1話
それは、ある秋晴れの午後だった。
フィオナは愛馬のヒースと共に、家からそう離れていない丘へ遠乗りに来ていた。
トラウザーにジャケット姿、長い髪を結って帽子の中に入れている。
少し日焼けした肌に快活な瞳。よく見れば整った顔立ちだが、それよりも活発さの方が印象的だった。
丘の上に辿り着くと草原が一望できる。
風に撫でられて草が波のようにうねっていた。
「良い天気。おやつでも持ってきたら良かったね」
ヒースの滑らかな芦毛を撫でる。
水筒から水をやると、大きなポプラの幹に手綱を繋いだ。
傾斜に寝転んで雲を見上げる。
草の匂いが風と共に通り過ぎて行く。
今日の午後の仕事を考えながら、うとうとしていたその時だった。
青空の彼方から、何か巨大なものが近付いてきた。
翼を広げて降りてくる。
草が大きく揺れた。
思わず上体を起こして瞬きをすると、それはもう地面に立っていた。
巨大な鷹だった。
羽を畳み、悠然とこちらを見下ろしている。
フィオナは鷹の目の前まで駆け寄った。
「すみません、この辺の方ですか」
鷹の背中に取り付けられた鞍から、人の良さそうな青年が降りてくる。
フィオナは一歩近寄ると、声を掛けた。
「はい。輸鳥隊の方ですね」
「リビオ領の東部輸鳥基地所属、輸鳥兵のエリオ・フォルクと申します」
降りてきた彼は、耳当ての付いた帽子にゴーグルを着けたまま、風切羽を示す三本指の敬礼をする。
輸鳥隊は軍に属する特殊兵科の部隊だ。背格好からして、フィオナとそう変わらない年頃のようだった。
「何かありましたか?」
「すみません、少し伺いたいことがあって声を掛けさせて頂きました」
フィオナは胸をなで下ろす。
「緊急着陸ではないんですね」
「鳥は問題ありません」
エリオが見上げるのに合わせて、フィオナも鷹に目を向ける。
彼女の頭よりも高い位置に、豊かな羽毛に覆われた胸がある。呼吸のたびに巨体がかすかに上下している。
凛々しい瞳は澄んだ琥珀色だった。
鷹はフィオナには目もくれず、じっとしている。
エリオは鷹に取り付けた鞍の方に目をやった。
「風で輸送用の金具が外れて、飛ばされてしまったようで。この辺りで鳥装具を扱っている所はありませんか?」
「ノーヴェと言う町に輸鳥舎があるので、そこなら扱ってると思います」
エリオはホッとしたように口元を緩めると、腰のポーチから地図を取り出した。
「失礼します」
断りを入れて、フィオナの横に並ぶ。
フィオナは広げられた地図を横から指差した。
「今いるのがこの辺で、ここがノーヴェです」
「ああ、なるほど。ここなら北の関所までそう離れてないですね」
「関所に行かれるんですか?」
地図から目を離してエリオを見上げる。
エリオはゴーグル越しに彼女と目を合わせて頷いた。
「リビオ基地からエヴァレット北関門の空路を担当しています。グランチェスタも行きますけど」
グランチェスタ領はエヴァレットとリビオに隣接する南側の領だ。グランチェスタに行く為にはエヴァレットを通過しなければならない。
彼はずっとこの辺を飛んでいたんだな、とフィオナは空を見上げた。
「エヴァレット領の町には降りたことが無いので、助かりました」
地図を畳んで礼を告げるエリオに、フィオナは微笑む。
「よろしければノーヴェまで案内しましょうか?」
「いいんですか?でも…」
気兼ねするようにフィオナと繋がれたヒースを見る。フィオナは笑った。
「大した距離じゃありません。私が行ったほうが話も通ると思います」
「すみません。この辺は不慣れなので助かります」
フィオナがヒースを撫でて飛び乗ると、町の方角へ手を挙げて示す。
「こっちです」
「先に行って下さい。追いかけます」
エリオはそう声をかけると、フィオナが離れたのを確認して鷹に声を掛ける。
