第36章 王城浄化作戦①
王国の中枢たる王城は今、未曾有の危機と静かな超ド級の恐怖に包まれていた。
「――何としても、魔族が王城内へ出入りすることだけは絶対に防がねばならん!!」
会議室に雷鳴のごとく重々しく響いたのは、国王アルヴァリオンの切実すぎる声であった。
集められたのは、この国の運命を握る重鎮たち。
第一王子リクター。リンデール公爵。魔法師団長。そして、王城の絶対防衛を担う警備責任者たちである。
「王城には、この国のあらゆる最高機密が集積されている!」
アルヴァリオンが、鋭い眼光で列席者を見渡す。
「全軍の正確な編成、兵力、兵糧の備蓄量、各地への部隊配置、防衛拠点、非常時の暗号系統――そのすべてだ! どれ一つとして、敵に渡れば国家の存亡に関わる!」
室内の空気が、一段と重くなった。
「魔族が自在に城内を闊歩していたのであれば、それらすべてが、すでに敵へ筒抜けになっていると想定すべきだ!」
「御意……」
リンデール公爵が、眉間のシワを深くして頷いた。
「そして陛下。真に恐ろしいのは、情報の漏洩だけに留まりません……」
「分かっている!」
国王の表情が、さらに般若のごとく険しさを増した。
「騎士団の内部にも、すでに奴らが侵入している可能性があるということだな!?」
「はい……!」
列席者の全員が、ヒッと息をのんだ。
王族を警護する近衛。
城門を守る衛兵。
国家の要人を護送する騎士。
その中に魔族が紛れ込んでいるのだとすれば、もはや誰に護衛を任せればよいのかすら分からない。
「門番に紛れ込まれていれば、手引き一つで城門は内側から開きます」
リンデール公爵が静かに続ける。
「伝令であれば、偽の軍令を流せる。兵站であれば、食料や武器への細工も可能。魔法師団の内部であれば、王城を包む大結界そのものを内部から瓦解させることすら考えられます」
「…………」
誰が味方で、誰が敵なのか分からない。
見えない敵の数が分からないことより、隣に立つ仲間の正体が分からないことの方が、はるかに恐ろしい。
「……デーブは、第一王子である私の、すぐ隣にいました」
重苦しい沈黙を破り、リクターが刃のように冷たい声で口を開いた。
「私の予定、行動、接触した人物、交わした対話――その気になれば、国家の心臓部をいつでも握り潰せる位置にいた」
「…………」
「同じことが、すでに城内の至る所で起きていると見るべきです」
誰も反論できなかった。
フェレリア公爵は、魔族ドラコに成り代わられていた。
そして今も、城内には無数の魔族が人間の皮を被って潜んでいるのだ。
「……見破る術はないのか!?」
アルヴァリオンが叫ぶ。
魔法師団長が、苦い表情で首を振った。
「現在、総力を挙げて検証しております。しかし、人間に擬態した魔族を確実に判別する術は、未だ見つかっておりません」
「魔力鑑定でも不可能か?」
「はい。奴らの偽装は、魔力波動に至るまで極めて巧妙です。通常の魔力検査では、人間との明確な差異を検出できません」
「身体検査は!?」
「それも不可能です! ドラコもデーブも、長きにわたって人間として振る舞いながら、誰一人として違和感すら抱かせなかったのですから……!」
「…………」
重苦しい沈黙が落ちた。
魔族が確実に潜んでいる。だが、見つけられない。
だからといって、国家の機能を完全に停止させ、城を封鎖し続けることも不可能なのだ。
「……一人」
その絶望の沈黙の中で、リクターが静かに、だが確信に満ちた目で呟いた。
「試す価値のある男がいます」
「誰だ!?」
「ルクレインです」
「ルクレインだと!?」
リクターの脳裏に刻み込まれているのは、黒の迷宮で目撃した常識破壊の光景だった。
死の淵にあった己の肉体を一瞬で完治させ、聖剣の輝きを神の領域まで跳ね上げ、強大な魔族ふたりをただの一撃で消滅させた、あの理解不能すぎる絶対の力!
