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夜鴉の求愛  作者: 神代きい


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17/19

似た者同士

 ついに自らの意思で《歌》を歌えるようになったキラは、これまで歌ってきたハミングの代わりに《歌》を歌いながらビーズ細工をするようになった。

 天界で聴いた大天使の《歌》には特有の発音をした歌詞のような物があったが、キラはまだ歌声を発声するだけの段階だ。

 ディーいわく「大天使の《歌》の歌詞はその大天使の内側から湧き上がってくるチカラが言葉の形となったモノ」だそうだ。

 この調子で《歌》に慣れてチカラが自在に使えるようになれば、いずれはキラも同じように歌えるようになれるらしい。

「《ru――……》」

 機嫌良く《歌》を紡ぎながらビーズにテグスを通していく。

 今日のビーズアクセサリー作りは赤いアネモネの花をモチーフにしたネックレスだ。上手く出来たらブローチも作ってディーとお揃いにしようかな、とも考えている。

「お嬢さま、そろそろ一息いれませんか?」

 レンが頃合いを見計らってお茶と焼き菓子を差し出してきた。

 ご機嫌な主人に釣られてなのかレンも心なしか嬉しそうだ。尻尾がふわりと揺れている。

「ありがとう、レン」

 今日のお茶はアプリコットのフレーバーティー。とてもいい香りだ。

 優しい甘酸っぱさがフィナンシェと良く合って美味しい……。

「このお城のお菓子って本当に美味しいよね。専門の職人さんがいるの?」

 キラはこの城の料理人と会ったことがないし、城内の散策で厨房に行ったこともない。城勤めの料理人には専門的な知識と高度な技能が必要に違いない。

「はいっ、お菓子作り専門の職人がいるのです。お嬢さまがいらしてから、とーっても生き生きとしているのです」

「私が来てから?」

 キラが首を傾げると、レンは猫耳をピクッとさせながら楽しそうに微笑んだ。

「以前は主さま好みのビターさを追求したお菓子作りをしていたのですが、最近ではお嬢さまのために色んなお菓子が作れて楽しいようなのです。それで使用人達にも甘いお菓子をお裾分けしてくれるので、私も楽しみなのですっ」

「なるほど……。甘いお菓子を食べると幸せになるよねぇ」

「はいなのですっ」

 女子二人でふふっと笑い合うと楽しい気分になってくる。

 以前のキラならここで「今すぐ一緒にお茶をしよう」とレンを誘っていたが、それでは困らせてしまうと学習したのであえてしない。レンは今メイドとして仕事中なのだ。

「ディーは何時に帰ってくるつもりなのかなぁ……」

 キラはお茶を一口飲んでポツリと呟く。

 今日のディーは上位魔族同士の会議に出席するために出掛けているのだ。

 外出するディーの見送りをした際に「行きたくない。昼飯は一緒に食おうなぁキラぁ……」とぐずるディーにガッツリと抱きしめられてベッタリと甘えられた。

 普段よりも心なしかフォーマルな雰囲気を漂わせたディーは夜鴉公(よがらすこう)らしくてかっこよかった……のだが、あの甘えっぷりはやはりいつものディーだった。本当に残念すぎる美人だ。

