2-7
(腹立たしい!)
自然と怒りが足取りに出てしまう。ドタドタと品がないと思いながらも暫く止められなかった。
幸いにも次の仕事まで空きがある。
中庭を突っ切り、多少気持ちが落ち着いてきたところで、日の当たる身廊近くのベンチに腰掛けた。
「はぁ……どうすれば良いのだろう」
冷静になって来てやっと、かなりの難題を抱えてしまったと気付いた。
一つは、スピネルの依頼。
(怒らせる方法自体はいくらでもありそうだが、問題はその後だ)
どうやって簡易拠点の方まで誘導すれば良いのか。
加えて、衰えがあるとはいえ武闘派のジェンドリ相手に、どのように切り抜けるべきか。
(……命がいくつあっても足りない)
思わず抱えていた地図をぐしゃりと握りしめてしまった。
いけないと思い皺を広げつつ、一応何か浮かぶかもしれないと、地図を広げてみる。
(それが達成できたとして、もう一つをどうしたものか)
更なる難題は、タシャの兵士をどのように助け、逃がすか。
騎士たちの目がどこにあるかもわからない空間で、何とか動き回らなければならない。
(無茶をしてでも、より多くの人数を助けられたら良いのだが……)
正直こちらの方がアドラにとっては重要だ。祖国カデンスの二の舞になるような事は絶対に避けたい。
スピネルたちが先程会議していた内容を踏まえ、抜け道を何案か考えてみるも、どれもが頭の中の模擬実験内で失敗していく。
思わず「うぐぐ……」と、唸り声が零れてしまう。
「あの、大巡司様……?」
「……おや、君は、昨日の」
心配そうに話しかけて来たのは、昨日知り合った下働きの少年だった。
元々下がり気味な眉が更に急なカーブを描き、大きな褐色の瞳はおろおろと揺れている。
「お体の具合はもう大丈夫そうですか……?」
「ご心配おかけしてしまい……もう大丈夫になりましたよ」
「良かった……! あ、あの時も急に消えてしまって……僕、どうしようかと……」
「重ねてご心配をおかけしてしまい申し訳ありません」
救国騎士の仕業とは伝えられず、アドラは一先ず謝る事に徹した。
そのおかげか、下働きの少年の表情は少しだけ晴れ、へにゃりとした笑顔になった。
「あ、あの僕、ちゃんと白術が使えるようになったんです! 大巡司様のおかげです!
コツの事は誰にも言っておりません……約束ですから!」
ぴよぴよと嬉しそうに報告してくれる様はとても微笑ましい。
それと同時に、彼の才能にアドラは舌を巻いた。
(才能の片鱗は見えていたが、まさかこれほどまでとは……)
コツを教えたのは昨日の今日。それもかなり端的な説明だったというのに、もう白術発動まで漕ぎつけている。
「それは良かった……ところで、貴方のお名前は?」
慈善隊や儀式の際、彼の才能を活かせそうな役割があれば推薦したい。彼はもっと大聖堂内で周知されるべきだ。
アドラが尋ねれば、下働きの少年は少しの逡巡の後、もじもじしながら答える。
「ス、スティルヴェニアエンゲル……長いので皆スティルと」
とても長く、特徴的な名前だった。
これは、自分の名前に続けて家族の名前の一部が何世代分か合体しているからこういう形になっている。
エステリアでは殆ど見ることがない命名規則でつけられたものであり、アドラには心当たりがあった。
少年がまた不安げな表情になった理由も――。
『貴方は、シグザパル出身なのですね?』
『っ! ……はい。どうか、他の方には言わないでください』
シグザパルで使われる騎馬民族の言語で尋ねてみれば、いつもよりもずっと滑らかに言葉が返って来た。
彼の名前は、タシャを超えた森林地帯の奥、遺跡が多く残る地域の少数部族由来のもの。
あの辺りの部族たちは、数年前に人質や観光名所破壊などの脅迫を受け、かなり強引にシグザパルに組み込まれたと、アドラは記憶している。
『誓って諜報ではありません……僕はただ、シグザパルの兵舎から逃げてきて……』
『大丈夫です。疑っていませんよ』
ぽろぽろと泣き始めてしまったスティルへハンカチを手渡し、焦げ茶のくせっ毛頭を撫でた。
恐らくは、エステリア国内の平原まで逃げて来たところを、慈善隊に拾われたのだろう。
リラエンの意向の下、助けを求められれば誰であろうと助ける。それが子供なら、大人になれるよう最低限環境を用意する。
例えそれが、敵国の諜報員だったとしてもだ。
(別に諜報員だろうと、なかろうと、僕には関係ない)
アドラはエステリアの侵略行為や、救国騎士の痛手に繋がるのなら大歓迎だとこっそり思っている。
この優秀さを見るにあり得そうな話ではあるが――。
(疑うよりも、彼の才能や心優しい部分を信じたい)
そして、異国の地で生きようと努力しているスティルを、応援したいと思った。
「内緒にします。貴方には活躍して頂きたいので」
「あ、ありがとうございますぅ……!」
異国の言語を他人に聞かれないように、エステリア語へ戻しつつ、二人は約束を交わした。
今まで誰にも打ち明ける事が出来ず、いつ諜報だと疑われて迫害されるか不安で仕方が無かったのだろう。本人も泣き止もうとしているが、中々涙が止まらないようだった。
「あぁ、そんなに泣かなくとも」
「すみませ……あれ、それはタシャ渓谷の地図ですか?」
「そうですが」
馴染みがあるらしく、スティルの視線と興味が地図へ吸い込まれていく。
「タシャに親戚がいて、よくこの辺りで遊んだんです……色んなところに洞窟があって、秘密基地みたいで」
まだ涙が止まらないままスティルは地図を指さし、洞窟の流れに沿って指を動かした。
だが、描かれた敵の記号や×印などを見て、ここが戦場になってしまうという事も同時に悟ったようだった。
「洞窟……描かれているもの以外にもあるのですか?」
「は、はい。地面だとかを掘ったり砕いたりすると、どこかしらにちょっとした空間がある感じです。
自然と増えたり埋まったりで、現地の人たちも全部は把握しきれなかったのかなと……」
たどたどしくもスティルは、自分の覚えている場所を指さしていく。
それに続いて、アドラはペンを取り出し、書き記す。
――これは、これはもしや。
「……っ、これなら!」
「ど、どうされたのですか?」
「スティルのおかげで、大きな悩みが解決しそうなのですよ」
思わぬところから光明が差した。
脳内で何度か軽く検証みれば、かなり成功率が高いと弾き出す。
――これならばスピネルの手伝いも、救助も、何とかできる。
アドラはスティルの小さな手を優しく握りこみ、感謝の気持ちを込めた。
「お手柄ですスティル……」
「お、お役に立てたのでしたら何よりです⁉︎」
びっくりしてようやく涙が引っ込んだスティルへ、更にアドラは喰いついた。
「この辺りの事、もう少し詳しく教えてくださいませんか?」




