第28話 お母様
「…………は?」
ゾランの目が、限界まで見開かれたまま点になった。
エメラルドの光で形作られた巨大な女性が、優雅にロザリアへ振り返る。
「あら?」
可憐に目を丸くし――。
「あらあらあら、ロザリアちゃん!」
「お母様ッ!」
ロザリアが、花が咲くような満面の笑みで駆け寄った。
「パパのピンチだと思って出てきてみたら……あなただったのねぇ」
母はロザリアの胸元へ、愛おしそうに視線を落とした。
「そのネックレス、パパから借りたのかしら?」
「はい、お母様!」
「あら、そうだったの」
にっこりと微笑む。
つい数秒前、巨大魔族の首を往復ビンタでねじ切ったバケモノと同一人物とは到底信じられない、聖母のように神聖で穏やかな笑顔だった。
「まあ、お母様! 相変わらず理不尽な強さですわ! 心から憧れますわ!」
「うふふ、ありがとう、ロザリアちゃん」
「……なんだ、てめえはァッ!!」
空気を読まない怒声が飛んだ。
もう一体のアギトだった。
まだピクピクと痙攣している首なし死体を一瞥し、怒りで顔を真っ赤に染めながら、凶暴な牙をガチガチと鳴らしている。
「親子だかなんだか知らねえが……調子に乗ってんじゃねえぞ!!」
ズンッ!! と地響きを立てて一歩踏み出す。
そして、ロザリアへ向けて太い腕を強引に伸ばした。
「おい、そこのクソガキ! こっちへ来――」
「……このミジンコが」
「……は?」
アギトの腕が、ピタッと空中で凍りついた。
母が、ゆっくりと振り返る。
「このゾウリムシが」
「な、何だと……?」
透き通るような母の美しい額に、極太の青筋がメリメリと浮かび上がっていた。
「私のロザリアちゃんに――」
一歩。
残像すら残さず、空間を滑るように距離を詰める。
「不躾に近づかないでちょうだいッ!!」
ガシィッ!!
逃げる暇もない超スピードで、アギトの首根っこが掴み取られた。
「なっ!?」
グイッ!!
一トンを超える巨体が、まるで雑草でも引き抜くように引き寄せられる。
パァンッ!!
「ぐぼッ!?」
パァンッ!!
「ま、待っ――」
パァンッ! パァンッ! パァンッ! パァンッ!
「がっ! がががががっ!?」
再び始まる、音速を超えた地獄の往復ビンタ!!
パパパパパパパパパパパパパパパパァンッ!!
「ぎゃあああああッ!! 助けッ――」
もはや手が見えない。
両手の残像が扇状に広がり、破裂音が爆風となって広場中に吹き荒れる。
グルンッ!!
首が一回転。
さらに――ッ!
グルンッ!!
ブチィィィッ!!
ネジを締め切るかのように、二体目の首も容赦なくねじ切られた。
ポーン。
「…………」
巨大な頭部が綺麗な放物線を描いて宙を舞い――ドスンッ!! と、後方に控えていたアギト軍団の真ん中へ落ちた。
「…………」
アギトたちが、足元で虚無の目をして転がる仲間の首を見下ろす。
それから。
スッ……と顔を上げ、ゆっくりと、ロザリアの母を見上げた。
「…………」
誰も動けない。呼吸すら忘れている。
母は何事もなかったかのように両手をパッパと払い、ロザリアへ振り返った。
「あら、ごめんなさいね、ロザリアちゃん」
「はい?」
「不快な害虫が近づいてきたものですから」
「まあ、お母様! 害虫駆除もお見事ですわ!」
ロザリアの瞳が、きらっきらに輝く。
「……お、奥様」
少し離れた場所から、メイが声にならないかすれ声で呟いた。
「あら?」
母の視線が、スッとそちらへ向く。
「あら、メイもいたのねぇ」
「……はい、奥様ッ!!」
