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第25話 顎(アギト)

「報告しますッ!!」


 石室の重厚な扉が勢いよく開かれ、一人の魔族兵が転がり込むように駆け込んできた。


 石の椅子に深々と腰掛けていたドラコが、黒々とした鈍い鱗に覆われた顔を向ける。


「だ、第一迎撃線、完全に突破されましたッ!」

「……何?」

「第二迎撃線も、もはや持ちませんッ!」

「馬鹿な……!」


 傍らに控えていたカメレオの、左右に離れた不気味な丸い目がぎょろりと泳いだ。


「すでに王子どもの捜索すら打ち切り、全軍を迎撃へ回しているのですよ!?」

「は、はい! ですが……第一入口より侵入した部隊が、あまりにも異常に強すぎて……!」


 ドラコの濁った瞳が、殺気を込めて鋭く細められる。


「何人だ」

「じゅ、十名ほどです!」

「…………十名?」


一拍。

ドラコの低い声が落ちた。


「たった十名の人間すら止められんというのか」

「そ、それが……!」


報告兵の顔が、恐怖で土気色に染まる。


「その中に……明らかに規格外の者が三名おります!」

「規格外?」

「はっ! 一人は剣を抜いた瞬間すら視認できぬほどの死神のごとき剣士!」


報告兵がごくりと唾を飲み込む。


「もう一人は、二本の細剣を自在に操る男! 我らの攻撃を紙一重でかわしながら、急所だけを寸分違わず貫いてまいります!」

「……もう一人は?」

「…………」


報告兵が一瞬、口ごもった。


「どうした」

「……メ、メイドです」

「…………何?」

「メイドですッ!」


石室に、えも言われぬ異質な沈黙が落ちた。


「その女が……素手で我らの兵を次々と吹き飛ばしております!」

「…………」


ドラコの眉間に、凶悪な深い皺が刻まれる。


「ふざけた真似を……」


カメレオが慄える声で低く呟いた。


「ですが、現実です! このままでは……」


左右の丸い目が、落ち着きなくぎょろぎょろと動き回る。


「いずれ、この本部まで踏み込まれます!」


ドラコの太い尾が、激しい苛立ちとともに石床を叩き割った。


ドガァンッ!!


