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第11章 焔

 極寒の冷気が、一直線に狭い路地を駆け抜けた。


「――チッ!」


 マクシミリアンは即座に地面を蹴って後方へ跳んだ。

 次の瞬間――轟音とともに石畳が粉砕され、真っ白な氷のスパイクが路地を一直線に抉り抜く。


 マクシミリアンは十数メートル後方へ、軽やかに着地した。


「挨拶代わりにしては、いささか大技すぎませんか」


「うわっ!?」


 馬車の中でルクレインが慌てて身を伏せた。

 砕け散った石畳の破片が、音を立てて馬車の車体へ叩きつけられる。


「なんだよ今の! 爆発したのか!?」


 ルクレインとマクシミリアンの間へ、襲撃者たちが一斉になだれ込んだ。


「…………」


 マクシミリアンの瞳が、底知れぬ冷気を孕んで細くなる。


「なるほど」


 ゾランがレイピアを構えたまま、薄く笑った。


「何がだ?」

「最初から、私を殿下から引き離す狙いでしたか」

「察しが良くて助かるよ」


 マクシミリアンがルクレインの方へ一歩踏み出す。

 だが、その進路を遮るようにゾランが滑り込んだ。


「通さんよ」

「どけ」

「嫌だと言ったら?」

「…………」


 マクシミリアンは、それ以上答えなかった。


 一方――。


「おいおいおい……」


 ルクレインは馬車の周囲を見回した。

 前、左右、そして背後。

 いる。黒ずくめの刺客たちが、めちゃくちゃ集まってきている。


「ちょっと待て、話せば分かる」


 襲撃者たちは無言のまま、じりじりと殺気を孕んで馬車への距離を詰めてくる。


「なんで俺の方にこんな人数割り振られてんだよ!」

『お前が第一ターゲットだからに決まっているだろうが!』


 腰の短剣アークが、苛立ったように怒鳴り返した。


「分かってんだよ! 言ってみただけだ!」


 正面の三人がじりじりと圧をかけ、左右が逃げ道を塞ぐ。後方の者が退路を完全に遮断する。その包囲には一切の無駄がない。


「……こいつら、やっぱりただの盗賊じゃねえな」

『今さら気づいたのか』

「うるせえ!」


 男の一人が剣を構え、馬車の扉に手をかける。

 内側から鍵が掛かっているのを確認すると、リーダーらしき男が低く命じた。


「壊せ」


 凄まじい衝撃音とともに、馬車の扉が呆気なく叩き割られた。

 誰も攻撃の手を緩めない。


「マジで来んなって……!」


 一人が車内へ踏み込んできた。

 ルクレインが必死に身を捻る。鋭い剣先が頬の真横をかすめ、金髪が数本舞った。

 男は容赦なくルクレインの腕を掴み、そのまま馬車の外へ放り出す。


「うおおっ!? 俺今、本気でやばい!!」


 ――それを遠目に捉えた瞬間。


 マクシミリアンの纏う空気が、変貌した。


「…………」

「ん……?」


 ゾランが即座に異変に気づく。


「どうした、マクシミリアン?」


 マクシミリアンは答えない。

 ただ、ルクレインへ剣を向ける刺客たちだけを、冷酷に見つめていた。


「殿下に――」


 地獄の底から響くような低い声。


「触れるな」


 ゾランが切れ長の目を細めた。


「……怒っているのか? お前が?」


 ゾランの口元が、愉快でたまらないといった風に歪む。


「《夜行》にいた頃のお前からは、到底想像もできんな」


 マクシミリアンがゆっくりと視線をゾランへ戻した。


「何が言いたい」

「《夜行》にいた頃のお前は、他者はおろか、自分自身にすら興味がなかったはずだ」


 ゾランがレイピアを肩に担ぐように構える。


「命じられたから殺す。任務だから斬る。呼吸をするように作業をこなすだけの殺戮人形。それがお前だ」

「…………」

「そんなお前が、なぜあんな王子にそこまで入れ揚げる? 何がお前を変えた?」


 ゾランが視線をルクレインへ向けた。

