第41章 お茶会
王城の一角。第三王子トーマスの私室では、朝からただならぬ緊迫感が漂っていた。
「オレンジ。もう一回、厳しい目で見ててくれ」
「かしこまりました、殿下」
特大の全身鏡の前。トーマスは至って真剣な顔で両足を大きく開いた。
その少し後ろに立つのは、少女の姿をした侍従――オレンジ。
十三歳。小柄で可憐な少女に見えるが、その正体は、王国の裏社会を統括していた暗部組織|《夜行》から引き抜かれた冷徹な暗殺者である。
現在は第一王子リクターの命により、母ウェンディが謹慎中の今、トーマスを護る「絶対防衛の盾」として侍従役を務めていた。
「いくよ」
「はい。いつでもどうぞ」
トーマスは鏡の中の自分を睨みつける。
「まず、腰を落として……手をこう……!」
両腕を勢いよく前方へ突き出す。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
「それから……もっと激しく!」
ぐるぐるぐるぐる!
そして躍動感いっぱいに、幼い拳を空へ突き上げた!
「ラブリー! ラブリー! ラブリー! GO!!」
「…………」
オレンジは表情ひとつ変えず、無機質な瞳で見つめていた。
「どう……!? 兄上に近づけた!?」
「素晴らしいキレでございます」
「本当!?」
「はい。昨日の舞と比べましても、格段の破壊力を感じます」
「よしっ!!」
トーマスは嬉しそうに小さな拳を握りしめた。
今日は特別な日だった。トーマスが初めて自分で主催するお茶会。
そしてそこには――公爵家の三女、ガーベラ・ガーナベルも招かれていた。
「ガーベラちゃんに、絶対見せるんだ!」
「はい」
「絶対にびっくりして、憧れてくれるよね!?」
「間違いございません。あまりの衝撃に言葉を失われることでしょう」
暗部仕込みの「嘘は吐かないが真実も伝えない」高度な話術である。
「あと、こっちの技も!」
トーマスはくるりと鏡に背を向けた。
身体を少し斜めに捻り、ダルそうに首だけを振り返る。
目を細め、指先をすっと立てて――。
「……ども」
「…………」
「どうかな、これ?」
「お見事です。極限まで他者への関心を削ぎ落とした、素晴らしい『すかし』でございます」
「へへっ!」
トーマスは満足そうに鼻の下を擦った。
この数日、彼は第二王子ルクレインの挙動を狂信的に研究し続けていた。
舞踏会で披露された、あの神聖にして謎めいた戦舞(オタ芸)。
そして、相手が誰であれ「どうでもいい」と突っぱねる、あの圧倒的でかっこいい態度。
六歳のトーマスにとって、今のルクレインは世界の誰よりも輝く「最強の師匠」だった。
「ルク兄上はもっとこう……顎を上げてさ……余裕があるんだよ」
「左様でございますか」
「そうなんだよ。大人ってのは、もっとこう、だるそうにしてる方がかっこいいんだ」
十三歳の元暗殺者が、六歳児から「男の哀愁と美学」を熱弁される。なんとも奇妙な空間が広がっていた。
そこへ、ガチャリと静かに扉が開く。
「殿下」
入ってきたのは、背の高い三十代半ばの男――ドリアン。
オレンジと同じく元|《夜行》の幹部であり、現在はリクターの指示でトーマス付きの侍従長を務めている。
「お茶会の準備が整いました。間もなく皆様がお見えになります」
「ほんと!? よし、行こう!」
トーマスは勢いよく駆け出そうとし――ハッと立ち止まった。
「……待って。普通に歩いたら駄目だ」
ドリアンとオレンジが静かに顔を見合わせる。
トーマスはポケットに手を突っ込み、ガニ股気味に身体を斜めに傾けた。
「兄上なら……もっとこう……『ダルい』感じで歩く……」
すかす。
「……行こうか」
「……お供いたします」
ドリアンは眉ひとつ動かさず一礼した。職務にどこまでも忠実な男であった。
*
王城・南庭園。
真っ白なテーブルクロスがかけられた丸テーブルには、色とりどりの高級菓子に果物、小さなサンドイッチ、そして王家特注の繊細な白磁の茶器が並べられていた。
「第三王子トーマス殿下、ご到着!」
侍従の先触れを受け、すでに到着していた子供たちが一斉に立ち上がる。
招かれたのは、同年代の貴族の子供たち。伯爵家の三男、子爵家の長女、侯爵家の次男など、六歳から八歳ほどの幼子たちだった。
そしてその中に――ガーベラ・ガーナベルの姿もあった。
少し癖のある黒髪に、可愛らしいリボン。
薄桃色のドレスをまとった可憐な姿を見つけた瞬間、トーマスの足がピクッと止まりかけた。
(……っ! か、可愛い……!!)