「お昼は一緒に食べるって言っていたけど、もしかして会議を抜けてわざわざ帰ってくるの?」

 キラに問い掛けられたレンがクスッと笑う。

「会議が午後まで長引く場合はあちらで昼食を召し上がられているのですが、いつも通りの進行でしたら昼過ぎ頃にはお戻りかと」

「意地でも帰ってきそうだよね」

「間違いないのですっ」

 キラはディー以外の上位魔族と会ったことがないので、どんな議場でどんな人達が集まっているのか想像がつかない。

 仮にディーが途中で会議を抜け出して帰ってくるのだとしたら、他の上位魔族達からどんな反応をされるのか少し気になってしまう。

「ねぇレン、私には普通の魔族と上位魔族との違いがよくわからないの。教えてくれる?」

 天使と大天使の場合なら見た目だけでも見分けが容易だ。天使の翼は小さく、大天使は大きい。

 またチカラの性質も異なっており、様々な祝福や奇跡を起こす《歌》が歌えるのは大天使だけだ。

 キラがそう言うとレンは猫耳をピコピコとさせた。

「単純に言ってしまえば、上位魔族は普通の魔族とは存在の質が圧倒的に異なっているのです」

「存在の質?」

「基本的に魔界は生命が生きていけない環境で、上位魔族が存在することで魔族が住める環境へと変化するのです。なので領域を治めることができる存在が上位魔族と呼ばれているのです」

「上位魔族がいない場所を普通の魔族が開拓して住めたりはしないの?」

 レンは迷いなく首を横に振る。

「開拓してどうこうなる次元ではなくて、本当に何も生きていけない環境なのです。体が動かせないとか、自我が保てないとか、息ができないとか……、そういうレベルなのです」

「……うーん、想像がつかない……」

 キラがしきりに首を傾げていると、レンが小さくクスッと笑った。

「実は私も想像がつかないのです。フリューゲル生まれフリューゲル育ちですから、実際にそうした場所には行ったことがないので……。ですが、これだけは言えるのです。今のフリューゲルがあるのは主さまのおかげなのです。主さまがおられるからこそ私達は生きていられるのです」

「……そっか」

 ディーが敬愛されている理由がわかった気がする。

 フリューゲルの魔族にとって夜鴉公(よがらすこう)ディオルトは要であり、神にも等しい存在なのだ。

 だというのにディーは威張り散らす傲慢な暴君ではなく、曖昧な態度の日和見君主でもなく、上に立つ者としての確固たる自分を持って凛と君臨している。

「私にはあんななのになぁ……」

 ディーは夜鴉公(よがらすこう)モードと普段モードとのギャップが酷すぎる。キラは自分の恋人に呆れて遠い目をしてしまう。

 はぁとため息をつきながらカップのお茶を飲み干した――、その瞬間。

 突然、ドンッ!! という大きな音と衝撃が城全体に響いた。

「っ、なに?!」

 驚きのあまりに空のカップを放り投げる勢いで落としてしまった。

 一瞬でキラの傍について警戒体勢となったレンが鋭い視線を四方に向けている。魔力を使って偵察しているようだ。

 そうして事態を把握したレンが緊張の息を吐いた。

「――……爪牙公(そうがこう)さまがいらしたのですが、主さまの結界に阻まれて城内への侵入はしていません。腹いせのように結界と門番の衛兵を攻撃しています」

 レンはいつもとは違う緊張感のある口調だ。

「えっ? 爪牙公(そうがこう)って――……あっ、序列第四位の上位魔族?」

 キラもまた緊張しながらレンに問いかけたが、その途中で以前レンから受けた説明を思い出す。

 爪牙公(そうがこう)とは魔界で四番目に広い領域を治めている上位魔族だ。その序列については聞いていなかったが、キラの予想通りだったらしくレンが頷く。

「どうやら酔って気分が大きくなっておられるようですね。会議の席でお酒が出たのではないでしょうか」

「会議で……、お酒?」

 魔族は会議中に飲酒をしても問題ないのか……?

「上位魔族はアルコールの耐性も分解も早く酔いにくいので、水の代わりにワインが出ることも普通だとか」

「ええぇ……?」

 キラが困惑している間にも微細な振動が続いている。

 夜鴉公(よがらすこう)ディオルトの実力にキラは微塵も不安がない。なのでいくら序列第四位の上位魔族が相手でもディーの結界が破られるとは思えな――。

「っ! そうだっ、ディーは?!」

 これは夜鴉公(よがらすこう)の居城への明らかな攻撃だ。あのディーがそれを把握していないとは思えない。

 それなのにディーが来ていないだなんておかしい――ッ!

