第3話 聖剣アーク
「ではルクレイン殿下。そろそろ参りましょう」
マクシミリアンは何事もなかったかのようにすっと姿勢を正した。
ついさっきまで壁に手をついて荒い息を吐き、恍惚とした笑みを浮かべていた男と同一人物とは到底思えない早変わりだ。
ルクレイン(黒田律)は、心底ドン引きした目でマクシミリアンを睨みつけた。
「……どこに?」
「国王陛下がお待ちでございます」
「…………」
なんとも嫌な単語が耳に飛び込んできた。
「親父が?」
マクシミリアンの整った眉尻がピクリと跳ね上がった。
「殿下、お口が過ぎます。陛下でございます」
「はいはい、わかったよ。で、何で俺を呼び出してんの?」
「北部より深刻な水害の報告が入っております。その件について、殿下のご意見を賜りたいとのことです」
「水害……?」
「三日ほど前から続く大雨により、主要河川の一部が氾濫したとのことです」
「ふーん」
ルクレインは完全に他人事のテンションで生返事をした。
頭の中で、やり込んだゲームの記憶を検索してみる。
水害。
水害。
「……そんなイベントあったっけ?」
「イベント?」
「こっちの話」
少なくとも、ゲーマーとしてのルクレインの記憶には残っていない。
魔物の大群の襲撃なら覚えている。
隣国の侵略も、反乱も、鮮明に覚えている。
だが「川が溢れて大変だ」なんて地味な行政イベントまで、いちいち覚えているはずがない。
「で、それ俺もわざわざ行かないとダメ?」
「もちろんでございます」
「嫌なんだけど。部屋でゲームしてたいんだけど」
「ゲームが何なのかは存じ上げませんが、駄目でございます」
「即答すんなよ」
「陛下がお待ちですので」
「……チッ、王子って立場、マジでめんどくせえな」
ルクレインは渋々と豪華なベッドから腰を上げた。
「分かったよ。行きゃいいんだろ、行きゃあ」
「ご理解いただき感謝いたします」
マクシミリアンが先導すべく、優雅に扉へ向かって歩き出す。
ルクレインも気だるげにその後に続こうとした。
――その時だった。
『おい』
「…………」
ルクレインの足がピタリと止まった。
『おい! 聞こえておるのだろう、小僧!』
「……あ?」
ルクレインは不快そうに部屋を見回した。
『こっちだ! こっちを見ろ!』
低く厳かな、しかしいかにも偉そうな老人のような声だった。
声が聞こえる方へだるそうに目を向ける。
部屋の一角、一番日当たりの良い壁際に、一振りの剣が大切に飾られていた。
重厚な木製の台座に敷かれた深紅のベルベット。その上に、光を吸い込むような深い黒をまとった長剣が鎮座している。
柄には青い稲妻の紋様が走り、一目でただの剣ではないと分かる異様な存在感を放っていた。
全身で「私こそが特別な剣です」と猛烈に自己主張しているような配置だった。
『わしだ! わしの声が聞こえんのか!』
「…………」
ルクレインは無言でその剣を見つめた。
「……ああ」
忘れていた。思い出してきた。
(そういや主人公だから、こういう主人公特典もついてたっけな)
――聖剣アーク。
世界にわずか三振りしか存在しない伝説の《三聖剣》の一本。
アステリア王家に代々伝わる意思を持つ聖剣であり、原作ゲームでも主人公ルクレインの専用武器だったはずだ。
「…………」
(……いらねえな)
そもそも勇者になる気なんて微塵もない。
魔王と戦う気も、世界を救う気もゼロ。
なら、そんな仰々しい聖剣なんぞ持っていたところで、ただの重い金属の棒でしかない。
「行くぞ、マック」
「はい」
『待たんかぁぁぁぁぁ!!』
剣が台座の上でカタカタと震えながら叫んだ。
「なんだよ、うるせえな」
『わしを置いていくつもりか!』
「うん」
『うん!? 即答!?』
「だっていらねえし」
『いらねえ!? 貴様、わしを誰だと思っておる!』
「剣」
『聖剣だ!!』
「似たようなもんだろ」
『全然違うわ!!』
朝からやたらと自己主張の激しい剣だ。
「で、何? 俺、親父んとこ行かなきゃなんねえんだけど」
「陛下です」
「はいはい」
『だからこそ! わしを持っていけと言っておるのだ!』
「なんで?」
『お前は第二王子だぞ! 王城の中だからといって安全とは限らん! 権力闘争による毒殺、刺客による奇襲、暗殺――その備えとして、お前は常にわしを携えておったではないか!』
「えっ、城の中でも暗殺されんの!?」
『当然だ! 命を狙われるなど日常茶飯事! だからこそ、寝る時以外は常にわしを持ち歩いていたのだろうが! それを今日はどうした!? 朝から様子が妙だぞ、お前!』
「…………」
ルクレインの顔が引きつった。
(……王子って、思ってたより百倍くらいロクでもない危険職種じゃねえか……)
『何を青い顔をしておる! さあ、わしの柄を握れ!』
「……チッ、めんどくせえなぁ……」
仕方なくルクレインは台座へ近づき、アークの豪華な柄を握った。
持ち上げようとして――。
「重っ!?」
ピクリとも動かなかった。
『何をしておるのだ?』
「何って……お前、重すぎんだろこれ!? 鉄塊かよ!」
『馬鹿な! 昨日まで片手で軽々と振り回しておったではないか!』
「…………」
ルクレインはアークから手を離した。
――剣術スキル。
元のルクレインが持っていたものだ。
だが、中身が黒田律になった今の自分には、それがない。
つまり――。
「持てねえじゃん」
『なぜ持てんのだ!?』
「俺が知るかよ! 重いもんは重いんだよ!」
『昨日までの颯爽としたお前はどこへ行った!?』
「昨日の俺に聞けよ!」
『昨日のお前もお前だろうが!!』
「うるせえな!」
ルクレインは呆れたようにアークを見下ろした。
「こんなバカ重いもん腰に下げて歩けるかよ。やっぱり置いていくわ。いらねえ」
『待て待て待て! わしは世界にわずか三振りしか存在しない偉大なる聖剣だぞ! 崇めよ!』
「世界に三本もあるんだろ?」
『…………は?』
「一本だけになってから威張れよ、三本目が」
ピコンッ!
