第47章 新入生代表挨拶
「……あー、マジで行きたくねえ……」
*
バリオン王立アカデミア、大講堂。
天井が高く、ステンドグラスから美しい光が差し込む荘厳な空間に、数百人の新入生と教職員、そして上級生たちが集結していた。
何列もの椅子が整然と並べられ、すでに大勢の新入生が着席している。
貴族も平民も、騎士科も魔法科も普通科も。
期待と緊張の入り混じった表情で、式の開始を待っていた。
新入生席の最前列中央には、首席合格者のための席が用意されている。
そのすぐ隣には、次席(100点満点)のロザリア・リンデールが当然のように座っていた。
――だが、当のルクレインは、その最前列の席を綺麗さっぱりブッチしていた。
ルクレインは講堂の入口で、警戒モード全開の目(※死んだ魚のような目)で講堂内を見回していた。
(……どこがいいかな)
なるべく目立たない場所。
人の視線が集まらない場所。
そして何より――あのヤンデレ公爵令嬢ロザリアから極限まで物理距離をとれる場所!
その時、最前列に見覚えのある美しすぎる金髪が視界に入った。
(……げぇぇぇっ!?)
ロザリアだった。
最前列の超目立つ席に鎮座し、キョロキョロと首を激しく振って周囲を見回している。
明らかに『ルクレイン様捕獲モード』のレーダーを稼働させているご様子であった。
(……俺を探してんな絶対。ここで捕まったら終わる……!)
ルクレインは素早くスササッと顔を伏せた。
(勘弁してくれよ。ここでキャッチされたら速攻で隣に座らされて晒し者だ!)
ロザリアのヤンデレセンサーがこちらを感知する前に、ルクレインは気配を殺して講堂の最後列へ高速移動。
その一番端っこ。
壁際の、ひときわ目立たない影になった席へ「ぬるり」と滑り込んだ。
(……よしっ!! 勝った!!)
ルクレインは椅子へ深く深く腰を沈めた。
マクシミリアンは従者用の控え場所へ姿を消し、腰元には短剣姿の老害聖剣アークがガチャガチャとぶら下がっている。
だが、今日の入学式には、一つだけ絶対に避けられない地獄のミッションがあった。
新入生代表の挨拶。
あのふざけ倒した答案に『150点(特別神聖加点)』という意味不明すぎる頭の悪い点数をつけられてしまった結果、首席合格者として壇上で挨拶することが確定していたのだ。
(……ったく、余計な仕事増やしやがって、あのクソ教授どもが……!)
だが、ルクレインにも起死回生の絶対防衛案があった。
(挨拶の瞬間までは徹底的に気配を消す! 挨拶も短く適当に一言で済ませて、光の速さで逃げ切る! これだ!!)
ルクレインは猫背で背中を盛大に丸め、さらに椅子へズルズルと深く沈み込んだ。
(俺はいない……俺はいない……影だ……概念だ……)
そして、周りに聞こえるか聞こえないかの不気味な音量で、呪文のようにブツブツと呟き始めた。
「俺は椅子……俺は椅子……ただの木材……」
隣に偶然座っていた男子生徒が、ひっと息をのんで横を見た。
「……?」
「俺は壁……俺は壁……ただの漆喰……」
(……何だこいつ、ヤバい奴のレベル超えてるぞ……!?)
ルクレインは至って本気(真剣)だった。
目を半開きにし、呼吸を浅くし、前世で培った「気配遮断(陰キャの極意)」で存在感を極限までゼロへ近づけようとしている。
「俺は床……俺は床……踏まれるだけの板切れ……」
(いや、床って何だよ!? 概念飛躍しすぎだろ!!)
男子生徒は、引きつった顔でそっと身体を反対側へ限界まで寄せた。
だが、集中モードのルクレインは1ミリも気づかない。
「俺は空気……誰の目にも見えない無害な窒素と酸素……」
(……助けてくれ、とんでもない激ヤバ物件が隣に座っちまったよぉぉぉッ!)
男子生徒は震えながら前を向いた。
絶対に目を合わせてはいけない。
話しかけたら呪われる。
野生の直感がそう激しく警鐘を鳴らしていた。
やがて、入学式が厳かに始まった。
学院長の長々とした式辞。
来賓の退屈な祝辞。
新入生への熱血な激励。
講堂内にピンと張り詰めた雰囲気が満ちる中、式は滞りなく進行していく。
「――続きまして、新入生代表の挨拶です」
司会の教師の声が、大講堂全体に朗々と響き渡った。
「新入生代表、ルクレイン・アステリア君!」
その名前が呼ばれた瞬間!
最前列にいたロザリアが、パッと花が咲いたように顔を跳ね上げた!
