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夜鴉の求愛  作者: 神代きい


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18/19

ディーの《歌》

 爪牙公(そうがこう)がフリューゲル城を襲撃し、キラが自らの意思でチカラを使えるようになってから約一ヶ月。

 まだ不安定ながらも自分の意思でチカラが使えるようになったからなのか、最近のキラは心身がとても軽くて元気いっぱいだ。

 これは余談だが、爪牙公(そうがこう)がフリューゲル城に与えた被害は結局のところ皆無だった。

 キラには脅威でしかなかった爪牙公(そうがこう)の襲来だったが、フリューゲル城の面々からは「平和な日常に刺激を与える不定期イベント」と認識されているらしい。

 爪牙公(そうがこう)が相手の命など容易く切り裂き踏み砕いてしまう恐るべき上位魔族だとしても、このフリューゲル城は爪牙公(そうがこう)と同じ――いやそれ以上に強大な存在である夜鴉公(よがらすこう)ディーの居城。城に張り巡らされたディーの結界は爪牙公(そうがこう)では絶対に破壊できない。

 そうしてディーが爪牙公(そうがこう)の相手をして追い返すまでがお決まりの流れ、なのだそうだ。

 ディーと爪牙公(そうがこう)は悪友的な関係らしい。今思えば襲撃してきた爪牙公(そうがこう)は終始愉しげだったし、彼が攻撃したのもフリューゲル城だけで城下町には被害がなかった。

 爪牙公(そうがこう)を追い払った時のディーも、殺意を伴う敵愾心とは別の清々しい感情で動いているように感じた。

 あの時のディーの横顔は……何というべきか、以前キラが本で読んだ「夕日の河原で殴り合って友情を深める青春」的な何かを彷彿とさせる物だった気がする。

 ――とはいえ、だ。

 ディー達からすれば「単なる悪友同士の戯れ」だとしても、その実態は周囲を破壊し尽くしかねないチカラを持つ上位魔族同士の闘争なのだ。

 幼気(いたいけ)な大天使のキラにはいささか刺激が強すぎて、とてもじゃないが笑えない。キラが魔界の常識に慣れるまでまだまだかかりそうだ……。

 そう思ってふぅとため息をついていると、背後でディーがクスッと笑った。

「うん。順調だな」

 半裸でうつ伏せになっているキラの背中に触れながら、ディーは嬉しさをにじませた声音でそう告げる。

 今日の執務を終えたディーがキラの折れた翼の経過を診察しているのだ。

「折れた翼の問題はほぼなくなった、と言い切ってもいいだろう。これからは俺が傍にいない時でも翼を具現化してもいいし、それでリハビリがてら軽く羽ばたく程度に動かしても問題はなさそうだな」

「そうなの? 特に治療らしい治療はしてこなかったのに……」

 うつ伏せ寝のままディーを見ると、恋人の視線を受けたディーが優しく目を細めた。

「キラが大天使の《歌》を歌えるようになったことで絡まっていたチカラが解れて、翼の回復速度が加速していたんだ。そのタイミングであの狼が来やがった刺激で一気に開花したチカラが使えたわけさ」

「なる、ほど……?」

 ピンときていないキラが首を傾げると、ディーがキラの耳元に唇を寄せて「それに」と悪戯っぽく囁く。

「キラは毎晩俺と一緒に寝ているだろう? 寝ている間に俺の大天使としてのチカラと共鳴して、回復が進んだんだよ」

「っ?! ね、寝てただけじゃんっ!」

 キラが赤くなって顔を枕に埋めると、ディーはますます悪戯っぽく笑った。

「うん、そうだな。毎晩俺と一緒に気持ち良く寝てるよな」

「語弊がある!」

「語弊だって? 寝る前はベッドの上で俺とイチャイチャしているじゃないか」

「っ!」

 初心(うぶ)なキラからすると、あれはイチャイチャなどという可愛い表現で済まされる行為ではない。

 まず、最近ではお互いに上半身が裸だ。そしてディーの逞しい体に抱きしめられて、彼の熱い唇と舌が素肌のいろんな場所をくすぐって、頼もしい指先に背筋を撫でられて脱力したところで胸と太股をまさぐられて――……。