胸がキュンと跳ね上がるが、トーマスは必死で自分を戒めた。
(ダメだ! ルク兄上なら、こんな時に動揺なんて絶対にしない! すかすんだ……すかすんだ俺!)
トーマスは顔を無理やり引き締め、わざとだるそうに、ゆっくりと進み出た。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。第三王子殿下」
ベルガー伯爵家の三男が、礼儀正しくお辞儀をする。
「ルイス・ベルガーと申します。本日は――」
「……ども」
「……え?」
片手を胸の高さでひらひらと振っただけ。少年が固まる。
「カレラ子爵家長女、ミーナと申します。お会いできて――」
「ども」
「……っ!?」
「ハルベル侯爵家次男、エリオットでございます」
「ども」
「…………」
子供たちがザワつき始めた。
そして、ついにガーベラの番がやってくる。
「ガーナベル公爵家三女、ガーベラ・ガーナベルです。お招きいただき、ありがとうございます……トーマス殿下」
スカートの裾をちょんとつまみ、ぺこりと頭を下げるガーベラ。
(……きた!!)
トーマスの心臓が爆発しそうになる。だが、彼は歯を喰いしばって耐えた。
片手をポケットに突っ込み、身体を斜めにひねり、顎を上へ突き出す。
「……ども」
「……?」
ガーベラが大きな目をパチクリさせ、首を傾げた。
(決まった……!! 完璧にルク兄上の『すかし』が出た……!!)
トーマスは心の中でガッツポーズを決めた。
しかし、周囲の子供たちの顔は青ざめていた。
第三王子といえば、側妃様の厳格な教育を受けた気品あふれる王子様のはず。
なぜ目の前の殿下は、挨拶に「ども」としか返さないのか。どこか体調でも悪いのだろうか。
そんな子供たちの困惑など露知らず、トーマスは手を打った。
「じゃ、座ろうぜ。茶会、始めよう」
「……え? 座ろう『ぜ』……?」
一人の少女が、おそるおそる手を挙げる。
「ト、トーマス殿下……」
「違う」
トーマスは眉をひそめた。
「『殿下』って呼ぶなよ。堅苦しいの嫌いなんだ。今日から俺のことは『トーマス』って呼べ。あと敬語もいらん」
「「「ええええええっ!?」」」
子供たちが悲鳴を上げた。
もちろん、これもすべて「親父もババアも嫌いなんだよ」と言い放ったルクレインの悪口精神(※誤解)の影響であった。
だが、最初にその言葉を受け入れたのは、ガーベラだった。
「……トーマス?」
「……っ!!」
名前を呼ばれ、トーマスの肩が跳ね上がる。
慌てて顔を背け、ポケットに手を突っ込んですかした。
「……お、おう。……ども」
「……???」
ガーベラはまたしても、不思議そうに首を傾げるのだった。
*
お茶会が始まった。
最初はビクビクしていた子供たちだったが、トーマスの態度があまりにも王子らしくない――というより近所のガキ大将そのもの――だったため、徐々に緊張がほぐれていった。
「そのお菓子うまいぞ。食ってみろよ」
「本当? ……あ、おいしい!」
「だろ? それも全部取っていいぞ。食いたいもん食え」
「ありがとう……トーマス!」
「おう」
だんだんと会話が砕け、庭園には楽しげな子供たちの声が響き渡る。
トーマス自身も、すっかり調子に乗っていた。
「お前、それ嫌いなのか? じゃあ俺にくれよ」
「いいの? はい!」
「お前、あれ取ってくれ。……そうそれ」
完全にガキ大将である。
少し離れた木陰では、侍従長のドリアンとオレンジが無言でその光景を見守っていた。
「……殿下は、皆様と非常によく打ち解けておられますね」
オレンジがぽつりと呟く。
「……そうだな。主君としての威厳はゼロだが、敵は作らん」
ドリアンも静かに頷いた。元暗殺者の目から見ても、この異常な親しみやすさは、ある意味で脅威であった。
その時だった。
カシャンッッ!!
