第四話 父の下へ
高校を卒業した私は、社会人になった。そして、父の下で働き始めた。建築業界となる。
この時に父方叔父はもういないが、別の男性がいた。宮田さんといい、歳は父より少し上なため、私よりもだいぶ上だ。父を除き、唯一となる職場の先輩だった。
初任給は少ないと感じた。十二~十三万円くらいだ。そこから、所得税・住民税・健康保険料・厚生年金保険料および生命保険料が引かれていたと思う。それらに対する知識がなかったこともあるだろう。
ただ、後になって適正だったと感じていた。当時の私の感覚は、高校一年生の夏休みに、泊まり込みでした建築業界のバイト代が基準だったのだ。十日間だけであったのにも関わらず、日当は一万二千円なため、手渡しされたのは十二万円。所得税・住民税・健康保険料・厚生年金保険料および生命保険料は引かれていないため、丸々だ。
「少ないわ」
私が父に文句を言ったところ、父は言った。
「少なないって」
この点は父の言うとおりだろう。高校一年生の夏休みに、泊まり込みでした建築業界のバイト代が高かっただけだ。正社員ではなく、単発であったことも関係していると思う。同じ建築業界ではあるものの、その中での業種も違う。
ただ、高校を卒業してまだ一ヶ月でしかなく、わずか十八歳で、知識に乏しかった私にはそこまで考えが及ばない。
そして、父の下で働き始めてから半年程が経った頃だったと思う。父が、日当を一万円に引き上げてくれることになった。
「それでお前が働いてくれるなら安いもんや」
私が何と言ったかはどうしても思い出せないのだが、この時の父の言葉は覚えているため、信じ難いことにまた父に文句を言ったのだろう。若い頃の自分を振り返り、生意気だったんだなと感じている。
そして、こんなことを言ってくれるのは父くらいだろう。立場は父の方が強いのだ。
二〇〇一~二〇〇五年あたりだったと思うのだが、父方祖母に言われたことがある。
「竜虎は生意気やねん。怒ったらあかんで」
若い頃の私は、まさしく父方祖母の言う通りだった。
正社員だったのは一~二年目だけだった。三年目からは、外注先として継続的に仕事を振ってもらう形になった。私はその方が良かった。父の下で働き続けようと思ったことがないからだ。
というよりも、建築業界で働き続けようと思っていなかった。建築業界が嫌だとかそういうことではなく、やりたいことがいくつもあったのだ。
外注先として継続的に仕事を振ってもらうことで、生活を維持しながら、やりたいことに取り組むことができた。
月日が経ち、日当を一万五千円に引き上げてくれた。更に月日が経ち、日当を一万八千円に引き上げてくれた。二回共、私が要求した記憶はない。
が、私は一万五千円で満足しており、何の不満もなかったため、一万八千円に引き上げられた日当を、引き下げてくれるよう自ら要求した。一定期間は一万八千円で働いてたのだが、長くはなかった気がする。
父は、私に良くしてくれた。本心からそう思っている。息子じゃなければ、とうの昔に見放されていただろう。