新入生たちも、「おおっ!」と一斉に前方の席へ視線を集中させる。
当然、代表者など最前列の中央にドカンと座っているものだと思い込んでいたのだ。
だが――誰も立ち上がらない。
「……あれ?」
「どこだ……?」
静かな講堂に、ザワ……ザワ……と戸惑いの声が広がっていく。
司会の教師が冷や汗を流しながら、もう一度マイクへ向かった。
「……えー、ルクレイン・アステリア君?」
その時であった。
「……あーい」
講堂の最深部、一番後ろの壁際から、驚くほど緊張感ゼロのダラけた返事が響いた。
「……え?」
ルクレインの隣で必死に目を逸らしていた男子生徒が、ガタッと横を見た。
さっきまで「俺は床……俺は空気……」と呪詛を唱えていた怪しい男が、ポケットに手を突っ込んだまま、ひょいと適当に手を挙げていたのだ。
(……え????)
そして。
「よっこらせ、っと」
面倒くさそうに、重い腰を上げた。
(……は?????)
男子生徒の口が、アゴが外れるほど全開に開いた。
(チョ、待て待て待て!!! 今呼ばれた名前って……ルクレイン・アステリア……!?)
あの第二王子!?
黒の迷宮を制し、魔族を単身撃滅し、入学試験で『150点』という前代未聞の爆絶スコアを叩き出した、伝説の超・天才王子……!?
それが……こいつ!?
さっきまで床になりきろうとしてた、この寝癖ボサボサの不審者!???
男子生徒の顔面から、スッと血の気が引いた。
その間にも、前方にいた数百人の新入生たちが「え?」「後ろ?」とガタガタと振り返っていく。
「……後ろから返事が……?」
「おい見ろよ、あんな端っこに……!」
「えっ、あれが第二王子殿下……!?」
講堂の最後列。壁際の隅っこ。
そこに立っていたのは、高級制服をだらしなく着崩し、ネクタイを斜めに曲げ、金髪の寝癖を爆発させた青年だった。
王族らしい気品や威厳など、ミジンコほども存在しない。
「……あれが首席合格者……?」
「嘘だろ……ただの寝起きヤンキーじゃないか……」
「あの姿で150点……!?」
困惑と驚愕のどよめきが激しく広がっていく。
だが、ルクレインは一切お構いなしであった。
(……あー、ダル。マジでめんどくせえ)
のそのそ。だらだら。
まるで休日の昼下がりに、寝起きのままコンビニへアイスを買いに行くかのような圧倒的脱力感あふれる足取りで、中央通路を歩いていく。
最前列のロザリアは、ようやく捉えた愛しい婚約者の姿を、食い入るように見つめていた。
寝癖のついた金髪。
だらしなく着崩した制服。
片手をポケットに突っ込み、気だるそうに歩く、その背中。
(……あぁぁぁ……ッ!!)
その瞬間、ロザリアの頬がポッと一気に艶やかな桜色へ染まり上がった!
(なんて……なんて素晴らしくて素敵なの……ッ!!)
緑の瞳がとろ〜りと熱く潤み出す。
胸の前で両手をぎゅっと固く握りしめ、はぅ……と甘く熱い息が漏れた。
(あの飾らない無造作なお髪……! 形にとらわれないお召し物……! そして、あの周囲を一切気にかけない気だるげな歩み……ッ!)
ロザリアの胸の奥が、激しく高鳴り爆発する!
(王族という立場や形式に少しも囚われず、誰にどう見られようと、ご自分の信念と自由を貫いていらっしゃる……ッ!)
本人はただ、だらだら歩いているだけである。
しかし、限界突破したヤンデレ乙女のフィルターには、まったく別の『神聖な光』として自動変換されていた。
(ああ、ルクレイン様……! どうしてあなたは、そんなにも……そんなにも格好良いのですか……ッ!)
うるうると揺れる瞳には、もはや壇上へ向かうルクレインの姿しか映っていない。
周囲の戸惑うザワつきも。
入学式の重々しい空気も。
すべてが遠い彼方へと吹き飛んでいく。
(好き……っ!!)
胸がきゅーんと狂おしいほど締めつけられる。
(大好きですわぁぁぁッ……ルクレイン様ぁぁぁッ……!!)
とうとう目尻から、感極まった小さな涙の粒までポロリとこぼれ落ちた。
まだ挨拶どころか、一言も喋っていない。
ただガニ股気味に歩いているだけで、この殺傷力である。恐るべき恋するヤンデレ公爵令嬢!
一方、その背中に刺さる異常に熱い視線を感じ取ったルクレインは、ゾクッと鳥肌を立てて顔を反対側へ背けた。
(……やべえッ! ロザリアの奴、絶対こっちをロックオンしてる!!)
ちらりと横目で見れば、最前列でロザリアが頬を真っ赤に染め、今にも泣き出しそうな超濃密な瞳でこちらを凝視している。
(なんで泣きそうになってんだよぉぉぉッ!? 俺、まだ何もしゃべってねえぞ!! 怖いよあの女!!)
