3話
数日後。
エリオは再び、アンバーと共にエヴァレット邸を訪れていた。
厩舎の放牧場にアンバーを降ろすと、執事がやってきて丁寧な礼をする。
「フォルク様ですね。ご案内します」
「あ…お願いします」
軽く頭を下げて、執事と共に邸宅へ入る。
邸宅内は重厚感のある古い調度品に囲まれ、目新しい装飾こそ無いが歴史を感じさせた。
彼女は「人の数より牛の方が多い」と笑っていたが、本物の名家らしい重みがある。
エリオは歩きながら、帽子でついた癖毛や服の埃が気にかかって落ち着かない。
「ただいまお嬢様をお呼びしますので、こちらでお待ち下さい」
「はい」
エントランスで待っていると、ドレス姿の女性が吹き抜けの階段を降りてきた。
淡い金髪の巻き髪を下ろして化粧をしている。目鼻立ちはフィオナによく似ているが、表情や仕草が少し艶っぽい。
「…あなた、フィオナのお客様?外の鳥、あなたのよね」
エリオは姿勢を正すと、三つ指の風切羽の礼をする。
「はい。リビオ東部輸鳥基地所属の輸鳥兵、エリオ・フォルクと申します」
「ふぅん」
その時、フィオナが慌てて階段を降りてきた。
「ナディア姉さん!何してるの」
「嫌ね、お客様にご挨拶をしただけじゃない。取ったりしないわよ」
ナディアと呼ばれた女性はフィオナをあしらうと、ゆったりとした動作で廊下を歩いて行った。
フィオナはため息を吐くと、エリオに向き直って苦笑いを浮かべた。
「エリオ、いらっしゃい」
「本日はお招きありがとうございます」
エリオは何事も無かったかのように深くお辞儀をする。フィオナはくすりと笑った。
「こちらです」
フィオナの案内で、エリオは居住スペースから離れた一室に通された。
その部屋は普段はギャラリーとして使われているようだった。壁には絵画が飾られ、大きなガラスケースのキャビネットには石膏や水晶で出来た彫刻が並べられている。
部屋の中央には大きなテーブルと、椅子が二脚。
テーブルの上には色とりどりの絵の具が入った瓶と何本もの筆が用意されていた。
「おぉ…」
そして椅子の横の大量の木箱を見てエリオは声を漏らす。
頭と胴体が辛うじて分かる程度に削られた、薄橙色の木の人形。
それが入った木箱がずらりと積まれている。
「これを全て…?」
「そうですね。使用人や家族と、豊穣祭の前は暇があれば描いてます」
フィオナは黒い作業用のエプロンを着けて、一つに結んだ髪を後ろへ払う。
緩やかに巻き癖のついた長い髪がさらりと背中へ落ちていく。
その仕草をぼんやり見ていると、彼女はエプロンをエリオに差し出した。
「どうぞ。汚れると困りますから」
「ありがとうございます」
慌てて受け取り、エリオもジャケットを脱いでエプロンを身に着けた。
「準備出来ました」
「はい。こんな感じで絵付けをお願いします」
フィオナが描いたものをお手本として手渡す。
まっさらだとただの木片にしか見えなかったが、花柄の服と顔が描き込んであるとそれは可愛らしいご婦人の人形に見えた。
「全員に服を着せて、顔を描いてあげるんですね…」
エリオは興味深そうに見ている。
「出来そうですか?」
「上手く描けるか分かりませんが、やってみます」
そうして二人は向かい合って椅子に座ると、しばらく集中して絵筆を走らせた。
俯いて人形を見たまま、ぽつりぽつりと会話する。
「これって、伝統的なお守りなんですか」
「ええ。うちの他にも何店か出ますよ。家ごとに柄が全然違って面白いです」
赤い絵筆で花を描く。
「冬が終わったらどうするんですか」
「春の祭りで皆で火に焚べます。でも気に入った物を取っておいてるご家庭も多いと思います」
「へぇ…」
青い筆から白い筆に持ち替える。
「あと結婚した年とか、子供が生まれた年の物とか」
