第31話 隠し通路
「…………」
ルクレインが、ぴたりと足を止めた。
「どうした?」
後ろを歩いていたリクターが、訝しげに尋ねる。
「いや……」
ルクレインは答えず、目の前の壁をじっと見つめた。
古びた石壁。
黒ずんだ表面には、何本もの大きな傷が走っている。
「…………」
どこかで見た。
というより。
ものすごく見覚えがある。
ルクレインは、ゆっくりと視線を下げた。
床には、大きな石壁の欠片がいくつも散らばっている。
ひび割れた石。
砕けた破片。
そして。
壁に残された、派手な破壊痕。
「…………おい」
嫌な汗が流れる。
「どうした、ルクレイン」
「これ……」
ルクレインが壁を指差した。
「さっき俺たちが、通ったところじゃない?」
「……何?」
リクターも壁を見る。
ルクレインは周囲を見回した。
間違いない。
見覚えのある壁。
見覚えのある瓦礫。
見覚えのある通路。
「戻ってきてる……」
「…………」
「完全に元の場所に戻ってきてるじゃねえか!!」
ルクレインが頭を抱えた。
「マジかよ! あんだけ歩いて一周しただけかよ!」
リクターも黙って周囲を確認する。
ルクレインの言う通りだった。
ここは、二人が最初に通った場所だ。
「まずいぞ……」
ルクレインの顔が引きつる。
このまま進めば。
その先にあるのは――。
(ドラコとカメレオのいたところじゃねえか!)
黒の迷宮の最深部。
あの二人が待ち構えていた、黒の牢獄。
(冗談じゃねえぞ!)
せっかく逃げ出したのに。
迷いに迷った挙げ句。
自分たちからボス部屋へ戻ってどうする。
「兄貴」
「なんだ」
「ちょっと待ってくれ」
ルクレインが片手を上げる。
「考えさせてくれ」
「……分かった」
リクターが静かに頷いた。
「…………」
ルクレインは腕を組む。
(どうする?)
来た道を戻るか。
(いや、それやったらまた迷う)
別の道を探すか。
(どれが別の道か分かんねえ)
このまま進むか。
(ボス部屋直行)
「詰んでんじゃねえか……」
ルクレインが天井を仰いだ。
(つーか、ここゲームの世界なんだろ?)
前世でやり込んだゲームなら、ダンジョンへ入った時点で地図が表示された。
「オートマッピング機能くらいつけとけよ……」
ルクレインがぼそりと呟く。
「何?」
「いや、こっちの話」
もう一度、周囲を見回す。
「ったく、不親切なゲームだな……。出口どこだよ……」
疲れ切って。
そのまま背中を壁へ預けた。
「…………はあ」
ゴトッ。
「ん?」
背中で。
何かが動いた。
「…………」
ルクレインが固まる。
次の瞬間。
バコンッ!!
「うおッ!?」
もたれかかっていた壁が、突然奥へ開いた。
支えを失ったルクレインが、危うく後ろへ倒れそうになる。
「何だ!?」
リクターが身構える。
「いや、俺も知らねえ!」
二人が、開いた壁の向こうを見る。
「…………」
そこには。
通路があった。
人が二人ほど並んで歩ける程度の幅。
奥は真っ暗で。
どこまで続いているのか、まったく見えない。
「……隠し通路?」
リクターが呟く。
「みたいだな……」
ルクレインは、ぽかんと口を開けたまま通路を見つめている。
その横顔を。
リクターは、じっと見た。
(……まさか)
先ほど。
ルクレインは「考えさせてくれ」と言った。
そして。
しばらく周囲を見回したあと。
あの壁へ身体を預けた。
(偶然……なのか?)
いや。
これまでのルクレインを考えれば。
そんなはずがない。
リクターは、開いた隠し通路を見つめたまま、ぼそりと呟いた。
「これがここにあると、分かっていたのだろう」
「…………は?」
ルクレインが目を瞬く。
「何が?」
「いや……何でもない」
「?」
リクターは、それ以上何も言わなかった。
(やはり……)
確信だけが。
また一つ。
深まっていた。
一方。
ルクレインは、改めて目の前の隠し通路を見つめる。
「…………!」
その瞬間。
頭の中で、何かが繋がった。
(待てよ)
隠し通路。
迷宮。
散々迷わされた末に発見した、隠し扉。
「…………これ」
ルクレインの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「知ってるぞ」
「何?」
「このパターン、知ってる!」
前世。
黒田律だった頃。
何百時間とやり込んだダンジョンゲーム。
複雑怪奇な迷宮を散々歩かされたあと。
偶然、隠し壁を発見する。
その先にあるものといえば――。
(ショートカットだ!)
そう。
よくある。
ものすごくよくある。
隠し通路を抜けると。
長大なダンジョンを一気に飛ばして。
入口近くや出口へ戻れる。
プレイヤー救済用のショートカット。
(これだ!!)
