第19話 罵倒
「何年も前に、この私が美味しく喰らった」
ドラコの低く粘りつくような声が、冷たい石室の中へ重く落ちた。
「…………」
リクターは言葉を失った。
目の前に聳え立つトカゲの魔族を、ただ呆然と見上げている。
「……く……喰った……だと……?」
「ああ」
ドラコが凶悪な牙の並ぶ口を大きく歪めた。
「本物のフェレリオ公爵は、とうの昔にこの世にはおらん」
「貴様……ッ!」
リクターの握り締めた拳が、血が滲むほど激しく震える。
「では、歴史あるフェレリオ公爵家は何年も前から……ッ!」
「ククク、我が一族の支配下だ」
「…………!」
ドラコは愉快そうに分厚い胸を膨らませ、喉を鳴らした。
「公爵という上位貴族の地位は、実に便利でな。何の手続きもなく王城へ堂々と出入りできる。人間どもは勝手にひれ伏す。兵も、金も、王国の機密すら向こうから転がり込んでくる」
「王国を……何年も前から内側から蝕み、食い荒らしていたというのか……ッ!」
「ようやくその鈍い頭で理解したか」
リクターの顔から、血の気が引いていく。
「では……第三王子を擁立しようとしていたウェンディ殿は……ッ!」
「あの愚かな女か?」
ドラコが鼻で冷笑した。
「何も知らん。ただの道化だ」
「……何だと……?」
「フェレリオ家が自分と愛息の第三王子を本気で支持していると、狂喜乱舞して信じ込んでおるよ」
「まさか……」
「おめでたい女だ。少しおべっかを使い、持ち上げてやれば、勝手に我らを最も頼りになる味方だと妄想してくれた」
リクターの表情が、怒りに険しく歪む。
「幼いトーマスまで……傀儡として利用するつもりかッ!」
「利用?」
ドラコが肩を揺らして嘲笑う。
「幼く無知な王ほど、陰から操りやすい人形はあるまい?」
「貴様ら……ッ!」
「第一王子と第二王子がこの迷宮で静かに消えれば、残る有力な王位継承者は幼い第三王子だ。あとはあの幼子を王座へ座らせ、後ろから糸を引けばよい」
ドラコの黄金の瞳が、愉悦に細められる。
「正面から人間どもと愚かな戦争などする必要はない」
「……何?」
「これは、あの方がお考えになった偉大なる計画だ」
ドラコはどこか陶酔したように、ゆっくりと胸を張った。
「国というものは、外から力任せに攻め落とすよりも、内側から腐らせる方が遥かに容易い」
「…………」
「王族を削り、幼い王を据え、政治も軍も貴族も少しずつこちらの手に落としていく」
牙の並ぶ口が、ゆっくりと歪む。
「気づいた頃には、この国は人間の国でありながら――すでに我らのものとなっている」
「……それが、その『あの方』とやらの計画か」
「そうだ」
ドラコの声には、隠しきれない崇敬が滲んでいた。
「我らはただ、その偉大なる計画を完遂するだけだ」
二人のやり取りを横で聞いていたルクレインが、心底嫌そうに頭を抱えた。
「いやいやいやいや……待て待て待て」
「何だ、第二王子」
「王宮内で派閥争いがあるのは、俺もバカじゃねえから知ってたよ!?」
リクターがガバッと振り向く。
「知っていたのかルクレイン!?」
「兄貴の第一王子派と、第三王子の派閥が裏でギスギス揉めてるくらいは知ってた! そこまではごく普通のドロドロした権力闘争だろ!」
「何の話をしている」
「でもな!!」
ルクレインがドラコの顔を指さした。
