59.雪のあとの廊下
「じゃあ、よろしくね」
そう言ってくるりと踵を返した。
伝えたいことは伝えたので、これ以上ここにいる理由もない。
出て行くつもりだったんだけど――少し歩いたところで、誰かに腕を引っ張られた。突然のことに慌てて振り返ると、カミルがあたしの腕を掴んでいた。
「……何?」
「あの、ありがとうございました……」
「礼の言葉は彼女が無事に見つかるまで取っておきなさいよ。
……もしかしたら全然見当違いかも知れないもの」
そう言って笑う。カミルは腕から手を話しながら「そうですね」と笑い返した。
流石に外れてるとは思わない。最初は半信半疑だったものの、今となってはあの夢を疑う気持ちは全くないのが我ながら不思議だった。
用は済んだとばかりに、再度三人に背を向ける。
今度は呼び止められることなく、部屋を出ることができた。
◇ ◇ ◇
さて、と……。
ジェイルたちの報告からここまで混乱しながら何とか進めてきたけど、正直嵐のようだったわ。
本当にこれで良かったのかは、三人がヴィオレッタを見つけて助け出すまでわからない。
……あと、もうコウセイさんの顔は見たくないのよね。
客室に繋がる廊下の途中で足を止める。どさっと雪が枝から滑り落ちる音を聞き、窓の外に視線を向けた。
これまで空を覆い隠していた雲はまばらになり、隙間からはキラキラと陽の光が差し込んでいる。雪もすっかりやんでしまったので、この調子ならもう帰れるのかも……?
ザインたちに「帰るまでに動いて」と言った手前、すぐ帰るとなると気まずいわね。
窓の外をぼーっと見つめていたせいで近付いてくる気配に気付けなかった。
「あ、ロゼリア嬢」
ビクッ! と過剰なまでに肩を揺らしてしまった。
慌てて振り返ると、アオさんが申し訳なさそうな顔をして立っている。
「ごめんね。驚かせちゃったかな?」
「い、いえ。ぼんやりしていただけなので……」
「そっか。……もう雪は降らなさそうだね」
アオさんは静かに近付いてきて、あたしの隣に並んだ。
午前中までの雪が嘘のような空を見てしみじみと呟く。その横顔をそっと見つめた。
――結局、兄側の方の事情は全てコウセイさんに収束してしまった。
ゲームでもアオさんとジークリードさんが加担するのはヴィオレッタが戻ってきてジョウジ様を刺してから。そういう意味ではアオさんは何も知らずに普通にヴィオレッタの不在を、コウセイさんと協力して守っていたことになる。
コウセイさんがヴィオレッタ誘拐の張本人だなんて知ったら、きっとショックだろうな……。
そんなことをぼんやり考えていると、アオさんがにこりと笑ってあたしを見た。
「この後は天気も回復して、普通に晴れるんだって。
そうでなくても除雪とかもかなり進んだから、明日の午前中には帰れると思うよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
気の利いたセリフが思い浮かばず、間の抜けた返事をしてしまった。
でも、明日の午前中、か……ザインたち、決着つけてくれるかしら?