 キラが焦ってレンを見ると、レンもまた眉間に皺を寄せている。

「おそらくですが、他の上位魔族達から妨害を受けているのではないでしょうか? そうでなければ、主さまがお嬢さまの危機に駆けつけないはずがありません」

「妨害って……、まさかディー自身も攻撃されているってこと?!」

「他の上位魔族は悪ふざけのおつもりなのでしょう。そこから流血沙汰になることも珍しくありません」

「そんなっ……! ディーは大丈夫なの?!」

 レンの言葉にキラの血の気が引いた。

 今にも泣き出しそうなキラを安心させようとレンが軽く表情を緩ませて、頷く。

「ご安心を。お嬢さまには過激で荒っぽいと感じられるでしょうが、上位魔族のコミュニケーションの一種です。主さまは序列第一位の魔王さまが相手でも後退しない御方です。お怪我を負われてもすぐに回復なされます」

「怪我することが前提なの?! 安心できないよ?!」

 キラが動揺している間にもビリビリと窓ガラスが揺れている。

「お嬢様、失礼いたします」

 キラの許可を得る前にジルが素早くドアを開けて室内に入ってきた。

「現在、城門で爪牙公(そうがこう)が少々暴れております。ですが閣下が直にお戻りになられますので、ご心配には及びません」

「でも、もしもディーが怪我をしていたら……っ!」

 自分の危険よりもディーの身を案じて取り乱しかけているキラに、ジルは冷静な態度を崩すことなく首を横に振った。

「我らが夜鴉公(よがらすこう)は全く問題ございません。それ以上の心配はむしろ閣下を侮辱する行為となり得ます。――それよりも今はお嬢様の身の安全が最優先です。決してお部屋から出られませんように」

「で、でも……っ」

爪牙公(そうがこう)の目的がお嬢様なのです。お嬢様に会わせろと主張しているのです」

「?!」

 ジルの言葉にキラの心臓がヒュッと縮んだ。

「わ、私?!」

「おそらく閣下の番となられるお嬢様に興味を持たれて、面白半分でお会いしたいのでしょう。他の上位魔族も爪牙公(そうがこう)に悪乗りして閣下の帰城を妨害されているのかと」

「は、はぁ?! 何それ?! ディーへの嫌がらせじゃんッ!」

 上位魔族達の行いがあまりにも幼稚で悪質だと思うのはキラが大天使だからなのだろうか?

 いいや、そんなことはどうでもいい。ジルとレンに心配するなと言われても無理だし、このままここでじっとしているだなんてもっと無理だ。

 今のキラにわかっていることは、彼らがディーを陥れたということ。そして自分の存在がディーの足枷となってしまっているということだ。

 ああッ、なんと腹立たしい――……ッ!