「黒幕の公爵が実は魔族に成り代わられてて、国ごと乗っ取ろうとしてましたなんて重すぎる裏設定、一言も聞いてねえんだよ!! 情報量が多すぎて胃がもたれるわ!」
「…………」
リクターが困惑して眉をひそめる。
「……うら、せってい……?」
「こっちのメタな話だ! 気にすんな!」
「またわけの分からぬ言動を……」
「とにかく気にすんなッ!」
ドラコが低い音で笑った。
「無駄話は終わりだ」
「…………」
「予定より多少時期が早まったが、我らの計画に何の影響もない」
太く鋭い爪が、じわりと持ち上がる。
「ここで二人まとめて息の根を止めてやる」
カメレオもその横へ滑り込むように並び立った。
「先ほどは不覚を取りましたが……今度は絶対に逃がしませんよ」
『待ちかねたぞ、丸顔ぉぉぉッ!!』
ルクレインの手の中で、アークが歓喜の叫びを上げた。
「お前まだそれ引きずってんのかよ!」
『今度こそ! わしの神聖なる一撃で丸ごと叩き斬ってくれるわぁぁぁッ!!』
「だからそいつ、もう人間型の丸顔じゃねえって!」
『わしの精神世界においては永遠に丸顔だぁぁぁッ!!』
「怖ぇよその執着心!」
カメレオの顔がピクピクと引きつる。
「……その喋る聖剣、本当に神経に触りますね……ッ!」
『今さら聖剣と認めても遅いわぁぁぁッ!!』
「行くぞ鉄くず!」
『鉄くずと呼ぶなぁぁぁッ!! 偉大なる聖なる聖剣と呼ばんかぁぁぁッ!!』
ルクレインが石畳を力強く蹴った!
カメレオも同時に四肢をしならせて跳躍する!
ガギィィィンッ!!
白銀の刃と、カメレオの黒い硬質爪が真っ向から激突した!
「ぐっ……!」
『押し込めぇぇぇッ!!』
「言われなくてもやってるわッ!」
ルクレインが力任せにアークを横へ振り抜く!
カメレオの巨体がズドンと大きく弾かれた!
「チィッ!」
『どうした丸顔! 先ほどの威勢はどこへ行ったぁぁぁッ!!』
「うるさい剣ですね本当にッ!」
カメレオの口から、無数の棘が生えた長大な舌が鞭のように飛来した!
『右だッ!!』
「見えてるっ!」
ルクレインが限界まで身体を捻る。
舌が頬のすぐ横を切り裂くように通過し、背後の石壁へ直撃した!
ドォォォンッ!!
「当たったら即死なんだよバカ野郎!」
『当たらなければどうということはない!』
「簡単に言うな精神論者!」
カメレオが壁を縦横無尽に蹴り、天井近くまで跳躍。そのままルクレインの頭上へ、全体重を乗せて落下してきた!
『上から来るぞ!』
「うおっ!?」
ルクレインがアークを真上へ掲げる!
ガァァァンッ!!
頭上からの凄まじい衝撃。ルクレインの両腕の骨が悲鳴を上げる。
「重ぇぇぇッ! カメレオンのくせに重量級かよ!」
『踏ん張れルクレイン!』
「お前がもっと重量を軽くしろよ!」
『これ以上軽くしたら、聖剣としての威厳と神聖性が損なわれるであろうが!!』
「自分の命と武器の威厳、どっちが大事なんだよッ!?」
『威厳に決まっておろうがぁぁぁッ!!』
「そこは迷わず命って言えよッ! 道具の分際で自尊心高すぎだろ!」
ルクレインが全身の力でカメレオを蹴り飛ばした!
カメレオが石畳をゴロゴロと転がる。
『隙ありだ! 今だ叩き込めぇぇぇッ!!』
「おらぁぁぁッ!」
ルクレインが踏み込み、白銀の刃がカメレオの首元へ迫る!
だが――!
――ガキィィィンッ!!
