第40章 シリウス商会
王都の大通り。
貴族御用達の商店や老舗の大商会が軒を連ねる一等地に、一際大きな建物があった。
――シリウス商会。
ほんの数年前、突如として王都に現れた新興商会である。
当初は、ほとんど名も知られていない小さな商会にすぎなかった。
だが、そこからの成長は異常なほど早かった。
わずか数年。
それだけの時間で、シリウス商会は王都でも無視できない存在へとのし上がっていた。
しかし。
その急成長が、何によって支えられているのか。
表の人間たちは知らない。
◇
その夜。
王城では、今なお祝勝舞踏会が続いていた。
遠くから楽団の音が聞こえ、王都の街には酒に酔った人々の笑い声が満ちている。
だが。
シリウス商会本店の三階。
最奥にある会長室だけは、異様なほど静まり返っていた。
大きな窓の前に、一人の男が立っている。
二メートルを優に超える巨体。
異常なまでに鍛え上げられた肉体を、光沢のある青黒い上等な衣服が包んでいる。
黒髪は一本の乱れもなく後ろへ撫でつけられ、眉はない。
三白眼。
その瞳孔は、蛇のように細く縦へ裂けている。
男はほとんど瞬きをしなかった。
呼吸している気配さえ薄い。
魔王軍四天王の一角。
シリウス。
そして、この巨大商会の真の主でもあった。
シリウスは窓の外を見下ろしていた。
王都の灯り。
祝勝に沸く人々。
そのすべてを、無表情のまま見つめている。
背後には二人。
一人は、中肉中背の禿頭の男。
額から頬、首筋に至るまで皮膚はたるみ、細かな皺が刻まれている。
そしてなぜか、その肌は常に薄く湿っているように見えた。
シリウス商会の表向きの代表。
ミーム。
その正体は、巨大なミミズの姿を持つ魔族である。
そしてもう一人。
壁際に静かに立つ若い男。
背が高く、整った顔立ち。
口元には薄い笑み。
王都学園の生徒会長――デスクだった。
長い沈黙のあと。
シリウスが低く口を開いた。
「ドラコはもちろんだが――あいつの元には、《顎》のグロガリたちもいたはずだ」
「はい」
「それが、まとめて消えた」
シリウスの指が窓枠へ触れる。
ミシ。
分厚い木が軋んだ。
「王城へ潜り込ませていた者たちも、この数日の間に、ほとんど剥がされた」
何年もかけて。
金を使い。
人を使い。
誰にも気づかれないよう、少しずつ王国の中枢へ根を伸ばしてきた。
フェレリア公爵家。
第一王子の周囲。
王城内部。
一つ。
また一つ。
気づかれぬように駒を置き続けた。
本来なら。
王家が異変に気づいた時には、すでに手遅れになっているはずだった。
それを。
わずか数日で。
「第一王子と第二王子を消す計画も、もっと先だったはずだ」
シリウスがゆっくり振り返る。
「王城内部への侵食をさらに進め、逃げ道も反撃する力も奪ってから始末する。そういう計画だった」
細い瞳がミームを射抜く。
「なのに――なぜこうなった」
シリウスは机の上の報告書へ視線を落とした。
「黒の迷宮。ドラコ。第一王子の救出。王城の浄化」
指先が、一つの名の上で止まる。
「そのすべてに、第二王子ルクレイン・アステリアが関わっている」
沈黙。
「偶然ではない」
低い声が落ちた。
「奴が動き始めてから、すべてがおかしくなった」
そのうえ。
「今は、王城内部の目も耳もほとんど失った」
王家が何を考えているのか。
こちらの存在を、どこまで把握しているのか。
それすら見えない。
「……大きな痛手だ」
その時だった。
「シリウス様」
ミームが、ゆっくりと口元を吊り上げた。
「なんだ」
「そこまで王城にこだわる必要がございましょうか」
シリウスの目が動く。
「第三王子を傀儡にし、その玉座を利用してこの国を乗っ取る」
ミームはゆっくりと両手を広げた。
「確かに悪くない計画でした」
だが。
その声には、どこか自慢げな響きがあった。
「そんな面倒なことをせずとも、国は手に入ります」
「……何?」
「私にお任せください」
ミームは胸へ手を当てた。
「この国の経済を」
にたり。
「すべて、シリウス商会の手に入れてみせましょう」
シリウスは何も言わない。
ミームはそれを許可と受け取ったのか、さらに続けた。
「我々は最初から、この大通りで商売を始めたわけではありません」
窓の外。
華やかな大通りを指す。
「一番下から始めたのです」
「貧民街」
「闇市」
「犯罪組織」
「まともな商人たちが決して触れようとしない金を集めた」
詐欺。
架空取引。
資金洗浄。
