18
六月中旬の、雨が窓を叩く静かな夜。
千紗の部屋は、外界の暴力的なノイズの振幅が最小限に抑えられた、私にとって数少ないセキュアな空間だった。
コンセントに差し込まれた机の上の小さなアロマディフューザーが、微かにオレンジの柑橘の香りを放っている。
その超音波が乗せる細かな霧と、部屋を満たすおだやかな酸味は、私の嗅覚受容体を刺激しすぎることなく、むしろ過熱した脳のクロック数を静かに引き下げてくれた。
私はドレッサーの鏡の前に椅子を引き、自分の顔と対峙していた。
「大頬骨筋の収縮率、およそ十五パーセント。口角挙筋を左右等価に引き上げ、眼輪筋の下部をわずかに緊張させる。瞳孔の過度な散大を防ぐため、視線はカメラレンズのやや下、仮想の面接官の喉元に固定――」
呪文のように呟きながら、私は自分の顔面筋肉のパラメーターをミリ単位で操作する。
だが、鏡が私に返してきたのは、生命の宿らないプラスチックの玩具のような、醜く引きつった「不気味の谷」の造形だった。
不自然だ。明らかに、システムに致命的なレンダリングエラーが発生している。
なぜ、すべての筋肉の座標を理想的な幾何学グリッドに配置しているのに、出力結果にこのような不快なノイズ(違和感)が混入するのだろう。
「英里菜、頭で計算しながら笑おうとするの禁止!」
キッチンから、千紗が大きめの木製トレイを持って現れた。
彼女は私の座るドレッサーの脇にそれを置き、私の肩を後ろからぽん、と叩いた。
「はい、今日のデバッグ燃料。面接練習の前に、まずこれを食べて」
トレイの上に置かれたのは、湯気を立てる白い陶器の深皿。
千紗が作った、温かいクリームシチューだった。
私はスプーンを取り、具材をすくい上げようとして、わずかに手を止めた。
「……千紗。このジャガイモ、形状が不均一だわ。完全に型崩れして、スープのなかに崩落している」
「あはは、ジャガイモね、ちょっと煮込みすぎちゃって崩れちゃった。でも、その方がスープにとろみがついて美味しいんだよ?」
千紗は気に留める風もなく、自分の分のスプーンを口に運んだ。
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