第10章 慰問
その日の朝。
ルクレインが欠伸を噛み殺しながら自室へ戻ると、壁際に見慣れないものが立て掛けられていた。
「……ん?」
いや。見慣れないわけではない。むしろ嫌というほどよく知っている。
王家に代々伝わる伝説の聖剣――アーク。
ただし、いつもの持ち運びやすい短剣の姿ではない。
本来の禍々しくも神聖な大剣の姿に戻り、壁際に堂々と鎮座していた。
身の丈ほどもある長い刀身。
美しい黒金の装飾が施された柄。
いかにも「我こそは選ばれし勇者の聖剣」と言わんばかりの姿だった。
「お前、なんでデカくなってんの?」
『たまには元の姿に戻らねば関節が固まるのだ』
「なんで?」
『ずっと小さく縮こまっていると、足腰が痛くなる』
「痛む場所なんかねえだろ。爺かよ」
『誰が爺だ!』
「ていうか、お前のどこに膝と腰があるんだよ」
『あるわ!』
「ねえだろ。ただの喋る鉄くずのくせに」
【☠ HIT】
『貴様ぁぁぁ!! 聖剣に向かって鉄くずとは何事だ!!』
「朝からうるせえな……頭に響くだろ」
『朝っぱらから開口一番で鉄くず呼ばわりする奴があるか!』
「事実だろ」
【☠ HIT】
『二発目を入れるな!! 精神的ダメージが甚大なのだぞ!!』
「ルクレイン殿下」
背後からマックの淡々とした声が飛んできた。
「本日は、王都の町はずれにある養護院への慰問予定となっております」
ルクレインの顔が一瞬で死んだ。
「……行きたくねえ」
「すでに先方へ、本日午前中のご訪問をお伝えしております」
「知らん。『急用が入ったから無理』って言っといて」
「不可能です」
「即答すんなよ」
「先方の皆様も、殿下のご訪問を心待ちにしておられます」
「余計行きづらくなること言うなよ……」
「特に子供たちは、殿下がお越しになる日を指折り数えて待っていたと伺っております」
「前の俺、どんだけ無駄に好感度稼いでたんだよ……」
ルクレインは頭を抱えた。
ゲームの知識によれば、本来のルクレインは、王都の養護院へ定期的に足を運んでいたらしい。
しかも一度や二度ではない。多忙な合間を縫っては訪問し、身寄りのない子供たちと笑顔で接し、必要な物資や寄付金を届けていたという。
「剣もできます。魔法もできます。学問も完璧です。貴族にも平民にも優しいです」
ルクレインは呆れたように指を一本ずつ折っていく。
「そのうえ身寄りのない子供たちのために養護院まで定期慰問してます。何なんだよ、ゲーム版のルクレイン。好感度稼ぎの化け物か?」
「殿下ご本人でございます」
「知ってるから腹が立つんだよ!」
マックは表情一つ変えずに続けた。
「なお、本日子供たちへお渡しする絵本や菓子類、衣類等につきましても、すでに馬車へ積み込みが完了しております」
「漫画は?」
「……?」
「トレーディングカードは?」
「何でございますか、それらは」
「終わってるな、この世界。娯楽が貧弱すぎんだろ」
壁際の大剣アークが呆れたように刃を揺らした。
『お前は時々、真顔でわけの分からんことを言うな』
「うるせえ。お前も子供たちへの贈り物にするぞ」
『やめろ! 私は国宝だぞ!』
「トーキングトイとして子供たちに大人気間違いなしだ」
『私は聖剣だ!!』
「喋るし、頑丈だし、ちょうどいいだろ」
『よくない!!』
「殿下。そろそろご出発のお時間でございます」
「マジで行くの……?」
「はい」
「『急にお腹が痛くなった』ってことにしない?」
「先ほど朝食を二人前、綺麗に完食されておられます」
「そういう細かい食事記録をいちいち取んなよ」
ルクレインは盛大にため息をついた。
「分かったよ……行けばいいんだろ、行けば」
不貞腐れた態度でそのまま部屋を出ようとする。
『……待て』
「何」
『どこへ行くのだ』
「だから養護院だよ」
『……私は?』
「は?」
ルクレインは壁際の大剣を振り返った。
「そのままそこに飾られてれば?」
『…………』
数秒の静寂。
『……すまない』
「何が?」
『私を置いていかないでくださーい! 寂しいですー!』
「プライド投げ捨てるの早すぎだろ!」