「もういいッ! お望み通りに私が爪牙公(そうがこう)ってのに直接会って文句を言う! 私のディーを苛めるなんて絶対に許さないッ!」

 吼えるように叫んで立ち上がったキラにレン達がギョッとした。

「なっ?! お嬢さま、なりませんッ!」

「お嬢様、どうか冷静に――」

「うるさいッ! 私に指図しないでッ!!」

 キラがレン達を睨み付けた、その刹那――。

 レンとジルの頭上から圧倒的な重圧(プレッシャー)が、ズンッ! とのし掛かった。

 そのあまりにも強大な圧に耐えきれず、レンとジルはなす術もなくその場に崩れ落ちる。

「ッ! なんというッ――……! これが大天使のチカラ、かッ……?!」

 ジルがのし掛かる重圧(プレッシャー)をどうにか払い除けようと懸命にもがき、呻く。

「お嬢さま、いけませんッ! お嬢さまァ――……ッ!」

 レンの掠れた悲痛な叫び声は、すでにドアを抜けて駆け出していたキラの背中に向けられていた。

「っ!」

 城内は相変わらずビリビリと振動しており、重低音の爆音が響いている。

 キラがこれまで経験したことのない危険な状況。

 だが――、自らの危機に対する恐怖以上にキラは怒り心頭だった。

「お嬢様っ?!」

 迷わず一目散で走っているキラに、廊下ですれ違うディーの配下達が驚き戸惑い、そしてキラを止めるべく立ち塞がろうとしてきた。

「邪魔をしないでッ!」

「ッ!」

 キラの一喝と共に無意識で放たれるチカラ。

 配下達はその重圧(プレッシャー)にその場で縫い止められ、中には力負けして床に倒れこむ者さえいた。

 全速力で駆けてもキラが息切れすることはない。無意識に使われているチカラがキラの後押しをしているのだ。

「お嬢様?! この先は危険です!」

 城の正門は固く閉ざされ、衛兵達が更に守りを固めている。

 衛兵達の制止にもキラは止まらない。キラは正面階段を駆け下りた勢いのままチカラをぶつけて、衛兵達の壁と重厚な大扉をぶち破った。

「っ!」

 外に出て真っ先に見えたのはディーの結界の壁に阻まれる形で炸裂した爆発。そして全身に浴びる爆発音。

 防壁のない状態の近場で体験するそれらにもキラは怖れない。

 やがて――。キラの前に城門前で倒れている血塗れの衛兵達とボロボロに崩れた石畳の地面、そしてドシンと仁王立ちしている大柄な狼の獣人魔族が現れた。

 キラの二倍以上はある濃い灰色の巨体。歴戦の戦士を思わせる見事な体躯。相対する者を圧倒させ屈服させるのが当然と言わんばかりの存在感。隻眼の右目には斜めに走った傷跡がある。

「……っ!」

 これが、爪牙公(そうがこう)――……!

 キラの姿を捉えた爪牙公は左目を大きく見開き、口元を歪ませた。鋭い犬歯が覗き見える。

「へぇ? お嬢ちゃんが鴉の番か。ハハッ、鴉の匂いがベッタリついてるじゃねーか!」

 発せられたのは愉しげな低めの声。ディーの結界ギリギリで立ち止まったキラを愉快そうに見下ろしている。

 外見ではわかりにくかったが、声の印象では人間でいう二十代半ばといったところか。外見よりも若さを覚える声だが、明らかにキラとディーを侮った口調だ。

「――っ!」

 間近で見上げた爪牙公(そうがこう)は凄まじい威圧感がある……!

 これまでキラが出会ってきた魔族はディーの配下ばかりで、乱入令嬢を除いた誰もがキラに好意的だった。乱入令嬢は特にキラの問題にならない存在だったからもはや除外だ。

 つまりこの爪牙公(そうがこう)はキラがほぼ初めて出会う悪意のある魔族――しかも強大なチカラを持つ上位魔族だ。

 先ほど聞いたレンの話を踏まえると、上位魔族は普通の魔族とは別格の存在。爪牙公(そうがこう)から見れば、未だにチカラを自在に扱えないキラなど蟻んこ以下のちっぽけな存在に違いない。