「~~~ッ!」

 羞恥心に駆られて真っ赤になったキラは堪らず両足をバタバタさせた。

 ディーは自分のからかいに反応するキラが愛おしくてたまらないといった様子で、キラの背中を優しく撫でる。

「まっ、冗談はさておきだ。無防備な睡眠中に俺と共鳴することで、キラの翼の回復が上手く軌道に乗ったんだ。寝る前のイチャイチャもあながち無意味でもないんだぞ? それでキラが疲れてぐっすり眠れる分、回復も上手くいく」

「え? それが狙いで、その……、イチャイチャしていたの?」

 ……何だが裏切られたような気分だ。

 内心で軽くショックを受けながらディーを見ると、彼は焦った様子であたふたと両手を振って否定した。

「まさか! 俺は純粋にキラと楽しいことをして、キラを気持ち良くしたかったんだよ。そもそも今の俺は大天使ではなく魔族寄りの存在だ。俺の大天使のチカラは変質しているから、こんな形でキラに影響を与えるとは思わなかったんだからな。

 だから、な? 今夜も仲良くイチャイチャしような」

「……もうっ!」

 うつ伏せ寝のまま手を伸ばしてディーの手を払うように叩くと、ディーは楽しそうに笑いながら再びキラの背中を撫でた。

「ああ、嬉しいなぁ……。初めて診察した時はお互いに緊張してぎこちなかったのに、今じゃあこうしてじゃれ合うことができる仲になれたんだな」

「じゃれ合いというか、ディーからの一方的なんですけれどねっ。もう服を着てもいいの? それならあっち向いてて」

「恥ずかしがらなくてもいいのに」

 ディーは名残惜しそうに言いながらもキラから背を向けた。これ以上のからかいはキラを怒らせるだけだと学習してくれているようだ。

 やれやれとため息混じりに着替えたキラは、少し悩んだ後にそっと翼を具現化させてみた。

 柔らかな灰色の羽根を持つ自分の翼……。天界にいた頃はコンプレックスの塊だったが、あの頃と比べて色艶が良くなった気がする。大天使の象徴である《歌》が歌えるようになったからだろうか?

「キラ、もう振り返ってもいいか? キラの姿を見たい……」

 甘えの感情を隠さないディーの声……。自分にしか向けられないそれに少し苦笑しつつ、キラは「いいよ」と返事をする。

 その途端にディーは嬉しそうにパッと振り返った。ヨシを貰えた喜びに目を輝かせて尻尾をブンブンと振る大型犬のような反応だ。

「あぁ、やっぱりキラの翼は綺麗だなぁ」

「こんなに曖昧な色の翼のどこがいいの?」

「優しい色じゃないか。羽根もふんわりと柔らかくてお前らしい。本当に可愛い」

「軟弱なだけでしょ……」

 まともに飛んだ経験すらない翼なのだから、ディーの立派な翼と比べればお粗末極まりない。

 キラがそう呟くと、ディーは優しくキラに笑ってみせた。

「キラにはこれから成長できる楽しみがあるじゃないか。それに俺はキラと一緒に空の散歩がしたい。飛び方なんて俺がいくらでも教える。キラが飛べるようになるまで、俺が抱き抱えて飛んでもいい」

「ええっ? そこまでする?」

「するとも。俺は別名『翼ある者の守護者』だぞ? そしてここは、そんな俺が統べるフリューゲル。フリューゲルの空はいつだって翼ある者の安全な居場所なんだ」

 ディーはそこまで言うと、キラに手を差し出した。 

「俺はキラが安心できる居場所でありたい。俺の全てがお前の味方でありたい。俺はキラが隣にいて欲しいし、キラと一緒に生きていきたいんだ」

「もう……、隙あらば口説いてくるんだから。私と番になりたいならちゃんと場を改めて告白してよねっ!」

 キラは試すような上目使いでディーを見上げた。

 きっと彼はこれまでと同じように「俺にロマンチックなプロポーズは無理だ」と苦笑して誤魔化すに違いない。

 だが――……。

 そんなキラの予想とは異なって、ディーは何やら考え込んだ後に、フッ……と自嘲ぎみに微笑んでいた。

「――――なぁ、キラ」

「な、なに?」

 ディーの反応にドキマギしながら応えると、ディーは改まった雰囲気でキラと視線を合わせた。

「明後日の話になるんだが、夜に俺と出掛けないか?」

「え?」

 突然の誘いにキラは困惑する。

 キラはフリューゲルに来てからこれまでの間、城の外へ出たことがない。過保護なディーが「キラが自分のチカラで自衛できないと心配だから城から出したくない」と頑なに主張してきたからだ。