「あぁ、それはいいですね」
少し顔を離して柄を確認すると、また描き始める。
「フィオナが生まれた年のはあるんですか」
「ありますよ。姉二人と弟のも。買わなくても四体あるのに、皆買ってきます」
「はは…暖炉に並べきれなくなりそうですね」
白い筆が波のような線を引いていく。
「エリオ、お上手じゃないですか」
エリオの手元を覗き込んだフィオナは感嘆の声を上げた。
顔や髪型はフィオナのお手本を真似して、服は青と白の幾何学模様にしている。
「綺麗な模様ですね」
「リビオではよく見かける柄なのでつい描いてしまったんですが…大丈夫ですか?」
「もちろん。初めて見る模様で欲しくなります」
エリオは顔を上げてフィオナを見るが、すぐに視線を戻す。
「…なら、良かったです」
「どんどん描いて行きましょう。同じ柄で少し色を変えるだけで構いませんから」
二人は元々細かい作業が好きなのもあって、話しながら順調に人形を完成させていった。
窓から入る光が少し傾いてる。
気付いたらもう昼下がりになっていた。
フィオナは一呼吸する。
伸びをして筆を置き、休憩しようとした矢先だった。
使用人がノックしてフィオナを呼ぶ。
「お嬢様。ノルンが放牧中に転んで怪我をしました」
「何ですって?」
「今、厩舎に運んでおります」
「今行く」
フィオナはエプロンを剥ぎ取るように脱ぐと、エリオに申し訳なさそうな顔をした。
「すみません、急用が入りました」
「僕も行きます」
エリオもエプロンを脱いでフィオナに並ぶと、一緒に扉へ向かう。
「何かお手伝い出来るかもしれないので」
「…ありがとうございます」
二人は足早に厩舎へと向かった。
ノルンという若い牝馬は、前脚から血を流して横たわっていた。
フィオナは駆け寄る。
側にしゃがむと、脚や関節を優しく触れて確認する。使用人にいくつか確認すると、骨は折れていないようでほっと胸をなで下ろした。
「…良かった」
声が少し震えている。
フィオナは沈痛な面持ちで顔を伏せた。
「脚が折れてしまうと、立てなくて処分するしかないこともあるので…」
エリオは水桶に布を浸して絞ると、しゃがんでいるフィオナの横に座った。
彼女と目を合わせる。
「鳥の治療には慣れてます。何でも言って下さい」
フィオナは無言で頷いた。
一緒に前脚の傷を洗って、フィオナが支えている内にエリオは手際良く清潔な包帯を巻いていく。
「あなたは馬を宥めてあげて下さい」
「はい」
手元に集中しながらも、視界の端に優しく馬を撫でるフィオナの指先が見えていた。
エリオは緩まないように包帯を巻いていく。
手早く、けれど慎重に。
治療が終わって、ゆっくり数人がかりで立たせる。
まっすぐ歩けるのを確認するとフィオナはやっと微笑んだ。
「ありがとう、エリオ。あなたがいて良かった」
「いえ…僕は何も」
エリオは照れたように笑うと、シャツとズボンについた土を払う。
「今日のところは帰ります。あなたも、無理しないで下さいね」
彼は気遣うようにそっと腕に触れた。
エリオを見ると、こちらをまっすぐ向いている双眸と視線がかち合う。
焦げ茶色の穏やかな瞳。
一つ呼吸を置いて、フィオナは小さく頷いた。
「はい…あ、ジャケットを部屋に置きっぱなしでしたね。取ってきます」
フィオナはエリオに背を向けて厩舎を出ていく。
後ろを確認もせずにドアを閉めた。
廊下に足音だけが響く。
エントランスを通り過ぎると、邸宅の大きな窓からはもう西日が差し込んでいた。
「…どうしよう」
戸惑いが唇から漏れる。
胸の奥が少しだけ落ち着かない。
大股でギャラリーへと続く廊下を歩きながら、フィオナは赤くなった頬の熱が落ち着くのを待っていた。




