で牛耳る狂気の三人が円卓を囲んでいた。
第一王子、リクター(※重度の弟コンプレックス)。
第二王子付き従者、マクシミリアン(※重度の変態M&殺戮マシーン)。
そして、王国の財務卿――モス・グランフェル(※金と数字の鬼悪魔)。
モスは四十代半ば。
背は控えめだが、しっかりと肥えた恰幅のいい体つき。
ロマンスグレーの髪に、知的な金縁眼鏡。その奥には、相手の隠し口座の残高まで見透かすような冷酷で鋭い目が光っている。
太い指には自家の家紋を刻んだ大粒ルビーの指輪。財務卿というお堅い肩書きに反し、どこか裏社会のボスのような荒々しいオーラを纏う男だった。
だが、その仕事の精度は完璧を極めていた。
数字。帳簿。税率。裏の資金洗浄。
金に関する能力において、この男の右に出る者は王国に存在しない。
一度目をつけられれば、隠し財産も、二重帳簿も、他国へ迂回させた裏金も、容赦なく根こそぎ掘り出されて没収される。有力貴族たちにとって、王国中枢で「最も絶対に敵へ回したくない悪魔」の一人であった。
そんな金の亡者であるモスもまた、ルクレインを異常なまでに高く評価していた。
以前から第二王子の「表に出さない底知れぬ才覚」に目をつけていたが、あの災害で見せた常識外れの決断力と、側妃を巡る陰謀を一瞬で粉砕してみせた超絶な手腕。
判断力。胆力。圧倒的実行力。
この王子こそが、この王国を未来へ導く唯一無二の至高の存在――!
数字と事実しか信じない冷血漢のモスが、ルクレインに関してだけは、宗教的な信者並みの確信を抱いていたのだ。
リクターがビシッと姿勢を正した。
「では、第十二回定例会合を始める! 議長は《ダイヤ》が務める!」
「毎回リクター殿下じゃないですか」
「《ダイヤ》だと言っているだろう!」
モスは完全に聞き流した。
この会合には、リクターが定めた「絶対に行わなければならない開会の儀式」が存在する。
「我らの至高の目的は――!」
「「第二王子ルクレイン殿下を、次代の王へ」」
マクシミリアンとモスが、死んだ目で揃えて唱和する。
「我らが秘密組織の名は――!」
「ミルク」
「牛乳」
ピキッ。リクターがモスを激しく睨みつけた。
「……何だ、その『牛乳』というのは。不敬だぞ、ホーク」
「リクター殿下。意味はまったく同じです」
「《ダイヤ》だ! それに『ミルク』だ! 響きの格好良さがまるで違う!」
「ミルク(牛乳)です」
「ミルクだと言っている!」
マクシミリアンが真顔で冷たく割って入った。
「正式名称はミルクです。訂正をお願いします、モス殿」
モスは心底面倒くさそうに「はぁ……」と深いため息を吐いた。
「はいはい、ミルクですね。これで満足ですか」
「うむ、良し!」
いつもの不毛な儀式を終え、ようやく本題へと入った。
「《ダークネス》、報告を」
「はい」
マクシミリアンは一切の表情を変えずに応じた。
「本日、ルクレイン殿下を尾行・監視していた不審者どもを確認いたしました」
「何!? 尾行だと!?」
「はい。スラムの半グレどもが十名ほど。アカデミアの正門から王城へ至るまで、網の目のように張りついておりました」
「目的は何だ!」
「殿下の日常のご動向の監視です。なお、学院の内部にも多数の協力者が紛れ込んでいる模様」
リクターの眉間に、深い皺が刻まれた。
「……学院内部にまで手を伸ばしているか」
「はい。入学初日の食堂における『二人のヒロインとの修羅場』の一部始終まで、完璧に筒抜けになっておりました」
「現場で指揮を執っていた元締めは誰だ!」
「おりました。人間の皮を被った……魔族です」
円卓の空気が、一瞬で重く張り詰めた。
「……捕らえたのだろうな? 《ダークネス》」
リクターが嫌な予感を全身で覚えながら問い詰める。
「いいえ」
「なに?」
「斬り捨てました」
「やっぱりぃぃぃッ!!」
「第二王子殿下を『クソ漏らしの役立たず王子』と愚弄いたしましたので、即座に四肢をバラバラにして排除いたしました」
「ルクレインを愚弄だと……!? うん、それなら当然だな! 首を刎ねて正解だ!」
リクターは「うむ!」と深く深く頷いた。
「はい」
「当然ではありません!!」
モスがバンッと円卓を叩いて割り込んだ!
