第22話 最短経路
「そこですわ! 右端の石を踏んではいけません!」
ロザリアの声が、薄暗い通路に響き渡った。
先頭を進む騎士たちが、一斉にピタリと足を止める。
大盾の騎士の一人が緊張した面持ちで長槍を伸ばし、ロザリアの示した石床を柄の先で慎重に押し込んだ。
――カチッ。
ガコンッ!!
石畳が激しい音を立てて跳ね上がり、その下から無数の鉄杭が牙を剥いた。
「…………」
騎士たちの顔が、瞬時に引きつる。
「次は左の壁ですわ。そこから仕掛け槍が出ます!」
ロザリアが間髪入れずに指を差した。
騎士が恐る恐る、壁際へ槍の柄を押し当てる。
ドシュッ!!
寒気のするような風切り音とともに、鋼の槍が三本、勢いよく飛び出して通路を横切った。
「……本当に、全部見えているのか……」
騎士の一人が汗を拭いながら、呆然と呟いた。
ロザリアの瞳は、今も鮮やかなエメラルドに輝いている。
その視界には、迷宮に潜むあらゆる死の危険が、警告となって次々と浮かび上がっていた。
【危険:落とし穴(鉄杭多数)】
【危険:壁面仕掛け槍】
【危険:天井毒矢】
そして、それらすべてを避けるように、一筋のエメラルドの光の道が奥へ奥へと伸びている。
【最適安全経路】
「こちらですわ! 次の分岐を左へ!」
ロザリアを先導役に据え、部隊は猛然と進む。
一歩ごとに床や壁を打診していた頃とは、もはや比較にすらならない速度だった。
「その三枚先の石は踏まないでくださいませ!」
「了解!」
「次の角は安全です! そのまま駆け抜けてください!」
次々と牙を剥く罠を、部隊はあざ笑うかのようにかわしていく。
やがて――。
ロザリアの視界に、それまでとは異なる警告が表示された。
【敵性反応:前方二十五歩】
【個体数:3】
ロザリアがピタリと足を止める。
「皆様、お止まりになって」
一行が即座に停止した。
「どうされました、ロザリア様?」
マクシミリアンが静かに問う。
「この先に三人……いえ、三体おりますわ」
「位置は?」
「角を曲がった直後です。右に二体、左に一体」
「承知しました」
マクシミリアンが《焔》の柄へ、吸い付くように右手を添えた。
「俺も行く」
ゾランもまた、左右の腰に差したレイピアの柄へ軽やかに手を置く。
二人が静かな殺気を漂わせながら前へ出る。
後ろでは大盾の騎士たちが、ゴクリと唾を飲み込んで身構えた。
敵の正体は、まだ分からない。
ただ、この迷宮に何者かが潜んでいることだけは確かだった。
そして――。
マクシミリアンとゾランが角を曲がった、まさにその瞬間!
「侵入者だ!」
闇の中から、三つの巨大な影が一斉に振り返った。
「…………っ!?」
後方の騎士たちが、思わず息を呑んだ。
そこにいたのは――到底、人間ではなかった。
人間より一回り大きな、筋骨隆々の巨躯。
緑や灰褐色の、硬く気味の悪い鱗。
裂けた口に鋭い牙を並べた、爬虫類じみた顔。
胸や肩には粗雑な鉄鎧を纏い、その手には分厚い大剣が握られていた。
「ま……魔族……!?」
一人の騎士が、掠れた悲鳴のような声を漏らした。
「魔族だと!? なぜこんな場所に……っ!?」
「王子二人の誘拐に……魔族が関わっているというのか!?」
部隊の列に、目に見える動揺が走った。
だが――。
「関係ありません」
最前線のマクシミリアンだけは、眉一つ動かさなかった。
「何……!?」
一体の魔族兵が唸り声を上げ、大剣を構え直す。
マクシミリアンの右手が、《焔》の柄を握り締め――。
「相手が人間であろうと、魔族であろうと――」
鞘から、白刃が奔った。
――スキル《抜刀》。
「殿下の行く手を阻む者なら……斬り捨てるのみです」
「が――っ!?」
次の瞬間、一体目の魔族の首から鮮血が噴き出し、巨体がそのまま床へ崩れ落ちた。
「同意だ」
ゾランも滑るように動く。
魔族兵が振り下ろした大剣を紙一重でかわし、その懐へ滑り込んだ。
「人間だろうと魔族だろうと――」
右手のレイピアが、疾風の如き速度で魔族の喉元を穿つ。
「王子を攫ったロクでもない連中なら、やることは変わらん」
二体目が、何が起きたかも理解できぬまま血の海に倒れる。
「貴様らぁぁぁッ!」
残る一体が、怒号とともにマクシミリアンへ襲いかかった。
マクシミリアンの右手が、空気の中に滲んだように見えた。
ザンッ!