 爪牙公(そうがこう)が本気を出せば自分など一瞬で消し飛んでしまう。圧倒的な存在感とチカラの差が嫌でもそう理解させてくる。 

 湧きあがる恐怖心を噛み殺すためにギリィッと歯軋りしたキラは、躊躇わずにキッと睨みつけた。

「貴方が爪牙公(そうがこう)って人? 無礼な狼さん」

「?!」

 意識を保っていた満身創痍の門番の衛兵が、キラの言葉にギョッとしている。

 相手は上位魔族。普通の魔族では太刀打ちのできない圧倒的な強者。気分を損ねればこちらの命など一瞬で潰されてしまう存在なのだ。

 その相手に、無礼な狼さん……。

「あっははははは! ちっこいくせに随分と怖いもの知らずで威勢のいいお嬢ちゃんだ! 可愛いじゃねぇか!」

 狼さん呼ばわりされた爪牙公(そうがこう)は一瞬キョトンとして、直後に我慢ならないといった風に盛大な笑い声をあげた。

 笑い声と共に発せられたチカラの圧で空気が振動しているのが全身にビリビリと伝わって、こちらの魂を畏縮させようとしてくる。

 それでもキラは怖じけて視線を逸らそうとする自分を鼓舞して、ギラギラと輝いて睥睨してくる爪牙公(そうがこう)の左目をまっすぐ捉え続けた。

「そちらこそ無駄に体と声と態度が大きな狼さんだね。もふもふの獣人は好きだけど、貴方みたいな無神経で無礼でガサツな狼は大ッ嫌い!」

 キラが吐き捨てた言葉を爪牙公(そうがこう)はハッと嘲笑う。

「鴉の結界の内側にいるお嬢ちゃんに何を言われても響かねぇなぁ。ビビってんのか? まるで毛を逆立てた子猫みてぇだな!」

「ディーの結界からわざわざ出て貴方の相手をする必要なんて微塵もないでしょ。無礼で図体が大きいだけの狼さんのくせに驕らないでッ!」

「ハハッ! 随分と口が達者だなぁ、お嬢ちゃん?」

 爪牙公(そうがこう)の口角がニタリと上がる。

「お嬢ちゃんは知らんだろうが、お前さんが愛する鴉には男色趣味があるんじゃねぇかと噂があったんだぜ? なにせこれまで鴉は女に全く興味がなくて浮いた話がこれっぽっちもなかったからなぁ」

「だから何? ディーがそこらの女にホイホイ靡くようなだらしない男のわけがないでしょ。そんなこともわからないなんて本当に頭の弱い狼さんだねッ! もしかして私に女の魅力がないって言いたいの? 貴方の方こそ異性の私から見てこれっぽっちも魅力がないのにねッ。それとも……、あぁなるほど! ディーが自分と仲良く遊んでくれないのに、そこに現れた私がディーと仲がいいのが気に入らないんだ?」

 わざとキラを傷付けようとした爪牙公(そうがこう)の言葉だったが、キラの心は微塵も動かない。

 キラに倍返しで言い返されて、爪牙公(そうがこう)の左目が鋭く細められた。

「本当に口が達者だなぁ、お嬢ちゃん! 俺にここまで食いついてくるたぁ大したもんだ。ハハッ、面白ぇや!」

「貴方はちっとも面白くない! ディーに寄って集って意地悪するような気持ちの悪いご趣味をお持ちの方々達は男女関係なく大ッ嫌いッ! 上位魔族? だから何? そんなの免罪符になるわけないでしょッ!」

 ディーの結界を挟んで繰り広げられている言葉の応酬。更にそれらの言葉にはチカラが乗っており、互いを威圧し牽制しあっている。

 相手は序列第四位の上位魔族。対してキラは最近になってようやく《歌》が歌えるようになった程度の大天使。チカラの制御どころか今この瞬間でさえ自分がチカラを使っていることに気付いてすらいないのだ。

 チカラの差は歴然なのだが、キラにはディーの結界と加護(バフ)という間違いのない後ろ楯がある。だからこそキラは怖じけることなく一歩も引かずに対峙しているのだ。

「今のお嬢ちゃんは鴉の威を借っているだけだ。いくら吠えても怖かねぇなぁ!」

「ディーの威を借っている? 素晴らしい褒め言葉だね。それともディーが仲良く遊んでもらえないからって私に妬いてるとか? うわぁ、悲しい狼さん!」

 爪牙公(そうがこう)の左目の眼光から一切視線を逸らすことなく反撃を続けるキラ。

 そんなキラの言葉に、爪牙公(そうがこう)の気配と表情が一気にスッ……と冷え込んだ。 

「……よくもまぁここまで囀ずるもんだな。お嬢ちゃんの鴉こそ凶悪な存在なんだぞ? 戦場に立ったあの鴉を見ればお嬢ちゃんもドン引きして冷めるんじゃねぇか? あの鴉は敵と見なせば妊婦や赤ん坊でさえ躊躇いの欠片もなく血飛沫と肉片に変えるような奴だ。しかも愉しげに血煙を纏って笑いながら歌ってな。死神みてぇな鴉だよなぁ」

