【緊急連載】1,000人が消えた「すみれが丘マンション」の闇(第2回)
『便りがないのは良い知らせ――家族すら気付かない「ミイラ化した遺体」が語る一年の空白』
前回の記事では、『すみれが丘マンション』で運営されていた「遺体安置所」について触れた。
その際、「違法な遺体安置所」と書いたが、実のところ現在の日本の法律において、遺体を荼毘に付すまでの保管場所についての細かい規定は存在しない。
現代においても葬儀当日まで自宅に遺体を安息させるケースは一般的であり、つまりマンションの一室に遺体を保管すること自体は違法ではないのだ。
ならば完全に合法かと言えば、これはマンション側の定めた管理規約次第となる。
マンション側が部屋の使用目的について「専ら住宅として使用する」「事務所・倉庫不可」「電気・重量制限」などを定めていた場合、「遺体安置所」としての使用は当然アウトである。
そもそも、いくら限界マンションといえど「遺体安置所として部屋を借りたい」という申し出を受け、素直に貸し出す管理会社はほぼ皆無と言えるだろう。
考えてもみてほしい。あなたがマンションに住んでいるとして、すぐ隣の部屋に棺桶が並んでいるとしたらどう感じるだろうか。
真夜中に棺桶を載せたストレッチャーとエレベーターでたびたびすれ違うことになったら、どんな気分だろうか。
住民からの強い反発を招くであろうことは想像に難くない。
『すみれが丘マンション』においても、「遺体安置所」はただの事業用事務所として借り出されており、管理会社はその不気味な経営実態を一切把握していなかった。
■なぜ独居老人はミイラ化するまで家族すら気付かなかったのか
事件発覚当初、世論は大きく荒れた。
その批判の矛先は市の地域包括支援センターなどに向かい、ケアマネジャーの怠慢を詰じる声も多く存在した。
だが実態として、ミイラ化した状態で発見された「俵崎栄一郎さん(仮名・89歳)」は、そもそも行政に支援を申し出ていなかったのだ。
このように本人、または家族によって支援の申請がなされていない場合、現在の行政システムで独居老人の孤独死を未然に防ぐことは実質不可能である。
では、独居老人の孤独死は通常どのような形で発覚するのか。
家賃や水道光熱費が滞納し、回収業者が直接自宅を訪ねて初めて発覚するケースが極めて多い。
あるいは季節によっては、部屋から漏れ出す異臭を嗅ぎつけた近隣住民からの通報によって判明することもある。
いずれにせよ、それが判明した時点ですでに手遅れとなっているのが現実なのだ。
俵崎さんのケースでは、遠方に住む家族が生活費を毎月口座に振り込んでおり、本人の年金と合わせて定額の引き落としが滞りなく行われていた。
年金も生活費も、本人が存命であると判断されている以上、振り込まれ続ける。
結果として、俵崎さんは死亡したことすら気付かれることなく、一年近くも自室で放置されることとなった。
■誰が俵崎さんの遺体を棺桶に押し込んだのか
他人の棺桶に遺体を押し込んだと聞けば、いかにも残忍で非情な犯行と感じるかもしれない。
だが、その裏には少しばかり切なく、歪んだ事情が存在していた。
前回述べた通り、『すみれが丘マンション』は限界マンションであった。
住民の多くが高齢者となり、自治運営は事実上破綻している。
かつて1時間に1本運行されていた住民のための無料送迎バスも、今では1日2回にまで削減されていた。
これは過去に、自治会の多数決によって決定された事項である。
――こう聞くと矛盾しているように思えるかもしれないが、蓋を開けてみれば単純な話だ。
管理会社側がコストカットのためにバスの削減案を提示し、住民たちに賛成票を募った。
自治会は形骸化していたが、形式上の「住民投票」は実施されたのだ。
当時、すでに外国人労働者の入居が増えており、部屋を事務所として利用する者も多く、彼らの多くは自家用車を所有していた。そのため「バスの運行費用が減って月々の管理費が安くなるなら」と喜んで賛成票を投じた。
しかし、それでも高齢者全員が反対票を投じていれば可決されるはずはなかったのだから、この集計プロセス自体に何らかの不透明さが漂うのは否定できない。
いずれにせよバスの運行は極端に減らされ、これが足を奪われた高齢住民たちの生活を直撃することとなった。
この困窮に目をつけたのが、新たに引っ越してきた外国人労働者たちだった。
彼らはわずかな駄賃と引き換えに、高齢者たちの代わりに買い出しを引き受け、時には病院へ送り届けるなど、生活に寄り添うようになった。
もちろんそこには金銭が発生していたが、筆者が取材した限り、それは決して法外な搾取などではなく、マンションという閉ざされたコミュニティにおける「持ちつ持たれつ」の互助関係と言える範囲であった。
ベトナム人であるファム夫妻もまた、駄賃を受け取って独居老人たちの面倒を見ており、とくに妻のタオさんは住民たちの間でも「とても親切で優しい」と評判が良かった。
そんなファム夫妻が日頃から面倒を見ていた一人こそが、俵崎さんだったのだ。
しかしある日、俵崎さんは自室でひっそりと老衰により息を引き取る。
夫妻はすぐに警察や自治体へ連絡しようと考えた。だが、彼らには切迫した事情があった。妻のタオさんは妊娠8か月で、間もなく第一子が生まれようとしていたのだ。
夫婦にはどうしても今すぐ動かせる現金が必要だった。
追いつめられた夫妻は、俵崎さんの死亡を隠蔽し、毎月振り込まれる生活費や年金、もともとあった貯金などを少しずつ引き出して懐に入れる道を選んでしまう。
俵崎さんの遺体は、密封された室内で大量の乾燥剤と防臭剤を敷き詰められ、誰にも気づかれることなく徐々にミイラ化していった。
■なぜ、俵崎さんのミイラは他人の棺に押し込まれることになったのか
ファム夫妻が「もう隠し通せない」と悟ったのは、管理会社からマンションの空調設備一斉点検の通知が届いた時だった。
本来、その通知は「点検を希望する住戸のみ訪問する」という内容だったのだが、日本語の読解が不十分だった夫妻は「全室に点検業者が立ち入る」と勘違いしてしまったのだ。
パニックに陥った夫妻は、大急ぎで遺体を別の場所へ隠蔽する手段を模索する。
そこで目をつけたのが、夫であるミンさんの勤務先であった。ミンさんがアルバイトとして働いていた葬儀会社――それこそが、『すみれが丘マンション』の一室を違法な遺体安置所として利用していた業者だったのだ。
ミンさんの主な業務は棺桶の運搬であり、彼は日常的に安置所の出入りを行っていた。そのため、搬入された棺の中から「火葬直前で遺族の立ち会いがない棺」を特定することは容易だった。
その棺の隙間に俵崎さんの軽量化したミイラを滑り込ませてしまえば、誰にも気づかれずに火葬場で処理されると考えたのだ。
ベトナムの伝統的な葬儀において、納棺は親族の手で行われるものであり、葬儀業者のスタッフが棺を改めるような厳格なチェック工程は存在しない。「蓋さえ閉めてしまえば誰にも気づかれない」という母国での感覚が、彼の判断を鈍らせたのだろう。
かくして、赤の他人の棺桶に一年の空白を経たミイラが紛れ込むという、前代未聞の奇妙な事件が引き起こされたのである。
第3回では、この『すみれが丘マンション』のさらに不気味で歪んだ運用実態と、この土地が抱える闇深い歴史の謎に迫っていく。
(ルポライター:首藤 隆一)




