第29話 三強
「承知いたしました」
マクシミリアンがノータイムで即答する。
そして、母の凍てつくような笑みがメイへ注がれた。
「メイ」
「は、はいッ!」
「あなたのお掃除の仕方は……後ほどじっくり採点しますからね」
「…………!」
メイの背筋が、これ以上ないほどピンと伸び切った。
「……頑張りなさい」
「はいッ!!」
「お前、返事デカくなってねえか?」
「……黙ってください」
「急に気合入ったな」
「奥様がご覧になっています。失点は許されません」
メイが銀の籠手をギリリと握り締める。
「急に怖えよ……」
マクシミリアンが、静かに息を吐いた。
「……そうですね」
背後を一度だけ振り返る。
ロザリアの傍らには、絶対防衛圏を敷く母がいる。
「後顧の憂いもなくなったところです……」
妖刀|《焔》の柄を握った。
「こちらも――とっておきをお見せしましょう」
「……あ?」
グロガリが不穏な気配を察し、眉を寄せる。
妖刀|《焔》が、ゆっくりと鞘から抜かれていく。
半分。
鞘の隙間から、陽炎のような揺らめきが立ち昇った。
広場の篝火が、まるで怯えたように一斉に揺らぐ。
三分の二。
空気が、熱を帯びる。
そして。
完全に抜き放たれた。
黒みを帯びた刀身。
その刃文に沿って、紅蓮の光が脈打つように走っている。
刀そのものが、呼吸をしているかのようだった。
八相に構える。
ただそれだけで――広場の空気が、一変した。
「……っ」
アギトたちが、本能で一歩後ずさる。
鱗の下の皮膚が、ぞわりと粟立った。
「か、囲めッ!」
グロガリが叫ぶ。
「盾を重ねろ! 隙間を作るな!」
対斬撃用のアダマンタイト防盾が、一斉に構えられる。
二重、三重。
黒銀の防壁が、マクシミリアンを幾重にも包囲した。
「ハッ、これなら斬れる道理がねえ!」
マクシミリアンは静かに息を吸う。
「――参ります」
|《斬刀》
|《焔》が、横一文字に振るわれた。
音も、予兆もなく。
一閃。
次の瞬間――。
ズバァァァァァンッ!!
紅蓮の刃線が、包囲の輪をなぞるように、完璧な円を描いて駆け抜けた。
「な――」
アダマンタイトの巨大防盾が。
紙切れのように、横一列に裂けた。
対斬撃用の魔術刻印が、爆発的な光を放つ。
だが、刀身に宿る断絶の力の前には、耐えることすら許されない。
刻印が砕け散り。
防盾が上下に断ち割られて滑り落ち。
その後ろで盾を支えていたアギトたちの巨大な胴体まで――まとめて一刀両断に薙ぎ払われる。
「が……」
一拍。
ズルッ――。
アギトたちの上半身が、一斉に地面へ滑り落ちる。
巨大な肉体が、石床へ崩れ落ちた。
両断された盾の断面は、赤く熔けて煙を上げていた。
ゾランが目を丸くする。
「……おいおい」
マクシミリアンは|《焔》を静かに下ろした。
「やはり、抜くと加減が利きませんね」
「惚れ惚れするような腕前じゃねえか。……ったく、呆れるぜ」
ゾランが短く口笛を吹く。
その口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「そこまで格好つけられちゃ、俺も見せ場を作らにゃ男がすたるな」
二本の細剣を、華麗に交差させて構える。
ゾランの全身から、青白く澄み渡る絶対零度の冷気が、渦となって吹き荒れ始めた。
「英雄の真似事なんざ柄じゃねえが」
一拍。
「今夜くらいは、つまらねえ見栄を張ってやるよ」
石床に霜が走る。
バキバキと音を立て、広場が一瞬で白銀に覆われていく。
ゾランの吐く息が、白く凍った。
ゾランが、流し目で笑う。
細剣の切っ先が、静かに床へ触れた。
「凍えて眠れ。――|《氷牙》」
ドンッ!!
石床が爆ぜた。
ドドドドドドドドッ!!
巨大な氷柱が、地面から逆さの牙のように次々と突き上がる。
「なっ!?」
一体。
二体。
さらに数体。
アギトたちの巨体が下から貫かれ、宙へ持ち上げられていく。
「ぐあああッ!」
「がッ……!」
硬い鱗の隙間を、巨大な氷牙が突き抜ける。
数体のアギトが、氷の牙に縫い止められたまま、動かなくなった。
広場に、凍てついた墓標が林立する。
ゾランは背を向けたまま、細剣を一振りして霜を払った。
「……墓標にしちゃ、上等だろ」
振り返りもしない。
だが、その膝がわずかに震えたのを、彼は誰にも見せなかった。
(……やっぱ、これ燃費悪すぎだろ)
ニヤリと笑い、二本の細剣を指先でくるりと旋回させ、優雅に鞘へ納めてみせる。
「ま、見栄張るときくらいは、出し惜しみなしだ」
そして。
メイが、静かに一歩前へ出た。
長いまつ毛に縁取られた目を閉じ、しなやかな身体のラインを際立たせながら、深く息を吸う。
メイドドレスの裾を指先でそっと摘まむと、ロザリアの母へ向かって、美しく優雅に一礼した。
「奥様。ご覧くださいませ」
「あら。ええ、拝見していますよ、メイ」
「はい」
メイが顔を上げた瞬間、その瞳から甘さが消え去り、妖艶な殺気が満ちあふれた。
「――戦闘舞踏、開始いたします」
「戦闘……何?」
ゾランが、その艶やかな背中に目を奪われる。
次の瞬間。
メイが舞った。
踏み込んだ脚がしなやかに躍動し、残像を残して一体目のアギトの懐へ深く潜り込む。
一歩。
二歩。
くるりと可憐に身体を反転させる。
膨らんだスカートから覗くガータベルトの金具が、篝火の光を浴びて眩しく濡れた。
「失礼」
吐息とともに、銀の籠手が閃く。
ドゴッ!!