 ――それはキラが知らない無慈悲な魔族としてのディーの在り方。

 ディーはキラの前ではどこまでも優しくて、時には臆病で繊細な側面を見せる人だ。

 城で夜鴉公(よがらすこう)として立ち振る舞う姿はどこまでも気高く、フリューゲルの支配者としての自信と威厳に満ちている。

 そんなディーの、残酷極まりない側面――……。

「――――だから、なに?」

 爪牙公(そうがこう)の容赦のない言葉と眼光にも、キラは全く動揺しない。

 ディーは天界で一族郎党を処刑され、ディー自身も幼い身で生き地獄を味わった。ボロ雑巾の状態で天界から投げ捨てられたのを、魔王のただの気まぐれで拾われて生き延びた。そして魔界の底辺から序列第三位夜鴉公(よがらすこう)へと這い上がってきたのだ。

 この過程が綺麗な美談で済むはずがない。

 血で血を洗うことだって、命のやり取りだってあったことだろう。それも何度も、何度も、何度も――……。

 だからこそディーは、これまで生き延びてきたのだ。

 だからこそディーは、孤独なのだ。

 だからこそディーは、キラを喪うことを酷く恐れているのだ。

 爪牙公(そうがこう)の言葉は夜鴉公(よがらすこう)ディオルトを――大切なディーを徹底的に貶める言葉。

 断じて、赦さない。

「ディーを馬鹿にするのは赦さない。ディーを貶すことは赦さない。偉そうな口を利かないで。私のディーを苛めるなんて絶対に赦さない――ッ!」

 キラの怒りが頂点に達して網膜に火花が散った、その瞬間――。

「ッ!!」

 低く響いた無慈悲な衝撃音と同時に、爪牙公(そうがこう)の巨体が遥か後方へと吹き飛んだ!

 ――だが、その光景の全てをキラが目にすることはなかった。

 キラの視界をフワリと遮りながら、鴉羽色の大きな翼がキラの体を包み込んだのだ。

「っ、ディー……っ!」

 親しんだ抱擁の温もりにキラが安堵する暇もなく、ディーはキラを抱き寄せると翼で周囲からの視線を覆い隠しながら半ば強引にキラの唇を奪った。

 キラは突然の出来事に加えて彼の体温と吐息の熱さにますます驚いて固まっている。

「――――……はぁっ……! 俺のキラが愛おしすぎて胸が苦しい……ッ!」

 しばらくしてキラの唇を解放して翼の具現化も解いたディーが、キラをギュッと抱きしめたまま魂から狂喜の叫びをあげた。

「……」

 ――……ああ……、いつものディーだ…………。

 恍惚としている彼の表情をポカンと見上げて……、ここでようやくキラは神経の隅々にまで張り詰めていた緊張を解いた。

 はぁと大きくため息をついてもう一度ディーの顔を見上げて――……、その頬に付着している血痕を見てハッと我に返る。

「ディー、大丈夫?! 怪我はッ?!」

 キラは慌ててディーの体をペタペタと触っていく。

 ディーの衣服は所々が裂けており、焼け焦げた痕や血痕が付着していた。

「俺は大丈夫だ。何ともない」

 確かに外傷はないようだ。――少なくとも、()()

