第35章 大人が悪い
王城へ帰還した翌日。
国王アルヴァリオンのもとで、王国の運命を揺るがす緊急最高幹部会議が開かれていた。
報告に立ったのは、第一王子リクター・アステリア。
そして、救出作戦の総指揮を執ったリンデール公爵。
ただし――。
「…………」
そのリンデール公爵の様子が、明らかにおかしかった。
昨日までの威厳に満ちた王国重鎮の姿はどこへやら。
頬は削げ落ちたようにゲッソリとこけ、目の下には死相のような濃いクマ。肌は土気色を通り越して真っ白になり、背筋こそ無理やり伸ばしているものの、その全身からは「魂が口から半歩はみ出している」レベルの致命的な疲労感が漂っていた。
「……リンデール」
アルヴァリオンが思わず身を乗り出し、引きつった声で尋ねた。
「お前……生きてるか?」
「…………はい」
消え入りそうな声。返事のキレが、完全に死人のそれである。
「本当に大丈夫なのか!? 何か恐ろしい敵の呪いでも受けたのか!?」
「…………問題……ございません……」
「いや、命に関わる大問題がある顔をしているぞ!?」
「…………」
リンデール公爵の脳裏に、昨夜の惨劇がフラッシュバックする。
『――あなた』
『あとで――私のお部屋へ、来てくださいね』
ガクガクガクガクガクガク!!!!
「ひっ……!?」
公爵の全身が、壊れたからくり人形のように激しく震えた。
「……リンデール!?」
「な、何でもございませんッッ!! 私は至って健康! 心身共に絶好調でございますッ!!」
「そ、そうか……ならいいのだが……」
アルヴァリオンは、それ以上触れないことにした。
リクターも、静かに目をそらした。
というか、その場の全員が「あ、これ触れたらあかんやつだ」と、全力で察していた。
昨夜、公爵邸の最奥にて、リンデール公爵夫妻の間で一体いかなる「人道に反する処刑」が行われたのか――。
それは、アステリア王国の歴史における永遠の闇である。
*
だが、気を取り直したリクターから告げられた報告は――まさに王国の根幹を揺るがす、恐るべきものだった。
魔族が、すでに王国の内部へ深く侵入している。
それも、国境付近に潜伏するなどという生ぬるいレベルではない。
王族、貴族、その最側近。国家の中枢を動かす者たちの、すぐ目と鼻の先にまで、手が伸ばされていたのだ。
「フェレリア公爵は……すでに殺害されていたものと思われます」
リンデール公爵が、絞り出すような声で報告を続ける。
「我々がフェレリア公爵だと信じ込んでいた人物は、魔族ドラコがその姿と魔力を完全に模倣した偽物でした」
「…………!」
会議室に、重苦しい衝撃と沈黙が落ちた。
フェレリア公爵といえば、王国でも指折りの権力者。その人物がいつの間にか抹殺され、皮を被られていたのだ。
「さらに」
リクターが、冷たい声で言葉を継ぐ。
「私の筆頭従者であったデーブもまた、人間ではありませんでした。人の姿に化けた魔族、カメレオです」
「デーブまで……!」
アルヴァリオンの顔が、険しく歪む。
そして、判明した魔族たちの真の計画。
第一王子リクターと第二王子ルクレインを王位継承争いから排除し、まだ幼い第三王子トーマスを王位へ就ける。幼君を陰から操り、最終的にはアステリア王国そのものを、魔族の完全な支配下へ置く――。
そして、その愚かな計画に、まんまと乗せられた人物。
「…………」
会議室の一角。
側妃ウェンディが、青ざめた顔で震えながら俯いていた。
その隣には、状況も分からず座っている、六歳の第三王子トーマスの姿があった。
「側妃ウェンディ様は、我が子を王にという野心から、魔族の甘言に踊らされたものと思われます」
リンデール公爵が言った。
「ですが、恐ろしいのはここからです。今回炙り出された魔族だけが、王国内に潜入したすべての敵であるとは、到底考えられません。……すでに貴族社会の深部へ、無数の魔族が『人間として』潜伏している可能性があります」
ざわっ……!