ルクレインの顔が輝いた。
(絶対これじゃん!)
これだけ散々迷わせたのだ。
ゲーム的に考えれば。
そろそろ救済措置があっていい。
「兄貴!」
「なんだ」
「こっちだ!」
「……確信があるのか?」
「ある!」
即答した。
根拠は。
前世のゲーム経験だけだった。
「たぶん!」
「……たぶん?」
「細けえことはいいんだよ! 行くぞ!」
ルクレインが、迷うことなく隠し通路へ入っていく。
リクターは、その背中を見つめた。
(この道の存在を知っていただけではない)
(この先に何があるのかまで、把握しているのか……?)
「……ルクレイン」
「早く来いよ、兄貴!」
「……ああ」
リクターも、その背中を追った。
一歩。
通路へ踏み込む。
「…………」
さらに一歩。
「…………」
そして。
止まった。
「暗ッ!」
何も見えない。
隠し通路には、篝火すらなかった。
完全な暗闇。
「これじゃ歩けねえだろ」
ルクレインが腰へ手を伸ばす。
そこには。
短剣ほどの大きさになったアークが差してある。
「おい、鉄くず」
『誰が鉄くずじゃ!』
「お前、光れねえの?」
『…………』
「聖剣だろ?」
『無論じゃ』
「じゃあ光れよ」
『…………』
「まさか光れないの?」
『馬鹿にするでないわ!』
アークが怒鳴る。
『わしを何じゃと思っとる!』
「中古家電」
『聖剣じゃ!!』
「じゃあ照明くらいやれ」
『照明扱いするな!』
「できんの? できねえの?」
『できるわ!!』
次の瞬間。
ピカッ!!
「うおっ、眩し!」
アークの刀身が、白銀の光を放った。
周囲の暗闇が、一気に押し退けられる。
「おお」
ルクレインが感心する。
「便利じゃん」
『便利と言うな!』
「懐中電灯機能までついてんのか」
『聖剣じゃと言うとるじゃろうが!!』
「はいはい」
『はいは一回!』
「はい」
『素直に聞くな!』
「うるせえな! 光ってろ!」
『扱いが雑すぎるわ!!』
照らし出された通路を、ルクレインは改めて見渡した。
左右へ分かれる道もない。
迂回する道もない。
ただ、ひたすら真っ直ぐ。
一本の通路が、光の届く先まで続いている。
「おお……」
ルクレインが感動する。
「一本道だ……!」
「それがどうした?」
「迷わねえ!」
「…………」
「一本道最高!」
リクターには。
弟がなぜそこまで感動しているのか分からなかった。
だが。
ルクレインにとっては。
今、この世で最も信用できるものが一本道だった。
「よし。これならいける」
こうして、一人と一振り――そしてリクターは、一本道を進んでいった。
五分。
さらに。
十分ほど歩いただろうか。
「…………ん?」
ルクレインが目を細めた。
遥か前方。
暗闇の中に。
何かが見える。
「おい」
『なんじゃ』
「あれ……」
光だ。
細い。
一筋の光。
「…………!」
ルクレインの足が速くなる。
「兄貴!」
近づくにつれ。
その正体が見えてきた。
重厚な鉄の扉。
そして。
扉の隙間から、向こう側の明かりが漏れている。
「…………来た」
ルクレインの顔が、みるみる輝いていく。
(やっぱりだ!)
隠し通路。
一本道。
その先の扉。
(完全にショートカットじゃねえか!)
これを抜ければ。
外。
少なくとも。
このクソみたいな迷宮から抜け出せる場所へ繋がっている。
「やった……!」
ルクレインが、後ろを振り返った。
「兄貴!」
「…………」
リクターが、静かに顔を上げる。
ルクレインは、鉄の扉を指差した。
「いよいよだ」
「……ああ」
「長かったけど――」
ルクレインが、満面の笑みを浮かべた。
「やっと終わりが見えたぞ!」
「…………!」
リクターの表情が変わる。
(いよいよ……)
弟の言葉を、頭の中で反芻する。
(決戦か)
やはり。
ルクレインは。
最初から分かっていたのだ。
この隠し通路の存在も。
その先に何が待っているのかも。
すべて承知した上で。
ここまで自分を導いてきた。
(『長かったけど、やっと終わりが見えた』……)
リクターが、静かに拳を握り締める。
(ここですべてを終わらせるということか)
「ルクレイン」
「ん?」
「覚悟はできている」
リクターは、まっすぐに弟を見た。
「お前がどこへ向かおうと――最後まで付き合うぞ」
「……?」
ルクレインが首を傾げる。
「何の?」
「…………」
「まあいいや」
今は。
そんなことより。
出口だ。
「よし」
ルクレインが、重々しい鉄の扉の前へ立つ。
向こう側から漏れる光が、その顔を照らす。
「やっと帰れる……!」
そして。
何の疑いもなく。
鉄の扉の取っ手へ。
手をかけた。
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