「リクター殿下!」
「《ダイヤ》だ!」
「お二人とも、思考が筋肉と暴力に偏りすぎて雑すぎます!!」
「「…………」」
「頭は生かして拷問室へ連れてくる! 手下の一人はわざと逃がして尾行する! それが暗躍の鉄則でしょうが!」
「連れてきてどうするのだ」
モスがフッと口の端を凶悪に吊り上げ、金縁眼鏡を光らせた。
「爪を全部剥いで、口に腐食薬でも流し込んでやれば、魔族だろうと三秒で裏の雇用主を吐きますよ。逃がした方は後ろからコッソリ追って、アジトごと爆破して証拠ごとまとめて潰す。それだけのことです」
「……お前、俺より怖くないか?」
「効率的な作業の話です」
「なるほど、理にかなっていますね」
「《ダークネス》、お前まで納得するな!」
「次回からは、手首を斬り落としてから連行するようにいたします」
「だから斬る前に一瞬だけ頭を使ってください!」
「努力します」
「努力なんですね……」
モスは頭が痛そうにこめかみを押さえ、マクシミリアンを睨んだ。
「で、手下の半グレどもはどうした?」
「私のアジトで、徹底的に肉体的な痛めつけを行いました。ですが、ただの下っ端。上の情報は何も知りませんでした。ただし、全員が共通してこの金属札を所持しておりました」
コツン、と小さな漆黒の金属札が円卓の上に滑らされた。
そこには、不気味な星の紋章が刻まれている。
「……『シリウス商会』か」
モスの声が、急激に低く冷たいものへと変化した。
「知っているのか、《ホーク》」
「モスです」
「《ホーク》!」
「面倒なのでモスとお呼びください」
「……雰囲気の問題だ」
「雰囲気で王国の帳簿は合いません」
「…………」
リクターはぐぬぬと口をつぐんだ。
「で、知っているのか」
「ええ。実は少し前から、私が個人的に内偵を掘り進めていた組織です」
「何だと?」
「ここ半年で、王国内で異常なまでのスピードで勢力を拡大させている巨大商会です。穀物、鉱石、魔石、薬品、運送、闇融資……金になるものなら何でも手を出している」
「表向きは、至極まともな巨大商会に見えるが」
「ええ、表向きだけは」
「裏は?」
「大規模な密輸、盗品の資金洗浄、暗殺や人身売買などの闇仕事の斡旋」
「…………」
「それだけではありません」
モスが太い指先で金属札をトントンと叩いた。
「ここ半年ほどで、王都のスラム街から長年続いていた縄張り争いがピタリと消えました」
「ほう、治安が良くなったのなら結構なことではないか」
「誰かが暴力と金で一元管理したからです。バラバラだった悪党どもが、急に行儀よく一方向を向き始めた。金の流れを徹底的に洗ったところ、出どころはすべてこの『シリウス商会』でした」
「……確かに、雑魚にしては統率の取れた動きでした」
マクシミリアンが冷徹に補足する。
「しかも最近は、その暴力を背景に、表の健全な商売にまで強引に割り込んできています」
「表の商売にまで?」
「言うことを聞かない老舗商会の倉庫が理由もなく不審火で全焼する。荷馬車が山賊に襲われる。長年の取引先が、ある日突然『シリウス商会に乗り換える』と言って手を引く」
「…………」
「抗議した商人の家族が、ある日突然消えることもある」
「……それ、もう商会じゃなくてただの巨大犯罪組織だろ」
「だからタチが悪いのです」
「すぐに国家権力で押し潰せんのか!?」
「潰せますよ」
モスが不敵な笑みを深めた。
「ただし――すぐには、無理ですね」
「なぜだ!?」
「根が深く張りすぎました。地方の領地では、物資の流通も融資も、ほとんどあそこに牛耳られている地域すら存在する」
「王国の中枢にまで喰い込んでいるというのか……!」
「それだけではありません」
モスが円卓の上に大きな王国地図をバサッと広げた。
「王国の有力貴族たちにも、相当な額の『闇融資』を行っています」
リクターの瞳の光が変わった。
「……政治への干渉か」
「ええ。多額の借金で首根っこを押さえつければ、議会での貴族たちの票も発言も、裏から思いのままに操作できる」
「どこまでの家に入り込んでいる!?」
「それを、今から私の財務網で徹底的に洗い出します」
「いや」
リクターが力強く遮った。
「そこは、第一王子である俺の役目だ」
モスが眼鏡の奥の目を丸くする。
「俺の派閥をフルに使う。金を借りている愚か者、商会と繋がっている裏切り者、王城内でコソコソ動いている鼠。俺がすべて洗い出す」
「必要となれば?」
「俺が直接、物理と権力で『お話し』をしてやる」