先ほどまで素手で巨漢魔族の骨を砕いていた、あの鬼神メイの背筋が――超高圧電流を流されたかのように、ピシィィィンッ!! と直立不動に伸び切った。
母が改めて周囲を見渡す。
転がる首。転がる肉塊。困惑する敵軍。包囲されているマクシミリアン。口を開けて固まるゾラン。
そして――ロザリアから離れた位置に孤立しているメイ。
「あらあら」
母が頬へ優雅に手を添えた。
「ずいぶん、お行儀の悪い騒ぎ方ねぇ」
「…………っ」
メイのこめかみから、滝のような冷や汗が噴き出し始める。
ニコニコとした笑顔のまま、母の視線がメイの眉間に突き刺さった。
「それにしても……」
「……は、はい」
「私の大事なロザリアちゃんが、私を呼び出す羽目になるなんて」
「…………」
「メ イ ?」
「はいッッ!!(裏返り)」
返事のキレと音量だけは、世界最高峰だった。
「あなた――何をやっていたのかしら?」
「…………っ!!」
メイの肩がガクガクと激しく跳ね上がる。
「い、いえ、奥様! これはその、敵の誘導作戦に引っかかってしまい――」
「あら?」
母の笑顔の奥で、瞳から光が完全に消えた。
「言い訳かしら?」
「…………っ!(絶句)」
「お屋敷へ戻ったら」
一拍。
「私のお部屋へ来なさい。ね?」
「………………はい(絶望)」
無敵のメイド・メイの顔面から、あらゆる血の気がサーッと引き、紙のように真っ白になった。
ゾランが思わず二度見する。
「……おい」
「……何でしょうか」
「お前、そんな怯えた仔犬みたいな顔できるんだな」
「……黙ってください」
「いや、完全に膝ガクガクいって――」
「……黙れと言っているでしょうがッ!!」
限界を超えた殺気とともに、二度目の言葉が叩きつけられた。
そのとき。
「……な、なんだあいつは……!?」
引きつった低い声が広場に響いた。
グロガリだった。
二体。
精鋭のアギトが二体。
何ひとつ攻撃させてもらえず、往復ビンタで首をねじ切られて瞬殺されたのだ。
さすがのグロガリからも、先ほどまでの余裕は消え失せていた。
「……一体ずつ行くな、アホどもが!」
引きつった笑いを浮かべながら、周囲の部下へ命じる。
「おい! お前ら三人!」
「……お、俺たちがッ!?」
「一斉に行け! 囲め! 三方向から同時に叩き潰せ!!」
三体のアギトが顔を見合わせ、前に出た。
正面。右。左。
ロザリアと母を取り囲むように広がり、じりじりと距離を詰めていく。
母は、その様子を見て――。
天使のように、にっこりと微笑んだ。
「そこまでにしなさい」
「…………!?」
三体がビクッと足を止める。
「それ以上、ロザリアちゃんに近づいたら――」
どこまでも甘く、優しいお母様の声のまま。
「だるまさんにして差し上げますわよ」
「…………は?」
三体のアギトが顔を見合わせた。
「だるま……?」
「なんだそりゃ」
「ハッタリだろ。見かけ倒しの脅しだ……」
先ほどまでの恐怖を打ち消すように、先頭の一体が鼻で笑った。
「そんな脅しで止まると思ってんのか?」
一歩、ロザリアへ踏み込む。
母は、ただニコニコと立っている。
「ほら見ろ! 何もできねえじゃ――」
「言いましたわよねぇ?」
「……え?」
次の瞬間。
ブチッ!!
「…………は?」
アギトの右腕が、根元から弾け飛んだ。
本人が痛みを感じるより早く――。
ブチッ!!(左腕消失)
「え?」
ブチッ!!(右脚消失)
「な――」
ブチッ!!(左脚消失)
四肢が。
一瞬で、切断された。
「…………え?」
コンマ一秒の出来事だった。
支えを失った巨体が――。
ドスンッ!!