重臣たちの間に、本能的な恐怖と動揺が駆け巡る。
誰かが、隣の同僚を見る。その同僚もまた、引きつった目で隣を見る。
今まで共に酒を酌み交わし、国を語り合ってきた目の前の人間が、実は人間ではないかもしれないのだ。
「……つまり」
アルヴァリオンが、地獄の底から響くような低い声で呟いた。
「我が国は、外からの敵と戦っていたのではない」
「はい」
リンデール公爵が、深く頷く。
「内側から――すでに喰い破られております」
静かなる侵攻。
軍勢も持たず、国境も越えず、ただ人の皮を被って権力者の隣に座る。
戦争はすでに、彼らの日常の中で始まっていたのだ。
しかし――報告は、それだけでは終わらなかった。
「父上」
リクターが背筋を伸ばし、威厳に満ちた声で告げる。
「黒の迷宮において、今回の計画の中枢であったドラコ、およびカメレオの両名は――完全に討ち取られました」
「何……!?」
アルヴァリオンが目を見開く。
「救出部隊の総力戦で倒したというのか!?」
「いいえ」
リクターが、一人の男へ視線を向けた。
「ルクレインが、奴らを粉砕しました」
「…………は?」
静まり返る会議室。
「私が、この目で見届けました」
リクターの脳裏に、あの常識を置き去りにした超次元の光景が蘇る。
全身を切り刻まれ、骨を砕かれながらも、ニヤリと笑って立ち上がった弟の、異形なる覇気。
命の概念すら上書きする神技。迷宮の空間そのものを穿ち去った、黄金の一撃。
「ルクレインは……敵の中枢を、ほぼ単独で掃討しております」
ざわあっ!!
会議室が、爆発したように騒然となる。
重臣たちの驚愕と畏怖の視線が、一斉に第二王子へと向けられた。
――で。
その渦中の英雄はというと。
「…………」
豪華な椅子に深く背もたれを倒し、骨がないのかというレベルでダラリと身体を預け、天井の模様を眺めていた。
「ふぁぁぁぁぁぁぁあ……あふ」
超絶大あくび。
「…………」
ズピッ。
そして、堂々と右手の指を鼻の穴へ突っ込んだ。
「…………」
ほじほじ。
ほじほじほじ。
国の存亡? 魔族の侵攻? 知ったことかと言わんばかりの、圧倒的無関心。
王国の最高幹部たちが集まる場で、全力で鼻くそを掘り進めている。
重臣たちの畏怖の視線が、ゆっくりと「困惑」に変わっていく。
(……え? あれが、魔族を単独で……?)
(今、第一関節まで入ってないか……?)
(いや、第二関節いったぞ……!)
そんなルクレインの姿を、先ほどから、六歳の第三王子トーマスが目を皿のようにして、じーっと見つめていた。
トーマスにとって、かつての二番目の兄・ルクレインは、「完璧で優しい王子様」だった。
『トーマス。元気にしていたかい?』
いつ会っても、完璧な角度で微笑み、優しく頭を撫でてくれた。
だけど、幼いトーマスはどこかで感じていたのだ。
兄のあの笑顔は、まるで高級な陶器のお面みたいだと。
怒ることも、大笑いすることも、冗談を言うこともない。綺麗だけど、どこか遠くて、何を考えているのか分からない「壁の向こうの人」。
なのに――今、目の前にいる兄は。
「ふぁ~あ……」
盛大なあくびをして。
ほじほじ。
一心不乱に、鼻をほじっている。
(……え?)
トーマスは目を丸くした。
(この人……本当にルク兄様……?)
「へへっ」
鼻くそが取れたのか、ルクレインがニヤリと口元を歪めた。
ちょっと悪そうで、お上品さのカケラもない、変な笑い方。
なのに、トーマスはなぜか、その姿から目が離せなかった。
退屈なら、退屈な顔をする。面倒なら、嫌そうな顔をする。
取り繕うことなんて、一切しない。
(……なんか)
言葉にはできないけれど、六歳のトーマスは本能で感じていた。
(前より……ずっと『人間』だ……!)
