第三話 鉢合わせ
高校一年生になった私は、フルコンタクト空手を始めた。中学三年生の時に読んだ「空手バカ一代」で、主人公だった、極真会館の創始者・大山倍達総裁に興味を抱いたためだった。
書籍も数多く購入している。 この頃の私が尊敬していた人物になる。
高校三年生の夏のこととなるが、私は、自動車教習所に通っていた。
自動車教習所の費用は、両親が出してくれた。公立ではなく私立の高校に行ったせいで、経済的負担は大きかったはずなのにも関わらず、そんなことを口に出されたことは只の一度もない。
高校受験に本腰を入れ、猛勉強するべきだったと反省している。経済的負担の大きさを考えたことはなかった。このことだけではなく、昔を振り返り、馬鹿だったと感じることは多い。
中学三年生~高校一年生だった時の私は、バイクに乗りたいと思っていた。欲しかったのはゼファーであり、五十万円程度だった記憶がある。
しかし、父が言った・・・かも知れない。
「バイクに乗らへんかったら、自動車教習所の費用を出すぞ」
その光景は頭に思い浮かばないため、母を通し、聞かされた可能性がありそうだ。どちらにせよ、つまりは、バイクに乗るのなら自動車教習所の費用を出さないということだ。
私はバイクに乗らないことにした。どうしてもバイクに乗りたいとまで、強く想っていなかったのだろう。そして、これは私にとって良かったと思っている。
というのも、高校一年生の時にバイクで事故死した同級生がいたのだ。
二学期になり、他のクラスの仲の良かった友人が私のクラスに来た。そして、机の前に来て言ったのだ。
「川井が死んだらしいで」
「え?」
「バイクで事故ったんやって。ノーヘルやったみたいで、頭が割れてもたらしいわ」
一学期の最終日、電車で帰っている時のグループに川井もいた。地べたに座っている姿が記憶に残っている。あの日に見た姿が最後だった。
父方叔父は、若い頃は暴走族のリーダーだった。そして、バイクで事故に合い、大怪我を負ったことがあるらしい。父には、そのことが頭にあったため、自分の息子にはバイクに乗らせたくなかったのではないだろうか。
ある日のこと、自動車教習所に通うため、自宅玄関のドアを開けたところ、門の前に居た父方叔父と鉢合わせた。
「おお」
父方叔父は、少し驚いたような感じだったように思う。私は笑顔で言った。
「自動車教習所へ行くねん」
父・父方叔父から、詳しい時期を聞いていないため分からないのだが、この時は既に父の下を離れ、暴力団員だったのではないかと思っている。というのも、後になって振り返ると、出所したばかりなのではと感じたからだ。雰囲気から感じたものでしかない。生活に困っているように見えた。
時期は不明だが、私が社会に出てからではなかったように思うので、この頃だった可能性がある。父方祖母が、一階から二階の父に向かって大きな声を上げた。
「大和!海生が来てるわ!ご飯食べさせたってもええか!」
それに、高校卒業後に私は父の下で働き始めるのだが、父方叔父は既にいなかった。一緒に働いたことはない。
父の下で働いている時に考えたことはなかったのだが、後になって、一緒に働いていたらどうなっていたかと考えたことがある。後に起こる争いは起きなかったのだろうか。