 ちょうどその時――。


「おい! 来んなって! 人の服引っ張るなっ!」


 ルクレインが男たちに揉みくちゃにされながら、見苦しく怒鳴り散らしていた。

 ゾランは心底呆れたように眉をひそめる。


「あんなのの、何がいい?」

「殿下は……私の救いであり、唯一の存在です」

「……は?」


 マクシミリアンはほんの一瞬だけ、ルクレインの方へ目を向けた。慈愛に満ちた、しかしどこか常軌を逸した目だった。


「殿下は――私の底なしの退屈を、終わらせてくださったお方です」


 ゾランの表情が僅かに引きつる。


「退屈……?」

「何をなさるか分からない。次に何を仰るかも予測がつかない」

「…………」

「あのお方のお側にいるだけで、毎日毎日、想像を絶する出来事ばかりが起こる」


 マクシミリアンの厳格な口元が、ほんの少しだけ、熱っぽく緩んだ。


「そして――」

「まだあるというのか」

「あのお方は私に、最高のご褒美(悪口)まで与えてくださる」


 ゾランが胡散臭そうに眉を上げた。


「ご褒美……?」

「先日は私の言葉に対し、『この変態従者』とまで仰ってくださいました」


 マクシミリアンの瞳が、うっとりと恍惚の光を帯びる。


「…………」

「格別のお言葉でした……」

「待て。待て待て待て」

「何でしょうか」

「お前……本当にあの『冷血の魔人』マクシミリアンか?」

「心外ですね。私はどこからどう見てもマクシミリアンです」

「昔のお前は、そんな男ではなかったぞ!」

「殿下にお仕えし、私の人間性が高まったのでしょう」

「悪い方向に歪み切っているぞ!」

「最高の方向への昇華です」

「…………」


 ゾランはしばらく絶句した。

 そして、呆れ果てたように大きく息を吐き出した。


「……キモっ」


 その時――ルクレインのすぐ間近で殺気が跳ねた。


「くっ……!」


 ルクレインが辛うじて体を仰け反らせる。

 刺客の剣先が肩口をかすめ、上着の布地が裂けた。


「…………」


 マクシミリアンの目から、人間的な温度が一切消え失せた。


 マクシミリアンの右手首が、僅かに曲げられる。

 袖口から、ぬらりと滑り出してきたのは――一振りの長刀だった。

 それまでマクシミリアンは、右腕を何の支障もなく動かしていた。あの袖に、刀など収まるはずがない。

 だが刀は確かにそこに姿を現し、マクシミリアンはその鞘を掴んで腰のベルトへと差した。


 古い血がねっとりとこびりついたような、どす黒い漆塗りの鞘。

 禍々しい髑髏を模した鍔。

 黒い柄糸の隙間からは、まるで生き物の血管のように、怪しく蠢く赤い筋が走っている。


 ゾランの嘲笑が、一瞬で凍りついた。


「……それは……!」


 マクシミリアンが黒鞘を静かに握り締める。


「退かないのなら、斬ります」


 柄頭へ、黒い指先がかかる。


 ゾランの切れ長の目が、驚愕に見開かれた。


「……《焔》……!」


 妖刀――《焔》。

 かつて裏社会を支配した暗殺組織《夜行》の絶対的エース、《黒刀》マクシミリアンを象徴した伝説の一振り。


「まだ……処分せずに持っていたのか……!」

「当たり前でしょう。私の片腕ですよ」


 マクシミリアンは《焔》へ、愛おしそうに静かに声をかけた。


「……久しぶりですね、焔」


 ――チィィン……。


 誰も触れていないはずの刃が、鞘の中で自ら、歓喜の悲鳴のような甲高い音を鳴らした。

 ゾランの頬が僅かに引きつる。


「相変わらず気味の悪い刀だ……」

「貴方に言われたくはありませんね」

「それもそうか」


 ゾランは即座に冷静さを取り戻し、レイピアを極限まで低く構え直す。

 周囲へ再び、凍てつく殺気が拡散していった。


「なら見せてもらおうか!」


 ゾランの全身から膨れ上がる魔力。


「かつての切れ味が健在かどうか――!」


 ドドドドドッ!!