今の兄の方が、断然近くて、カッコよく見えた。
その時だった。
「ウェンディ!!」
アルヴァリオン国王の怒号が、響き渡った。
「……ひっ!」
ウェンディ側妃が、肩を跳ね上がらせる。
「自分が何をしでかしたのか分かっているのか! トーマスを王に就けたいという浅はかな野心から魔族の言葉に乗り、王国そのものを奴らに売り渡しかけたのだぞ!!」
「も、申し訳……ございません……!」
「申し訳ないで済むかッ!」
アルヴァリオンの激昂が、会議室を揺らす。
「お前は側妃でありながら、王家を破滅の危機へ晒した! もはや王城に置いておくことなど断じてできん! 国外追放、あるいは監獄への収監も含め――」
「親父も親父だろ」
「…………」
空気が、完全に凍りついた。
書記官の羽根ペンが、カランと床に落ちる。
「…………何?」
アルヴァリオンが、信じられないものを見る目で、ギギギギ……と首を回す。
そこには、まだほじった指をしげしげと眺めている第二王子がいた。
「ルクレイン……今、何と言った?」
「だから」
ルクレインは鼻から抜いた指をパッパッと適当に払いながら、言い放った。
「親父も親父だっつってんだよ」
「な、何だと……!?」
「今まで散々その女とイチャついて、甘やかしておいてさ」
「っ!???」
アルヴァリオンの顔が真っ赤になり、次いで真っ青になった。
ウェンディも目を見開く。
「今さら全部そいつが悪いみたいなツラして、怒ってんじゃねえよ」
「お、お前……! 国王に対して、何という不敬を――」
「見る目なかったの、お前じゃん」
ぽろん。
【☠ 悪口スキル発動】
(……あ、また出た。ドクロマーク。マジで基準が分からん)
脳内に響く無駄に重厚なファンファーレと、視界に浮かぶ禍々しいドクロを、ルクレインはさらりとスルーした。
「…………っ!!」
アルヴァリオンの言葉が、喉で詰まった。
会議室は、静まり返っている。
建国以来、国王に「お前じゃん」と言った者などいただろうか?
だが――アルヴァリオンは、反論できなかった。
ぐうの音も出ないほど、事実そのものだったからだ。
「それとな」
ルクレインは今度は、青ざめるウェンディに冷ややかな視線を向けた。
「ババアもババアだ」
「バ……ババア!?」
王国最高峰の美女と謳われた側妃に向かって、直球ど真ん中の暴言。
「わ、私はまだ二十代で――」
「知らねえよ。心がババアなんだよ」
ぽろん。
【☠ 悪口スキル発動】
(二連続かよ。今日は大漁だな)
「〜〜〜っっ!?」
「で、聞くけどさ。六歳のガキ使って、何やってんだよ。……おい、こいつが自分から『王様になりたい』って言ったのか?」
「それは……」
「違うだろ」
ルクレインは、鼻で笑った。
「お前が『王様の母親』になって、威張りたかっただけだろ」
【☠ 悪口スキル発動】
「はうっ!!」
ウェンディが胸を押さえてのけぞった。
核心を突かれすぎて、息ができない。完全に急所である。
「正しいとか間違ってるとか、そんな当たり前のことも見えなくなってさ。ガキの背中に自分の欲を乗っけて突っ込ませたお前が、一番タチ悪いんだよ」
「…………」
ウェンディは一言も言い返せず、ポロポロと涙をこぼした。
だが。
そんな大人たちの惨状をよそに――。
「…………!」
キラ……キラキラ……ッ!
トーマスの瞳は、まるで夜空の星を全部詰め込んだかのように輝き始めていた。
(父上に……! あの誰も逆らえない父上に、『見る目なかったの、お前じゃん』って言った……!)
さらには、いつもヒステリックに威張っていた母上にも「ババア」と言い放ち、一瞬で黙らせた。
(すごい……! ルク兄様、超すごい……!!)