魔族の首が跳ね飛び、後方の石壁に激突して、血の跡を残しながら床へ転がる。
首を失った巨体は、勢いのまま数歩進み、そのまま倒れ伏した。
チン――。
鞘の中で、《焔》が鳴った。
時間にすれば、わずか数秒。
「…………」
後方の騎士たちは、あまりの光景に絶句したまま立ち尽くしていた。
「本当に……魔族が……」
「王国内のこんな場所に……奴らが……」
マクシミリアンは足元に転がる三体の死骸を一瞥すると、淡々と告げた。
「進みます」
「少しは驚いたらどうだ、お前……」
ゾランが呆れたように溜息をつく。
「驚いている時間が惜しいので」
「……相変わらずだな」
その時――。
「ほ、本営へ報告します!」
通信役の騎士が我に返り、慌てて腰の通信魔導具を起動させた。
「本営! こちら第一突入部隊!」
『こちら本営。どうした』
「第一接敵地点にて、敵三体を確認! 直ちに全て排除しました!」
『敵の正体は?』
通信役は足元に横たわる異形の死骸を見つめ、一瞬だけ喉を詰まらせた。
そして――はっきりと叫んだ。
「……魔族です! 繰り返します、敵は魔族です!」
◇
「……魔族だと?」
地上の本営。
報告を受けたリンデール公爵の表情が、一瞬で険しくなった。
「はい! 第一入口より突入した部隊が、爬虫類系の魔族三体と接敵! すでに全て排除したとのことです!」
「…………」
公爵は沈黙したまま、『黒の迷宮』の暗い入口を見つめた。
魔族が秘密裏に王国内へ潜入している。
その情報自体は、すでに掴んでいた。
各地で囁かれる不審な目撃情報。
闇社会で暗躍する、人ならざる者たち。
相次ぐ正体不明の失踪事件。
王国上層部でも、魔族の影への警戒は強められていたのだ。
だが――。
「まさか……」
公爵の瞳が、鋭く細められる。
「ここまで深く入り込んでいたとはな……」
王都からほど近いこの地。
第一王子と第二王子の同時失踪。
そして、太古の遺構『黒の迷宮』。
これほど大掛かりな事件の背後に魔族が潜んでいるとなれば、もはや一部の工作員の潜入などという規模ではない。
「全隊へ通達せよ」
公爵の低く重厚な声が響く。
「迷宮内部に魔族が多数潜伏している」
「はっ!」
「これ以降、接敵する相手を人間と思うな。全部隊、最大限の警戒を維持せよ!」
「承知いたしました!」
「ただし――」
公爵は、禍々しい迷宮を真っ直ぐに睨みつけた。
「作戦目的に、一切の変更はない」
その声に、揺らぎは微塵もなかった。
「第一王子リクター殿下、第二王子ルクレイン殿下。両殿下の救出を最優先とする!」
「はっ!!」
「必ず――連れ戻せ!」
◇
「進みますわ!」
ロザリアの掛け声とともに、第一突入部隊は再び進軍を開始した。
「そこ、右側を通ってくださいませ!」
「次の分岐は左へ!」
「その壁には絶対に触れてはいけませんわ!」
落とし穴。
天井の毒矢。
壁の仕掛け槍。
そして、物陰に潜む敵の待ち伏せ。
ロザリアの瞳には、そのすべてが明瞭に浮かび上がっていた。
通信役は走りながら、本営への報告を絶やさない。
「第一安全地点を確保!」
『了解! 後続部隊を進出させる!』
「続いて第二安全地点へ向かいます!」
それまでとは根本的に異なる、怒涛の進撃速度。
罠を調べる時間は不要。
危険な経路を選ぶこともない。
敵の位置や数すら、遭遇する前に把握しているのだ。
(……少しずつ分かってまいりましたわ)
ロザリアは走りながら、視界に浮かぶエメラルドと赤の表示を見つめていた。
このスキル《愛の求導者》。
単に罠を察知するだけの探知能力ではない。
(わたくしが、愛するルクレイン様の元へ向かうために……)
目の前に、再び警告が浮かび上がる。
【危険:天井仕掛け毒矢】
【回避経路:右壁沿い】
(その邪魔になるすべての障害を、教えてくださっているのですわ)
(なんて素晴らしい……まさに愛のための力ですわ!)
