第2話 スキル悪口
「……なんだよ、このクソゴミスキル」
ルクレイン(黒田律)は、目の前の空間にポツンと浮かぶ虚しい文字を睨みつけた。
【保有スキル】
【悪口 Lv.1】
「悪口って……一体どうやって戦いに使うんだよ、アホか!?」
剣から斬撃が飛ぶわけでもない。
華やかで威力の高い極大魔法が放たれるわけでもない。
そもそも、これをスキルと呼んでいいのかすら怪しいレベルだ。
「こんなんでどうやって異世界を生きていけって言うんだよ……!」
ルクレインは豪華な天蓋付きベッドにドサッと腰を下ろし、頭を抱えた。
ここがRPG『アステリア・クロニクル』の世界なら、この先にどんなシナリオが待っているかは痛いほど知っている。
このゲームの最終目標は――【魔王の討伐】。
魔王が復活の兆しを見せれば、それに対抗するために世界から《勇者》が選定される。
そして原作ゲームでは、プレイヤーが操る主人公がその運命の勇者となるのだ。
「…………」
ルクレインは恐る恐る、自分の胸元を指さした。
「……俺じゃん」
今、自分が転生して入っているのは第二王子ルクレインの身体だ。
つまり、このまま原作のシナリオ通りに物語が進めば――。
「俺が勇者として先頭に立って、あの化け物みたいな魔王と戦わされるってこと!?」
冗談じゃない。絶対に嫌だ。
ゲームの画面越しならいくらでも楽しかった。
画面の向こうで主人公が魔物に吹き飛ばされようが、激痛に顔を歪めようが、毒で悶絶しようが知ったことではない。
それに、ゲームなら状態異常を防ぐ装備も、回復魔法もあった。
だが、今は違う。何もない。斬られるのも、炎で焼かれるのも、痛い思いをして死ぬのも全部『自分』なのだ。
「絶対嫌だ!! 誰がやるかバカ!!」
ルクレインは固く決意した。
だが、勇者として覚醒するには明確なシステム上の条件があったはずだ。
主人公一人だけでは勇者にはなれない。
自分以外に『五人』の主要仲間候補を集め、計六人の【勇者パーティー】を結成する必要がある。
しかも、ただ路上のNPCを五人適当にスカウトして連れてくればいいわけではない。
仲間候補にはそれぞれ目に見えない【好感度】が設定されており、それをイベントで一定以上まで上げなければパーティーに加入してくれない仕様だった。
「……待てよ?」
ルクレインは、パッと顔を上げた。
勇者になるには、五人の仲間が必要。
その五人を仲間にするには、好感度を上げる必要がある。
――だったら。
「仲間にしなきゃいいだけじゃん!!」
あまりにも簡単な発想だった。
五人を集めなければ、勇者パーティーは永久に完成しない。
勇者パーティーが完成しなければ、俺は勇者として判定されない。
「俺が勇者にならなきゃ、そのうちゲームの補正で誰か別の強いやつが勝手に選ばれるだろ!」
この世界には勇猛な騎士もいる。
天才的な魔術師もいる。
自分より強くて真面目な奴なんて、探せばいくらでもいるはずだ。
「よし!!」
ルクレインは力強く頷いた。
「逃げよう!!」
仲間は作らない。
好感度は絶対に上げない。
勇者なんぞには絶対にならない。
魔王討伐は有志の誰かに全部押し付ける。
「完璧すぎる……! 俺、天才か!?」
――まさに、その時だった。
コンコン、と重厚な部屋の扉がノックされた。
「殿下。お目覚めでしょうか」
扉の向こうから、凛とした若い男の声が響いた。
「…………」
殿下。
一瞬遅れて、それが自分を呼ぶ声だと気づく。
(ああ、俺か)
「起きてる」
扉の向こうで、わずかな戸惑いの間があった。
「……失礼いたします」
ギギィ、と扉が開いた。
一人の若い男が、静かに入ってくる。
ルクレインより少し年上。
背が高く、モデルのように細身。
綺麗に整えられた濃紺の髪に、皺一つない完璧な従者服。
整いすぎた顔立ち。
男はルクレインの前まで来ると、寸分の狂いもない洗練された動作で深々と頭を下げた。
「おはようございます、ルクレイン殿下」
「…………」
ルクレインは男をじっくりと観察した。
見覚えがある。
「ああ。マックか」
男の美しい眉が、ほんのわずかにピクリと動いた。
「……はい。マクシミリアンでございます」
(マクドナルドと呼ばないだけマシだろ)
マクシミリアン・レイフォード。
ルクレインの専属筆頭従者。
そういえば、原作にもこんなやつがいた。
ゲームでは主人公のすぐ後ろに控え、何かとサポートしてくれる便利なお助けキャラクターだ。
超生真面目。
冷静沈着。
超有能。
頼めば大抵の面倒事は完璧に処理してくれる。
プレイヤーとしては大変便利な存在だった。
