62.少し離れた場所で
「ハンカチ! 頂戴!!」
あたしは後ろを振り返ることもなく、ただ手だけを差し出して声を荒らげた。
あーもう失敗した。本当に失敗した……!
あたしの顔は涙に濡れている。
絶対にこんな顔は後ろにいる奴らに見せられない。泣いた事実だって知られたくないくらいなのに……本当に屈辱だわ。
りょーこ、もといヴィオレッタに泣き顔を見られるのはしょうがないというか不可抗力。それに『前世』のことを知っているから、人格が違うにしても涙を見られることに抵抗はなかったし、後悔すらもない。
けど、後ろの奴らは別!
絶対、絶対、絶対……見せたくない!
あたしの涙を見てもいい存在なんて伯父様くらいなものよ。
そんな後悔に苛まれていると、後ろに差し出した手の上にドサドサっと布が大量に乗せられる。
「……え?」
ハンカチは一枚で良かったのに、明らかに五枚以上のハンカチが乗せられる。
当然あたしの手に乗り切るはずがなく、何枚かはあたしの手から落ちてしまった。
「あ! おれのが落ちたんだけど!」
「オレのも落ちた……っていうか、メロってハンカチちゃんと持ち歩いてたんだ? なんか意外……」
「ハルくんひどくね?! おれだってハンカチくらい持ち歩くッスよ」
あたしの気持ちとは裏腹に背後ではメロとハルヒトが言い合いをしている。
どうやらその場にいる人間全員があたしにハンカチをくれたらしい。けれど、それは全くの想定外だったのであたしは乗せられたハンカチを上手く掴めなかった。
誰かが全員分のハンカチが落ちないようにあたしに握らせてくれる。
「お嬢様。落ち着かれるまでお待ちしております」
「……ジェイル」
「振り返らなくて結構です。――少し離れていますね」
優しい声だった。
本当に、驚くくらいに優しい声。
あたしがハンカチを握ったのを確かめたからか、後ろにいたジェイルたちの気配が離れていく。
ハンカチを両手に包み込み、静かに見つめた。どれが誰のだか、見ればわかるような特徴がある。
ぎゅっと握りしめ、大量のハンカチに顔を埋めた。
――なんでまた泣かされなきゃいけないのよ。
あたしは今回かなり無茶苦茶なことをしていたと思う。
『前世の友人』を救うことしか考えていなかった。
あいつらのことなんて、ほとんど頭になかったのに。
結果的にあいつらの好意を利用してるのに……なのにあいつらは妙に優しいし……どうしても罪悪感を刺激されてしまう。
……謝らなきゃ駄目かしら。――でも何を?
申し訳ない気持ちはある。なのに、それを上手く言葉にできない。
りょーこを助けられたことへの安堵感。そして、彼らへの妙な申し訳なさ――。
それらを考えているうちに涙はすっかり引いて、気持ちもいくらか落ち着いた。
謝るかどうかはさておき、もう六堂家にはいられない。
帰ってから考えよう――。
そう思い、アリスだけを呼び寄せる。アリスはすぐに駆けてきてあたしの後ろでそわそわしていた。
「ロゼリアさま……えぇと、もう戻られますか?」
「ええ、戻るわ。だから、あいつらに先に行くように言ってくれる?」
まだ顔を見られたくないというあたしの気持ちを察したのか、アリスは「はい!」と元気よく返事をして離れていった。
ジェイルたちに先に行くように促してから、アリスは改めて戻って来る。
「皆さん、先に戻られましたので大丈夫です。あの、わたしも先に行きますねっ」
そう言ってアリスも一足先に戻ってしまった。
――本当に、周囲の物わかりが良くて驚いている。
謝るというより、お礼を言わなきゃいけないかもしれない。
そんな気持ちとともに、静かに部屋へと戻るのだった。
その後。
雪も止み、道路の状況も平常に戻っている。帰ると決めてしまえば後は早かった。
なんせ六狼会は行方不明となっていたヴィオレッタが酷く衰弱した状態で戻ってきたことでてんてこ舞い。
あたしとハルヒトが「お忙しいようなので帰りますね」と言ったところ、アオさんが慌てて謝罪と見送りに来てくれた。
「バタバタしていて十分に見送りができなくて申し訳ない……」
「いえ、お忙しそうなので……あたしたちがいてはかえって迷惑になりそうですから」
「雪も止んだし、元々今日帰れそうって話もしてましたしね。オレたちのことは気にしなくて大丈夫ですよ」