「ルクレインの振るう力は、我々の知る魔法や理の域を超越しています」
「…………」
「もし、私の推測どおり、あの力が『世界の理そのものを上書き・干渉する神の権能』なのだとすれば――」
リクターの瞳に、ギラリと狂信的な鋭い光が宿る。
「魔族の完璧な偽装にすら、干渉し得るやもしれません!」
*
その頃。
国家の命運を賭けた期待を勝手に超絶ビッグサイズで背負わされている当の本人は。
「ふぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁん…………」
王城の絢爛豪華な廊下を、信じがたいほど品のない足取りでのそのそと歩いていた。
背中は丸まり。両手はだらりと垂れ下がり。足元はガッツリガニ股。
王族たる気品などミジンコほどもなく、心底面倒くさそうに足を運んでいる。
「食ったら猛烈に眠くなった……帰って爆睡してぇ……」
そのわずか半歩後ろ。
背筋を一本の槍のように伸ばしたマクシミリアンが、寸分の狂いもない完璧すぎる所作で随行していた。
流麗な立ち姿。洗練された身のこなし。
誰がどう見ても、後ろの従者の方が百倍王子らしかった。
「あっ……ルクレイン殿下!」
前方から歩いてきた貴族がルクレインに気づき、ハッと息をのむ。
すぐさま足を止め、壁際へ身を寄せると、胸に手を当てて深々と頭を下げる。
「ご機嫌麗しゅうございます、ルクレイン殿下!」
「おー」
ルクレインは歩調を緩めることすらなく、片手をひらひら振って通り過ぎた。
さらに進むと、今度は二人の貴族令嬢。
ルクレインの姿を認めるや、ドレスの裾を上品につまみ、可憐な所作で膝を折る。
「ご機嫌麗しゅうございます、殿下♡」
「はいはい」
通過。
ルクレインは、ダルそうに肩を揺らした。
「マック」
「はい、ルクレイン様」
「王城ってさぁ、歩いてるだけで無駄に疲れるんだけど。みんな挨拶しすぎだろ」
「ルクレイン様が、もう少しだけ丁寧にご挨拶を返されればよろしいのでは」
「余計疲れるだろ、そんなことしたらよぉ」
「左様でございますか」
「そうなんだよ」
ガニ股のまま、のそのそと歩く。
当然ながら、そのような圧倒的ナメくさった態度を快く思わない者もいた。
「――お待ちくだされ、ルクレイン殿下!!」
ねっとりと粘りつくような嫌味な声が廊下に響いた。
廊下の中央を塞ぐようにドカンと立っていたのは、五十代半ばほどの男だった。
名は、デゴイ伯爵。
顔一面には、不揃いなぼこぼこの痘痕。
鼻は横に潰れて、顔色は土気色。
お世辞にも見栄えのよい顔立ちとは言えない。
だが、その身なりだけはこれでもかと成金風に豪華絢爛であった。
ギラギラした刺繍の上着。金糸で縁取られた気障なチョッキ。太い指には大粒の宝石リング。
そして何より目を引くのが、その狂気の髪型であった。
丁寧に撫でつけられた髪を頭頂部へ無理やり集め、そこに巨大な丸いお団子をでんと一つ載せたような形に結い上げている。
遠目に見れば、頭の上に黒い巨大な中華まんじゅうでも乗っけているかのようだった。
本人はそれを『最高に洗練された最先端の貴族ヘアー』だと本気で信じ込んでいるらしい。
全身から、
『私は高貴なる大貴族でございます!!』
という主張が、うっとうしいほどダダ漏れていた。
「……誰?」
「デゴイ伯爵にございます」
マクシミリアンが、耳元で小さく答える。
「知らん」
デゴイ伯爵の眉が、ピクリどころかグワッと跳ね上がった。
「これはこれは、ルクレイン殿下」
口元だけでニチャァと笑う。
「近頃はずいぶんとご活躍のご様子! 第一王子殿下をお救いになり、魔族まで討ち果たされたとか! まこと、若者らしい華々しい手柄でございますな!」
「へー、じゃあいいじゃん。じゃあなー」
「お待ちを!!」
デゴイ伯爵は、ねっとりとした薄笑いを崩さない。
「ただ、少々気になりましてな」
