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すべての信号が遮断された不毛な空間だけが、私の暴走するプロセッサを冷却できる。
教授室から閉め出された直後、廊下で立ち尽くす私の頭に、千紗がそっと見慣れたヘッドホンを被せてくれた。アクティブ・ノイズキャンセリングの生み出す擬似的な真空に救われながら、西日が長く影を引く放課後のキャンパスを、千紗に手を引かれたまま歩く。
私たちは、本校舎から最も離れた敷地の境界へと向かっていた。
目指すのは、昭和の時代に建てられ、今では使われなくなった古い風洞実験室の跡地だ。
かつて巨大な送風機が稼働していたというその建物は、周囲を厚いコンクリートの防音壁で囲まれ、外界のあらゆる電波や音波を減衰させる巨大なデッドゾーンと化していた。
千紗が錆びついた金属製の扉を、軋んだ音を立てて開ける。
中に足を踏み入れると、一瞬で世界の音響特性が変わるのがわかった。
反響が、ない。
私の靴音が、コンクリートの床に吸い込まれるようにして消えていく。外界を飛び交っていた車のロードノイズも、学生たちの話し声も、この重厚な隔壁によって完全にろ過されていた。
室内の隅、埃の積もった古い実験用ベンチに腰を下ろす。
ふと、自分の足元に視線を落とした。
ひび割れたコンクリートのわずかな隙間。光すら十分に届かないはずのその不毛な暗がりに、一本だけ、力強く伸びている名もなき雑草の青い茎が見えた。
土らしい土もないコンクリートの割れ目で、その植物はただ静かに、過剰な入力を求めることもなく、自身の生存プログラムを淡々と実行していた。
「ふぅ……」
私は深く息を吐き出した。
教授室での張り詰めた緊張が、静寂のなかに霧散していく。
耳の奥を焼き焦がしていた脳内の過電流が収まり、警告音が消えていく。私のプロセッサの処理負荷は急速に低下し、一分間に百二十回を数えていた心拍数は、本来の正常値である毎分六十回台へと緩やかに降下していった。
「お疲れ様、英里菜。がんばったね」
隣に腰掛けた千紗が、私の頭からノイズキャンセリングヘッドホンをそっと外した。
直接触れる千紗の指先の温度が、じわりと私の肌に伝わる。
千紗はポケットから自分の携帯端末を取り出し、一本の白い有線イヤホンを繋いだ。
「はい、これ」
差し出された左側のイヤホンを、私は素直に自分の耳に装着した。もう片方の右側のイヤホンは、千紗が自分の耳へと滑り込ませる。
千紗が画面をタップすると、イヤホンの微細な振動板から、静かなアンビエント音楽が流れ込んできた。
一定の周期で静かに満ちては引いていく、サイン波のような低音のループ。それはメロディというよりも、私の脳幹の周波数を同期させ、安定させるためのチューニング信号のようだった。
一本の細いコードで物理的に接続された、私と千紗。
その非対称な接続だけが、私の世界を安全に保つための唯一のフィルターだった。
「ここなら、私の脳はオーバーヒートしない。千紗、ありがとう」
私は耳に響く穏やかな音の波に意識を委ねながら、静かに、そっと両目を閉じた。
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