「そう言って貰えると助かるよ、ありがとう。――じゃあ、また何かあれば遠慮なく頼って欲しい」
そんな挨拶をしてあたしたちは六堂家を後にした。
ハルヒトとは帰る方向は一緒だけど車が別。ハルヒトはユキヤの運転で帰るらしい。
屋敷の傍にある駐車場まで向かい、ハルヒトが車に乗り込む前にあたしの方へとやってきた。
「ロゼリア。今回は偶然とは言え会えて嬉しかったよ。また遊びに行くね」
「ええ、それはいいけど……事前に連絡は頂戴」
「もちろん。――ユキヤ、挨拶はいい?」
エンジンをかけていたユキヤが運転席から出てきて、こちらへとやってきた。
ハルヒトの隣に立ち、あたしに一礼する。
「俺もあなたに会えて嬉しかったです。今度ハルヒトさんと一緒に伺いますね」
「わかったわ。帰り道、気をつけてね」
「はい、安全運転で帰ります。――ロゼリア様たちもどうかお気をつけて」
「お嬢~、そろそろ行こうよ~」
メロに呼ばれ、車に乗るべく二人から離れる。一度だけ振り返ると二人は笑顔であたしに向かって手を振っていた。
冷たい風に吹かれ、二人の髪の毛が揺れる。寒さなんて気にならないと言わんばかりの表情に、思わず目を細めてしまった。
……ハルヒトなんて途中ですごく不満そうだったに、なんであんなにスッキリした顔しているのかしら。
あたしはやりたいことをやり遂げることができたからスッキリしてるんだけど……ハルヒトたちも、ジェイルたちもきっとそうじゃないのに……。
悶々としながら車に戻ると、メロが助手席のドアを開けてニコニコしていた。
「お嬢、乗って乗って」
メロだけじゃなく、ジェイルもユウリもアリスも、どこかすっきりした笑顔を浮かべている。
黒塗りの車を囲むには、やや不釣り合いな笑顔。
ふわりと風が吹き、髪の毛を揺らす。髪を押さえながら、四人の顔を順に見つめていった。
「――ねえ」
まるであたしの声を遮るかのようにザァッと風が吹いた。
けれど、あたしの声は四人の届いていたらしく、彼らは揃って首を傾げている。
少々気が咎めたけれど、風にかき消されるならそれでいいという気持ちで続きを口にした。
「あんたたち、どうしてそんなにスッキリした顔をしてるのよ。
……ずっと不満そうだったじゃない。あたしのことが気に入らないんじゃないの?」
罪悪感に背中を押されるような形で問いかける。
さっきよりも風は収まったけれど、どこからか雪を運んできていた。欠片が当たり、頬を冷やしてしまう。
あたしの問いに、四人ともひどくびっくりした顔をして――何故か揃って顔を見合わせていた。何をどう答えようか、悩んでいる風でもある。
やがて、一番に口を開いたのは運転席のすぐ横にいたジェイル。
「それは愚問ですよ。お嬢様こそ、何かを成し遂げられたようでスッキリされているでしょう。
自分にとってはそれが何よりです。それ以上に望むことはありません」
「……あんた、それ本気で言ってる?」
「もちろん、本気です。――良かったですね、お嬢様」
そう言ってジェイルが微笑んだ。普段仏頂面のくせに! 急に笑わないでよ!
あたしが動揺していると、ユウリが近付いてきてあたしに手を差し出した。思わずユウリと手を見比べてしまう。
「ロゼリア様、お手を」
「どういう風の吹き回しよ」
「たまにはいいかと思いまして。
僕、ロゼリア様が思い詰めた顔をしているのがずっと気がかりでした。
でも、今はもうそんな表情はされてないので……それだけで、本当に十分なんです」
もう一度「本気?」と聞きそうになったところで、ユウリがあたしの手を取って歩き出す。落ち着かない気持ちのまま、ユウリに手を引かれる形で助手席へと辿り着いた。
メロがニコニコと笑っている。
「本当に良かったッスね、お嬢」
「……。……あんたたち、わけわかんないわ。……でも、」
本当にわけがわからない。どうして急にスッキリした顔で笑っているのか。
ただ、そうやって思ってくれていること。
何も聞かずにいてくれることは、間違いなくあたしに安堵をもたらしている。
視線を伏せ、四人の顔を見ないようにしながら口を動かす。
「――ありがとう」
それだけ言って、逃げるように助手席に乗り込む。
気恥ずかしさゆえに、帰りは寝ようと心に決めるのだった。