「何が」
「いえいえ。殿下ほどのお方ともなれば、我々凡百の貴族には理解できぬ“特別な流儀”がおありなのでしょう」
「……?」
「廊下では肩を揺らし、挨拶には片手を上げるだけ。目上にも目下にも等しくぞんざい! いやはや、これほど身分に囚われぬ(品性のない)振る舞いは、なかなか真似できるものではございませんなぁ!」
「……褒めてんの?」
「まさか」
「だよな」
デゴイ伯爵の笑みがさらに深くなる。
「ただ、王族というものは、本人がどう振る舞おうと王族でございましてな。殿下がどれほど気安くお振る舞いになっても、周囲はそれを“気さく”ではなく“品位も教養もないガキ”と受け取ることもあるのですぞ?」
「へえ」
「ましてや、第二王子殿下ともなれば」
わざとらしく、ルクレインのガニ股の足元から頭までをジロジロと見下ろす。
「その歩き方。その返事。その品のないお言葉遣い」
小さく鼻でフンと笑った。
「王家の威光とは、ずいぶんと便利なものでございますな! 何をなさっても、周囲が勝手に深読みして意味を見いだしてくれる!」
「……長えな、話が」
「おや。これは失礼」
「要するに、お前は俺が気に食わねえってこと?」
「滅相もございません!」
満面の薄笑い。
「ただ、王族という立場に甘えておられる“裸の殿様”に見える、と申し上げているだけでございます」
「同じじゃねえか」
「そう聞こえましたかな?」
「聞こえるよ」
「でしたら、殿下にもまだ多少は『己の無能さ』にご自覚がおありなのでしょう!」
「……うっぜえ」
「何か?」
「なんでもねえよ」
デゴイ伯爵は、フンと大きく鼻を鳴らした。
「第二王子という立場を、今一度よく弁えられますように!」
「へーい」
デゴイは胸を張り、本人としては最高にエレガントな足取りで去っていった。
頭頂部の巨大なお団子ヘアが、歩くたびにタプンタプンと情けなく揺れている。
ルクレインは、その背中を完全に死んだ魚の目で見送った。
「マック」
「はい、ルクレイン様」
「紙とペンある?」
「ございます」
「……あるんだ」
「はい」
「なんで?」
「ルクレイン様が何らかのお戯れをお求めになる可能性を考慮し、常時携帯しております」
「お前ほんと何でも持ってるな」
ルクレインは紙とペンを受け取ると、壁に紙を押し当てた。
さらさらさら。
『お前はうんこ』
紙にデカデカと書いた。
「…………」
マクシミリアンが、そっと無表情で覗き込む。
「何にお使いで?」
「あいつの背中に貼る」
「なるほど」
「止めろよ」
「なぜでしょうか」
「もういい」
ルクレインは、紙を裏返した。
「……あ」
「いかがなさいましたか」
「くっつかねえ」
「左様でございますね」
「糊ある?」
「恐縮ながら、糊までは持ち合わせておりません」
「使えねえな」
「申し訳ございません」
「…………」
ルクレインは三秒ほど考えた。
そして。
一切の躊躇なく、右手の人差し指を己の鼻の穴へズボッと突っ込んだ!
「…………」
ほじほじ。
「…………」
ほじほじほじ。
「見るな」
「失礼いたしました」
「……よし」
指先についた白い物体を、紙の裏へ。
ペタッ。
「これでいける」
「なるほど、素晴らしい粘着性でございますね」
「納得すんな」
ルクレインは忍び足で足音を完全に殺し、デゴイ伯爵の背後へ一瞬で肉薄した。
指先で紙を押さえつけ、派手な高級上着の背中の真ん中に、力強く貼り付けた!
ペタッ!!
『お前はうんこ』
「へへっ」
「実に楽しそうでございますね」
「うるせえ」
何も知らないデゴイ伯爵は、頭のお団子を揺らしながら胸を張って歩いていく。
一歩。
二歩。
三歩。
【☠ 悪口スキル発動】
「……あ?」
ルクレインが瞬きをした瞬間。
脳内にポップ音が鳴り響いた。
直後――!
「ぐ……っ!? ああぁぁぁっ!?」
デゴイ伯爵の足がピタリと止まった!