 だが……、そうか。まだ不安定ではあるものの、キラは自分の意思でチカラが使えるようになった身だ。つまりある程度の危険は自分で退けることができるようになった、という事だ。

 そもそも今回はディーが一緒なのだ。キラの身に危険が降りかかる可能性など塵の欠片も存在しない。

 そんな風に納得しながらディーの深紅の瞳を見つめていると、ディーが嬉しそうにふふっと微笑んだ。

「キラが俺を自然と見つめてくれるようになって本当に嬉しい」

「っ、またそうやってすぐに心の声を出すんだからっ!」

「キラに対する感情が自分の内だけでは抱えきれないからな。発散しないと理性が爆発しそうだ」

 ディーは嬉しそうに囁いてキラのこめかみと唇に口付けをする。……唇への口付けを当然のように受け入れた自分に、キラは再び顔をカァッと赤くした。

 熱くなったキラの頬に手を添えたままディーがクスクスと笑っている。

「というのも、だ。俺には元々、明後日の深夜から翌朝まで外出する用事があったんだよ」

「……え? ただでさえ忙しいのに、それだとディーが眠る時間がないでしょ?」

 ディーは夜鴉公(よがらすこう)としての政務で城外に外出したとしても、これまではその日の内に帰ってきていた。そうして帰った後はキラと穏やかな時間を過ごして疲れを癒し、キラと一緒に眠るのだ。

 それが、今度は深夜から翌朝まで外出……? これではディーが満足に休む暇がない。

 心配するキラにディーがクスッと笑う。

「最近の俺が多忙だったのは、そのための段取りを整えてきたからなんだよ。明後日は深夜の外出に備えて早めに執務を切り上げて、昼飯を食ったら仮眠をするんだ」

「なるほど。……って、あれ? 待って?」

 一瞬納得しかけたものの、キラは新たに浮かんだ疑問に少しモヤモヤしてしまった。

「深夜から翌朝までの外出だよね? ディー……、朝帰りするの?」

 ディーはキラから向けられた疑惑の視線に一歩も逃げずにまっすぐと見つめる。

「当然だが、浮気じゃないから安心してくれ。俺はキラだけの物だからな」 

「…………うん。それは疑わないから、大丈夫だよ」

 ディーはどこまでもキラに一途だ。ディーは執務以外の時間は全てキラと一緒に過ごしたがるし、執務室でもキラとの惚気話を側近相手に披露しているとジルが教えてくれたので気恥ずかしい。

 キラと出会う前のディーも女の影が皆無だ。ディー自身が「俺は社交場であっても女と触れる事を拒絶してきた」と女性との関係をキッパリと否定していた。

 しかもあの爪牙公(そうがこう)が「これまで鴉には浮いた話がなかったせいで男色趣味があると噂があった」と笑いながら話していた。

 ……爪牙公(そうがこう)がキラ以外の女性に対するディーの潔癖性を補強してくれた点だけは、一応は感謝をしてもいいのかもしれない。

 自分を信じてくれているキラの言葉に、ディーはまた嬉しそうに求愛の口付けをした。

「そこで、だ。キラが良ければ、一緒に行かないか? 徹夜を付き合わせるのはどうかとも思うが……、俺はキラと行きたいんだ」

「え? それって『私を仕事先に連れていく』ってことだよね? 何だか……、物のついでで私を誘ってない?」

 キラはそう言いながら、それがモヤモヤの感情の原因だ、と気付く。

 だって……。さっきまでそれとなく告白の話をしていたはずなのに、そこから話題をはぐらかされた形なのだから。

 面倒な思考の女だと幻滅されてしまうかもしれないと不安に思って視線を背けそうになった……が、ディーが迷いのない眼差しを自分に向け続けていることに気が付いた。

「ついでじゃない。行き先は他の誰にも立ち入らせない、俺だけの秘密の場所なんだ。俺はそこで定期的に《歌》のチカラを解放して、フリューゲルの領域を安定させているんだよ」

「えっ……」

 驚いてゆっくり瞬くキラに、ディーは穏やかでいて真剣な口調で続けた。

「俺がフリューゲルの統治のために《歌》を歌う特別な場所で、俺にとって大切な場所だ。そこで歌う《歌》は他の上位魔族連中にも聞かせたことがないし、歌う姿を見せたいとも思わない。