次の瞬間、アークの刀身が眩い光を帯びた。
大剣だった巨躯がみるみる内に縮み、あっという間にいつもの短剣サイズへと戻る。
支えを失った短剣が、カランと床に転がった。
『ほら! 小さくなった! 小さく! 軽いよー!』
「さっきまで足腰痛いとか言ってたろ」
『一瞬で完治しました! お願いしますぅぅ! 置いていかないでぇぇ!』
「……仕方ねえな」
ルクレインは床に転がったアークを拾い上げると、雑に腰のベルトへ差した。
『……感謝する、ルクレイン』
「急に素直になるな。気持ち悪い」
【☠ HIT】
『貴様ぁぁぁ!! 素直になっても怒るのか!!』
「はいはい。行くぞ」
こうしてルクレインは、心底嫌そうな顔のまま部屋を出た。
◆
王城の正門前には、一台の馬車が待機していた。
漆黒に塗られた重厚な車体には、王家の紋章。
縁取りには金箔の豪華な装飾が施され、扉の取っ手ひとつまで職人の彫刻が入っている。内部には肉厚な最高級クッションが敷き詰められていた。
「……相変わらず無駄に豪華だな」
「第二王子殿下がお乗りになる馬車でございますので」
「移動するだけだろ。もっと地味な平民用の馬車でよくね?」
「よくございません」
「だから即答すんなって」
馬車の前後には、三人の護衛騎士。第二王子の外出である以上、当然の警護体制だ。
ルクレインとマックが乗り込むと、御者が手綱を握った。
「第二王子殿下、ご出発いたします!」
馬車がゆっくりと動き出す。
巨大な城門を抜け、王都の市街地へ。
広い石畳の大通りには馬車や荷車が行き交い、商人たちの威勢のいい声が飛び交っていた。
道沿いには活気ある商店が並び、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂う。露店には色鮮やかな果物や布地が並び、人々の活気に満ちあふれていた。
王家の紋章が入った豪奢な馬車に気づいた市民たちが、次々と敬意を込めて頭を下げていく。
「……これ、めちゃくちゃ目立つな。視線がウザい」
「第二王子殿下の馬車でございますので」
「それ二回目だからな」
馬車は王都の中心部を通り抜けていく。
進むにつれて建物は低くなり、商店の数も減っていった。
賑やかな大通りはやがて閑静な住宅街へ変わり、その先には古い倉庫や工房が点在する区画へと入る。
目的地の養護院は、王都の町はずれに位置していた。
近づくにつれ、人通りは目に見えて少なくなっていく。
「静かになったな」
「町はずれでございますので」
「養護院なんだから、もっとアクセスがいい街中に作ればいいのに」
「土地の確保や予算の問題もございます」
「世知辛いな、異世界」
『何をわけの分からんことを言っているのだ』
「お前には分からんよ」
『またそうやって私を蚊帳の外に……』
「静かにしてろ、鉄くず」
【☠ HIT】
『だから気軽に当てるなと言っているだろうが!!』
その時だった。
「おっとぉ……っと……」
馬車の前方に、フラフラとした足取りの男が現れた。
汚れたボロ外套。伸ばしっぱなしの無精髭。
片手には安酒の瓶。男は千鳥足で、道を塞ぐように横切っている。
「おい! 危ないぞ! どけ!」
御者が馬を制しながら大声で一喝する。
「へへ……悪い、悪い……」
男は酒瓶をゆらゆらと振りながら、よろよろと馬車の前を通り過ぎた。
そのまま反対側の路地へ消える――かと思われた。
男は急に向きを変え、ニチャリとした笑みを浮かべて馬車へ一気に距離を詰めてきた。
「旦那ぁ……」
「な、なんだお前は!」
男は濁った目で馬車を見上げ、薄汚い歯を見せて笑った。
「ちょいと……金を恵んでくれよぉ……」
「そこをどけ無礼者! この馬車がどなたのものか分かっているのか!」
護衛騎士の一人が剣の柄に手をかけ、声を荒げる。
馬車の窓から、ルクレインが心底嫌そうな顔を覗かせた。
「なんだ? 酔っ払いか?」
「へへへ……標的、確認」
「えッ、今なんて言っ――」
その瞬間――さっきまで濁りきっていた男の目から、酔いの色が消え失せた。