「な……何だ……!? 顔が……顔がぁぁぁぁッ!?」
デゴイが、自分の顔面を両手で覆ってのた打ち回る!
ぐにゃり!!
頬が怪奇現象のごとく歪んだ!
「う、うわぁぁぁぁぁッ!?」
ぼこぼことした痘痕だらけの皮膚が、熱で溶ける蝋細工のように崩れていく!
横に潰れていた鼻が溶け落ち!
皮膚がボロッボロと剥がれ落ち!
人間の皮の下から、黒く禍々しい角と赤黒い異形の怪物顔が露わになった!
「ギ……ギィィィィィッ!!」
「うわっ、マジで魔族じゃねえか!!」
ルクレインが思わず叫ぶと同時であった!
スッ。
マクシミリアンが、疾風のごとき速度でルクレインの前へ滑り込んだ。
「ギィィィィィッ!!」
正体を暴かれた魔族デゴイが死に物狂いで振り返る!
腕が丸太のように膨れ上がり!
鋭利なナイフのような爪が伸びる!
狙う先は――ルクレイン!
だが。
その爪が届く範囲には、冷徹なる鬼神が立ち塞がっていた。
「――我が殿下に」
マクシミリアンの右腕が、目視不可能な速度でかすかに動く。
シュルッ!!
漆黒の袖口から、禍々しい柄が滑り出した。
マクシミリアンの右手が、それを完璧に握る。
妖刀|《焔》――!
「触れるな、下郎」
次の瞬間、空間そのものを切り裂く漆黒の閃光が走った!
ザンッッ!!
「…………」
魔族の動きが、完全にフリーズする。
「ギ……?」
ずるり。
上半身と下半身が、綺麗な斜めのラインでずれた。
ドサッッ!!
魔族は悲鳴をあげる暇すらなく、一刀のもとに斬り捨てられた。
「…………」
豪華な廊下が、静まり返る。
周囲にいた貴族も。使用人も。
誰一人として息をすることすら忘れ、開いた口が塞がらない。
マクシミリアンは|《焔》を一振りして血を払うと、何事もなかったかのような顔で袖へ収めた。
「ルクレイン様」
「…………」
「お怪我はございませんか?」
「いや……ねえけど……」
ルクレインは床に転がった、二つに割れた魔族の死体を見る。
発動したスキルと、目の前の死体、そして己の指先を交互に見つめた。
『お前はうんこ』
「…………」
自分の指先を見る。
もう一度、貼り紙を見る。
「…………え?」
ルクレインの顔が、一瞬で引きつった。
「これぇぇぇぇぇ!?」
「そのようでございますね」
「これで正体出たの!???」
「状況から推測するに、その可能性が高いかと」
「なんで!???」
「分かりかねます」
「俺も分かんねえよバカ野郎!!」
「何事だーーーッ!!」
凄まじい斬撃音を聞きつけた近衛騎士たちが、大群で駆け込んできた!
「魔族ーーーーッ!?」
「王城内に魔族が出たぞーーーッ!!」
「デゴイ伯爵だ!」
「何だと!?」
「デゴイ伯爵が魔族だったんだーーーーッ!!」
叫び声は、瞬く間に王城全体へと感染するように広がっていった!
「全門を即座に閉鎖しろ!」
「誰も外へ出すな!」
「国王陛下へ大至急ご報告を!」
「第一王子殿下にも知らせろ!」
「全騎士団、直ちに武装集結!!」
ドドドドドドドドッ!!
兵士たちの激しい足音が城中に響き渡り!
重厚な鉄門がガシャンガシャンと音を立てて閉ざされ!
王城全体が、一気にパニックと厳戒態勢へ叩き込まれた!
「馬鹿な……デゴイ伯爵が魔族だっただと!?」
「では……ひょっとして他にも潜んでいるのではないか……!?」
誰かが漏らしたその一言で、城内の空気が凍りついた。
そうだ。デゴイ一人だけという保証など、どこにも存在しない。
そして。
誰も見破れなかった魔族の完璧な擬態を、たった一瞬で暴き立てたものは――。
『お前はうんこ』
そう書かれた、鼻くそのついた、一枚の情けない紙切れであった。
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