 ――……だが、キラには晒したいんだ。俺の全てを」



 二日後の深夜――。ディーの《転移》の魔法で移動した先は、高い山々がそびえ立つ山脈の頂に露出した遺跡の祭壇だった。

 しんと静まり返った冷たい空気。一面に広がる満天の星空。そこに浮かび上がる山々の稜線――……。

「キラ、寒くないか?」

「大丈夫だよ」

 ディーが白い息を吐きながら振り返ったのだが、その視線の先にいるキラは苦笑した。

 キラは過保護なディーに加護(バフ)を重ね掛けされた上に上着を着込んで、さらにその上からブランケットでぐるぐる巻きにされているのだ。絶対にキラには寒い思いをさせたくないというディーの強い意志を感じる。

 ディーはモコモコ状態のキラに「可愛いなぁ」と目を細めてから、上空に広がる夜空に視線を向けて目を閉じた。

「ここは遥か昔に放棄された遺跡でな、俺がフリューゲルを拓いた場所でもあるんだ。本来この地は痩せ衰えて荒涼とした荒地だった。かつての俺はこの遺跡に流れ着いて住み家にしていたんだが、どうにも息苦しくてな。それでここを起点にチカラを展開した。それがフリューゲルの始まりだ」

 キラはメイドのレンから聞いた話を思い出す。

『基本的に魔界は生命が生きていけない環境で、上位魔族が存在することで魔族が住める環境へと変化するのです』

『今のフリューゲルがあるのは主さまのおかげなのです。主さまがおられるからこそ私達は生きていられるのです』

 ――今ディーが語った話こそが、レンが言っていた「上位魔族による環境の変化」なのだろう。

 かつてのフリューゲルは生命の存在を拒絶した場所だった。ディーがチカラを使ったことで、それを変えたのだ。

 自分の話に聞き入っているキラに優しい眼差しを向けながらディーは続ける。 

「そのうちに俺のチカラの性質を好む魔族が居着いてな、麓に小さな集落を作った。それからも俺の性質に惹かれた翼を持つ魔族達が集まってきて、俺は領域の範囲を広げていった。それで俺はこの領域に(フリューゲル)と名付けた」

 そこまで語ったディーは静かにチカラを解放すると、具現化させた翼をサァ……ッと広げた。

 夜空に映える立派な鴉羽色の翼……。その美しさには思わず感嘆の吐息が漏れてしまう。

 魔族化により変質したディーの大天使としてのチカラの実態を、これまでキラは知らなかった。

 だが――、今この場でディーを見て感じていればわかる。

 ディーの周囲を煌めくのは月と星の光に照らされた光の粒子。

 大天使の《歌》はチカラを歌声に乗せて解放するもの。その予兆として夜空に溶けたマナ達が、ディーの大天使としてのチカラに反応しているのだ。

 天界にいた頃でさえ、大天使がチカラを解放する場面など見たことがなかった。

 本当に神秘的で……、とても美しい――……。

「ディー……」

 キラが名前を呼んだだけでディーは嬉しそうに見つめてくる。とても愛おしそうに目を細めて。

「キラ。――俺の大事な、キラ」

 ディーはとても大切にキラの名前を呼んだ。

 そして――。

「……《onero iihsoti ariik》――……」

「っ!」

 これは……っ。ディーが歌う大天使の《歌》――……!

