2話
エヴァレット邸は農地を越えた高台の上にあった。
本邸の周りは大きな畑や季節の花が咲く庭園、馬のための放牧場といったもので囲まれていた。
華やかでは無いがその土地に根差している、穏やかで落ち着いた佇まいだ。
アンバーに乗ったエリオは手綱を引き、降下サインを出す。
「中に降りるよ、アンバー」
低い塀に囲まれた厩舎の横の放牧場。
鳥用の大きな水桶の横で誰かが手を振っているのが見える。
フィオナだ。
エリオはアンバーを放牧場へ降ろすと、少し緊張しながら鞍を降りた。
非番だが、今日も輸鳥隊の制服を着ていた。冷たい風にも耐えられる内側がボアの革のジャケットに、無骨なブーツ。
邸宅に不似合いなのは自分でも分かっている。
「こんにちは。フィオナお嬢様」
「やだ、フィオナと呼んで下さい」
親しげに笑って訂正するフィオナに、エリオは安堵したように笑った。
「では、僕のこともエリオと」
エリオはゴーグルと帽子を外して向かい合う。
今日のフィオナはトラウザーにロングブーツ、装飾はパールのボタンのみのシンプルな白いブラウスという出で立ちだった。
淡い金髪は黒いリボンで一つに結び、背中に流している。
「今日も素敵ですね」
「無理して褒めなくていいんですよ」
つい口から出た言葉だったが、フィオナは社交辞令と取ったのか軽く肩を竦めた。
「令嬢らしくないと母や姉から散々言われています」
「そうなんですか?」
「ええ。でも父の手伝いや馬の世話があるので、ドレスなんて着ていられません」
エリオはもう一度フィオナの全身を見る。
そして柔らかく笑った。
「今の姿も、とても似合ってます」
フィオナは一瞬、言葉を失う。
その様子に気付かずエリオはアンバーの元へ行くと、鞍の横に下げた袋を外してフィオナに手渡した。
「すみません。大したものではないんですが。先日のお礼に」
「そんなのいいのに…ありがとうございます」
受け取った感触からして、食べ物や貴金属ではなさそうだった。
フィオナが柔らかな綿麻の袋を開けると、大きさも種類も違う二種類の馬のブラシが入っていた。
フィオナはブラシを手に取ると、まじまじと眺める。
エリオはその様子を見て顔色を変えた。視線を落として歯切れ悪く言い訳を始める。
「菓子なども考えたのですが、流行りが分からず…馬の道具なら邪魔にはならないかと思って」
「馬毛と豚毛ですね」
フィオナは二本を見比べながら嬉しそうに呟いた。
ぱっとエリオの顔が明るくなる。
「そうです。軍馬に使っているもので」
その言葉に、フィオナは驚いてエリオを見た。
「頂いてもいいんですか?」
「ブラシ自体は誰でも買えるものですから」
ブラシに視線を戻し、指先で毛の質感を確かめる。
木の柄も滑らかだ。握ってみると手に負担なく使えそうだった。
「エリオ」
フィオナは目を輝かせてエリオの方に顔を向けた。
「嬉しいです。お菓子よりずっと」
その表情を見たエリオも、自然と笑みが溢れていた。
「良かったです」
ブラシを厩舎の前のテーブルに置くと、フィオナはアンバーの方へ向かう。
アンバーはこちらのことなど気にしない様子で、黄色い嘴を動かして静かに水を飲んでいた。
「お名前は何とおっしゃるんですか」
「アンバーです」
「綺麗なお名前ですね」
照れたようにエリオは咳払いする。
「大体皆、瞳や羽の色から名付けます。訓練生の時に幼鳥を受け取り、成鳥になるまで半年間輸鳥舎で一緒に寝泊まりします」
「大変ですね」
「楽しかったですよ」
エリオは軽い調子で笑う。
「その時に名前を?」
「はい。その間に座学や指示訓練を終え、名前を登録してやっと見習いとして飛び立ちます。そこから一年経験を積んで、正式な輸鳥兵となります」
今は立派な成鳥のアンバーを二人で見上げる。
視線に気付いて少し首をこちらに傾けるが、すぐに正面に向き直って静かに佇んでいた。
幼鳥のアンバーとエリオが寝食を共にしていたのを想像すると少し微笑ましい。
「アンバーは雌なんですね」
「雌の方が大きいので、荷運びに重宝されますね。雄は軍専用の伝令が多いです。頭が蒼っぽくて綺麗ですよ」
アンバーを見せて貰いつつ、次は操縦の話を聞く。
エリオは実際に操縦する時のように動いて見せてくれた。
「離陸と着陸、加速と減速は手綱で行います。加速なら左を二回引く、みたいな感じですね」
「なるほど」
「方向変更と旋回は足で指示を出します」
エリオは体ごと傾き、あぶみに乗せた足をきゅっと引く動作をする。
「飛びながら指示するのは大変そうですね」
「余裕が無い時は叫びます」
「あら」
フィオナが笑うのを見てエリオも口元を緩めた。
「いつも口で指示してる隊員もいますし、逆に手綱のサインを増やしてる隊員もいます。鳥と隊員の性格で乗り方が違うんです」
「生き物ですものね」
納得したように頷くフィオナに、エリオは嬉しそうだ。
ふと、フィオナは頭上の太陽に目を遣る。
「エリオ。昼食は食べられましたか?私はまだなので、よろしければ少しこちらで休憩していきませんか」
「いいんですか?…では、お言葉に甘えて」
フィオナが合図すると、使用人が放牧場の横に設えたガゼボにお茶とサンドイッチを運んできた。
秋の爽やかな日差しの下、二人はアンバーを眺めながら食事を摂る。
「フィオナ様は…」
「フィオナ」
有無を言わさない様子に、エリオは折れた。
「…フィオナは忙しいんですか」
「もうすぐ豊穣祭があるので細かい仕事が多いですね」
「豊穣祭ですか」
サンドイッチを食べながら首を傾げる。
「どんなお祭りなんですか?」
フィオナは町の様子を思い出しながら、声を弾ませて説明した。
「温めた葡萄酒やソーセージを振る舞ったり、露店でお菓子や細工品を売っています。広場も3日間に渡って大道芸や芝居をしていて賑やかですよ」
「フィオナは何をするんですか?」
「絵付けです」
「絵付け?」
きょとんとするエリオにフィオナは笑う。
「毎年、露店でたくさんの木の人形を売るんです。それを冬の間、暖炉の上に飾ってお守りにします」
「へぇ…」
「一度にたくさん塗るから手が痛くなりますけど。好きなんです、絵付け」
フィオナの様子を見てエリオも目元を緩ませる。
「楽しそうですね」
「本当に?」
「ええ、ちょっとやってみたいです」
「一緒にやります?」
フィオナはテーブルに手をついて、顔を近付ける。エリオは少し顔を赤くして頷いた。
「はい。ぜひ」
サンドイッチを一口食べてから、フィオナは嬉しそうに笑った。
「約束ですよ」
二人の間を風が通り抜けて行く。
ティーカップの紅茶の水面が揺れていた。