「っ!?」
横から突如伸びてきた太い爪が、アークの刃を易々と受け止めた。
ドラコだった。
「…………」
「……またお前かよ……割り込みすんなや……」
ドラコが腕を無造作に振り払う。
「ぬおっ!?」
ルクレインの身体がアークごと吹き飛ばされ、石畳の上を二度、三度と豪快に転がった。
「ルクレインッ!!」
リクターが叫ぶ。
「来んな兄貴ッ!!」
ルクレインはすぐに跳ね起きると、アークを構え直した。
「武器もないのにウロウロすんな! 下がってろ!」
「だが……ッ!」
「二人まとめてここで肉塊にされたら全滅だろ! 少しは考えろ!」
(つーか武器も持ってねえ兄貴が前に出たら、速攻で死ぬだろうが!)
(兄貴がここで死んで、俺に王位が回ってくるルートだけはマジで勘弁なんだよ!)
「…………」
リクターが息を呑んだ。
(ルクレイン……)
目の前では、傷だらけになりながらもルクレインが自分を庇うように立っている。
(お前は……そこまで私を……)
胸の奥が、強く揺れた。
(自ら危険を引き受けてまで、私を守ろうというのか……)
リクターは悔しそうに歯を食いしばりながら、それ以上前へ出ることができなかった。
ドラコとカメレオが、威圧感たっぷりに肩を並べた。
「…………」
ルクレインは死んだ目で顔をしかめた。
「……なあアーク。二対一って普通に卑怯じゃね?」
『敵に公平な戦いなど求めるな。世の中は不条理なのだ』
「いや、一応言ってみただけだよ!」
ドラコが石畳を踏み砕いた。
巨体に似合わぬ速度で、一瞬にして距離を詰めてくる!
「速っ!?」
『左へ飛べぇぇぇッ!!』
ルクレインが反射的に真横へローリングした。
直後、ドラコの拳が、さっきまでルクレインがいた場所へ叩き込まれる!
ドォォォォンッ!!
爆音とともに、強固な石床がクレーター状に陥没した。
「いやいやいや! それ人間に向けて打っていい威力じゃねえだろ! 物理法則どこ行った!」
「安心しろ」
ドラコが煙の中から、ゆっくりと醜悪な顔を上げる。
「最初から人間として扱ってはいない」
「もっとタチが悪いわ!」
そこへ、カメレオが背後から無音で迫る!
「ルクレイン! 後ろだッ!」
リクターの叫び!
「分かってんだよッ!」
ルクレインが振り向きざま、アークを横薙ぎに全開で振り抜いた!
ガギィィィンッ!
カメレオの鋭い爪を寸前で弾き返す!
だがその瞬間、ドラコの丸太のような尾が、視界の外から横薙ぎに飛来した!
『避け――』
「無理ッ!!」
ドゴォォォッ!!
「ぐあぁぁぁッ!?」
側面から強烈な打撃を受け、ルクレインの身体が分厚い石壁へ叩きつけられた!
「ルクレインッ!!」
「っつぅぅ……っ……」
口の中に、鉄の味が広がる。
ルクレインは膝を震わせながらも、アークを杖代わりにして強引に立ち上がった。
『ルクレイン……っ』
「何だよ……」
『こうなれば、もはや背に腹は代えられん……大技で一気に行くぞ!!』
「待て待て待て待て死ぬな!!」
『何だ急に!』
「お前それ出したら、またバッテリーがゼロになって短剣化するんじゃねえのか!?」
『…………』
「沈黙すんな不安になるだろ!」
『……まあ……なるな』
「やっぱりなるのかよ!!」
『しかし背に腹は代えられん! この極限状況を切り抜けるには、わしの全魔力を解放するしか――』
「いや、それやられたらこの後詰むんだよ!」
『何だと!?』
「ここ迷宮のど真ん中だぞ!? お前がまた電池切れで使えねえ短剣に戻ったら、俺らこの後どうやって地上に帰るんだよ! 帰り道の魔物は素手で殴れってか!?」
『…………』
「考えてなかったな!?」
『……ほんの少しだけ……』
「少しじゃねえよ完全にノープランだろ!」
ドラコが地響きを立てて再び迫ってくる。
『ではどうしろというのだッ!?』
「知らねえよ! でも大技は絶対禁止! 省エネしろ!」
『省エネ!? この状況でわけの分からんことを言うなぁぁぁッ!!』
ドラコの両爪が、頭上から全重量を乗せて振り下ろされた!