 初めて間近で聞くそれはあまりにも優しさに満ち溢れていて、自分を見つめる眼差しには温かな真心が込められていて……。

 最初のフレーズを耳にしただけで鳥肌が立ち、自然と左目から涙が流れた。

「《ariik urietihsia》……」

 今ディーが紡いでいるのは想い人へと向けられた優しい《歌》。ただひたすら一途に想い紡がれた愛の《歌》だ。

 どこまでも穏やかな歌声はキラにだけ聞こえる囁きのような声量。

 自分が届けたい恋人にだけ伝えるまっすぐな想い。

 愛している。

 愛おしくて愛おしくてたまらない。

 この想いは貴女だけに――……。

「《onkorokok arakokos urietihsia》……」

 紡がれる《歌》はいつもディーに言われてきた言葉。

 最近では少し慣れてしまって「はいはい」と受け流すことすらあった言葉達。

 ――でも。

 そんな風に雑な対応をする自分にもディーは嫌な顔をせずに、いつも変わらない愛情を向けてくれていて……。

 自分に優しく寄り添いながら、くすぐるような囁きで自分だけに向けられる《歌》。

「《onok ahiomo etihssek ianarawak》――……」

 ――……穏やかに歌い終わったディーの胸に、キラはぎゅっと顔を埋めた。

 涙が止まらない……。

「……キイラ」

 ディーはそんなキラの頭を優しく撫でて、キラだけに向ける柔らかな微笑みを向けた。

 キイラ。それはディーと初めて出会った時にキラがうっかりディーに名乗ったキラの真名だ。

 真名はその者の存在を証明する大切なモノ。ディーでさえこれまで一度もキラをキイラと呼んだことがなかった。

 それを――……。

「愛してる、キイラ」

「……っ!」

 温かく優しい求愛……。キラは彼の胸に顔を擦り寄せることでそれに応えた。

 そのまましばらく泣き続けて――……。

 ようやく泣き止んだキラがディーを見上げると、彼は変わらず優しい眼差しでふわっと微笑んだ。

「大丈夫か?」

「ん……」

 今はとにかくディーの傍にいたい。ディーに触れていたい……っ。

 たとえこの衝動がディーの《歌》のチカラがもたらした効力だとしても、決して不快ではない感情だ。

 ディーに手を伸ばそうとモコモコの中で健気にモソモソともがいているキラに小さく微笑んだディーは、キラの代わりにその涙と目元を優しく拭った。

 泣き腫らした目元を撫でる彼のひんやりとした指先が気持ちいい。

 自分を見つめるキラに、ディーは再び微笑んだ。

「俺が歌うのは基本的に夜だ。俺のチカラは夜空と相性が良くてな、夜空に向けて一人でのびのびと歌うのが気持ちいいんだよ。夜に歌い鴉羽色の翼を持つ上位魔族の公爵、それが夜鴉公(よがらすこう)と呼ばれるようになったそもそもの所以だ」

「そうなんだ……」

 月光の中で見る翼を背にしたディーの姿は本当に美しい。そこに夜のマナ達が光の粒子となって取り巻いているのだから、神秘的で幻想的な雰囲気だ。

 ディーはキラの体を優しく抱き寄せた。更にその上から翼を重ねて、慈しみ深くその胸に抱きしめる。

 温かい……。

「キラには俺の《歌》を聞かせたい。お前にならいくらでも歌う。俺のキラ。大切なキイラ……」

「ん……」

 いつもより甘く感じる優しい求愛の口付け。ディーの抱擁が心地よくて頬を擦り寄せると、ディーもまたキラの頭に頬を擦り寄せた。

 まるで互いの心が通じ合うかのような穏やかな時間――……。

 やがてディーは優しく抱擁を解くと……、名残惜しむようにキラの左右のこめかみに優しく口付けをした。

「――さて、と。俺は用事を済ませてくる。キラはここで温かいお茶を飲みつつのんびりしていてくれ。眠ってしまっても大丈夫だからな」

 ディーはそう言いながらキラに駄目押しの加護(バフ)を掛けた。今までも寒さを感じなかったが、心地良さがまた一段階上がった感じだ。

 キラの傍にはレンが持たせてくれたバッグがあり、中には温かなお茶入りの魔法瓶(マジックボトル)と軽い焼き菓子が入っている。

 モコモコのおかげで床の固さと凹凸も問題ないし、このまま不自由なく眠ることはできるだろう。

 だが……。ディーはこれから夜明けまで大仕事をするというのに、自分だけこうしてぬくぬくと過ごしていいのだろうか?

 そもそも、今はまだ夜が深い時間だ。ここから夜明けまで何時間あるだろう?

 そんな長時間に渡ってチカラを行使するだなんて、ディーは本当に大丈夫なのだろうか……?

