第42章 入学試験
第二王子ルクレイン・アステリアにとって、人生最大級の危機が目前まで迫っていた。
「……明日か」
王城の自室。
ベッドの上に大の字で転がり、ルクレインは死んだ魚の目で天井を睨みつけた。
明日は、バリオン王立アカデミアの入学試験だった。
「行きたくねえぇぇぇぇぇッ!! 家から出たくねえええええッ!!」
『うるさいわバカ者! 夜中に叫ぶでない!』
机の上に転がされた短剣姿の聖剣アークが、呆れ果てた声を響かせる。
「だって学園だぞ!? 学園って、いい思い出なんか一個もねえんだよ!!」
『……お主の前世、どんだけ悲惨だったのじゃ』
「うるせえよ! 友達いなかったんだよ! 休み時間は一人! 昼飯も一人! 放課後も一人! ずっとずっとぼっちだったんだよ!!」
『そこだけ妙に真に迫った悲壮感があるの……』
ルクレインはゴロゴロとベッドの上で芋虫のように身悶えした。
それだけでも、学園に行きたくない理由としては十分だった。
しかし、問題はそれだけではない。
ルクレインには、この世界の未来について知っていることがあった。
原作ゲーム『アステリア・クロニクル』。
王族を巡るプロローグ事件が終わると、物語はいよいよメインステージである学園編へ突入する。
そこから先には、面倒な事件や危険な戦いが山ほど待ち受けているのだ。
魔力なし、戦闘スキルもゼロのルクレインにとって、そんな場所へ自分から飛び込むなど正気の沙汰ではなかった。
「つまりだ!」
『何じゃ』
「学園に入らなきゃいいんだよ!」
『……ほう』
「入学さえしなけりゃ、面倒なイベントに巻き込まれることもねえ! 全部まとめて回避できる!」
『ずいぶん単純な話じゃの』
「単純だからいいんだよ!」
ルクレインは勢いよく起き上がった。
「問題は明日の入学試験だ」
バリオン王立アカデミアは、王国随一の名門校。
当然、入学するには厳しい試験がある。
本来なら、その難関を突破するために受験生たちは必死で勉強する。
しかし、ルクレインの目標は真逆だった。
不合格。
何としても落ちること。
ただ、それだけだ。
「でもな、普通に点数を下げるだけじゃ駄目なんだよ」
『なぜじゃ』
「俺、第二王子だぞ? 多少点数が悪いくらいじゃ、忖度で合格させられるかもしれねえ」
『なるほどの』
「だから、絶対に点がつけられないようにしないと駄目なんだ」
『では、白紙で出せばよかろう』
「甘い! 甘すぎるぞ、アーク!」
ルクレインはドヤ顔で人差し指を突きつけた。
「白紙なんかで出したら、体調不良だったとか、何か事情があったとか理由をつけられて、再試験にされるかもしれねえだろ!」
『……そこまで考えておるのか』
「当たり前だ! 俺は本気で落ちたいんだよ!」
ルクレインは腕を組み、悪代官のごとく口角を吊り上げた。
普通に間違えるだけでは駄目。
白紙で出すのも駄目。
第二王子という立場を考えれば、半端な失敗ではアカデミア側に逃げ道を与えてしまう。
必要なのは――誰がどう見ても採点不能・評価不能でありながら、『本人がきちんと回答した』という事実だけは残る、究極の答案!
そして――。
ルクレインには、そのための秘策があった。
「ふふふ……ガハハハハ!」
『なんじゃ、その気味の悪い高笑いは』
「思いついたんだよ……採点官の精神を直接粉砕する、完璧な不合格答案をな!」
『……ろくでもない予感しかしないの』
「明日になれば分かるさ! これで俺の引きこもり生活は安泰だ! 勝ったな!」
『まだ試験会場にすら着いておらんぞ……』
*
翌朝。
バリオン王立アカデミアの正門前には、入学試験を受ける若者たちが続々と集まっていた。
緊張で顔を強張らせる者。
最後まで参考書を読み返す者。
付き添いの家族から激励を受ける者。
誰もが、これから始まる試験に人生を懸けていた。
バリオン王立アカデミアの入学試験は、身分にかかわらず、すべての受験生が受けなければならない。
たとえ王族であっても例外ではない。
ただし、試験会場は貴族と平民で分けられていた。
平民の受験生は一般試験棟へ。
貴族の受験生は、アカデミア中央にある大講堂へ。
第二王子であるルクレインも、当然ながら貴族用の試験会場へ向かわなければならなかった。
(……ったく。めんどくさいな)
そう思いつつも、ルクレインの足取りはスキップでもしそうなほど軽やかだった。
なにしろ。
今日は、人生を懸けて不合格を勝ち取る日なのだ。
(くくく……待ってろよ、俺の自由な引きこもり生活)
にやにやと笑いながら、ルクレインは大講堂の扉をくぐった。
中には、ずらりと机が並べられていた。
すでに多くの貴族の子弟たちが着席している。
皆、表情が硬い。
ある者は目を閉じて精神を集中させ。
ある者は何度も参考書を読み返し。
ある者は震える手で筆記用具を並べ直していた。
広い講堂全体に、張り詰めた緊張感が漂っている。
そんな中。
「ふふっ……」
ルクレインだけが、遠足前の小学生のように笑っていた。
(いやあ、楽しみだなぁ! 早く答案書きてえなぁ!)