ただ、生前の黒田律としての印象は「つまらない男」の一言に尽きる。
生真面目な主人公に、生真面目な従者。
イベントでも淡々と機械のように仕事をこなし、面白い冗談の一つすら言わない。
要するに、キャラとしての面白みが皆無なのだ。
確か裏設定では、王国暗部の《夜行》とかいう物騒極まりない組織から引き抜かれてきた、ヤバい経歴の持ち主だったはずだ。
だが、ルクレインにとっては心底どうでもいい設定だった。
「殿下」
「ん?」
「本日のご気分はいかがでしょうか」
「普通」
「……左様でございますか」
マクシミリアンはいつもと変わらない無表情で答えた。
だが内心では、目の前に座る主人を注意深く観察していた。
おかしい。
昨日までとは、明らかに様子が違う。
ルクレイン殿下は常に冷静であり、完璧な聖人君子だった。
王族としての礼節を決して崩さず、言葉遣いも常に優雅で丁寧。
一人称はいつだって「私」だった。
それが、今日はどうだ。
『起きてる』
『普通』
一人称は『俺』。
まるで中身がごっそり別の何かに成り代わったかのような変貌ぶりだ。
あまりにも生真面目に生きてきた反動で、一晩で精神のタガが外れてしまったのだろうか。
「何じろじろ見てんだよ」
「いえ。何でもございません」
「それ」
「はい?」
「その不自然な喋り方、やってて疲れねえの?」
「……私の喋り方、でしょうか」
「そうだよ。さっきから殿下、殿下ってさ。『~でございます』とか『左様ですか』とかよ」
「私は殿下にお仕えする身ですので、当然でございます」
「堅苦しいんだよ、四角四面か!」
「…………」
ルクレインはマクシミリアンを頭のてっぺんから足の先まで、小馬鹿にするような目で眺め回した。
背筋は定規を入れたようにピンと真っ直ぐ。
服には皺一つ、糸くず一つない。
表情に至ってはぴくりとも動かない鉄仮面。
「朝っぱらから背筋ピンッて伸ばして、顔ガチガチに固めてさ。お前、葬式屋の営業マンかよ」
――その瞬間だった。
ピコンッ!!
【スキル《悪口》発動】
【☠ HIT】
視界の端に、謎のドクロマークと共にポップアップが出現した。
さらにマクシミリアンの頭上には、格闘ゲームのような細長いゲージまで表示されている。
【マクシミリアン:精神耐久値 92/100】
「は……? なんだこれ!?」
ルクレインは思わず目をパチパチと瞬かせた。
と、同時に。
「……ッ!?」
マクシミリアンの長身が、まるで落雷を受けたかのようにビクッと揺れた。
「……おい?」
「……は、はい……ッ!」
「お前……今、なんかあったか?」
「な……何のことでしょうか……っ」
ルクレインは宙に浮かぶ半透明のゲージを見つめた。
どうやらこの不気味な画面は、マクシミリアンには見えていないらしい。
*
一方、当のマクシミリアンは、己の身に起きた異変に狼狽していた。
(……な、何だ……!? 今のは一体……!?)
魂の奥を、冷たい刃で直接えぐられたような強烈な衝撃。
肉体への物理攻撃ではない。
少なくとも、マクシミリアンの知る魔術でもない。
《夜行》に所属していた頃、刃を突きつけられたことも、死の淵をさまよったことも一度や二度ではない。
そのたびに感情を殺し、精神を鍛え上げてきた。
どんな拷問を受けても決して動じない。
その自負が、マクシミリアンにはあった。
なのに――今。
主人のたった一言の「暴言」によって、自慢の精神が容易く斬り裂かれた。
そして、斬り裂かれたその瞬間――。
「……っあ……!」
背筋から脳のてっぺんに向かって、ゾクゾクとする恐ろしいほどの【快感】が駆け抜けたのだ。
(……な、何だこの……脳が痺れるような感覚は……!?)
マクシミリアンは人生で一度も味わったことのない感覚に困惑し、震えた。
ルクレインはそんなマクシミリアンの様子に気づくこともなく、呆れたように吐き捨てた。
「お前、絶対友達いねえだろ」
ピコンッ!
【☠ HIT】
【マクシミリアン:精神耐久値 84/100】
「……っっあ……う……っ!?」
再び、甘美な痺れが全身を駆け抜けた。
マクシミリアンは膝をガクガクと震わせ、必死に壁を掴んで耐えた。
「…………」
ルクレインは減っていくゲージと、なぜか顔を赤くして息を荒らげている従者を交互に見つめた。
さっぱり意味が分からない。
「……本当、よく分かんねえ謎スキルだな……」
ルクレインが興味を失ってフンと鼻を鳴らす横で、マクシミリアンは荒い息を吐きながら、熱に浮かされた瞳でじっと主人を見つめていた。
(……もう一度……もう一度だけ……お言葉をいただけないだろうか……っ!)