「なら、この血は何?!」

「単なるかすり傷だ。もう治った」

「……私が知っているかすり傷とディーが言うかすり傷は程度が違うんでしょうねっ。あぁもうッ!」

 キラはハンカチを取り出すと、手を伸ばしてディーの頬に残る血痕と煤を丁寧に拭っていく。

 そんな健気な恋人の姿をディーが愛おしげに目を細めて見つめている。

「お前の方こそ大丈夫か?」

「大丈夫っ。ディーの結界の中にいたんだから、怪我なんてしていないよ!」

 自信満々なキラにディーは「そうじゃなくて」と苦笑した。

「お前、意図せずチカラを使っていたんだぞ? 体調に異変はないか?」

「へ……?」

 キラはキョトンとして――……、今更ながら「そうか……」と納得して呟く。

 先ほどまでは必死で訳がわからなくなっていたが、自分の内側から不思議と込み上げて後押ししていた何か。あれの正体がチカラだったのか……。

 キラがそう理解した途端、ぐらりと視界が大きく揺れた。

「うぅ、フラフラする……」

「可愛いなぁ」

 ディーが自分の体に寄り掛かったキラを抱き寄せて求愛の口付けをしてくる。 

「さて。愛しいキラが初めてはっきりとチカラを使った記念日がこんな状況だったのは悔しいが……、まぁ一応は役に立ったということでお礼参りをするか」

 ディーはキラにもう一度求愛の口付けをすると、右腕で抱えるように大切にキラを抱き上げた。

 そしてそのまま結界を抜けて、先ほど爪牙公(そうがこう)が吹き飛んだ方角へと歩いていく。

「あいたたた……」

 爪牙公(そうがこう)は少し離れた場所にできたクレーターの中で座り込んで、右手で首筋を押さえながら頭を振っていた。

 クレーターの崖際で立ち止まったディーが、その様子を淡々と見下ろす。

「図体と態度だけはデカい狼の分際で、いつまでそうやって俺の縄張り(フリューゲル)に居座る気だ? 目障り極まりない。早急に失せろ」

 当然のように不遜なディーにキラは「お礼参りってなんだっけ……?」と苦笑した。

 爪牙公(そうがこう)がこちらをジロリと見上げて、愉しげにハッと嗤った。

「口の達者さは似た者同士だなぁ。いや、鴉の語彙がお嬢ちゃんに伝染したのか?」

「俺の愛しいキラと口が利けた栄誉を噛みしめながらさっさと自分の巣(ファング)に帰れ。右目の次は尻尾を引き千切るぞ」

「おお、怖い怖い! おーいお嬢ちゃん、いいのかー? こーんなにお口の悪い鴉がお相手で」

 爪牙公(そうがこう)はニヤニヤと嗤いながら立ち上がり、試すような視線をキラに向ける。

「貴方と比べればディーは遥かにお行儀がいい。ディー、尻尾よりももっとダメージがある部分を抉ってくれる?」

「そうだな、尻尾じゃダメージが少ないよな。臓物の一つや二つ潰してようやくトントンだよな」

「クッ――……、あはははははッ!」

 物騒な会話を展開させている二人に爪牙公(そうがこう)は腹を抱えて大爆笑した。

「ったく、お前らお似合いだなぁ! しかも互いの匂いがベッタリたぁ、お熱いこった!」

「失せろ」

「へいへい。んじゃなー!」

 爪牙公(そうがこう)は半笑いで片手をヒラヒラと振ると、その鋭い爪で切り裂いた空間に消えていった。

 ……周囲の雰囲気がようやく落ち着いて、キラは安堵のため息をつく。

 波乱万丈の展開だったが、ディーも自分も無事で良かっ――。

「あっ、門番さん達が無事じゃない! ディー、ディー……!」

 キラが爪牙公(そうがこう)と対決する直前まで命を張って守っていた衛兵達が満身創痍の血塗れで倒れ伏していたのだ。早く助けないと!

