60.それだけで
翌朝、身支度を終えた直後のこと――にわかに廊下が騒がしくなった。
使用人たちのバタバタとした足音、焦った声が聞こえてくる。
あたしはゆっくりと深呼吸をしてから廊下に出た。
廊下には朝日が射し込んでいて、やけに明るく感じる。あたし同様に異変を感じたメンバーがそれぞれの部屋から出てくる。
アリスがパタパタと走っていき、メイドの一人を呼び止めた。
「あの、何かあったんですか? 随分騒がしいみたいですけど……」
「それが、私にもよくわからなくて……」
声をかけられた若いメイドは困惑気味に視線をあちこちに彷徨わせる。彼女自身、いまいち何が起きているのかわからないと言った様子だった。
あたしが二人に近付いて行くと、アリスは一歩下がり、メイドはオロオロする。
「みんなどこに向かってるの?」
「え、えぇと、正面玄関です……」
答えを聞くと、あたしは歩き出した。
正面玄関――。ザインたちも思い切ったことをするのね。
行く手を阻まれることもなかったので、無言のまま正面玄関へ向かうことにした。何が起きているのか、起きるのか、自分の目で確かめなきゃいけないから。
ジェイルたちは何が何だかわからない様子であたしの後をついてくる。
結局、全員で正面玄関へ向かうことになった。
◇ ◇ ◇
正面玄関はざわざわしており、思いのほか多くの人が集まっていた。
大きな玄関扉は開け放たれており、冷えた空気が流れ込む。でも、誰もそんなこと気にしていない。
誰かを待っているみたいで、全員がハラハラしたような顔をしている。その中にはコウセイさんとアオさんの顔もあり、コウセイさんはどこか神妙な面持ちを、アオさんは他と同じくハラハラした表情をしていた。
そして。
開きっぱなしに大きな玄関扉から、四つの人影が姿を表す。
ザイン、ディディエ、カミル。
そして――ザインとディディエに支えられながらフラフラと歩いている長身の女性。
漆黒の長い髪。痩せた体躯。
誰かが「ヴィオレッタ様」と呟くのを皮切りに、玄関に集まった人たちがどよめいた。
玄関を踏み越えたところでザインが立ち止まり、コウセイさんを真っ直ぐに睨んだ。
その場にいる人間を黙らせるように声を張る。
「――兄貴。どういうことか、説明してもらうからな」
「いきなり何なんだ?」
「あんただけじゃねぇか! この中で唯一姉貴の姿に驚いてねぇのは!!
知ってたんだろ!? 姉貴が! どこで! どうしてたのか! ――あんたは!!」
ディディエとカミルがコウセイさんを睨む。
その場にいる人間の視線全てがコウセイさんに向けられた。
隣にいるアオさんは信じられないものを見る目でコウセイさんを凝視している。
けれど、コウセイさんは――悪びれもせずに悠然と微笑んでいた。
「まぁ、その話は追々正式な場所でさせてもらうよ。
――それよりも、お前は俺を怒鳴るよりももっと先にすることがあるだろう?」
コウセイさんの視線はヴィオレッタに向けられる。
その視線は――言いたくないけど、酷く蔑んだ目だった。彼女をどれだけ憎んでいるのか、誰の目にも明らかなほど。
目を逸らすつもりだったのに、逸らせなかった。
コウセイさんの言葉と視線にザインたちがカッとなるのがわかった。
更に何か言おうとするザインを止めたのは他でもない、ヴィオレッタだった。
ヴィオレッタはザインの服を引っ張り、弱々しく首を振る。何か言っているようだったけど、声が小さすぎてここまでは聞こえて来なかった。
ディディエが悔しげな顔をして、すぐ傍にいる使用人の顔を見る。
「救急車は呼んであるだろうな?」
「は、はい! 既に連絡済みです」
「わかった。すぐ横の応接室を開けろ、姉さんを寝かせる」
「はい、承知しました!」
使用人数名がばたばたと走り出し、その場を離れていった。
カミルがアオさんを見る。アオさんはひどく動揺した様子だった。
「アオ兄様。コウセイ兄様がどこかに行かないように見張っていて」
「あ、ああ……」
「カミル。俺は今更どこにも逃げたりしないよ」
普段通りの様子で答えるコウセイさんに、カミルは疑いの眼差しを向けていた。
ここにいる人間の大半は、きっと、何がどうなっているのかわからないはず。
――けど、あたしにとっては十分なほどに伝わってくる。
ヴィオレッタが無事に助け出されたのを見ることができたから、あたしが六堂家に来た意味はあった、はず。
やり遂げたような気分になりながら、ゆっくりと後ろに下がった。
「……お嬢様」
「これ以上ここにいたら邪魔になるわ。戻りましょ」
「は、はい」
ジェイルたちも何が何だか、って顔をしている。
メロに至っては「あれ誰?」ってこそこそ囁いて、ユウリとアリスに怒られてるしね。
そう言えば――ヴィオレッタの顔、あたしはちゃんと見たことがなかったかもしれない。
せめて顔をちゃんと見てから立ち去りたい。
そんな気持ちになり、あたしはヴィオレッタに視線を向けた。
目が、合う。
ヴィオレッタの金の目が、真っ直ぐにあたしに向けられていた。
瞬間、騒がしかった騒音が全て消える。あたしの世界は無音になり、周囲の人影も視界から全て消え去った。
世界にはあたしと彼女の二人きり。
彼女の目が大きく見開かれる。
衰弱した体で、ふらふらとこちらに手を伸ばすのが見えた。
彼女の口が微かに動く。――何か、いや、誰かの名前を口にしている。
あたしのことなんて知らないはずなのに、これまでずっと監禁されていたのに――。
ヴィオレッタの目は『九条ロゼリア』ではなく、『前世の私』を見ていた。
――りょーこ。
唇が震える。声にならない声で、彼女の名を呼んでいた。
気が付くと、あたしは走り出していた。
ヴィオレッタはザインたちの手を振りほどき、フラつきながらもあたしに向かって走ってくる。
距離が縮まり、あと少しというところでヴィオレッタの体がバランスを崩して傾いた。
それでも懸命に伸ばされる細く白い手――……。
その手は、『私』が死ぬ直前、必死に伸ばされたりょーこの手と重なる。
あたしは彼女の手を掴み、そのまま彼女に抱き着いた。
ヴィオレッタの痩せた体を抱きしめると、彼女の腕があたしの体を抱き寄せた。
知らず知らずのうちに涙が溢れていく。
ヴィオレッタのことなんてこれっぽっちも知らないのに、彼女がりょーこだとはっきりわかる。
その場にへたり込んで、互いの体を抱き締めたまま、静かに泣く。
ヴィオレッタもまた泣きながら掠れ声で謝罪を繰り返した。
「……ご、め……ご、めん、ね……あの時、手、掴んで、あげら、れなく、て……ごめ、んね……」
一瞬何のことかわからなかった。でも、”あの時”と”手”というワードから死ぬ時のことだとわかった。
――まさか、りょーこはずっとあの時のことを気にしてたの?
あたしは無言で首を振る。
居た堪れなくてヴィオレッタの体を強く抱き締めた。
――初対面の二人が急に抱き合って泣いていて、きっと意味がわからないでしょうね。
でも、誰かにわかって欲しいなんて思ってない。
ヴィオレッタを救えた。
それだけで、十分だった。