【スキル《悪口》発動】
【☠ CRITICAL HIT】
「お、また出た。しかも【CRITICAL】? なんだよ、このポップアップ」
『…………ッ!?』
鞘に収まったままのアークが、まるで激痛に耐えるようにプルプルと震え始めた。
「まあいいや。行くぞ、マック」
『ま、待て! 待て待て待て!!』
「まだ何かあんのかよ」
『お、重さだ! 軽くなれば文句はないのだろう!?』
「え、お前軽くなれんの?」
『当たり前だ! わしを誰だと思っておる! 聖剣アーク様だぞ!!』
アークがカッと青白い光を放った。
『さあ、持ってみるがよい!』
ルクレインはもう一度柄を握った。
ひょいっと、あっけなく持ち上がる。
「うわ、軽っ」
『どうだ! わしの凄さが分かったか!』
「最初からその重さでいろよ。使えねえな」
【☠ HIT】
『ぐはっ……!』
ルクレインはアークを腰のベルトに差してみた。
「…………」
長い。
歩けば脚に当たって邪魔くさい。
「……邪魔だな」
『何だと!?』
「やっぱいらねえ」
ルクレインはアークを腰から抜くと、ポイッと絨毯の上に放り出した。
ゴトッ!
『お前えええええ!! 聖剣を床に放り投げるヤツがあるか!!』
「行くぞ、マック」
「はい」
『待て待て待て待て! 待ってくださいお願いします!!』
「今度は何なんだよ!」
『短くなる! 短くなるから!!』
ルクレインが振り返った。
「は? 短く?」
『長くて邪魔なら短くなればよいのだろう!? だから置いていくな!』
「そんなこともできんの?」
『できるわ!!』
アークが慌てて青白く発光する。
長い刀身が見る見る縮み、光が収まった時には短剣ほどの大きさになっていた。
「…………」
ルクレインは床のアークを拾い上げた。
「……できるじゃん」
『と、当然だ……! わしほどの聖剣なら、この程度……』
腰に差してみる。
今度は邪魔にならない。
「ふーん。これならまあ、持ってってやってもいいけど」
『持って「いただく」、だ! わしは世界に三振りしか存在しない――』
「じゃあ置いてく」
『持っていってください!!』
「どっちなんだよ。めんどくせえな」
後ろで一部始終を見ていたマクシミリアンが、珍しく目を丸くしていた。
「……ルクレイン殿下」
「あん?」
「アークが、自らの意思で重量と形状をここまで変化させたところを初めて拝見いたしました」
「へえ。普段はやらねえの?」
『やるわけなかろう! わしのプライドが許さ――』
「煽ったら勝手にやったぞ」
『煽られたからではないわ!』
「じゃあ最初からやれよ、無能」
【☠ HIT】
『ぐはっ……!』
ルクレインは短剣サイズになったアークを腰に差した。
「まあ、護身用にはなるか」
「かしこまりました」
マクシミリアンが一礼する。
「では殿下、改めまして参りましょう」
「どこだっけ?」
「国王陛下のもとへでございます」
「ああ……」
一気に心が重くなった。
「水害の件だっけ」
「はい。北部グラント地方より被害の報告が届いております」
「それについて親父が俺に話があると」
「陛下です」
「……てか、なんで俺なんだよ? 国王なら勝手に自分で指示出せばよくね?」
マクシミリアンは一瞬、何を聞かれたのか分からないというように首を傾げた。
「殿下のご意見を伺い、最終的な方針を決定するためですが」
「俺の意見?」
「はい」
「第二王子の?」
「はい」
「水害の対策について?」
「はい」
「…………」
ルクレインの顔から血の気が引いた。
「……おいマック。俺、治水とか復興予算とか全然分かんねえぞ?」
「殿下はお戯れが上手でございますね」
「冗談じゃねえよ!」
「ご安心ください。陛下をはじめ、宰相閣下、財務卿、騎士団長も、すでに謁見の場にて殿下のご到着をお待ちです」
「……なんでそんな偉い奴らが俺を待ってんだよ!?」
マクシミリアンは心底不思議そうに目を丸くした。
「なぜ、と申されましても……殿下は、この国で最も優れたお方ですので」
「…………」
ルクレインの脳裏に絶望が走った。
そうだった。
自分が入ったのは、ただの第二王子ではない。
原作ゲームの主人公、ルクレイン・アステリアなのだ。
「……終わった……」
『何が終わったのだ?』
腰のアークが口を挟む。
「黙ってろ、三本目」
【☠ HIT】
『三本目と呼ぶなぁぁぁ!!』
聖剣の悲鳴を腰に響かせながら、ルクレインは国王たちが待つ謁見の場へと向かった。