完璧な丸太(胴体のみ)になって、石床へ転がった。
「ぎゃ……あ……???」
何が起きたのか脳の処理が追いつかず、胴体だけになったアギトが虚空を仰ぐ。
母は、ロザリアの前に佇んでいた。
何事もなかったかのように、美しい髪をかき上げる。
「ですからぁ」
にっこりと笑う。
「だるまさんにして差し上げると、申し上げましたでしょう?」
「………………」
残る二体のアギトが、完全にフリーズした。
一歩も、動かない。
いや――動けない。
「お、おい……」
「無理だろ……あれ……」
凶暴な魔族のプライドと戦意が、粉微塵に砕け散った。
母は転がるだるまにも、固まった二体にも一瞥すらくれず、ロザリアへ振り返る。
「ロザリアちゃん」
「はい、お母様!」
「私はね、このネックレスの周りからは離れられないのよ」
「そうなのですか?」
「ええ。この姿で動ける範囲には、制限があるの」
母は優しく微笑み、ロザリアの頬へそっと手を添えた。
「でも、安心しなさいな」
一拍。
「この範囲にいる限り――あなたには絶対に、指一本触れさせないわ」
「はいっ、お母様! 頼もしいですわ!」
そのイカれたやり取りを遠目に見ていたゾランが、引きつった顔のまま、盾に囲まれたマクシミリアンへ声を飛ばす。
「……おぉい、マクシミリアン」
「何でしょう」
「あれ、誰だ?」
「リンデール公爵夫人の精神体のようですね」
「いや、母親なのは今ので分かった」
ゾランが顔をしかめる。
「なんでネックレスから出てきて、ワニの首をビンタでねじ切ってんだよ」
マクシミリアンは、少し考えるように目を細めた。
「あの方は、かつて王国随一の大魔導士だったと聞いています」
「……王国随一?」
「はい」
マクシミリアンは淡々と続ける。
「圧倒的な魔力量と、常識外れの魔術技術を持ち、若い頃は王国内で知らぬ者はいなかったとか」
「へえ……」
「もっとも」
一拍。
「一部では、『狂気の魔女』『災厄の種』とも呼ばれていたそうですが」
「……そっちだろ!! 絶対そっちの異名が正解だろ!!」
ゾランが秒で叫んだ。
目の前では、血を流す胴体(元・アギト)を足元に転がしたまま、公爵夫人が娘と優雅にお茶会のような笑みを交わしている。
「あんな危険物、ネックレスに入れて持ち歩いてんじゃねえよ! 封印指定レベルだろ!!」
そのとき。
「マクシミリアン」
「はい」
「ゾランさんも」
「……俺の名前まで把握してんのかよ!? 怖えんだが!?」
母が二人へ微笑みかける。
「ロザリアちゃんは私が守ります」
そして。
周囲のアギトたちを、ちらりと見回した。
「ですから、あなたたちは――」
優雅な笑みのまま。
「さっさと、お掃除を終わらせてしまいなさい」
「承知いたしました」
マクシミリアンが即答する。
「完全に生ゴミ扱いじゃねえか……!」
ゾランが絶句した。
そして。
母の絶対零度の視線が、直立不動のメイへ向く。
「メイ?」
「はッ!! はいッ!!!」
メイの背筋が、さらに反り返らんばかりの勢いで伸びた。
「あなたのお掃除の仕方は――じ〜っくり採点しますからね?」
「…………っ!!!!」
「頑張りなさい」
「はいッッッ!!!!」
ゾランが思わず二度見した。
「お前、返事のデカさと気合がおかしくなってねえか!?」
「……黙ってください」
メイの目は、完全に血走っていた。
銀の籠手がギシギシと悲鳴を上げるほど、強く拳が握り締められる。
「奥様がご覧になっています……! 減点……減点だけは、死んでも許されません……!!」
「魔族より身内を怖がってんじゃねえよ!!」
母は満足そうに「うふふ」と微笑んだ。
「その意気ですよ、メイ」
「がんばって、メイ」
ロザリアも応援する。
「はいッッ!! お嬢様!」
マクシミリアンが静かに|《焔》へ手を添え、ゾランも細剣を構え直す。
メイは、魔族どころか世界すら滅ぼしかねない気迫を全身から撒き散らし、一歩前へ踏み出した。
ロザリアの母はその三人を見送りながら、最後まで可憐に微笑んでいた。
「では――」
エメラルドの光を、神々しく散らしながら。
「ゴミ拾い、よろしくお願いしますねぇ」