ルクレインは死に物狂いで視線をそらした。
(目を合わせたら絶対アカン! 後で確実に捕まって結婚させられる……!)
のそのそと壇上へ向かうルクレイン。
大講堂に集まった数百人の新入生たちの「え……大丈夫かあの人……」という引いた視線。
そして、婚約者ただ一人の、感極まって熱狂する眼差し。
その両極端すぎる視線を浴びながら、ルクレインはやる気ゼロの死んだ顔で演壇の前に立った。
(……よし、速攻で終わらせて速攻で帰るぞ)
目の前には、数百人の新入生たちが、想像の斜め上を行く第二王子の脱力系スタイルに呆然としながら、「一体どんなスピーチをするんだ……?」と固唾を呑んで待っていた。
演台の前に立ったルクレインは、脳内で急速に思考を巡らせていた。
(待てよ……ここで下手に長々と喋ったら、またあの教授どもみたいに勝手に深読みされてドツボにハマるぞ! それが『ゲームの修正力』ってやつだ!)
(負けん! 俺は絶対に運営のシナリオなんかに負けんぞ!!)
(長文は絶対NG! 深読みする隙すら与えない!)
(短く! 薄く! 誰の記憶にも残らない完全な『空気スピーチ』で滑り倒してやる!!)
講堂全体を見渡す。
何百もの困惑した目がこちらを見ていた。
ルクレインはマイク(拡声魔導具)の前で口を開いた。
「まあ……みんなで頑張ろう。以上」
――以上。
言い切るやいなや、ルクレインはくるりと背を向けて壇上を降りようとした。
――静寂。
講堂全体の時が止まった。
誰も拍手しない。静まり返っている。
(よしっ!! やったぁぁぁぁぁッ!!)
ルクレインは心の中でガッツポーズを決めた。
(滑った! 見事に大惨事だ!! 誰もついてこれてねえ!!)
これでいい。誰の心にも残らない。ただの不真面目な一言で終了だ!
――その時であった。
パチ。
静まり返った講堂のどこかから、ぽつんと一つだけ拍手が鳴った。
パチ、パチ。
別の場所からも、それに引かれるように続く。
そして次の瞬間――!
ドドドドドドドドッ!!
「「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーッッッ!!!!」」」」
大講堂全体が、割れんばかりの爆発的拍手と歓声に包まれた!!
「……は?????」
階段を降りかけていたルクレインの足がピタッと止まった。
「聞いたか……!?」
「ああ……“お前ら頑張れ”じゃない……!」
「“みんなで頑張ろう”だ……!」
「王族という最高の身分でありながら、自分だけを上に置くつもりがないんだ……!」
「俺たちと同じ視点、同じ立場に立って一緒に歩もうというメッセージだ……!」
「たった一言……たった一言で俺たちの心を打ち震わせた……!」
「深い……深すぎるぞルクレイン殿下ぁぁぁッ!!」
(深くねええええええええええッ!! 1ミリも深みねえよバカ野郎ども!!!)
教職員席でも、老教授たちが目頭を押さえて熱い声を上げていた!
「なんという洗練……! 無駄な美辞麗句を一切排除した完璧なスピーチだ!」
「新入生代表として、自らの権威を誇示する素振りが1ミリもない!」
「それでいて“みんな”というたった一つの言葉で、身分の壁を超えて全生徒を一つに統合してみせた……!」
「なるほど……これが『150点』の王者の器……!」
(150点関係ねえだろ!! ……ハハ、ハハハ……もうダメだこの学園……)
拍手と歓声は勢いを増し、地鳴りのように講堂を揺らし続ける!
ルクレインは引きつった顔のまま、無言でススス……と壇上を降りた。
『見事な演説だったぞ、我が主よ!』
腰元に下げたアークから、感銘を受けたような声が響く。
「黙れ、三本目ッ!!」
『なぜ怒る!?』
「俺は今! 何も! してねえだろ!!」
『ふっ……あれほど完璧に人心を掌握しておきながら、なお一切驕らぬか……さすがは我が主!』
「そういう勘違いの積み重ねなんだよバカぁぁぁッ!!」
あまりの大声に、近くにいた生徒が「ひえっ!」とビクッと振り返った。
ルクレインは慌てて口を閉じた。
(……ダメだ……俺、もうこの世界で何言っても詰むわ……)
やる気ゼロの「一言スピーチ」すらも、なぜか神聖な名演説へと勝手に変換され、学園全体の熱狂的な尊敬を一身に集めてしまった第二王子。
誰にも注目されず、静かに影薄く二年間を過ごす――。
ルクレインのひきこもり防衛計画は、入学式初日の挨拶だけで、跡形もなく大爆発を起こして崩壊していったのであった!
ついにゲーム対ルクレインの戦いが始まります。
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