その異様な余裕に気づいた貴族の青年が、ガタッと席を立った。
「こ、これはルクレイン殿下! ご機嫌麗しゅうございます!」
「……ども」
ルクレインは片手を胸の高さでひらひらと振り、足も止めずに通り過ぎた。
さらに別の貴族令嬢が、可憐にドレスの裾をつまむ。
「ルクレイン殿下。本日はお目にかかれて光栄でございます♡」
「……ども」
音速でスルー。
二人は「え……?」と口を半開きにして立ち尽くした。
王族としての気品も威厳もミジンコほども感じられない、とことんナメくさった挨拶。
弟のトーマス曰く、「最高にかっこいいすかし」であった。
ルクレインは指定された席に腰を下ろした。
机の上に頬杖をつく。
口元は緩みっぱなし。
今にも鼻歌でも歌い出しそうな様子だった。
当然、周囲の受験生たちも気づく。
「……見たか? あの圧倒的な余裕……!」
「まったく緊張しておられない……!」
「それほどまでに、試験問題など赤子の手をひねるようなものだということか……!?」
「さすがは第一王子殿下をお救いになり、魔族を単身で粉砕なさったという噂の英雄……!」
勝手に評価が天井知らずに跳ね上がっていく。
だが、ルクレインはどこ吹く風。
(そりゃ自信あるよ。絶対に落ちる自信がな!)
やがて、厳格そうな主任試験官が大講堂へ入ってきた。
「静粛に。それでは、これよりバリオン王立アカデミアの入学試験を開始します」
ざわめきが消えた。
受験生たちが一斉に背筋を伸ばす。
答案用紙と問題用紙が配られた。
誰かが、ごくりと唾を飲む音まで聞こえそうな静けさだった。
ただ一人、ルクレインだけは「ヒッヒッヒ」と漏れそうになる笑いを噛み殺していた。
(さあて……見せてやるぜ、俺の『秘策』をよぉ!)
問題用紙を開く。
【第一問:魔法理論における魔力回路の展開式を述べよ】
【第二問:アステリア王国建国史における三大戦術について解説せよ】
【第三問:情報収集術について論述せよ】
ずらりと並ぶ、超高度な設問の数々。
(ふむふむ、なるほどね。じゃあ……予定どおりいくか!)
ルクレインは力強くペンを握りしめた。
さらさらさら。
迷いなく、驚異的な速度で書き始めていく。
一問。
二問。
三問。
周囲では、受験生たちが難問に頭を抱えていた。
眉間に皺を寄せ。
何度も問題文を読み直し。
必死に答えをひねり出している。
だが。
ルクレインだけは違った。
次々と答案を埋めていく。
ほとんど考える必要すらなかった。
むしろ、笑いを堪える方が難しい。
(楽勝! 楽勝すぎる!! くくく……これ採点する奴、絶対『???』ってなって採点ペン叩き折るぞ!!)
やがて、最後の設問まで書き終えた。
ルクレインは答案を見渡した。
(……芸術的だ。完璧すぎる……!)
普通なら、絶対に点数などつけられない。
ましてや、こんな答案を合格させようものなら、試験そのものが笑いものになる。
(王子だからって、これに点をつけられるもんならつけてみろよ)
ルクレインは口元を押さえた。
笑いが止まらない。
ところが。
時計を見ると、試験終了まではまだ随分と時間が残っていた。
(……暇だな)
今さら回答を書き直す気などない。
考えることもない。
しばらく頬杖をついていたが、やがて退屈に耐えきれなくなった。
(まあ、いいか)
ルクレインは再びペンを走らせた。
答案用紙の隅。
そこへ、試験とは何の関係もない落書きを始めたのだ。
さらさら。
(……ふっ)
自分で描いておいて、少し笑った。
これで抜かりなし。
いや。
むしろ、やりすぎなくらいだ。
不合格になるために、ここまで手を尽くした受験生など、おそらく王国史上初めてだろう。
やがて終了の合図が響いた。
「そこまで。筆記用具を置いてください」
受験生たちが、一斉にペンを置いた。
疲れ切った顔。
安堵のため息。
悔しそうに答案を見つめる者。
試験官が答案を回収していく。
ルクレインは、自分の答案がその手に渡るのを見届けた。
(さらば、俺の学園生活)
心の中で手を振る。
そして。
回収が終わると、ルクレインは誰よりも軽い足取りで席を立った。
正門へ向かう途中、受験生たちの会話が耳に入る。
「魔法理論の最後の問題、難しすぎなかったか?」
「あれは無理だろ……」
「王国史もかなり厳しかったぞ」
「俺、落ちたかもしれない……」
ルクレインは思わず口元を緩めた。
(甘いな、お前ら)
彼らは、問題が解けなかったことを心配している。
だが、自分は違う。
最初から、解く気すらなかったのだ。
(お前らとは覚悟が違うんだよ。覚悟が)
何の覚悟なのか。
本人にもよく分からなかった。
やがて、正門が見えてきた。
その向こうには、晴れ渡った青空。
ルクレインは大きく伸びをした。
「くぅぅぅっ! 終わったぁ!」
肩の荷が、一気に下りた気がした。
(あとは合格発表で、不合格を確認するだけ)
どうせ、自分の名前など載っていない。
あの答案なら、万が一にも合格はあり得ない。
王子という立場も。
過去の功績も。
すべてを吹き飛ばす、究極の答案を書いたのだから。
「……勝ったな」
ルクレインはにやりと笑った。
「今度こそ、完全勝利だ」
そう呟いて。
未来の勇者候補は、誰よりも晴れやかな顔で試験会場を後にした。
毎日更新のつもりが、昨日、熱がでて休んでしまいました。
つづけて読んでくださっている方がいたらゴメンなさい。
がんばって、書いていきます!
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