ロザリアの表情が、パッと華やぐ。
その勢いのまま、何気なく隣を並走するマクシミリアンへ視線を向けた。
「…………」
ロザリアの足が、ほんの少しだけ止まりかけた。
マクシミリアンの頭上に。
なぜか。
はっきりと、赤い警告表示が浮かび上がっていたのだ。
【接近阻害要因】
【マクシミリアン・レイフォード】
【分類:攻撃型】
【属性:忠誠】
【M属性あり】
【要注意】
「…………ん?」
ロザリアは思わずパチパチと瞬きをした。
もう一度、目を凝らしてよく見る。
【M属性あり】
【要注意】
……やはり消えない。
「…………」
ロザリアは、じーっとマクシミリアンを見つめた。
その視線に気づき、マクシミリアンが静かに振り返る。
「どうされました、ロザリア様?」
「……いえ」
ロザリアは、すっと横へ二歩ほど距離を取った。
「何でもありませんわ」
「そうですか」
マクシミリアンは何の不審も抱かず、再び前方を見据えた。
(……この方)
ロザリアは無言のまま、その頼もしくも異様な背中を見つめる。
(落とし穴や毒矢と同列の『障害』として判定されていますわね……)
しかも――。
(M属性って……一体何ですの……?)
非常に気になる。
知的好奇心がくすぐられる。
だが、今は一刻を争う救出の最中だ。
(……後でじっくり考えることにいたしましょう)
ロザリアは素晴らしい決断力で、とりあえず見なかったことにした。
さらに奥へ、奥へと突き進む。
やがて――新たな表示が浮かび上がった。
【前方:大広間】
【敵性反応:魔族兵×10】
【推奨経路:右側迂回路】
【所要時間:+7分】
「皆様、お止まりになって!」
ロザリアの声に、一行がピタリと停止した。
「どうされました?」
マクシミリアンが問う。
ロザリアは、大広間へと続く暗い洞門を見つめた。
「この先に大広間がありますわ」
「敵の反応は?」
「魔族兵が十体ほど、待ち伏せております」
後方の騎士たちの表情に、緊張が走る。
「また魔族か……!」
「しかも十体……」
ロザリアは、右側にひっそりと伸びる細い横穴を指さした。
「こちらに安全な迂回路がありますわ。少し遠回りになりますけれど――」
視界の表示を確認する。
「七分ほど余計にかかりますわね」
「必要ありません」
マクシミリアンが即答した。
「え?」
「十体程度なら、ここで排除した方が早い」
ゾランも大広間の方向を睨みつけ、ニヤリと不敵に笑う。
「同意だ」
「ですが……」
ロザリアが言いかけると、マクシミリアンの右手が《焔》の柄頭を静かに握り締めた。
「七分も遠回りする必要など、どこにもありません」
その冷徹な瞳が、暗闇の中で細められる。
「ルクレイン殿下を七分も余計にお待たせすることの方が、遥かに重大な問題です」
「…………」
ロザリアは数秒だけ、小首を傾げた。
そして――。
「なるほど」
極めて真面目な顔で、深く頷いた。
「それもそうですわね!」
マクシミリアンが一歩、前へ踏み出す。
ゾランも、その隣に並び立った。
暗い通路の先。
十体の魔族兵が待ち構える大広間へ――二人は、迷いなく歩を進めていった。