「――今だ!!」
低い合図の声。
次の瞬間。
建物の陰。路地の暗がり。屋根の上。
周囲のあらゆる死角から、武器を構えた男たちが一斉に跳び出してきた。
「敵襲ーッ! 殿下をお守りしろ!」
三人の護衛騎士が即座に抜刀する。
最初の一人が正面の襲撃者と刃を交えた。
ガキンッ! と高い金属音が響く。だが――。
「――くっ!?」
横の死角から滑り込んできた別の男が、護衛騎士の鎧の隙間を一閃した。
鮮血が舞い、一人目が力なく膝から崩れ落ちる。
「貴様らッ!」
二人目の騎士が怒号とともに剣を振り下ろす。
正面の襲撃者がそれを受け流す。その刹那、背後から無音で肉薄した男の刃が首筋を走った。
二人目も沈黙し、地面へ倒れ伏す。
「殿下をお守り――」
最後の一人が馬車の扉を背にして庇うように立ち塞がった。
だが、襲撃者たちは寸分の狂いもない連携で同時に間合いへ侵入する。
数合の凄絶な打ち合い。
圧倒的な技術差により、護衛騎士の剣が天高く弾き飛ばされた。
そのまま胸元へ強烈な掌打を叩き込まれ、三人目も呼吸を詰まらせて地面へ崩れ落ちた。
「…………」
馬車の中からその光景を見ていたルクレインの表情から、さっきまでのダラけた色が完全に消え去った。
「マック」
「はい」
「こいつら……めちゃくちゃ強くね?」
「はい。訓練されたプロの手際ですね。……排除して参ります。殿下は決して馬車からお降りにならないでください」
マックは静かに馬車の扉を開け、地面へと降り立った。
十数人の襲撃者たちが、殺気を剥き出しにして馬車を完全に包囲する。
マックはダラリと両腕を下げたまま、襲撃者たちを端から順番に、冷ややかな目で見定めていく。
一人が低い踏み込みで正面から肉薄してきた。
刃がマックの喉元を捉えかけた――その刹那。
マックの影がブレた。
「――ぐあっ!?」
次の瞬間には、襲撃者の肩関節が奇妙な方向へ折れ曲がり、地面に叩きつけられていた。
マックは視線すら向けず、そのまま男の頭部を踏みつけて沈黙させる。
側面からもう一人が隙を突いて剣を突き込んできた。
マックは刀身にそっと右手を添えて軌道を逸らし、身をかわすと、その勢いのまま男の鼻頭へ容赦のない肘打ちを叩き込んだ。
ゴキッ! と骨の砕ける不快な音が響き、男の顔面が陥没して後方へ吹き飛ぶ。
馬車の窓からその惨状を見ていたルクレインが、引きつった顔で呟いた。
「マック……ヤバすぎるだろ……」
その時。
倒れる襲撃者たちの奥から、一人の人物が静かに歩み出てきた。
「無駄だ。お前たちでは、束になってもその男には届かん」
頭から深くフードを被り、顔の下半分を黒い布で覆っている。
服装も体格も、周りの襲撃者たちと大きな差はない。
だが――マックの目が、鋭く細められた。
「…………」
男がゆっくりと腰へ手を伸ばす。
鞘から滑らかに引き抜かれたのは、細身のレイピア。
その独特の間合いの取り方。
重心の置き方。絶妙な立ち姿。
マックは即座にその正体を見抜いた。
「……ゾランですね」
男の動作が僅かに止まった。
そして、布の下で口元が歪な笑みを刻む。
「……フッ、気づいたか」
「その構えで正体を隠せるとでも?」
「相変わらず嫌な目を持っているな、マクシミリアン」
「……まさか、リクター殿下の差し金ですか」
「さてな」
ゾランがレイピアの切っ先をゆっくりと持ち上げる。
その瞬間、細い刀身へ尋常ではない密度の魔力が急激に収束し始めた。
「…………」
マックの無表情が、僅かに警戒の色を帯びる。
大気が目に見えて歪み始めた。
地面を這うように禍々しい冷気が拡散し、周囲の石畳が一瞬にして真っ白な霜で覆われていく。
「おいおいおい……」
ルクレインが馬車の中から顔を引きつらせた。
「なんか初手から超大技出してきそうな雰囲気なんだけど……!?」
ゾランのレイピアから、凍てつく冷気が渦を巻いて噴き上がる。
「マクシミリアン」
ゾランの喉から、狂気に満ちた歓喜の笑声が漏れた。
「久しぶりに――命を懸けて遊ぼうか」
次の瞬間、最悪の衝突が幕を開けた。