「くそがッ!」
ルクレインが両手でアークの柄を握り、頭上で刃を横にしてギリギリで受け止める!
ガァァァンッ!!
「ぐぅぅぅっ……!?」
足元の石畳が砕け、膝が沈む。
両腕の筋肉が断裂しそうなほど激しく震えた。
押し返せない。
圧倒的な質量差だった。
そこへ、横からカメレオが悠然と足音を立てて近づいてくる。
「終わりですね、第二王子殿下」
「…………」
「大言壮語の割には、ずいぶん呆気ない最期でした」
ドラコが爪にさらに自重をかけ、ルクレインを押し潰そうとする。
「ぐっ……ガ……っ!」
『ルクレインッ!!』
「分かってる……っ!」
だが、身体が追いつかない。
逃げ場はどこにもなかった。
背後は粉砕された壁。
正面には怪獣のようなドラコ。
横には嘲笑うカメレオ。
両手でアークを握り締めたまま、ルクレインは頭上から押しつけられる爪に必死で耐える。
腕は限界まで震え、口元から流れた血が一筋、顎を伝って落ちた。
「……ったく……」
ルクレインが、至近距離からドラコの黄金の瞳を睨み上げた。
「……マジで最悪だな」
「何がだ?」
「どうせ殺されるんならさぁ……」
「…………」
「お前みたいな前座の雑魚キャラじゃなくて、せめてラスボスの魔王様がよかったよ」
「…………」
ドラコの目が、不快そうに細められた。
「……いま……雑魚と言ったか……?」
「ああ言ったよ」
ルクレインは口元から血を流したまま、鼻で笑った。
「さっきから大物ぶってペラペラ喋ってるけどさ……お前、所詮は上から命令されて動いてるただの下っ端だろ?」
「貴様……ッ!」
「偉そうなこと言っといてさ、上から命じられて、人間の皮かぶって、何年もコソコソ陰湿に潜り込んで……」
「黙れ」
「幼いガキを王にして、裏からコソコソ操ろうとしてんだろ?」
「黙れと言っている……ッ!」
「それのどこが大物なんだよ。やってることがセコすぎるんだよ」
ルクレインが歪んだ嘲笑を浮かべる。
「ただのザコが」
【悪口スキル発動】
【☠ CRITICAL】
「ぐっ……!?」
ドラコの爪から、僅かに力が抜けた。
「しかもお前、トカゲだろ?」
「…………」
「魔王からしたらさ、何か不都合があったら真っ先に切り捨てられる存在なんだよ」
ドラコの黄金の瞳が、動揺で激しく揺れ動く。
「……いわゆる『トカゲの尻尾切り』ってやつだな」
【悪口スキル発動】
【☠ CRITICAL】
「き……貴様……ッ!」
「図星だろ?」
ルクレインが笑う。
「お前なんか所詮――」
その一瞬。
ルクレインの脳裏に、見慣れない文字列が駆け抜けた。
【悪口スキル――限界突破】
(……は?)
【スキル進化】
【悪口 → 罵倒】
(え?)
ルクレインが困惑して目を瞬かせる。
だが、その口は止まらなかった。
「――使い捨ての、名前もないモブトカゲなんだよッ!!」
【罵倒スキル発動】
【☠☠☠☠☠ CRITICAL】
【精神耐久値:85% → 25%】
「――ッ!?!?!?」
ドラコの巨体が、落雷を受けたかのように激しく硬直した。
「ぐ……が……ッ!?」
ルクレインを押し潰していた爪が、アークの刀身からずるりと離れる。
ドラコは額を押さえながら一歩よろめき、さらに二歩、三歩と後方へ下がった。
「な……何だ……これは……!?」