「クソッ……!」


通常の兵では止められない。

罠もことごとく見破られる。

数を頼みに押し潰そうとしても、次々と返り討ちに遭う。


ドラコはしばらく無言のまま、冷酷な目で報告兵を睨み据えていた。

やがて――。


「……《顎》アギトを出す」

「…………」


カメレオの動きが、ピタリと止まった。


「……今、何とおっしゃいました?」

「《顎(アギト)》を出せ」

「なッ……!?」


カメレオの顔色が一変した。


「《顎》を……本気で投入するおつもりですか!?」

「ああ」

「しかし、あれは……!」


カメレオが思わず身を乗り出す。


「対王国戦の切り札として、極秘裏に編成された特別部隊ですぞ!」

「分かっている」

「しかも、あまりにも獰猛すぎる!」


カメレオの声が裏返り、上ずった。


「敵味方の区別すら怪しい連中だ! 一度戦場へ解き放てば、味方の兵まで容赦なく巻き込む危険性があります!」

「それも分かっている」

「ならば――」

「だからこそ」


ドラコがぎろりと鋭い眼光で睨みつける。


「今まで使わなかったのだ」

「…………」

「だが、通常の兵では奴らを止められん」


ドラコが巨体を揺らし、ゆっくりと立ち上がった。


「このまま本部を落とされるより、多少の味方が巻き込まれた方が遥かにましだ」


黄金の瞳に、残酷な光が宿る。


「《顎(アギト)》を解放しろ」


◇


黒の迷宮内部。

通常の魔族兵でさえ立ち入りを禁じられた、厳重極まる隔離区画。


分厚い重装石壁。

幾重にも固く閉ざされた巨大な鉄扉。

その奥の暗闇の中に、異様な熱気を孕んだ巨大な収容室が存在していた。


グルルルルル……。


獣のごとき低い唸り声が、暗い石壁に反響し、重なる。


そこにいたのは、二十一体におよぶ異形の巨大魔族だった。

どの個体も、巨躯を誇るドラコと比べても何ら見劣りしない。


その姿は、巨大なワニに似ていた。

だが、通常の爬虫類型魔族とは明らかに異質だった。


全身を覆う黒緑色の硬質な外皮。

それはもはや鱗などではなく、何層もの岩盤を重ね合わせた天然の要塞装甲。

胸、肩、背中、極太の腕。

隙間なく連なる硬質な甲冑のごとき外皮は、並の鋼の剣では刃を立てることすら不可能だった。


そして何より異様なのが、その巨顎だった。


頭部の半分近くを占める、禍々しいまでに巨大な顎。

一度口を開けば、人間の胴体など一噛みで噛み砕くほどに大きい。

そこにズラリと並ぶ牙も、通常の魔族の比ではなかった。


太く、長く、一本一本が凶悪な短剣そのもの。

噛み砕き、引き裂き、そして――喰らうためだけに存在する殺戮の歯列。


対王国戦を想定して編成されながら、そのあまりの凶暴性ゆえに存在すら秘匿されてきた狂乱の部隊。


――《顎(アギト)》。


そして。

その中に、一際巨大な影が佇んでいた。


他のよりも頭一つ高く、肩幅も、丸太のような腕も、巨大な顎も、すべてが一回り巨大。


《顎(アギト)》を統率する男――グロガリ。


重い鉄格子の前までドラコが歩み寄る。


「お前たちに、仕事をやる」


暗闇の中から、酷薄な笑い声が漏れた。


「……ククク」

「やっとかよ」

「退屈で腐りそうだったぜ」

「人間か?」

「腹が減って死にそうだ……」


グロガリが、ぬっと暗闇から前へ出た。

巨大な顎がギチギチと音を立てて開く。

短剣のような牙の隙間から、粘ついた唾液が糸を引いて床へ落ちた。


「で、ドラコさんよ」


グロガリがにたりと口端を吊り上げる。


「今日は――食っていいんだな?」


その一言で。

室内の空気が、一瞬で狂気に跳ね上がった。


「おい!」

「食っていいってよ!」

「俺が先だ!」

「ふざけんな、俺だ!」

「頭は俺によこせ!」

「柔らかい腹は俺が食う!」

「全部俺が食い尽くしてやる!」

「お前一人で食えるかよ!」


ガシャァァン!!


二十体近い巨躯が、一斉に鉄格子へと殺到した。

分厚い鉄格子が、悲鳴のような音を立てて激しく軋む。


「静まれッ!!」


ドラコの咆哮が収容室を震わせた。

だが、《顎》たちは牙を剥き出しにしたまま、喉の奥で狂喜の笑いを漏らし続けている。


「本来ならば、むやみに人間を喰らうことは許さん」

「人間を消しすぎれば、我ら魔族の存在を王国側に悟られるからな」


わずかに静まる《顎》たち。


「ゆえに、これまでは抑えていた」


ドラコが一拍置いた。

瞳を、冷酷に細める。


「だが――今は構わん」


しん――。


一瞬の静寂。

そして、次の瞬間――。


「俺が食うッ!!」

「いや俺だぁぁぁッ!!」

「全員食い殺してやるッ!!」

「一匹残らず食い尽くしてやるぞ!」

「骨の髄までしゃぶってやる!」

「早く開けろぉぉぉッ!!」


ガシャガシャァァァン!!


狂乱した巨躯がぶつかり合い、鉄格子が壊れんばかりに揺れる。

カメレオが思わず引きつった顔で半歩下がった。


「……相変わらず、情け容赦のない獣どもですね」


ドラコが鼻を鳴らす。


「だから今まで封印していた」


グロガリが巨大な牙を剥き出しにして、獰猛に笑う。


「十人だっけか?」

「ああ」

「たった十人で、ここまで進んできてるのか」


グロガリの黄金の瞳が、血に餓えた色に染まる。


「そりゃあ――」


ザラついた長い舌が、短剣のような牙の表面をゆっくりとなぞった。


「ちょっとは食い応えがありそうじゃねえか」


ドラコが鉄格子の脇にある解錠機構へ視線を送った。


「開けろ」


重い鉄錠が、一つ外れる。

――ガコン。


二つ目。

――ガコン。


三つ目。

――ガコン。


重厚な鉄格子が、重い音を立ててゆっくりと持ち上がっていく。

その隙間から、無数の巨大な足が地響きとともに踏み出した。


「行け」


ドラコが低く命じる。


「侵入者を――一匹残らず喰らい尽くせ」


「「「オオオオオオオオオオッ!!!」」」


二十体の《顎(アギト)》が一斉に雄叫びを上げた。

先頭に立つグロガリが、丸太のような両拳を激しく打ち鳴らす。


「聞いたな、野郎ども!」

「「「オオオオッ!!」」」

「久しぶりの極上のメシだ!」

「「「うおおおおおおッ!!!」」」

「早い者勝ちだ! 喰い散らかせぇッ!」


解き放たれた狂乱の《顎(アギト)》たちは、血と肉を求め、ロザリア達へと激流のごとく雪崩れ込んでいった。


 

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