「行こう。アンバー」
アンバーと呼ばれた鷹は身体を低くし、エリオは鉄製のあぶみに手を掛けて鞍に飛び乗った。
手綱を両手で握ると、右側を引いて離陸のサインを出す。
軽く首を振って大きな翼を広げると、アンバーは風を切って空へ羽ばたいた。
広大な農地と平原の間の道をヒースが駆けていく。
そのすぐ上をアンバーが飛んで追いかける。
午後の暖かな日差しを受けて、ヒースの毛並みが白銀にきらめいていた。
「すごいな、あの人」
エリオはフィオナを抜かさないようにゆっくりと風に乗って空を滑っていく。
心地良さに身を預けていると、すぐにノーヴェの町並みが見えてきた。
ノーヴェは大きな山の麓にあり、山間部やその向こうの町への配達を取りまとめている大きな郵便局がある。
輸鳥舎もその中にあった。
「すみません、輸鳥隊の方が飛行中に鳥装具を無くしてしまったらしくて」
「それは大変ですね」
「こちらで買うことも出来る?」
「勿論です」
軒先の水飲み場にヒースを繋いで先に説明していると、輸鳥舎の外の停留所にアンバーが旋回しながら降り立つ。
フィオナはアンバーの方へ近付きながら、重なった羽毛の茶褐色の斑模様に見惚れていた。
「先導ありがとうございました。助かりました」
「エリオさん」
降りてきたエリオはフィオナの元へ駆け寄ると、深く頭を下げる。
「ここは輸鳥隊も利用しているらしくて、丁度良かったです。詳しくは輸鳥舎の方に聞いて下さい」
フィオナは輸鳥舎の局員に声を掛ける。
「くれぐれも失礼のないようにね」
「かしこまりました、お嬢様」
エリオはゴーグルの奥で目を丸くする。
フィオナが帽子を外すと、結った淡い金髪と碧眼が露わになった。
化粧っ気は無いが、品のある顔立ちと凛とした雰囲気を纏っている。
彼女は照れ笑いをしながら自己紹介した。
「エヴァレット領主の娘、フィオナ・エヴァレットと申します」
「え?あっ…失礼しました!」
エリオは慌ててゴーグルと帽子を外す。
短めに整えた茶色い癖っ毛と、穏やかな少し垂れた瞳。
彼は背中を丸めて恐縮したように頭に手を当てる。
「まさか伯爵家の方とは思いませんでした」
「やめて下さい」
輸鳥舎の方に案内しながら、フィオナは人懐っこく笑う。
「エヴァレット領は人より牛の数の方が多いんです。私も手伝いに駆り出されて、よくお使いをしてます」
「では今日も…?」
「今日はただの散歩でしたけど」
エリオはつい笑ってしまい、顔を引き締める。
フィオナはその様子を見て笑う。
「普通にして下さい。その方が嬉しいので」
「そうですか…」
一歩先を歩きながら、少し後ろを向く。
「エリオさんはこの後、北の関所へ向かわれるんですよね?」
「はい。近くに町があって助かりました」
フィオナは小さく笑う。
「町、あんまり無いですからね」
「そんなことないですよ!」
鳥装具を置いている建物の手前で、フィオナは立ち止まって改めてエリオを見る。
「エリオさんって良い人ですね」
「いえ。僕なんか全然…ここまでして頂いて感謝しています」
エリオはフィオナと向かい合うと、姿勢を正して頭を下げた。
「今度、エヴァレット邸にお礼に行かせて下さい」
「そんな大したことは…あっ」
辞退しかけて、フィオナは声を上げる。
「もしよければ、鳥を見せて頂けませんか?」
「鳥ですか?」
「近くで見たり、操縦する所を見てみたいです」
エリオは思わぬ提案に驚いて目を見開いていたが、それから頬をほころばせた。
「分かりました。ぜひアンバーとお邪魔させて下さい」
「ありがとうございます」
フィオナが嬉しそうに目を輝かせると、エリオは困ったように笑った。年相応の青年らしい表情だった。
「僕がお礼に行くのに、お礼を言われてしまいましたね」