そんな弟の危険すぎる尊敬の眼差しに気づくこともなく、ルクレインはトーマスを見下ろした。
「おい、チビ」
「はいっ!!」
超絶イイ返事。
「お前さ」
ルクレインは、面倒そうに眉をひそめた。
「王様になりてえの?」
「…………」
トーマスは一瞬固まり、おそるおそる母親の顔を見た。
「母親を見るな。お前に聞いてんだよ」
「……わかりません」
「あ?」
「僕……王様が何をする人なのか、よく分からなくて……。でも、お母様が『王様になったら、みんなが言うことを聞いてくれるのよ』って……」
ウェンディが、気まずそうに顔を背ける。
「じゃあ、お前自身は何がしたいんだよ。王様とか立場とか全部抜きにして、お前がやりたいことだ」
「僕が……やりたいこと……?」
トーマスは六歳なりに、一生懸命に頭をひねった。
これまで「王になるための勉強」しか与えられてこなかった小さな頭で、必死に考えた。
「……お馬さんに乗りたいです。おっきいお馬さん」
「それ、王様にならなくても乗れるわ」
「あ……。じゃあ、お菓子をいっぱい食べたいです!」
「それも王様じゃなくていい。むしろ王様になったら、虫歯予防で制限されるぞ」
「あと……カッコいい剣も習いたいです!」
「騎士団に入れば、引くほど習える。ゲロ吐くほど習える」
「…………あ」
トーマスの目が、丸くなった。
「じゃあ……僕、王様にならなくても、やりたいこと全部できるの……?」
「知らねえよ」
ルクレインは、吐き捨てるように言った。
「お前の人生だろ。やりたいことくらい、自分で決めろ」
「…………!」
「六歳のガキが、政治だの王位継承だの分かるわけねえだろ。親父もババアも、自分たちの人生のやり直しに、ガキ巻き込んでんじゃねえよ」
【☠ 悪口スキル発動】
「…………っ」
本質を射抜く一言が、会議室全体に重く響き渡る。
ウェンディは、ただ俯き、肩を震わせた。
そして――アルヴァリオン国王もまた、深いため息をつき、背もたれに深く身体を預けた。
「……ルクレイン」
「あ?」
「お前の言う通りだ」
「……は?」
言った本人が、一番「マジで?」という顔をした。
「ウェンディの犯した罪は重い。だが……そのすべてを彼女一人に押し付け、怒りに任せて処分を決めるのは……私の王としての、そして父親としての怠慢だった」
アルヴァリオンは静かに目を閉じ、自省するように語る。
「私は彼女を側妃として迎えながら、その心に歪んだ野心が芽生えていることに、気づこうともしなかった。朝政に追われ、家庭を顧みず……何より、私はトーマスが何を望んでいるのか、一度でも抱き上げて聞いたことがあっただろうか」
「父上……」
「……なかった」
国王の顔から、威厳が消えた。
そこには、一人の不器用な父親の顔があった。
「ウェンディ。お前の処分は、今ここでは決めない」
「陛下……?」
「頭を冷やし、王として、夫として、そしてこの子の父親として……最善の道を考え抜いた上で決断する。それまで、謹慎を命じる」
「…………はい。……ありがとうございます、陛下……」
ウェンディは涙を拭い、深く、深く頭を下げた。
*
一件落着――。
誰もがそう胸を撫で下ろした、その瞬間だった。
トコトコトコッ!
小さな影が、猛スピードでルクレインのもとへ駆け寄ってきた。
「おい、なんだよチビ」
ルクレインが不審そうに見下ろすと――。
キラッキラッ!!!!
トーマスの両目が、限界突破の輝きを放っていた。
「ルク兄様ぁぁぁっ!!」
「うおっ!?」
「格好いいです! 超絶格好いいです!!」
「どこがだよ!?」
「父上にあんな暴言吐いた人、初めて見ました! ババアって言ったのも最高です!」
「教育に悪すぎるだろ!!」
「ルク兄様! お願いがあります!」
トーマスはルクレインのズボンをギュッと掴み、満面の笑みで叫んだ。
「僕にも、悪口の言い方を教えてください!!」
「教えるかバカ野郎!!」
「どうやったら、父上にあんなこと言えるようになるんですか!?」
「そこを目指すな! ろくな大人にならねえぞ!」
「母上にも『ババア』って言ってみたいです!」
「実の親に言うな! 叩き出されるぞ!」
「僕、ルク兄様みたいな『最強の悪口王』になりたいです!」
「不名誉すぎる肩書を作るな!!」
怒涛の天丼ツッコミを繰り出すルクレインと、目を輝かせて「師匠!」と言わんばかりにしがみつくトーマス。
「…………」
アルヴァリオン国王は、盛大に頭を抱え。
ウェンディ側妃は、我が子の未来に絶望して倒れそうになり。
リクターは「……なるほど、これがルクレインの新たな『帝王学』……底が知れんな」と、明後日の方向で感心していた。
そして、リンデール公爵はというと。
「…………」
すでに意識が完全に飛んでおり、白目を剥いて、椅子に座ったまま燃え尽きて灰になっていた。
こうして。
王国を陰から救った第二王子ルクレインは、今度は六歳の弟に、「最悪で最高の憧れ」を植え付けてしまったのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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