「ディー……」

 スクッと立ち上がったディーを不安な気持ちで見上げると、視線に気付いたディーはわざわざ身を屈めてもう一度求愛の口付けをした。

 ディーは天井が崩れて月光に照らし出された遺跡の中心、地面に残された複雑な円形の石畳へと歩みを進めていく。

 そしてディーは気持ち良さそうに夜空へと顔を向けて目を閉じた。

「――……《uregust》」

 ディーが夜空へと発したのは威厳に溢れた歌声(おと)

 そのたった一言だけで夜を構成する全ての要素がディーに注目し、平伏したかのようだった。

「《aheraw euzihsi》」

 誰も拒まない自由な風。

 豊かな実りをもたらす大地。

 魂を潤す清浄な水。

 生きる力を呼び起こす炎。

 煌めく生命の息吹き。

「《aherok ironi》」

 微睡みを穏やかに醒ます朝の陽射し。

 生命が躍動する陽光。

 心を和らげる黄昏の刻。

 安らぎの夢を見守る月明かり――。

「《inihconok uriki onetebus ehonom》――……!」

 これは夜鴉公(よがらすこう)が紡ぐ平穏なるフリューゲルの《歌》。

 フリューゲルに生きる全ての生命を守り祝福するディーの《歌》――!

「――――っ」

 キラはディーが朗々と歌う光景を一心に見つめ続ける。

 天界でも見知らぬ大天使達の歌声を聞いてきたが……、キラはこれほど美しくチカラに満ちた歌声を聞いたことがない。

 これほどまでに心と魂を激しく揺さぶる歌声と、全てを包み込むような圧倒的なチカラだなんて――……!