みぞおちへ、寸分違わぬ鋭さで拳が深々と突き刺さる。
「ぐぼッ!?」
悶絶するアギトの巨腕を、吸い付くように奪う。
くるり。
相手の巨体ごと、舞踏のパートナーのように旋回させた。
「一、二――」
再びふわりとスカートが翻り、黒いストッキングに包まれた美脚がしなやかにしなる。
バキィッ!!
超高速の回転蹴りが、アギトの側頭部を破壊した。
「三」
巨体が駒のように吹っ飛ぶ。
次の一体。
半歩。
流れるような回転。
大振りの腕を、紙一重でかわす。
汗ばんだ鎖骨が、妖しく光った。
相手の手首を、優しく絡め取る。
「次の方」
「なっ――」
手繰り寄せ、強引に引き寄せる。
吸い付くような腰のひねりからの――膝。
ドゴッ!
鼻骨を打ち砕き、顎が跳ね上がる。
拳。
肘。
みぞおち。
流れるような連撃の最後、銀の装甲靴が鋭く、こめかみを撃ち抜いた。
ドォンッ!!
二体目が沈む。
メイの舞いは止まらない。
右。
左。
一歩。
二歩。
回転。
踏み込み。
しなやかな肉体美を描きながら、銀の籠手と脚線美が踊る。
アギトの群れの中心で。
舞う。
舞う。
舞う。
伸ばされた腕を、愛おしそうに取り。
相手をワルツのように回し。
その勢いをそのまま利用して、急所へ痛烈な一撃を叩き込み。
次の敵へ、滑るように移っていく。
「一」
ゴキッ!
「二」
バキィッ!
「三」
ドゴォンッ!!
巨体たちが次々と、メイの優雅な足元へひれ伏すように沈んでいく。
そして。
最後の一体へ、吸い込まれるように踏み込んだ。
「これで――」
薄い唇から、甘く冷たい吐息が溢れる。
身体を鋭く旋回させた。
「最後です!」
バゴォォンッ!!
銀の装甲靴が側頭部へ直撃。
重量級のアギトが石柱へ叩きつけられ、そのまま力なく崩れ落ちた。
メイは回転の勢いを殺し、華麗に着地――。
「……っ」
タンッ。
タタッ。
「……!」
右足が、ほんのわずかに流れた。
メイは二歩ほどたたらを踏み、どうにか体勢を立て直す。
胸元を大きく上下させ、乱れた息を整えた。
「…………」
何事もなかったかのようにスカートの裾を整え。
ロザリアの母へ向かって、凛とした佇まいで深々と一礼する。
「以上でございます」
「あら」
「…………」
メイの肩が、ぴくりと揺れた。
母がにこやかに微笑む。
「最後の着地」
一拍。
「少し乱れましたね?」
「…………っ!」
メイの美しい顔から、一気に血の気が引いた。
「も、申し訳ございません……!」
「うふふ。採点は、あとでゆっくりいたしますから」
「…………はい」
ゾランが横目で、そのやり取りを見る。
「完全に魔族より身内を怖がってんじゃねえか」
「……黙ってください」
メイが一歩動こうとする。
「……っ」
右足へ体重を掛けた瞬間、わずかに眉をひそめた。
スラリと伸びる右足首へ、視線を落とす。
(……最後の着地で、少し捻りましたか)
広場の向こう側。
残っているのは――二体。
巨漢のグロガリ。
そして、その副官らしきアギト。
足元には、配下たちの死体が累々と転がっている。
ゾランが、マクシミリアンに声をかける。
「おい。俺のほうは、しばらくガス欠だ。後はよろしくな」
言い終わると、ひらひらと手を振りながら、後方のロザリアたちの元へ戻ってくる。
その途中で、ゾランはメイの右足を庇うような重心に目を留めた。
「お前も、無理すんな。あいつに任せな」
「しかし、あのグロガリという首領は、一筋縄ではいきません」
「お前は、マクシミリアンって男を知らねえだろ」
ゾランは、口の端を吊り上げた。
「あいつは、『夜行』始まって以来の化け物だ。まあ、見てなって」
楽しそうにそう言うと、ゾランは声を張り上げた。
「おーい、マクシミリアン! メイドの姉ちゃんも加勢しねえから、一人で思いっきりやっていいぞ」