 石畳を突き破り、無数の巨大な氷槍が地中から爆発的に噴出した。


 殺意を孕んだ氷槍の群れが、一斉にマクシミリアンの全方位へ殺到する。


 だが。


「――《抜刀》」


 静寂を切り裂く、低い呟き。


 黒い一閃が走った。


 次の瞬間――ドォンッ!!


 迫り来る巨大な氷槍の群れが、一瞬にしてことごとく真っ二つに断ち切られていた。


「――!?」


 ゾランの目が、大きく見開かれる。

 氷が砕かれたのではない。氷槍を形作る魔術そのものが、黒い刃に断ち斬られていた。


 マクシミリアンは黒く輝く刀身を片手に、静かに佇んでいる。


「……クック……ハハッ!」


 ゾランの狂気の笑みが戻る。


「それでこそ……それでこそお前だ、マクシミリアン!」

「貴方と無駄口を叩いている暇はありません」

「つれないことを言うな!」

「殿下の元へ戻ります」

「なら――」


 ゾランが歪んだ笑みを深める。


「俺を殺して行けぇッ!!」


 次の瞬間、二人の影が同時に視界から消え去った。


 ガキンガキンガキンガキンッッ!!

 路地裏に、甲高い金属音が狂乱の如く連続して響き渡る。


 レイピアと妖刀《焔》。

 絶対の氷結魔術と、全てを斬り裂く黒い断絶。

 人間を超越した速度で繰り広げられる死闘に、路地全体が激しく震えていた。


 一方――。


「こっちは全然笑えねえんだよ畜生おぉぉ!!」


 ルクレインは、絶体絶命の包囲網の中にいた。


 押し寄せる刺客の一人をなんとか蹴り飛ばし、二人目の突きを紙一重でかわす。三人目の剣を腕ごと払い、転がるように地面を這い回る。


「やばいって、死んじゃうよ俺! コンテニューってあるのかよ!」


 四方から同時に男たちが牙を剥く。

 刃が頬をかすめて血が滲み、別の刃が脇腹を掠めて服を切り裂く。


「くそっ……!」


 膝をつきながら立ち上がるが、目の前にはさらに三人。


「多すぎだろ! 難易度調整ミスってんだろこのゲーム!」


『ふっ……いよいよ私の見せ場が来たようだな』


 腰のアークが、どこか嬉しそうに朗々と響いた。


「何がだよ!」

『私を抜け! 聖剣の真の力を見せてやる!』

「最初からそう言えよ!」


 ルクレインは腰の短剣アークの柄を掴み、がむしゃらに引き抜いて構えた。


「おい! 頼むぞ鉄くず!」

『誰が鉄くずだ!! 敬意を払え!!』

「今だけ真面目に働け! マジで殺される!」

『よし、まずは【浄化の炎壁】だ! 我に惜しみなく全魔力を注ぎ込め!』

「ねえよ! そんなもん!」

『……は? ふざけている余裕はないぞ?』

「ねえもんはないんだよ!!」


 刺客のリーダー格が、一瞬の隙を逃さず鋭く踏み込んできた。


 不意に、アークの刀身から極小の炎がポッと立ち上がり、男の顔面を炙った。


「ぐわっ!?」

「おお! すげえ!」

『ぬうう! 蓄えておいた魔力を、こんな雑な使い方で消耗することになるとは……!』


 別の男が、即座に死角から剣を横薙ぎに振るってくる。

 アークが、再び炎で防ぐ。


『ぐおおっ……魔力の減りが早いぃぃ……』

「電池切れかよ! スマホか!」


 さらに別の男が上段から振り下ろす。

 ルクレインが不格好に身を捻り、刃が鼻先数ミリを通り抜けた。


「マジで死ぬ!! 何とかしろ!!」


 その瞬間――。


 アークの声から、ふざけた調子が一切消え失せた。


『……ルクレイン』

「何だよ! 忙しいんだよ!」

『柄を……強く握れ』

「握ってるわ!」

『もっとだ。指が食い込むほど強く握れ』

「……は?」

『今……この一瞬だけだ』

「何がだよ!?」

『勘違いするなよ。私は貴様を主人と認めたわけではない』

「だから何の話をしてんだよ!?」


 ルクレインの動きが、一瞬止まった。


『余計な口を叩くな! 前を見ろ!!』

「うおっ!?」


 正面から、襲撃者の重い剣が振り下ろされる。

 ルクレインは反射的に、両手でアークを掲げた。


 ガキィィィィンッッ!!!!