乾いた破砕音が、庭園に高く響き渡った。
「「「あっ……!!」」」
一人の少年が手を滑らせ、王家特注の白磁のティーカップを石畳へ落としてしまったのだ。
飛び散る破片。中に残っていた紅茶が盛大に跳ね――トーマスの豪華な上着の胸元を茶色く染め上げた。
「……っ!?」
少年の顔から、一瞬で血の気が引いた。
王家特注の高級茶器を割り、さらに第三王子殿下の衣装まで汚した。
不敬罪すら頭をよぎる大惨事である。
「も、申し訳ございませんっっ!! ぼ、僕……わざとじゃ……っ!!」
少年は半泣きになり、ガタガタと全身を震わせた。周りの子供たちも恐怖で息を呑む。
トーマスは自分の汚れた上着を見下ろした。
(……あ)
そして、思考が巡る。
こんな時……ルク兄上なら、どうする……?
『見る目なかったの、お前じゃん』
『お前の人生だろ。自分で決めろよ』
そう言って、大人たちを圧倒したあの姿――。
「……ふっ」
トーマスは鼻で小さく笑った。
椅子に深々ともたれかかり、足を組む。
「別に」
「……え?」
泣き出しかけていた少年が、呆然と顔を上げた。
「こんなの、大したことねえよ」
トーマスは茶色く染まった上着を、パッパと手で払った。
「服なんか洗えばいいし。カップなんか、また買えばいいだろ。そんなことで泣くなよ」
「……っ! あ……トーマス……っ!」
少年の目が潤み、感動に震えた。
周りの子供たちからも「かっこいい……」「優しい……」と感嘆の吐息が漏れる。
トーマスは顎を上げ、すかした顔を保ったまま、内側から込み上げるドヤ顔を必死に噛み殺していた。
(……勝った!! 今の絶対ルク兄上っぽかった!! 『大したことねえよ』って言った俺、超かっこいい!!)
木陰のオレンジが、静かに深々と頷く。
その無言の絶賛を受け、トーマスの自信とテンションは完全に限界突破した。
「よし……っ!」
トーマスは勢いよく立ち上がった。
「みんな! これから、すごいもの見せてやる!」
「すごいもの……?」
子供たちが一斉にトーマスを見上げる。
トーマスはちらりとガーベラへ視線を向けた。今日のお茶会、最大の目的。
「ガーベラちゃん」
「はい?」
「ちゃんと見ててくれよな!」
「……うん!」
トーマスは庭園の中央へと堂々と進み出た。
深く、深く息を吸い込む。
舞踏会の夜、暗闇の中で輝いた、世界で一番格好いい兄の『戦舞』。
あれを今、自分が完璧に再現してみせる!
「いくぞーーーーッッ!!」
両腕を前へ突き出し、膝を深く折る!
ぐるぐる!
ぐるぐる!
子供たちの目が点になった。
「……? トーマス……何してるの……?」
「腕を回してる……?」
聞こえない! トーマスの耳には何も聞こえていない!
もっと激しく! もっと力強く! ルク兄上のように!!
「うおおおぁぁぁぁぁッッ!!」
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるッッ!!
嵐のような勢いで腕を回し、身体を左右に激しく沈ませる!
そして、すべてのソウルを込めて、幼い拳を空へ突き上げた!!
「ラブリー! ラブリー! ラブリー! GO!!!」
……シーン。
静寂。
心地よい風だけが、庭園の花々を揺らして吹き抜けていった。
子供たちは開いた口が塞がらない。
ガーベラも、大きな目をパチパチさせて固まっている。
だが! まだ決め技が残っている!
トーマスはくるりと背を向けた。
身体を斜めに捻り、首だけをダルそうに振り返る。
目を細め、指先をピッと立てて――。
「……ども」
完全なる沈黙。
誰も一言も発せない。ガーベラも口を半開きにしたままフリーズしている。
その絶対零度の静寂の中――木陰から、一人の少女が静かに手を叩き始めた。
パチ。……パチ。……パチ。
「お見事でございます、殿下。完璧な演武でございました」
「だろ!?」
トーマスは得意満面の笑みを咲かせた!
固まっているガーベラの顔を見つめ、トーマスは確信した。
(……言葉も出ないくらい、感動してる……!!)
完璧だ。
兄上の戦舞(オタ芸)も、兄上のすかしも、全部マスターできた!
六歳の第三王子トーマスは、この日。
人生で一番格好よく決まったと、本気で思っていた。
――後に、このお茶会から「トーマス様の謎の腕回しダンス」が口コミで広まり、幼い貴族の子弟たちの間で『ラブリーダンス』として大流行することを、彼はまだ知る由もなかった。
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