アオさんの前だというのに余所事を考えそうになり、慌てて考えを打ち消す。表情を作ってアオさんを見上げた。
「急な宿泊だったのに本当に何から何までありがとうございました。助かりました」
「どういたしまして、そう言ってもらって良かったよ。今日の夕食、リクエストがあれば聞くよ?」
「いえ、そこまでしていただくわけには……好き嫌いはないので何でも大丈夫です」
「そうなんだ? 実は料理長にロゼリア嬢の好きなものを聞いてきて欲しいって言われたんだよね」
うっ。そういう裏事情を話されると、何も言わないのも悪い気がしてしまう。
アオさんは悪びれた様子もなくニコニコと笑っている。……流石だわ、爽やか腹黒枠。本当に好みじゃない。
「……じゃあ、夕食に拘るわけじゃないんですが」
あたしは溜息混じりに口を開く。アオさんが楽しそうに笑って頷いた。
「クレープが良いです」
「クレープ?」
「はい。希望はチョコバナナですが……中身は何でも」
アオさんはキョトンとしてしまった。
もっとすっごいリクエストが来ると思っていたんだろう。ブランド牛とか、貴重なフルーツとか。でも、やっぱり思い出補正込みでクレープなのよね。
当然、ゲストのリクエストにケチをつけるような人じゃない。驚いた末に楽しそうに笑う。
「わかった。そう伝えておくよ。デザートか明日の朝食にでも出てくると思うから、楽しみにしてて」
「ええ、楽しみにしているとお伝え下さい」
アオさんは満足げに笑い、「じゃあ、また」と言ってその場を去っていった。
――しかし、アオさんとは驚くほど何もないわね。
ザインたちとはいざこざがあって、コウセイさんとは……こう、色々あった。けど、アオさんとは本当に何もない。いや、なくていいんだけどね!? お互いに『名前のあるモブ』くらいの認識になっちゃってる気がするわ。
廊下に一人。
もう一度窓の外を見る。
……なんか気が抜けちゃったわね。
そんなことを考えていると、あたしが通ってきた階段の方から「あ」と声がした。
振り返ると、ハルヒトとユキヤがいる。
あたしを見つけるなり、ハルヒトがほっとした表情を浮かべて小走りに近付いてきた。ユキヤはその後を追いかけてくる。
「ようやく見つけた。ロゼリア、どこにいたの?」
「別にどこだって良いでしょ?」
当たり前だと言わんばかりに答えると、ハルヒトがムッとする。ジト目であたしを睨んできた。
「な、何よ」
「心配するのはこっちの勝手なんだけど、ロゼリアのそういう態度は良くないと思うよ」
「はあ?」
「突き放すんじゃなくて、ユキヤみたいに”秘密です”って言ってくれればいいのに」
「……何の話?」
ハルヒトから向けられるジト目と呆れ。意味がわからずに眉を潜めてしまった。
ユキヤが困った顔をして笑っているのが視界の端に入り、彼の方に視線を向ける。ユキヤは困ったように首を傾げるだけだ。
妙な沈黙の後、最初に口を開いたのはやっぱりハルヒトだった。
「ユキヤとはね、事情があって言えない場合は”秘密”、後で教えてくれる場合は”内緒”って言うことになってるんだよ」
「……へぇ」
……。あ! それでシアタールームの時はあっさり引いたんだ。今更納得。
廊下は静かだけど、窓から射し込む日差しのお陰で穏やかだった。雪が振っていた時のようなひんやりした沈黙ではない。
「ロゼリア様、ジェイルたちが心配していましたよ」
廊下の穏やかさを壊さないようなトーン。
ユキヤの声音と視線に、あたしは少なからず怯んでしまった。
推しだからではなくて単純に何だか叱られているような気分になってしまったから。
……でも、確かに余裕がなかったとは言え、ジェイルたちへの態度は良くなかった、かも……。
色々カタがついて、落ち着いた今だからこそそう思えるんだけど……。
「……ユキヤ。あんた、八雲会の人間になったかと思えば、そういうことも言うのね」
「え。まぁ、そう、ですね……立場上、ハルヒトさんが最優先ですが、あなたは特別なので」
「そういうことをサラッと言わないで頂戴」
話を逸らしたかったのに根本的な話題が変わらなかったことに肩が落ちた。
ハルヒトがくすくすと笑ってるのが見え、居心地の悪さを感じて顔を背ける。どうしてこいつらはこういう話題に抵抗がないのかしら……。意味分かんないわ……。
「部屋に戻るわ」
「かしこまりました。ジェイルたちにも伝えておきますね」
「好きにして頂戴。でも、大人数で押しかけて来ないで」
「はい、伝えておきます」
それだけ告げて、廊下を歩き出す。部屋に戻って少しだけ仮眠を取ろう。
……六堂家にいられるのもあと少し――。