 凄まじい衝撃波とともに激しい火花が散り、襲撃者の大剣が根元から跳ね飛ばされた。


「……え?」


 ルクレインが目を見開く。

 手の中のアークが、まるで命宿る心臓のように、ドクドクと熱を帯びて脈打っていた。


『もう一度言う』


 アークの重厚な声が、脳内へ直接低く響き渡る。


『今だけだ』


 短剣の刀身を、眩い白銀の光が包み込んでいく。


『我が真の力の一部を……その手に受け取るがいい!』

「どこまでも上から目線だな、お前は!」

『やかましい! このほうがわしの魔力の消耗が少ないのだ!!』


 眩い光が、一気に爆発的に膨れ上がった。

 ルクレインは思わず目を細める。


 短剣だった刃が、光を纏いながらぐんぐんと伸びていく。

 柄が重厚な形状へと変わり、黒金の鍔が神々しく開く。

 白銀の光輝を纏った刃が、かつて世界を救ったという本来の聖剣アークの姿へと、急速に変貌を遂げていく。


「お……おおお……ッ!?」


 ルクレインは両手で、ずっしりと重い聖剣の柄を構え直した。


「重いよこれ!!」

『黙れ! これでも軽くしておる。死ぬ気で振れ。本来なら、貴様のような無気力男に使わせていい力ではないのだ!』

「無気力男って言ったな!?」

『今そこを気にしている場合か!!』


 刺客たちが、聖剣の放つ神聖な圧力に呑まれながらも、一斉に殺気を放って踏み込んできた。


『右だ!』

「は!?」

『右から来ている! 斬れ!』


 ルクレインは、体に染みついた剣術の反射で、右へ勢いよく聖剣を振り払う。


 ギィィンッ!


 死角から迫っていた鋭い刃が、聖剣の一撃で木端微塵に弾き飛ばされた。


「うおっ!? すげえ感触!」

『次は左だ! 躊躇うな!』

「指示が細かいな!」

『払え!!』

「はいはい分かったよ!」


 左から迫る男へ向けて、聖剣を大振りに一閃。

 眩い光を纏った白銀の刀身が、相手の鉄の剣を、あっけなく真っ二つに叩き折った。


「……マジかよ。手応えゼロじゃん……」

『止まるな! 正面だ! 踏み込め!』

「完全にカーナビ扱いじゃねえか!」

『カーナビとは何だ!!』

「知らなくていい!!」


 ルクレインが踏み込み、正面の男へ剣を振り下ろす。

 襲撃者が必死に剣を交差させて受け止めようとする。


 だが――ガァァンッ!


 聖剣の一撃は、その防御ごと男の身体を遥か後方へ吹き飛ばした。


「おおッ! 行ける! 行けるぞこれ!」

『調子に乗るな馬鹿者が!』

「ちょっとくらい乗らせろよ! 主人公っぽいだろ今!」


 一人、二人、三人――。

 聖剣の圧倒的な威圧感と光の刃に怯んだ襲撃者たちが、次々と後退して距離を取る。


 先ほどまで一方的にいたぶられ、追い詰められていたルクレインを中心に、初めてぽっかりと空間が開けた。


「……これなら、いける!」

『当然だ。私を誰だと思っている』

「三本目のくせに、やるじゃん」

『三本目と言うなぁぁぁ!!』


 アークの怒号とともに、聖剣の白銀の光がさらに一層激しく輝きを増した。


 ルクレインはニヤリと不敵に笑い、聖剣を力強く構え直す。

 目の前には、まだ警戒を露わにする多数の刺客たち。

 そして路地の奥では、マクシミリアンの《焔》とゾランのレイピアが、次元の違う激しさで火花を散らし続けている。


「よし」


 ルクレインが口元を大きく歪めた。


「反撃開始だ、鉄くず!」

『油断するなよ、不肖の主よ!』

「分かってるって!」


 その言葉と同時に――刺客たちが、再び一斉に動いた。

 ルクレインは聖剣アークを固く握り締め、正面から豪快に踏み込んでいった。


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