裏社会で生まれた汚れた金。
それを何度も別の商取引へ潜らせ。
表で使える金へ変えていった。
「そして、その金で」
ミームの笑みが深くなる。
「表の商会を買いました」
一軒。
また一軒。
粗悪な模造品を大量に安く流す。
正規の商会から客を奪う。
利益を削る。
経営が傾けば、買収する。
断れば。
仕入れを止める。
輸送を止める。
取引先を奪う。
そして。
潰す。
「倉庫も」
「輸送も」
「仕入れ先も」
「少しずつ」
「少しずつ」
ミームは両腕を広げた。
「我々のものにしてきました」
そうして今では、少なからぬ貴族と取引を持ち、中には金を貸している家さえある。
「気がつけば」
ミームが笑った。
「我々自身が、表側になっていた」
シリウスが無言でミームを見る。
ミームは得意げに続ける。
「王が誰であろうと関係ありません」
「第一王子でも」
「第二王子でも」
「第三王子でも」
「この国の商人も」
「商品も」
「輸送も」
「金も」
「すべて我々の手を通らなければ動かないようにしてしまえばいい」
少し間を置く。
「そうなれば」
ミームの口角が上がる。
「この国を支配しているのは、王ではありません」
「我々です」
沈黙。
やがてシリウスが言った。
「……できるのか」
その問いを待っていたかのように。
ミームは胸を張った。
「すでに」
一拍。
「始まっております」
シリウスの目が、ほんのわずかに細くなった。
「政治面からの侵食に時間が必要なのでしたら、その間は、どうぞ私にお任せください」
ミームは深く頭を下げる。
「この国の経済、必ずや、すべて手に入れてみせましょう」
その時。
「デスク」
シリウスが突然、壁際へ声を投げた。
「はい」
デスクが一歩前へ出る。
「第二王子ルクレインは、来月からお前のいる学園へ入る」
「承知しております」
「警戒しろ」
シリウスの声が低くなる。
「奴が何者なのか」
「誰と接触し、何を知り、何をしようとしているのか」
「情報を集めろ」
「はい」
デスクが静かに頭を下げる。
「では、機会があれば――」
「手を出すな」
シリウスが即座に遮った。
デスクの目がわずかに動いた。
「……何も、ですか?」
「ドラコたちがどうなったか忘れたか」
「……」
「それを見極めるまでは動くな」
「承知しました」
「それと――」
シリウスの声が、さらに冷たくなる。
「第二王子に気を取られて、自分の仕事を忘れるな」
デスクの表情が引き締まった。
「お前の本来の任務は、第二王子の監視ではない」
一拍。
「学園に仕掛けられた、あの魔法陣だ」
「承知しております」
「準備は」
「順調です」
「ならば予定通り進めろ」
シリウスはデスクを見据える。
「時が来れば」
「爆破する」
「はい」
デスクは深く頭を下げた。
そして。
静かに言った。
「人間と魔族の混血である私を」
一瞬。
部屋が静まる。
「ここまで重用してくださったシリウス様には、命を懸けてお仕えするつもりです」
その言葉に迷いはない。
「必ずや」
デスクの薄い笑みが、ほんの少し深くなる。
「ご期待に応えてみせます」
シリウスは何も答えなかった。
ただ。
もう一度。
窓の外へ視線を戻す。
遠く。
王城の方向から。
まだ祝宴の音が聞こえている。
王国は勝利を祝っていた。
魔族の陰謀を退けたと。
危機は去ったのだと。
だが。
シリウスの中では。
何一つ終わっていない。
「ルクレイン・アステリア」
ぽつり。
名前を口にする。
窓ガラスに映るシリウスの瞳が。
細く。
さらに細くなる。
「……いいだろう」
低い。
静かな声だった。
「王国をどう奪うかは、あとでもいい」
ミームも。
デスクも。
何も言わない。
「だが」
シリウスの巨大な手が、ゆっくりと握られる。
縦に裂けた瞳に。
初めて。
明確な憎悪が宿った。
「貴様だけは」
ギリ。
握り締めた拳が軋む。
「必ず殺す」
窓の向こうでは。
今も王都の明かりが輝いていた。
王家を巡る戦いは終わった。
だが。
その裏側ではすでに。
新たな戦いが。
静かに動き始めていた。
「悪口スキル」という一見ハズレに見える謎のクソスキル。このスキルはいったいなんなのか?ここからさらに進化(?)するのか?
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次回もよろしくお願いします!少しでも、いままでの異世界ものと違うパターンで書きたいとおもっています。




