第二話 最初の記憶
中学一年生になった私は、柔道部へ入部した。小学四年生の時だったと思うのだが、テレビで「千代の富士物語」を見た影響で、中学校卒業後は元横綱・千代の富士が親方を務める九重部屋へ入門する気でいた。よって、あくまでも相撲の役に立たせるためでしかなかった。
が、私は柔道に熱中した。楽しかったのだ。柔道関連の書籍も数多く購入しており、その中の一ヶが木村政彦著「わが柔道」だった。この頃の私が尊敬していた人物になる。
自宅がある敷地の駐車場で、父のトラックが戻ってくるまでの間、サンドバックへ投げ込みをすることがあった。電柱へ打ち込みをすることもあった。振り返れば、部屋が近かったため父方祖母はうるさかったと思う。何も考えておらず、気を使ったことがなかった。
私が通っていた中学校は、柔道部が非常に弱かった。強くなりたかったのだが、ロクに練習が行われなかったのだ。
それでも、一回目となる姫路市民大会は三位に入賞し、二回目となる中播地区大会も三位に入賞できた。記憶では、中学一年生の九月に出場したのが一回目で、中学一年生の十月に出場したのが二回目だ。
が、その後に出場できた兵庫県大会は、一回戦負けという結果に終わる。この時、母と、当時小学五年生だった弟も見にきていたのだが、戻ってきて泣き始めた私に、母は突き放すような言葉を投げてきた。
「トイレで泣き!」
思い出せなかったのだが、何とか記憶を呼び戻すことができた。違う言葉だった可能性もある。
後年、母のこの時の言葉に・・・と言っても、思い出せなかったため、突き放すような言葉を投げてきたことに対してとなるが、疑問を抱いていたため、母を問い質した。すると、笑いながら謝ってきた。私としては、怒っていたわけではない。確か二十〇~三十四歳くらいの時だったと思う。
あれは、中学二年生の前半だったと思う。父の部屋で、父・私の二人でいる時だった。
「プルル・・・ プルル・・・ プルル・・・」
自宅の固定電話が鳴った。
「はい」
父が応答した。相手は、二ヶ下だった男の父親だった。私は、幼稚園から小学六年生にかけてノンコンタクト空手をしていたのだが、その時の知り合いとなる。
「柔道でオリンピックに出るとアホなこと言うてますわ」
父は、すぐ側に本人がいるのにも関わらず、笑いながらそう口にした。
私なら、息子の前でそんな言葉を発することはない。まだ中学二年生なわけで、自信を削ぎ、意欲を無くさせる可能性が高いと考えるため。何も考えていないのだろう。
そして、どうやら元関脇・益荒雄からのスカウトだったようだ。この少し前、近所の建物前で予告なく元関脇・益荒雄と顔を合わせている。私が力士になりたいと言ってるのを聞いた周りの大人が、手配したのだろう。
ただ、この時の父の対応からして、父は関与していなさそうな気がするのだが、何故、私は近所の建物前にいたのだろう。そこは分からないが、元関脇・益荒雄を見上げている時の光景が記憶に残っている。
父には、私に聞いた上で返答して欲しかった。本人の意思を聞かずに断るのではなく。聞かれていても断っていたため、結果は同じであったが、問題はそこではない。
この時に限らず、多いのだ。というよりも、ほとんどがそう。これは、私に対してだけではない。相手方に聞くべきと感じるようなことでも、聞かずに決めてしまう。なので、反発や指摘されるのを見てきているのだが、一向に改まらない。
そんな時期のことだったが、父方叔父は、女性と二人の子供を連れ、自宅に来ていた。そして、この時が父方叔父に関する最初の記憶となる。それ以前にも接していたと思うのだが、記憶にない。
二人の子供は、共に男の子だった。父方叔父の実の子かどうかは分からない。恐らくは、違うと思う。女性は再婚相手だったような気がするものの、断定はできない。単に恋人だった可能性もある。
父方叔父は、一人目配偶者と離婚している。そして、一人目配偶者との間にできた子供は二人で、共に女だ。私・弟とは歳が近い。
私は一階台所にいた。流し台には、母が立っている。自分で行ったのかも知れないし、母に呼ばれたのかも知れない。
「海生君が来てるわ。お茶持っていき」
「うん」
母から、父方叔父へお茶を持っていくよう言われた。
そして、父方祖父の仏壇がある部屋に行き、父方祖母および、父方叔父・女性・男の子二人の前に姿を現した。
「どうぞ」
すると、父方祖母は笑顔で言った。
「前髪垂らして」
私はお茶を出した後、父方祖父の仏壇がある部屋を出て、台所に戻ったのだと思う。
父方叔父は社交性があり、誰からも好かれる男だ。そして、こういう時は真っ先に声を掛けてくれるタイプなのだが、この時は、父方叔父の姿が薄っすらとしか記憶に残っておらず、言葉を交わした記憶はない。