モスは満足そうに口元を緩め、頷いた。
「素晴らしい。では、貴族側の炙り出しはリクター殿下に」
「《ダイヤ》だ。商会の金の追跡は《ホーク》だな」
「モスです」
「《ダイヤ》だ!」
「モスです」
「現場の排除は《ダークネス》」
「承知いたしました」
マクシミリアンだけが、呼吸をするように淡々と応じた。さらに続ける。
「必要とあれば、私のコネで暗殺・情報組織『夜行』も投入いたしましょう」
「動かせるのか、あれを!?」
「精鋭一部であれば。諜報、潜入、抹殺。その程度なら即座に動かせます」
「よし、使え! 使えるものは何でも使え!」
モスが金縁眼鏡をくいっと押し上げた。
「第一王子の最大派閥、王国財務網、そして暗殺組織『夜行』……」
「こうして並べ立てると、我々……随分と物騒な組織ですね」
「今さら何を言っている」
「牛乳のくせに」
「『ミルク』だ!!」
「はいはい」
リクターが黒い金属札を凝視する。
「で……この『シリウス商会』のトップは誰なんだ?」
「表向きは、ミームという男が代表を務めていることになっています」
「表向き?」
「ええ。ですが私の裏帳簿の分析では違います。ミームはただの飾り、トカゲのしっぽです。金の最終着地点は、ミームの手元を素通りして『さらに奥』へ流れている。……もっとも、看板を任される以上、ただの捨て駒とも思えませんがね」
「なら……真のトップ、黒幕は誰なのだ!?」
モスが一枚の極秘紙片を円卓の中央へトンと置いた。
そこに記されていたのは、ただ一つの異名。
―― 『ドン・シリウス』
「ドン・シリウス……」
「商会の最高幹部ですら、そう呼んでいるだけの正体不明の存在です」
「本名は?」
「不明」
「容姿・顔は?」
「不明」
「出身地は?」
「不明」
「年齢は?」
「不明」
「……一体、何が分かっているんだ!?」
「この異名だけです」
「それ、何一つ分かってないと言うのではないか!?」
「言いますね」
「…………」
リクターは頭を抱えた。
「ですが、資金の足跡は追えます。隠し倉庫も、裏取引先も」
モスの目が、獲物を狙う肉食獣のように鋭く光る。
「ただ……その『ドン・シリウス』という影だけが、一切姿を見せない」
「フフッ……面白いですね」
マクシミリアンが、ポツリと美しく呟いた。
「頼むから『今すぐ首を斬りに行きたくてたまらない』という顔をしないでくれ、《ダークネス》」
「しておりません」
「している! 白目を剥いて、袖から焔を出しかけているではないか!」
「いつもの平常心ですが」
「それが一番怖いんだよ!」
リクターはマクシミリアンを力強く見つめた。
「《ダークネス》。何があろうと、絶対にルクレインを守り抜け!」
「無論でございます」
「相手が何者であろうとだ!」
「はい」
「貴族であろうと、巨大商会であろうと、魔族であろうと!」
「承知しております」
「権力も使え! 金も使え! 王家の財を惜しむ必要は1ミリもない!」
リクターがモスへ向く。
「大丈夫だな、《ホーク》!」
「モスです」
「……大丈夫だな、モス!」
「誰にお尋ねですか、リクター殿下」
「《ダイヤ》だ!!」
「私はこの王国の金を牛耳る財務卿ですよ?」
「……分かった」
「裏金の工面なら、いくらでもお任せを」
モスは手元の機密資料を素早くまとめた。
「では、こちらの『牛乳』の方にも、潤沢に裏金を流しておきますね」
「『ミルク』だ!!」
「はいはい」
「それから、牛乳箱ではなく【ミルク・ネクサス】だ!!」
「まだ何も言ってませんよ」
「どうせ後で『牛乳箱』と呼ぶつもりだったろうが!」
「よくお分かりで」
「組織名称は正確にお願いします」
「《ダークネス》、お前までそっちに乗るなッ!!」
「正式名称ですので」
モスは呆れたように息を吐いた。
「……この王子と元暗殺者のコンビ、本当に面倒くさいですね」
だが――金縁眼鏡の奥で、モスの鋭い瞳はすでに次の獲物を冷酷に見据えていた。
『ドン・シリウス』。
『シリウス商会』。
そして、我らが至高の主――第二王子ルクレイン。
「さて……」
モスが邪悪なまでの笑みを深めた。
「誰がうちの大将にちょっかいかけようとしているのか……」
太い指が、紙片の『ドン・シリウス』の名をトントンと強く叩いた。
「たっぷり後悔させてあげましょう」
◆作者からのお願い◆
自分で書いていて、本当におもしろいのかどうか迷っています。
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