 城へと踵を返したディーの肩を慌てて叩いて訴えると、ディーは「問題ない」とクスッと笑う。

「問題しかな――……あ」

 前方に見えてきた城門ではすでに城から配下達がわらわらと出てきており、手際良く救護活動と復旧作業を開始していた。

 遠目で見えている負傷兵達は……、キラが見た時よりも元気そうだ。風に乗って笑い声まで聞こえてくる。

「ウチの門番共はあれでくたばるほど柔じゃないし、ウチの城はあの程度の騒ぎで崩壊する脆弱な体制じゃない。すぐに状況を立て直せる」

「そ、そっか……」

 ホッと胸を撫で下ろすキラにディーが苦笑した。

「俺が戻るまで俺の結界に立て籠っていれば危険はない。外に配属された衛兵達はその役割を十全に果たせる能力持ちだ。だからキラがおとなしく部屋で待っていれば文句はなかったんだがなぁ……。さてはレンとジルを振り払ったな?」

「……お説教なら聞かないからね。私は後悔していないもん」

 キラは確かに制止するジルやレン達を振り払った。

 だが。ディーを陥れた爪牙公(そうがこう)には直で物を申さないと腹の虫が収まらなかったし、ディーの結界から出なかったのだから自分の身の安全だってちゃんと守れていた。

 プイとそっぽを向いたキラにディーがクスッと笑う。

「俺のために憤ってくれたんだな。可愛いなぁ」

「……あの狼さん、嫌い」

「あれはあれでわかりやすい性格をしているから、上位魔族連中の中では扱いやすい部類だぞ? 俺の悪友的な奴なんだがな」

「悪友……。そもそも、なんでこんなことになったの?」

「会議中に寄って集ってウザ絡みされて、からかわれたんだ」

 城内に戻ってもディーは相変わらずキラを抱き上げたままだ。

 何事もなかったかのような足取りでキラの部屋に続く通路を進んでいく。

「バドの件でお前を助けに行った時も会議中だったんだが、お前が危ないとわかった俺は速攻で会議を放り出した。つい我を忘れて議場の壁ごとドアをぶっ飛ばして飛び出したんだが、その時の俺があまりにも必死で面白かったらしい。で、今の俺はキラの匂いがベッタリだからな。ますます面白がられた」

「ええっ? ディーを笑い者にするだなんて酷いっ! やっぱりあの狼さん嫌い!」

「主犯は狼だが、そもそも狼と他を焚き付けた火種は愉快犯の魔王だ。奴は天界を追放されて死にかけだった頃から俺を知っているからな、俺の変化がよほど面白かったんだろう。とりあえず魔王の脳天はワイン瓶でぶん殴ってきたぞ。ま、いつもの馬鹿騒ぎだから気にしなくていい」

 ディーはなかなか凄いことを言っている気がする。

 上位魔族の会議では物理的なやり取りもありなのか? 型破りがすぎるのでは?

 ……怒りから呆れに変わったキラは大きくため息をついた。

「あ、そうだ。あの狼さんも言っていたけど、匂いって何なの?」

 気を取り直したキラは自分とディーの匂いをスンスンと嗅ぐ。

 純粋な恋人の行動が愛おしくてたまらないのか、ディーがキラの頭に顔をスリッと擦り付けた。

「ふふっ、嗅覚ではわからないさ。惹かれ合っている者同士で放ったフェロモンみたいなもんだ。こうしてくっついていると移るんだよ」

「ええぇ……?」

 まさかディーの配下達にもキラ達が互いに纏わせている匂いとやらを認知されているのだろうか……?

 少し恥ずかしくなったキラが周囲の視線を気にして俯くと……、ディーが緊張した面持ちで口を開いた。

「――――……なぁ、キラ……。あれが言っていたように、俺の手と翼は血に塗れている。俺はこれまでにお前が思っている以上の卑怯で残虐な真似だってして――」

「だから何?」

 キラはディーの頬に優しく触れて目を合わせながら彼の言葉を遮った。 

「それを聞いて私のディーを見る目が変わるわけがないし、私がディーを嫌いになるはずもないでしょ」

「っ……」

 迷いのないキラの言葉にディーがハッと息を飲んだ。

 キラは表情が固まっている恋人の頭をよしよしと撫でる。

「大丈夫。私の恋人は素敵なんだから」

「……っ! お前には敵わないなぁ……。キラ、ありがとうな」

 大きく息を吐いたディーは、キラにだけ見せる穏やかで優しい微笑みを綺麗に浮かべた。

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