 ――ディーの《歌》は夜明けの直前まで続いた。

 長時間に渡る歌声(おと)は決して乱れることがなく、ディーのチカラは夜風に乗ってフリューゲル全域へと広がっていく。

 フリューゲル全域に広がったディーのチカラは自然と溶け込んで、フリューゲルに生きる全ての生命の糧へと変わっていった。

 地平線に淡い朝焼けが見えた頃――……。ディーはようやく《歌》を止めた。

「……ふぅ……」

 安堵のような息を吐いてからキラの方に向けられたディーの顔は実に晴れやかで、朝焼けに照らされたディーの姿につい見惚れてしまう。

「キラ、ずっと起きていたのか? 疲れていないか?」

「そんな……。ディーこそ疲れていないの?」

 驚いた表情のディーに問い返すと、ディーは少し嬉しそうに微笑んだ。

「俺なら大丈夫だ。これくらいでどうこうなる男じゃない」

 ふわっと微笑んだディーに頭を優しく撫でられて……、キラの中で込み上げていた感情が一気に溢れてきた。

 思わず涙が流れてしまい、首元のブランケットでそっと拭う。

 そんなキラの体をディーは腕と翼で柔らかく包み込む。

 ……とても温かい……。

「――……ねぇ、ディー……」

「うん? なんだ?」

 喉を鳴らすように優しく問い掛けられて、キラはディーの胸に顔を埋めた。

「……ディー……、大好きだよ……」

 今にも消え去りそうな声。

 それでも確かにキラの発した言葉に、ディーが泣きそうになっているのがわかった。

「っ、キラ……」

 ディーは小さなキラの体をますます抱き寄せると、一つひとつ大切に求愛の口付けをした。

 そしてキラの頭に頬を擦り寄せる。

「俺も大好きだ」

「うん……」

 ディーの囁くような声に、キラもまたディーの胸に頬を擦り寄せる。

 ――キラは灰色の翼を持つ大天使という異物だった。

 天界にいた頃のキラは迫害されて、ずっと孤立していて、孤独でいることが当たり前だった。

 そんな状況を変えたいと決断して天界からエグシスへと逃げてきたキラは、そこでディーと出会った。

 彼は初めての自由に浮かれているキラを優しく見守って、時には厳しく苦言を呈して、キラを支えてくれた。

 キラが軽はずみな行動をしてバドの町で騙されて、翼を折られて、絶体絶命の危機に陥って――。

 痛みと恐怖で混乱し動けなかったキラの元にも、ディーは息を切らしながら駆けつけて、助けてくれた。

 あの場で初めてディーから求愛をされたのにはかなり驚いた。

 ……でも……。ディーが本当に一生懸命で、自分を想ってくれているのだということは強く伝わってきた。

 それからキラはディーの居城であるフリューゲル城で暮らし始めた。

 天界で得られなかった安らぎを本当の意味で得ることができた。

 これまでディーに何度求愛されてきたことか……。ディーがキラに向ける想いは常に一途だった。

 キラを苦しいほどに心の底から愛しているのだと。

 愛するキラと番となって、この先の人生を共に歩みたいのだと――……。

 夜鴉公(よがらすこう)という大業な肩書きとは裏腹に、本当のディーはとても繊細で臆病で、何よりもキラを喪うことを怖れていた。

 それでも。彼はただキラの安寧のために心を砕いて寄り添ってくれた。

「ディー……」

 彼の名を呼びながら――……キラは、ああ、と目を閉じる。

 ディーの求愛に対する自分の答えはとっくに決まっていたのだ。ただそれを口にする勇気がなくて、素直に慣れなくて。……そのせいでディーを傷付けてしまう時もあった。

 ――ディーは幼い身でありながら天界で地獄に遭い、天涯孤独となって天界を追放された。

 追放時に負った拷問のせいでディーは死にかけの状態で……。そんなディーを見つけた気紛れな魔王が蘇生したことで、ディーは大天使から魔族へと変質した。

 同族と呼べる存在がいない魔界で、ディーは必死に生きようともがいてきた。

 ……今に至るまで、キラには想像できないような苦難の連続だったのだろう。 

 夜鴉公(よがらすこう)となった今でも、彼の孤独な心は真に満たされていなかった。

 それが――、キラと出会ったことで変わったのだ。

「俺の愛しいキラ……」

 キラの頭を抱え込むように抱き寄せて、ディーは優しく言葉を紡ぐ。

「――前にも言ったが、俺にはキラが求めているようなロマンチックなプロポーズなんて無理だ。だから……、その代わりにキラに俺の本性を晒して、俺の全身全霊で想いを伝えるしかなかった。キラには俺の全てを見せたかったんだ」

「っ……!」

 ディーの言葉にキラの鼓動が自然と早くなる。

 ただでさえディーに想いがこもった《歌》を贈られて、夜鴉公(よがらすこう)としての威風堂々たる姿と実力を目の当たりにして。

 それで否応にも見惚れて心を揺り動かされていたというのに、そんな言葉を言われるだなんて……っ。  

「俺のキラ。大切な俺のキラ。――愛している。心の底から愛している。俺にとってキラはかけがえのない、唯一愛する大切な人だ。俺はキラと番になりたい。キラと一緒に生きていきたい……ッ!」

 切実な想いが込められた言葉。

 その言葉に、自分は――――。

「――……私もディーと一緒に生きたい……。ディーと一緒に幸せになりたい。ディーと、番になりたい……っ!」

「っ!」

 こぼれる涙でディーの胸を濡らすキラ。

 その応えを聞いたディーが、グッと息を詰まらせた。

 そして震える両手でキラの体をしっかりと抱きしめて、愛おしげに何度も顔を擦り寄せる。

「キラッ……、あぁキラッ!」

「ディー、ありがとう。私を見放さないでいてくれて、本当にありがとう……。ディー、大好きだよっ。私もディーとずっと一緒にいたい。私はディーの番だよっ……!」

「ああ、ああ……っ! キラは俺の番だ。俺はキラの番だ。俺と一緒に生きよう、キラ……ッ!」

「うんっ……!」

 ――……ああ……、自分の魂がディーの魂と繋がっていくのがわかる……。

 これはこの世で最も尊い絆、番の(えにし)だ。

 乾いた大地に雨が優しく染み込んでいくかのように、互いの心がじんわりと馴染んで満たされて――……。

 微塵の隙間もなく番のぬくもりに触れていたいという抗えない衝動に、キラはディーの体にひしっとしがみつく。

 キラと同じ衝動に駆られているディーもまたキラと密着するために、両腕と翼でキラの体を強くしっかりと抱き寄せた。

「ディー……っ」

 あぁ……、ディーの体温が気持ちいい……。

 密着した体から伝わってくる早めの鼓動と呼吸音すらも愛おしくてたまらないっ……。

 キラがふわふわとした心地好さに身を委ねながらディーに擦り寄ると、ディーもまた夢心地というようにキラに頬を寄せて涙がにじむ目を閉じた。

「キラ、俺のキラ……っ」

 番になる前から何回も言われてきた「俺のキラ」という言葉がたまらない。番の(えにし)をより強力なものにしていくのを感じる……!

「っ! ディー、ディー! 私のディーぃ……っ!」

 我慢できなくて何度もディーを呼ぶと、ディーは今にも泣き出しそうな表情で微笑んだ。

 そして――。どちらが誘うまでもなく自然と唇を重ねて舌を絡み合う。

 初めての番の口付けは蕩けるように甘く、人生の最後まで決して忘れることのない二人の大切な思い出となった。

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