↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/15

第2話:『影の牽制と、胸元の秘密』

いつも作品を読んでくださり、本当にありがとうございます!


『色なき風の吹く頃に』第2話をお届けします。


ナンバーワンキャスト・礼亜の影の牽制と、二人の間に訪れる思わぬハプニング。

プロの仮面の下に隠された杏奈の「素顔」と、薫の飾らない優しさが交差する瞬間を描きました。


冷めきっていた杏奈の世界が、少しずつ熱を帯びて動き出す様子をぜひお楽しみください。


面白いと思っていただけたら、感想やブックマーク、評価などもいただけますと大変励みになります!



 夜の街で生きる女たちの笑顔ほど、信用できないものはない。


 系列店『MIRAGE』のナンバーワンである礼亜が、アフターの店として『ETERNAL』を選び、指名客である薫とMIRAGEのスタッフたちを連れて来店した夜。


 杏奈はフリーとして、その賑やかな席へついた。



「杏奈ちゃん、いつもありがとうね〜。薫さん、この子すごくいい子だから仲良くしてあげて?」


 礼亜は鈴を転がすような愛くるしい声でそう言いながら、絶妙な角度で薫の腕に自分の体をすり寄せる。


 言葉の上では杏奈を持ち上げているように見えて、その実、醸し出している空気は明確だった。



——『この男は私の指名。手出ししたらどうなるか分かってるよね?』



 グラスを置く位置、薫の視線が杏奈へ向かいそうになった瞬間に投げる絶妙な質問。


 そして杏奈へ向けられる、瞳の奥が一切笑っていない一瞬の視線。


 この街で生きてまだ2年だけど、杏奈にはその「見えない牽制」が痛いほど伝わっていた。



「薫さんって本当に優しくてぇ、先月も私に毎週会いに来てくれたんだよね」


「ねえ杏奈ちゃん、杏奈ちゃんのお店って最近暇なの? うちの店、最近忙しすぎて困っちゃう」



 巧みにマウンティングを織り交ぜながら、薫の意識を自分だけに繋ぎ止めようとする礼亜。


 杏奈はただ「羨ましいな」「礼亜さん流石です」と無難な相槌を打ち、影のように配膳役に徹するしかなかった。



 けれど、深く腰掛けたソファからふわりと漂う上質な大人の香りと、誰に対しても分け隔てなく向けられる薫の静かな瞳。


 杏奈の胸の奥は、どうしようもないほどその存在に引きつけられていた。



(もう少し……ほんの少しでいいから、話してみたいな……)



 そんな想いを押し殺しながら、薫のグラスへ静かに氷を足そうと手を伸ばした、その時だった。


 ドレスの胸元の開いたラインから、チラリと小さな影が覗く。


 白く華奢な肌の上に刻まれた、繊細で可憐な猫のタトゥー。



 有象無象の男たちには決して見せない、プロのドレスの下に隠された杏奈だけの小さな秘密。


 その瞬間にふと重なった薫の視線。


 杏奈は弾かれたように顔を上げると、耳まで真っ赤にして慌てて胸元を片手で隠し、キュッと身をよじらせた。



(……やだ、見られた……っ)



 強がりで冷めた仮面が一瞬で剥がれ落ち、一人の無防備な少女に戻ってしまう。


 そんな杏奈の純粋で可憐な反応に、薫の目元がふっと優しく和らいだ。



——その時だった。



 テーブルの上で、礼亜のスマートフォンが短く振動した。


 画面を盗み見た礼亜の表情が、一瞬でプロの笑顔から「女の計算」の顔へと変わる。



「……あ、ごめんなさい。ちょっと電話」



 席を立ち、離れた場所で短く通話を終えて戻ってきた礼亜は、申し訳なさそうな、けれど隠しきれない焦りを浮かべて薫の肩に手を置いた。



「薫さん、本当にごめんなさい! 急にお客さんから連絡があって……どうしても来いって聞かなくって。今日、せっかく薫さんと一緒にいたかったのに……」



 太客からの呼び出し。


 売り上げと客を天秤にかけ、礼亜は一瞬でこの席を立つ判断を下したのだ。


連れてきていたスタッフたちも引き連れ、台風のように去っていく礼亜。見送りのために他の女の子たちも席を立ち、ボックス席から消えていく。


 残されたテーブルには、静寂と、置き去りにされたグラス。


 そして——少し離れたヘルプ椅子に座ったままの杏奈と、薫の二人だけが取り残された。



「……あ、あの、席……移動しますね」



 杏奈は小さく息を呑み、ずっと離れていた椅子から、薫のすぐ隣のソファへと身を寄せた。


 わずか数十センチの距離。



 礼亜という壁が消えた瞬間、薫から漂う心地よい香水と、大人の体温がダイレクトに伝わってくる。


 緊張で心臓が破裂しそうなほど脈打つ中、薫が隣の杏奈へ視線を向け、穏やかな声で呟いた。



「さっき見えたの……可愛い猫のタトゥーだね。大切な猫ちゃんなの?」


「……えっ」



 驚いて顔を上げると、薫は優しい瞳で杏奈を見つめていた。


 ただスケベ心で胸元を見ていたわけじゃない。自分が大事に抱えている想いに気づいて、優しく触れてくれたのだと分かり、胸が温かい熱でいっぱいになる。


 恥ずかしさと嬉しさが一気に押し寄せ、杏奈は両手で顔を覆うと「見ないでください……っ」と身をよじらせて照れた。



「……『ゆんちゃん』っていうんです。私の、大切な家族で……」


「そっか。すごく可愛いね。杏奈ちゃんに似合ってる」


「……もう、からかわないでください……」



 おだてでも下心でもない、平熱のまま届く薫の言葉。


 群がる男たちの前では決して見せない杏奈の素顔と可憐さが、薫の胸を強く打ち抜いていた。


 プロの接客トークなどどこかへ吹き飛び、二人の間には驚くほど自然で温かい時間が流れ始める。



「……私、他の人にも、こんな風に話したりしないんですよ」


「うん。伝わってるよ」



 薫の言葉に、杏奈の瞳が潤み、震える。


 黒服が退店を告げに来ると、薫はスマートに会計を済ませて席を立った。


 去ってしまう。また「ただのヘルプ」に戻ってしまう——焦りと衝動が、杏奈の背中を押した。



「……あの! もしよかったら……LINE、交換してくれませんか……?」



 勇気を振り絞り、震える手で差し出したスマートフォン。


 薫は優しく微笑むと、「もちろん」と自分の画面を重ねた。



——画面に刻まれた「薫」の名前。


 去っていく背中を見送りながら、杏奈はスマホを胸に強く抱きしめた。


 もう二度と、この熱からは逃げられない。


 夜の街で生きる杏奈の冷え切っていた世界が、明確な熱を帯びて走り出した瞬間だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。